Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

自信と嫉妬と~山崎ナオコーラ『ブスの自信の持ち方』×花房観音『どうしてあんな女に私が』

今回も、「恒例」のビブリオバトル原稿をベースにした内容です。

最初に重要なことなので、繰り返し書きますが、ビブリオバトルはコミュニケーションゲームであるため、基本的に観客を観て話し、原稿を見ながら喋ることはありません。

が、自分の場合は、5分という枠内に入るか確認しながらラフな原稿を作成して、プレゼン前に覚えるというパターンが多いです。
通常5分で1冊を紹介するところを、5分で2冊紹介するイレギュラーな形式であるダブルバウトの場合は、時間が足りないのがわかっているため、かなり完成度を上げた原稿を用意します。

ただし、今回は、事前にボリュームが多過ぎることが発覚し、かなりの部分をカットしつつ、本番でもあたふたしてしまい、結局、後半部で言い残しが沢山残る結果となってしまいました。

そこで、5分発表の原稿を少し膨らまして、最後にまとめをつけて文章化しました。

山崎ナオコーラ『ブスの自信の持ち方』

ブスの自信の持ち方

ブスの自信の持ち方

 1冊目は山崎ナオコーラさんのエッセイ『ブスの自信の持ち方』です。  
山崎ナオコーラさんは何度も芥川賞の候補になっている方ですが、この本は、「ブス」をテーマに1年間web連載していたエッセイをまとめた本になります。
ナオコーラさんは、自分の容姿について昔から悩みを持っていたわけではないのですが、「人のセックスを笑うな」でデビューした際の新聞のインタビュー記事に載った顔写真に対して、ネットに誹謗中傷の言葉が溢れたことから「ブス」について考えるようになりました。


この本が特徴的なのは、ナオコーラさんが女性の代表や「ブス」の代表として発言しているのではなく、あくまで、彼女自身の考え方を整理しているということです。
フェミニズムとも距離を置いていて、テンプレート的な意見を避けるので、評価は受け手によりけりで、Amazonでは低評価も多いです。


しかし、芯にある主張は明確で、誰でも賛成できる部分だと思いますので、この本の結論にあたる部分を最後に引用します。

「ブスと言われた」という私の悩みは、決してコンプレックスではなく、社会へのうらみだ。劣等感に悩んでいるのではなく、社会がおかしいから悩んでいる。正直、自分が変わるよりも、社会を変えたい。p268

政治や運動ではなく、ひとりひとりが言葉について考えを深めていくところからでも社会はきっと変わって行ける、そういう希望に満ちた本だと思いました。

花房観音『どうしてあんな女に私が』

どうしてあんな女に私が (幻冬舎文庫)

どうしてあんな女に私が (幻冬舎文庫)

2冊目は、花房観音の小説『どうしてあんな女に私が』です。
小説の主人公は名前こそ違えど花房観音そのもので、序盤は花房さんの実体験が続きます。

花房さんは、2010年に団鬼六賞の大賞を受賞してデビューします。つまり少なくともデビュー当時の肩書は、官能小説作家でした。
そして、ナオコーラさん同様、花房さんも、デビュー当時のスポーツ新聞のインタビュー記事がきっかけで容姿についての誹謗中傷を受けます。
インタビューの中で、サービス精神から、男性遍歴を話したことや、少し太め体型だったことから、中傷コメントの中で「あいつみたいじゃね?」と似た人として名前が挙がったのが木嶋香苗。それを見て花房さんは「あれよりはマシだ!」と叫び、容姿差別で傷ついている自分も容姿の優劣で他人を見ていることに気が付き、木嶋香苗が気になります。


ここで簡単に木嶋香苗について説明すると、婚活パーティで出会った男に数百から数千万の金を貢がせたあとで、男が不審な死を遂げる…そういったことが繰り返し起きた、いわゆる首都圏連続不審死事件の犯人です。
木嶋香苗がすごいのは、捕まってからもなお、3度、獄中結婚をしているところです。*1
女性だけでなく男性も、この本のタイトル通り「どうしてあんな女が」*2、と思った人も多かったのではないかと思いますが、マスコミもこぞって報道し、逮捕の時期は、一種の「木嶋香苗現象」が生まれていました。


