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好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

演劇だったら全部できる~行定勲監督『劇場』

劇場

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  • メディア: Prime Video

高校からの友人と立ち上げた劇団「おろか」で脚本家兼演出家を担う永田(山﨑)。
しかし、前衛的な作風は上演ごとに酷評され、客足も伸びず、劇団員も永田を見放してしまう。
解散状態の劇団という現実と、演劇に対する理想のはざまで悩む永田は、言いようのない孤独を感じていた。
そんなある日、永田は街で、自分と同じスニーカーを履いている沙希(松岡)を見かけ声をかける。
自分でも驚くほどの積極性で初めて見知らぬ人に声をかける永田。
突然の出来事に沙希は戸惑うが、様子がおかしい永田が放っておけなく一緒に喫茶店に入る。
女優になる夢を抱き上京し、服飾の学校に通っている学生・沙希と永田の恋はこうして始まった。
映画『劇場』オフィシャルサイト

まず視聴環境だが、7/17封切り映画を自宅で鑑賞という、そもそも4~5か月前に映画館で予告を観て「面白そう」と思っていたときからは予想もしない状況で観た。*1
そして実際に観てみると、もしかしたら、この景色は「新しい日常」下では望めない景色なのか、と思ってしまうような三密空間が満載で、2020年7月に自宅で観るべくして観た映画だったのかもしれない。


さて、予告編で惹かれた理由は、ひとえに「ひげ面の山崎賢人」見たさだった。これまでに観た主演映画『ジョジョの奇妙な冒険』『キングダム』は、ともに馬鹿ヤンキー風のキャラクターだったが、それ以外の、世間一般のハンサム役のイメージからも大きく外れた役柄だと思ったからだ。しかし、実際に見てみると、山崎賢人がカッコよすぎて、これは大問題だった。いわゆる「無精ひげ」なのに、全く「無精」感がない。そのことで、コート姿でホームレス風の初登場時から、「永田」というキャラクターと山崎賢人が演じている「彼」との乖離を強く感じてしまっていた。
さらには、冒頭で永田が出会う沙希は、CMで観る松岡茉優のような不自然な明るさで、「勝手に震えてろ」や「万引き家族」のときに感じなかった違和感を、こちらにも感じてしまう。原作未読の映画では珍しいことだと思うが、主要登場人物2人のどちらに対しても「どこか違う」と思いながら映画を観続けたのだった。
しかし、物語が進むにつれ、松岡茉優に対する違和感はなくなる。まさに純真無垢で、どんなときにもよく笑う、わざとらしいくらい明るいこの性格こそが沙希の良さだとわかっていく。バイク事件に腹を立てたりするシーン以降は、あまり「松岡茉優」を感じることがなくなっていった。

そうすると、永田に抱く違和感がさらに大きくなっていく。しかも、特にモノローグのっ一人語り部分に顕著だが、永田が持つ強い自意識は、『火花』を読んだときに感じた、又吉直樹の自意識にとても近い(『劇場』の原作は未読)。したがって、極端に言うと、「永田」のコスプレをしている山崎賢人が、又吉直樹のセリフを喋っている、という何か物語に集中できなくなるような状態が中盤まで生じていた。

そんな中、物語を牽引するのは、そんな永田のダメ人間さ。とにかく「ヒモ」という立場にも拘わらず自分勝手なところが目に余る。バイクをボコボコにするエピソードとか、沙希に「光熱費」のことを持ち出されたときの返しだとか、家でずっとサッカーゲームをしているところだとか、全部ダメ。
それでも、そんな彼の不器用さに同情する部分も共感する部分も少しはあり、どんどん下り坂に落ちるままにエンディングまで行ってしまう。

そこで別れの日。
最後に、永田は、沙希に対して、一席ぶつのだが、このシーンは本当に良かった。このシーンが無ければ、(自分にとっては)単にダメ人間に数年間付き添った沙希が可哀相なだけの映画だった。
永田のセリフにある「演劇だったら全部できる」を地で行く映画的な見せ方も含めて、このラストシーンでやっと、山崎賢人と永田(と又吉直樹)が融合したように思う。そして、(リアルでないかもしれないが)圧倒的にポジティブなメッセージと明るいイメージ。
繰り返しになるが、そんな「全部できる演劇」の場が、今後、継続していけるのかどうかという問題が急に立ち現れた2020年に自分は生きているけれども、明るいイメージは持ち続けたいと作品の外で改めて考えさせられることになった。
下北沢、高円寺、吉祥寺など、見知った場所がたくさん出てくるこの映画。
そんな街で、お酒を飲みながら見終わったばかりの演劇や映画について話をする。そんな生活が、少しでも早く帰ってくることを願うばかり。

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com