Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

「生きやすい街」とは~香山哲『ベルリンうわの空』×『「助けて」と言える国へ』

ベルリンうわの空

ベルリンうわの空

  • 作者:香山 哲
  • 発売日: 2020/01/17
  • メディア: コミック

ドイツ、首都ベルリン。ベルリンといえば、壁、ビール、ソーセージ。だけじゃなくって、様々な文化、様々な人々…、パリや東京とも並ぶ国際都市だ。そんな街で僕は…、僕は…、あんまり何もしていない!
ベルリンという街に「なんとなく」で移住してしまった僕は、派手な観光も、胸躍る冒険もなく、ただ毎日を平凡に過ごしている。そんな僕を人はいつも「うわの空」だというのだけれど、僕なりに、些細だけれども大切なものを集めている。
ベルリンでぼんやり生きる僕の生活の記録と、街から得られる空想と、平凡な毎日ゆえに楽しめる、ちょっと小さな冒険の書。 
Amazon紹介文)

最初に書くと、自分にとっては得るところの多い、傑作と読んでも良いくらいの作品だった。
ざっくりと、ベルリン在住の作者による「日常エッセイ漫画」という紹介をしてしまったら間違ってはいないが、全くこの漫画の本質を捉えていない。
Amazonの紹介文で使われている「ちょっと小さな冒険の書」という言葉は、少しワクワクするという意味で、ものすごく読後感と合っている。

この本が提示する内容は「生活」と「街」という大きく2つに分かれると思う。
この2つは「自分」と「自分の住む環境」に対応して、前者は結局その人次第でどうとでも変わってくるが、後者は一人では変えることのできないものだ。


この漫画は、2つのバランスが良く取れているので、内容は非常に政治性が強いにも関わらず、それを感じさせない。

生活について

香山さんは、好奇心が強く、そういう人にとってベルリンは非常に魅力的な場所のようだ。周辺国にも気軽に行けて(第10話)、電車で乗り過ごして少し先まで行ってしまうと東側はまるで別の国のように感じる(第23話)という。
そして、街のあちこちに貼られたシール。これがこの本全体に頻繁に登場し、最後に伏線が回収されるつくりは最高だが、香山さんが、人を見るのも街を見るのも楽しくてたまらない感じが伝わってくる。
しかし、だからこそ、読み手は、「自分が今からベルリンに生活の場を移すことになったとして、香山さんのように生活を楽しめるかな」と想像する。
そして、その想像の先で、日本でもある程度の都会に住んでいれば、同じように生活することが可能であることに気が付く。
つまり、街を楽しむためのヒントに満ちているというのが、この漫画の一番良いところだ。

「街」について

香山さんによれば、ベルリンは「余裕ややさしさが多い街」だという。

駅で泥酔した人がヤケを起こしていても
横にいた他人がおさえてあげて「つらいことあった?」と聞いてあげていた。
どぎつい広告なんかも少ない気がして、
自分の心にも余裕が持てていた。p11

これを読んだ日本人読者は、自然と日本と比較しながら読むだろう。

そこが、この漫画の「政治的」なところだ。

実際、自分も読んで、ベルリンは日本に比べて、やさしさに溢れた「お節介」が多いイメージだな、と感じた。
日本は「他人に迷惑をかけない」という価値感(それはすなわち、できるだけ「自助」で済ませよう!という菅さんの目指す国家のイメージ)が強過ぎて、「助けて」と声をあげにくいし、助けてあげることさえ自重してしまう空気がある。
ベルリンは、普段の生活の中で、ホームレスや生活に困った人をよく見かけ、物乞いの声なども聞くことが多いようで、日本だったらそれを不安に感じる人も多いのかもしれない。
しかし、香山さんは、その雑音こそが居心地の良さに繋がっていると考える。

「みんなへの呼びかけ」をしてる人を日常的に見かけるから、この街では呼びかけがしやすいと僕は感じた。(略)
色んな人が発する色んな方向の力が空間にひしめいて、雰囲気ができ、共有される。(第18話)

