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知識より態度を~上野千鶴子×田房永子『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください! 』

上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!

上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!

田房永子さんについて

女性の生きづらさ(あえて「フェミニズム」という言葉を使わない)についての本を読み始めたのは、そもそも田房永子さんからのように思う。
そもそも自分は高校3年間を男子校で過ごしているし、大学は理系で、かつ体育会系の部活に所属し(本の中でも書かれているような)ホモソーシャルな生活空間の中で長く過ごした。社会人になっても、男女比で見てやはり男7~8割の中で生きてきており、色々な問題に無知・無神経でいられるという「特権」を享受できる立場の人間だと思う。そのあたりのことを、田房永子さんの著作で指摘され、ずっと蓋をしてきたものにようやく向きあうきっかけになった。
(ブログを読み返してみると、田房永子さんと合わせて、森岡正博さんの存在も大きい。森岡正博さんの著作もまた、「男の特権」について強く指摘する内容だった。)
しかし、(本の中でも触れられているが)田房さんは、著作の中で「フェミニズム」という言葉をほとんど使用していないこともあり、自分にとって、田房さんは「フェミニズム」の人ではなかった。


フェミニズム」という言葉に親しみを持って接したのは、韓国フェミニズム文学が流行し、me too運動が勢いを増した2018~2019年という、本当につい最近のことで、それまでは、近づきがたいジャンルだったように思う。
したがって、セクシャルマイノリティーの本は読んでも「フェミニズム」の本は一冊も読んでおらず、上野千鶴子さんの著作も読もうとすら思わなかった。だから、今回、ちょうど良いタイミングでこの本を読むことができたと思う。


この本は、タイトルの通り、これまでの田房永子さんの著作や主張の振り返りも含めて、フェミニズムの歴史や基礎知識について、対談形式で上野千鶴子さんが解説を加えるもの。
ただし、例えば毒親の話題なんかは、田房永子さんの中では総括が出来ており、それは結局フェミニズム的な考え方と一致する、というように、対談では、むしろ「上野先生」の方が、田房さんの著作をよく読んでいるためにスムーズに話が進んでいく。

母からされたことへの個人的な恨みや傷をいやす行動は自分で取り組まなきゃいけないけど、それとは別に、こうやって時代背景や社会の構造を解剖して理解していかないと、母から娘への暴力・ハラスメントの連鎖なんて止められない。(p29田房)

田房さん、マンガで「石像化」って描いてたでしょ?信田さよ子さんも同じことを言ってたけど、娘と母が取っ組み合いのケンカをしてる最中に、父は石像になっちゃうって。(略)
雨宮処凛さんは「父の不在という暴力」って言いました。石像になることが一種の暴力だってことがなんでわからないのかね!(p45上野)

プレイヤーが「母と娘」になりがちな「毒親」の問題は、父親の責任が大きい。このあたりは、以前の著作でもあったが、田房永子さんのA面・B面という考え方がとても分かりやすく、わかりやす過ぎるが故に、自分もB面から逃げている(奥さんに任せてしまっている)部分に気づかされ、苦しくなる。


●↓A面、B面の概念
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●↓A面に胡坐をかく夫、A面、B面の往復に奔走する妻
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●↓既得権益を守りたい男
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ここも含めて、田房さんの問題意識は、年齢が近く、子どもが二人という家族構成も同じであるため、実感として理解しやすく、自分が奥さんから怒られているような気持ちになりながら読む。これは上野千鶴子さんの問題意識とはどうしても違いがあるように思う。

上野千鶴子さんについて

自分にとって、上野千鶴子さんの名を意識したのは平成31年東京大学入学式の祝辞が大きい。
それ以前から名前は知っていたが、何度も書くよう、フェミニズムという思想自体に興味を持てなかったことや、何かと炎上を招いている人っぽいということを知り、避けていた。

しかし、読んでみると、話は明快でわかりやすく、特に大学闘争からウーマンリブ(1960年代~70年代)の話に絡めたフェミニストを志した理由の部分を面白く読んだ。

  • ウーマンリブは世界同時的に登場したが、共通の大きな課題は中絶の自由だった。しかし、優生保護法があり「中絶天国」と言われるほど中絶が簡単にできる国だった日本のウーマンリブはそれが必要なかった。(p61)
  • 一方、女性主体で出来る安全で確実な避妊が、性の自立にとって決定的な条件だったため、欧米ではピルが広まったが、日本ではここが非常に遅れている。(p63)

