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新聞記者の仕事とは ~三浦英之『南三陸日記』

南三陸日記 (集英社文庫)

南三陸日記 (集英社文庫)

住んで、泣いて、記録した。東日本大震災直後に受けた内示の転勤先は宮城県南三陸町。瓦礫に埋もれた被災地でともに過ごしながら、人々の心の揺れを取材し続け、朝日新聞に連載された「南三陸日記」は大反響を呼んだ。文庫化に際し、8年ぶりの「再訪」や、当時は記せなかった物語を大幅追加。開高健ノンフィクション賞など、数々の賞を受賞した気鋭のライターが描く珠玉の震災ルポルタージュ


新聞連載をまとめたもので、およそ2ページの記事に見開きの写真がつく、という構成の繰り返しなので、非常に読みやすい。
ひとつひとつの文章が少ない分、以前読んだ(同じ三浦英之さん執筆の)『白い土地』に比べると、淡泊な感じはするが、その分、扱われている人の多さがこの本の魅力だ。


少し以前に、三浦英之さんのあるつぶやきに対して、“新聞記者の仕事って「作品」を書くこと?フラットに事実を伝えることなんじゃないの?”と批判するtweetが、それなりの数リツイートされていた。

ネットではマスコミ批判の発言が盛り上がることは多いし、自分自身もそう思うこともある。しかし、著作を読むと、「それは違うだろう」と言いたくなる。


そもそもフラットな事実というのは何だろうか?
最近では「ファクト」という言葉も多く使われるが、フラットな事実がただ積み上げられている本を読む自信が自分にはない。
例えば東日本大震災のことを振り返りたいと思ったとき、フラットな事実(ファクト)を常に追い求める人は災害報告書を読むのだろうか。
東日本大震災を忘れてはいけない」と簡単に言うが、時間が経てば多くのことは忘れてしまう。災害に限っても、同じ地震でも熊本地震があるし、多くの豪雨災害もあった。
海外での紛争や地球環境にも目を向ける必要がある。
それ以上に、皆それぞれの生活がある。


記者の仕事は、色々な出来事がある中で、多くの人が知っておくべきテーマについて読者の興味を引く文章を書くことだろう。
その意味では、どの記事も記者の「作品」であり、作品であることと、事実を伝えることは矛盾しない。
少なくとも自分は、この『南三陸日記』と『白い土地』を読んで、三浦英之さんの「記者」としての魂を感じたし、2冊を読むことで、宮城・福島の被災地域をこれまでより身近に感じた。
これらの本を読まなければ、例えば「汚染水」の問題を考えたとき、「復興五輪」という言葉の意味を考えたとき、色々な場面で、うすぼんやりと「被災地」という言葉で括ってわかったつもりになってしまっただろう。
そこには自分と同じように暮らす人たちがいる。そんな当たり前のことが、少し距離が離れただけでも、どんどん当たり前でなくなり、彩度を失っていく。
だからこそ、本で映画でドラマで、時には直接会うことで、色々な場所に住む、多種多様な人々の生き方を知っていく、それが、これからの世の中ではどんどん必要になっていくだろう。
新聞記者の仕事は、その手助けをすることではないか。
そんなことを考えた。


さて内容についても少し触れるが、取材対象になる人たちは、家族を津波被害で亡くした人が多い。
しかも2011年当時の記事なので生々しい写真もある。


そんな中で印象に残っているのは、「申し訳ありません」「家も家族も無事なんです」と答えた渡辺さん(p32)。この方は取材の翌日に登米市に引っ越してしまうのだが、断水が続く南三陸町では生活が厳しいということ以上に「町を歩いていると、周囲に『あんたはいいちゃね。家も車も無事で』と言われている気がして」辛いことが理由だと書かれていて、そんな苦しみもあるのだと改めて知る。(同様のエピソードは『白い土地』にも出てきたが)


取材対象として何度も登場する家族や店もある。
2011年3月に行われた追悼式で、宮城県代表としてスピーチを行った奥田江利子さん(津波で結婚したばかりの長男を亡くした)も何度も出ている。
奥田さんが、追悼文の文案を考える中で、当初最後の文として入れていたが、何度も書き直していく中で削った一文が心に刺さる。

戻れるなら、一年前に戻りたい…

この言葉の代わりに入れた「悲しみを抱いて生きていく」。それしかないとわかりながらも、震災から1年しか経っていない時期に色々なものを捨てなければスピーチでは話せない力強い言葉を奥田さんは選んだ。


そうした中、とても印象的な(文庫版の)表紙写真の、いかにも「新1年生」然とした女の子がどこに登場するのか、実はびくびくしていた。
「娘は4月に1年生になるはずだったんですけど…」
遺影を持った若い両親の口からそんな言葉が語られるのかも、と思っていたからだ。

しかし、彼女が誰なのかは、最後の最後にわかる仕掛けになっている。
そういう「作品」めいた「仕掛け」も含めて、『南三陸日記』は、自分にとって、とても心に残る本となった。


繰り返しになるが、「忘れてはいけない」「知っておかなければならない」テーマは、自分の生活に近い場所(例えばコンビニ)にもあるし、少し距離を拡げればそれこそ無数にある。
そういったところへアプローチするのを手助けしてくれるのが新聞記者や広くジャーナリストの役割だと思う。自分が興味・関心を持ち続けられるのは、多くの方の努力の結果生まれた数々の映像や文章の「作品」があるからだと思う。
三浦英之さんは1974年生まれで年齢も同じ。
三浦さんのように、などと大それたことは言わないが、社会に貢献できるような仕事を残していきたい、と自分を奮い立たせる読書となった。


次はこちらでしょうか。


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