香山さんは、コラム6で「見えていればそれについて議論する機会も多いし、知識や想像力が手に入る」と書くが、この漫画はまさにそれを体現しており、第20話は「ホームレスのこと」、第18話  は「差別について」と題して、まるまるそのテーマについて書いている。
「見えていればそれについて議論する機会も多い」という指摘は、自分を振り返ってみても本当にその通りだと思う。
本や映画で勉強できることは沢山あるが、本当に限られているし、そもそも皆、勉強は好きじゃない。
気軽に調べることのできるネットは、差別や偏見に満ちている。


ただ、身近に見えていれば差別がなくなるかと言えばまた違う。
第18話「差別について」では、冒頭に「どこの国だったか忘れたけど」と書きながら明確に日本での体験が描かれている。牛丼屋で、外国人店員の日本語を笑って馬鹿にする家族の話だ。
コンビニやファーストフードで外国人労働者を見かけるのは本当に多くなったし、小中学校でも、クラスに一人や二人、純日本人ではない名前を見かけることも多くなったのに、日本は、外国から来た人にとって住みやすいとは思えない。
香山さんは、ベルリンにも排外的な攻撃性を持つ人が増えていると言いつつ、「どの国もピンキリの上限下限というのは似てる。(コラム4)」としている。そのまた一方で「ピンとキリの間の色々が、どんな割合・比重でどうバラけているか。その微妙な差こそが(国の)特徴になる」としている。
日本の「割合・比重」はどうなのかな、と考えてしまう。

まとめ

菅政権が誕生してから、菅さんの主張する「自助、共助、公助、そして絆」という言葉について考える機会が増えた。
その中で読んだ奥田知志・茂木健一郎『「助けて」と言える国へ』で語られる言葉は、『ベルリンうわの空』が提示する内容とも共通点が多く、印象深かった。

社会というのは、”健全に傷つくための仕組み”だと私は思います。傷というものを除外して、誰も傷つかない、健全で健康で明るくて楽しいというのが「よい社会」ではないと思います。本当の社会というのは、皆が多少傷つくけれども、致命傷にはならない仕組みです。  

ネットにおける無限に近い広がりに期待しつつも、私は少し心配になります。(略)肉体が伴わない情報は軽く、無責任なものが多いと思う。(略)出会ったら傷つくということも含めて考えると、ネットは便利ですが、私にはまだ全面的に肯定できないところがあります。 

長年支援の現場で確認し続けたことは、「絆は傷を含む」ということだ。傷つくことなしに誰かと出会い、絆を結ぶことはできない。誰かが自分のために傷ついてくれる時、私たちは自分は生きていていいのだと確認する。同様に自分が傷つくことで誰かが癒されるなら、自らの存在意義を見出せる。


『ベルリンうわの空』は、「生きやすい街」について書かれた本だと思う。
しかし、「生きやすい街」というのは、「お気楽な街」ではない。
長年ホームレスの活動支援に従事した牧師の奥田知志さんが指摘する通り、「肉体が伴わない情報は軽く、無責任なものが多い」。香山さんは、カフェでの出会いを大切にして、自主的に仲間を集って、無料の子ども新聞を作ったりすることで、緩やかな「絆」を大切にしている。
漫画では楽しそうな面ばかりが書かれているが、人と会うことや新聞を作ることの「億劫」な部分も沢山あるに違いない。しかし、「生きやすい街」は、嫌な思いをしたり、人と議論したり、汗をかいてお礼を言われる中で生まれてくるものなのだろう。
自分の出来る社会貢献は何かな、ということもぼんやり考えながら暮らしていきたい。


なお、この漫画は黄色と黒のオール二色刷りで、読んでいて楽しくなる。
登場人物が、みんな人間ではないバラバラな外見をしているところも、多様性を重んじるこの漫画のテーマに合っていて、主義主張というより、ビジュアルだけで「やさしい本」だと言える。
ちょうど10月17日に続きが出ると聞いたので(しかも趣の異なる赤黒二色刷り)、今からとても楽しみにしている。

ベルリンうわの空 ウンターグルンド

ベルリンうわの空 ウンターグルンド

  • 作者:香山 哲
  • 発売日: 2020/10/17
  • メディア: コミック