例えば、このあたりは歴史的な話として聞けるにしても、大学闘争当時の個人的体験の話が強烈だ。

当時東大で男子と一緒にゲバ棒を持つ女の子がいたらしく、その女性についたあだ名が「ゲバルト・ローザ」。ローザは女性革命かのローザ・ルクセンブルクからとったのね。同志とした女は恋人にせず、恋人には都合のいい耐える女、待つ女を選ぶ。これが男のダブルスタンダード。今の「総合職女と一般職女」とおんなじね。(略)
大学闘争の現場にはもうひとつの類型があって、それが「慰安婦」だったの。当時、性的にアクティブな女の子たちを、男たちは「公衆便所」って呼んでいたのね。凄まじい侮蔑の言葉でしょ。同志の女につけこみながら、陰で笑い者にしてたの。(略)
運動には男も女もなかったはずなのに、結果としてどれだけジェンダーギャップがあって、女がどれだけのツケを払うかってことも、骨身に染みて味わった。私がフェミニストになった理由はね、私怨よ。(p65-67上野)

このあたりの強烈な実体験と「私怨」と言い切る強さが、上野千鶴子さんの核の部分なのだろう。
これは、田房永子さんが、コンビニのエロ本棚について考えたり、幼保無償化で、同じ「母親」の間に生じる分断に危機感を覚えたりするところから積み重ねたフェミニズムとは、核の部分が全く違う。
それ故なのか、頻発する「股を開く」という言葉遣いや、「子どもを産むのは親のエゴイズム」(p115)という発言には、間違ってはいないかもしれないが、違和感を拭い切れず、アンチが多いのもわかる気がした。*1

「一人一殺」について

この本の核は3章だと思う。
冒頭では、田房さんが、このように問いを立てる。

フェミニズムのイメージは「女性が社会で活躍するための権利を獲得する運動」という側面が強いと思いますが、結婚とか恋愛といったプライベートな場でフェミニストでいることは可能なんでしょうか?(p94田房)

これに対する回答の中に「一人一殺」という言葉が登場する。

当時の女は、そんな中で「おまえはいったい私と子どもにどう向き合うんだ」って迫る、命がけの闘いをやってたの。周りの女たちの間で「一人一殺」って言葉が流行ったぐらい(笑)。(p94上野)
(略)
女も男も、自分の人生に相手を巻き込んだり、相手の人生に巻き込まれていくのが恋愛や結婚。そういうことを真剣にやってないように見えるのよ。相手に踏み込むような人間関係を作らない、持たない、避ける、そういう育ち方をあなたたちから下の世代はしてきちゃってるのかな。(p95上野)

ここで言われる「一人一殺」の概念は、子育てにおける協力に限らず、男女の非対称の関係性に男は気が付いていないから、まず夫に教え諭す(結果的に夫婦での協力体制を構築する)必要があるという話で、「社会運動」ではないフェミニズム
この「「社会運動」ではないフェミニズム 」については、実は、森岡正博『宗教なき時代を生きるために』でも出てきた話で、そのときにも、自分は痛いところを突かれたと感じたことを思い出した。
森岡正博さんは、以下のように書く。

フェミニズムというものに最初に接した男性は、フェミニズムの主張を次のように理解するだろう。すなわち、「いままでは男性が女性を支配することによって社会が運営されていた。しかし、これからは、男性と女性が真に対等で平等な関係を保出るような社会に、変わらなければならない。そういう社会を求めて行動しているのがフェミニズムである」。
たしかに、この「 」のなかの主張それ自体は、フェミニズムが言ってきたことである。それは、大枠では間違ってはいない。だから、男性がフェミニズムの主張をそういったものとして理解するのは正当である。しかし大事なのは、この「 」のなかの主張が、フェミニズムの主張のすべてではないということだ。この「 」のなかの言明では、フェミニズムの主張の半分しか表現されていない。
なぜならフェミニズムの主張と言うのは、「 」のなかの言明という形では、言いたいことが半分しか伝わらないという、そういう種類の主張だからである。
この言明の裏に隠されている、フェミニズムの残り半分の主張とはいったい何か。それは、「 」のなかのことを理解したそのあなた自身が、いまこの瞬間から、自分の身のまわりの女たちに対して、どのように関わっていくつもりなのかということなのである。そしてこの点が、男性たちにもっとも伝わりにくいのだ。なぜかと言うと、それこそが、男性たちがもっとも<直面したくない>メッセージだからである。だから男に伝わりにくいのだ。

それに直面したくない男性知識人や学者たちの一部は、むしろ積極的にフェミニズムという思想に理解を示し、それを学習し、それについて議論をしようとする。そうすることによって、フェミニズムからの問いかけが、あたかもさきほどの「 」のなかの命題だけにあるのだというふうにみんなで錯覚できるのではないかと期待する。それに直面したくない男性ほど、フェミニズムの「命題内容」には理解を示そうとする。