この本は、「花房観音が木嶋香苗のノンフィクションを書くために取材をしていく」という過程が書かれたフィクションです。
虚と実が入り混じってわかりにくいかもしれません。
実際には取材はしていないのでしょうが、事実を元にしている話が多数登場するため、境目がわかりにくいところが面白い。


小説の構成は6章立てで、立場の違う6人の女性の視点から木嶋香苗(作中では春海さくら)や関係人物について語られ、読者から見ると、ここで語られているのは「木嶋香苗現象」そのものということになります。*3
以前読んだ小説もそうでしたが、花房さんは、女性同士の嫉妬や蔑みなどの負の感情を描くのがものすごく上手い。
この小説も「嫉妬」がテーマになってはいますが、その一言では言い表せない何層にも積み重なりミルフィーユ状になった嫉妬を味わうことのできる小説です。


そして何といっても、この小説は終わらせ方が上手いと思いました。
木嶋佳苗は「事実は小説より奇なり」を地で行く人なので、オチのつけ方は相当難しいはずですが、こう来ましたか…。第6章からラストまでの緊張感はさすがと感心しました!

まとめ

「ブスは身の程をわきまえろ」式の中傷について、山崎ナオコーラさんは、自分に自信がない人が、自分よりも下のランクの人を見つけて、少しでも自信を得ようとしている(p25)と捉えています。*4
花房観音さんも、同じように、「嫉妬」というキーワードで、ネット上の罵詈雑言を読み解こうとします。
しかし、ネットに中傷を書き込んでも、一時的な気休めにしかならず、「自信」にならないどころか、不安や嫉妬の気持ちが増すばかりでしょう。
山崎ナオコーラさんは次のように書きます。

相手を基準にして努力をすることは、自分にとってなんにもならない。
自分で作った基準をクリアしなければ、自信は持てないのだ。*5
p104

さらにもう少し強い口調で、こうも書いています。

自分で決めた目標に向かって、自分らしい努力をこつこつやる以外に、生きている間にすべきことはない。
p101

2冊の本は、どちらも、心の中の不安や嫉妬、差別する気持ちなどの負の気持ちが言語化されているという点では共通しており、それがあるので、読後感がスッキリしているのではないかと思います。
不快なことがあったら、できるだけそれを言語化する一方で、自分の好きなことに打ち込んでいくことが、他人も自分も傷つけない近道なのだと思いました。

過去日記

pocari.hatenablog.com
→今回の前半は、この時の感想の抜粋で出来ています。山崎ナオコーラさんの小説も久しぶりに読みたいです。なお、既に芥川賞を獲っていると勘違いしていましたが、5度候補になっていますが未だでした。


pocari.hatenablog.com
→『女の庭』は、自分にとっては衝撃的な作品でした。近作の山村美紗本を含め、読みたい本が多数ある作家です。もっと読まないといけないですね。

*1:さらに印象的なのは、法廷で自らの「技術」を誇る発言。複数の人が亡くなった事件の法廷での発言とは思えませんが…

*2:勿論タイトルの『どうしてあんな女に私が』のあとに続くのは「負ける」という言葉で、基本的には女性から女性に向けての嫉妬の言葉がタイトルになっています。文庫化される前の原題は『黄泉醜女』で、本の内容を読めば、しっくりくるのですが、『どうしてあんな女に私が』の方がキャッチーで好きです。

*3:この中で面白いのは、花房観音(作中では桜川詩子)さん自身に対する他人からの描写が多数登場するところです。「こんな女が官能を書いているなんて知ったら、がっかりする者も多いのではないか。地味で色気のない、ただのおばさんではないか。p124」等。

*4:つまり「自信のなさの押し付け合い」がネットに溢れる容姿差別の誹謗中傷

*5:ただ一方で「自信を持たない自由もあるし、持つ自由もある」なんてことを言っている。そこら辺の「言葉」に対する感度の強さが目立つ本。