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支える・支えられる~浅生鴨『伴走者』

伴走者 (講談社文庫)

伴走者 (講談社文庫)

  • 作者:浅生 鴨
  • 発売日: 2020/02/14
  • メディア: 文庫

伴走者とは、視覚障害者と共に走るランナーである。「速いが勝てない」と言われ続けた淡島は、サッカーのスター選手として活躍しながら事故で視力を失った内田の伴走者として、パラリンピック出場を賭け国際大会で金メダルを狙う。アルペンスキーのガイドレーサーを描く「冬・スキー編」も収録。解説・川越宗一。 

以前、小学校高学年向けのノンフィクション『伴走者たち』という本を読んで以来、ずっと気になっていた伴走者の存在。今回は、その伴走者に焦点が当たる小説で、作者は『中の人などいない @NHK広報のツイートはなぜユルい?』 で有名なツイッターアカウント「@NHK_PR」の中の人(初代)ということでずっと読むのを楽しみにしていた小説。

読んでみると、期待通りの読後感で大満足。視覚障害者の方のスマホ操作の場面などは、『見えない目撃者』を見たあとだったのでイメージもしやすかった。

二部構成の上手さ

読むまで、二部構成ということは想定していなかったが、「夏・マラソン編」 「冬・スキー編」という全く独立した2編による構成は非常に巧みだと感じた。
「夏・マラソン編」は、国際大会でのレースの様子をスタートからゴールまで追いかけながら、伴走者・淡島と、ランナー・内田の過去を振り返るかたちで話が進んでいく。
「冬・スキー編」は、企業のCSRの一環でパラスキーの大会に向けて、盲学校に通う才能あふれる女子高生アスリート・晴を育成するサラリーマン伴走者・涼介の成長が描かれる。
解説(川越宗一)でも指摘がある通りだが、二つの話には共通する部分がある。

二人とも、視覚障害のパラスポーツ選手であること以外に、もう一つの共通点がある。
それは、世間で持たれがちな「かわいそうで助けが必要な障害者」というイメージを嘲笑うように、奔放であるということだ。
内田は、俗物だ。勝つためには手段を択ばない。ルールや法律に触れることこそしないが、触れなければなんだってやる。さらには狷介で、口も性根も悪く、ファッションもどうやら趣味が良くない。
晴は、まるで人の言うことを聞かない。天賦の才能がありながら「高校生って忙しいんです。スキーばっかりやってられませんよ!」とうそぶき、練習を嫌う。なのにやっぱりどうやらスキーは好きらしい。年ごろの複雑さに手足と才能をくっつけたような感じだ。


以前、自分が読んだ『伴走者たち』は、プロアスリートの話ではなく、アマチュアランナーの伴走者の話だったこともあり、「夏・マラソン編」の元プロサッカー選手で傍若無人視覚障害者で、「可能なものは金で解決する」と豪語する内田のキャラクターには面食らった。
内田に振り回される伴走者・淡島も一流ランナーであり、一般人ではない。視覚障害者と晴眼者のやりとりもレース上のものがほとんどで、その意味で、「夏・マラソン編」は、やや、読者が共感しやすい人・場所がない話で、まさしくスポーツ観戦に近い。


一方で、「冬・スキー編」は、若干の恋愛要素も含み、すぐにテレビドラマにもなりそうな、親しみやすい話。晴は勝利にこだわるプロアスリートではなく、楽しいことを優先するという点では、共感しやすい、可愛らしい人物。
伴走者の涼介(35歳)は、営業成績がトップクラスのサラリーマンで実力主義。共感しやすいかどうかは別として、周りにいるタイプのキャラクターだ。
「冬・スキー編」で驚く展開は、最後の最後、目指していた大会に晴が参加しないということ。
競技が異なることだけでなく、人間ドラマや展開の点でも、「夏・マラソン編」「冬・スキー編」は対照的で、この構成が生きている。というよりも、むしろ「冬・スキー編」を際立たせるために、むしろ導入部として「夏・マラソン編」があるのではないかとさえ思ってしまった。