今回の本の中でも、田房永子さんがこう指摘する部分がある。

フェミっぽい話をしようとすると、「男を代表して謝ります、すいません」って言ってくる男の人がいるんです。「男でごめんなさい」みたいな。私あれがほんと、虫酸が走るほどイヤなんです。(略)
そういう男性は悪気がなくて、むしろこちら側に寄り添ってますって感じの人なんですよね。だから悪く言いづらいんだけど、女性差別の問題は長くて深くて大きい話だし、個人が個人に謝ってもらうとかそんな話じゃないから、「男を代表してこめんなさい」って言われると腹が立つんです。(田房p170)

結局のところ、フェミニズムというのは、知識や学問体系ではなく、「態度」なのだ、と捉えたい。そうしないと、すぐに勘違いして、森岡正博さんが指摘するところの、 「フェミニズムの「命題内容」には理解を示そうとする男性」、田房永子さん言うところの「虫酸を走らせる」側の人間になってしまうからだ。


その意味では、「一人一殺」を地で行く田房永子さんの著作は今後も読みたいし、それらを読む中で、自分が家族に対してどのように向き合うのかが問われているのだと思う。前作は、かなり賛否両論があったらしいので、こちらもすぐに読んでみたい。


なお、5章では、すぐに「フェミを理解してるかしていないか」で論争が起こりがちな状況に対して上野千鶴子さんはこう言っている。

フェミニストは自己申告概念だから、そう名乗った人がフェミなのよ。(略)
フェミは多様なものよ。一人一派、それ以上あるかもしれない。それらがぶつかり合うことはあっても、正統と異端という考えは全くない。(p186上野)

つまり、対談している二人であっても、そのフェミニズムは一部では相容れないところもあるだろう。しかし、それは、ごくごく普通のことだし、自分が二人の意見を受け入れられなければ、フェミニズムに反対するのではなく、自分のフェミニズムを調整していけば良いことだ。
今後も、多様なフェミニズムに触れながら、考え、実践する、ということを続ける必要があるんだろうなと思う。Twitter上のフェミ論争は、本当に不毛なので、嫌になったら本を読もう。

参考

フェミニズムに限らず、この本の中で触れられていて気になった本。
p49 母と娘の関係の一例として→佐野洋子「シズコさん」

シズコさん (新潮文庫)

シズコさん (新潮文庫)


p55上野千鶴子も登場する同名のドキュメンタリー映画の書籍バージョン「何を怖れる」

何を怖れる――フェミニズムを生きた女たち

何を怖れる――フェミニズムを生きた女たち

  • 発売日: 2014/10/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



p70 ウーマンリブの中心的人物である田中美津の著作。『いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ



p160最近になって再評価の声が大きい田嶋陽子に関する本

エトセトラ VOL.2

エトセトラ VOL.2


p166フェミニズムの洗礼を浴びた男性作家として挙げられている、中森明夫山崎浩一星野智幸

青い秋

青い秋

焔

危険な文章講座 (ちくま新書)

危険な文章講座 (ちくま新書)


番外編

さて、今は少し空気が変わってきているが、少し前の「フェミ隠し」について触れられた部分が面白い。
時代の空気の変化については、田房さんが「私たちの世代はフェミニスト田嶋陽子でしたが、今の10代はフェミニストエマ・ワトソン(p165) 」と言うように、最近では大きく状況が異なるが、少し前まで、内容はどうあれ、イベントや本のタイトルはよく考えないとトラブルになりがちと思われていたのだという。

(田房)フェミニストのイベントをやろうとしたら、主に同世代の人たちに「フェミニスト」って言葉を使わない方がいいって言われました。「アクティビスト」とか別の言葉を使った方がいいって。
(上野)それフェミ隠しね。隠れキリシタンみたい。私も同じことを言われました。(略)
本のタイトルに「ジェンダー」とか「フェミニズム」って言葉を使わない方がいいって。読者にひかれる、売れないって理由で。それが事実かどうかはわからないけど。(p159)

さて、ここでどうしても思い出してしまうのが、オリジナル・ラブ14枚目のアルバム『東京 飛行』(2006)の1曲目「ジェンダー」。
どういう意図でこのタイトルを選んだろう?と今になっても気になってしまう曲。曲自体は格好いいのだが、本当に何でなんだろう?


ちなみに、自分が「フェミニスト」という言葉を知ったのは、小比類巻かほる「両手いっぱいのジョニー」(1986)だったように思う。調べてみると、古くは井上陽水の「フェミニスト」(1979)という曲があったようだが、80年代頃までは、「女性を大切に扱う男性」という意味で使われるのが普通だったのかもしれない。

東京 飛行

東京 飛行

  • アーティスト:ORIGINAL LOVE
  • 発売日: 2006/12/06
  • メディア: CD
両手いっぱいのジョニー

両手いっぱいのジョニー

  • 発売日: 2014/04/07
  • メディア: MP3 ダウンロード



*1:加えていえば、天皇のことを「天ちゃん」と言ってしまうあたりも疑問。