「冬・スキー編」について

自分にとっては、マラソンの伴走者は、本だけでなく実際のマラソン大会でも既に見慣れた存在だったので、正直言って、「夏・スキー編」だけだと、消化不良だった。この一編だけであれば『伴走者たち』の方が断然面白かった。
しかし、「冬・スキー編」で取り上げられる、アルペンスキーのガイドレーサーの話は、ほとんど知らなかっただけに、それだけでとても面白く読んだ。
検索すると、冬季五輪の映像がいくつか出てくるが、こちらが分かりやすい。

また、ソチ五輪のほぼ日の記事はNHK_PRさんが登場しているので、まさにこの本の取材過程ともいえる。(こちらの競技者は全盲の方ではない)
www.1101.com



「冬・スキー編」の、ということは、この本の一番の見どころは、晴と涼介の立場が逆転する霧の中でのスキー。
練習終わりかけの夕方、霧が濃くなったゲレンデは、前が見えない状態に。このとき、「一回でいいからやってみたかった」という晴の申し出で、晴が涼介のガイドレーサー(伴走者)をやることになる。
ほとんど晴しか見えない状況の中で、涼介はこう考える。

晴の後ろ姿からは、恐怖などまるで感じられなかった。本当に晴は弱者なのだろうか。
目が見えないというのは視覚に頼らないということだ。その代わりに晴は多くのものに頼っている。風に、音に、匂いに、皮膚に感じる僅かな気配と自分自身の感覚に。涼介は視覚を失えば何もできなくなるが、晴は視覚がなくとも多くのものを利用し、世界を見ている。
俺は目隠しをして滑っただけで何かがわかったような気になっていたが、見えないというのは、感覚を失うことではないのかも知れない。p254

結局、このシーンがラストまで尾を引く。
勝つことにこだわる涼介は、霧の中のスキーのあとでも、晴がスキーを通して何を望んでいるのかを理解できなかった。
大会に出ないという晴を涼介が説得にいった際の二人の会話は、晴から涼介への最後通告でもあった。

晴が涼介へ顔を向けていた。
「私にはできないことがたくさんあります」そう言って静かに微笑む。少し細くなった頬には、それでも笑窪ができていた。
「助けてもらえるのは嬉しいけど、できることは時間がかかっても自分でやりたいんです。だけど、みんながすぐに助けてくれるから、いつまで経ってもできないままなんですよね」
「晴は何がやりたいんだ」
「私は自分にできることがやりたい」
「スキーができるじゃないか。スキーがやりたいんじゃないのか」
晴はテーブルの上でタイプを打つようにパタパタと指を細かく動かした。
「ねえ、立川さん。私ってずっと誰かに支えてもらわなきゃダメなのかな。誰かを支えちゃダメなのかな」p300

涼介が、そういう晴の気持ちと直接向き合うことができたのは大会が終わってからだったが、この晴の気持ちは誰にでもある普遍的なものだ。
つまり、どんな立場であっても、誰かのために何かをして、その相手に喜んでもらえる、ということ(誰かに必要とされているという感覚)は皆が必要としており、その気持ちを共有でき、他人に頼れる人こそ強い。
誰のサポートも受けずに、常にサポートする側にいることは、強いようでいて弱い。
大会後に、涼介はそのことに気がつき、晴と滑りながらこう思う。

伴走者。それは誰かを助けるのではなく、その誰かと共にあろうとする者、互いを信じ、世界を共にしようと願う者だ。遥か上空から見下ろせば、俺たちの残す二本のシュプールは同じ軌跡を描いているはずだ。p316


思えば、『伴走者たち』でも同じことが書かれていたし、映画『見えない目撃者』も、振り返ってみると、そのようなバディものだったように思う。信頼できる、つまり困ったときに頼れる関係を築くことが重要ということだろう。
障害のあるなしに関わらず、助けが必要には「気軽に」手を差し伸べ、困っていることがあれば「気軽に」周囲に頼る。
自ら行動して少しずつ変えていくいくことで、どんどん生きやすい世の中になっていくと良いと思った。
また、最近、自分のタイムが落ちてしまい、その点で努力が必要ではあるが、いつか伴走者(マラソン)もしてみたい。