Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

尾身語録に自らを省みたい~河合香織『分水嶺 ドキュメントコロナ対策専門家会議』


大好きな河合香織さんの本ではあるが、全体としては読みにくいと感じた。

ひとつ個人的なことを言えば、「心を亡くす」タイプの多忙で、集中して本が読めない日が続いているということもある。

しかし、この本が持ついくつかの特徴は、多くの人にとっても「読みにくい」ことに繋がるように思う。

  • コロナ対策の専門家に焦点を置きながら、時期が2000年1月~6月と限定的であること
  • この時期のコロナ騒動の顛末(ダイアモンドプリンセス号から一度目の緊急事態宣言解除まで)の流れは基本的に知っているため、物語の先を知りたいという駆動力が働かないこと
  • 複数の専門家の視点で描かれるため、読者としてポイントを絞りにくいこと
  • 実際には一番大きな役割を果たしている「政府」側の視点が抜けているため、全体的には、どのように日本のコロナ対策が進んだのか、という背骨がないこと

最後のポイントに補足すると、現在までのコロナ対策は、日本政府がうまくやっているようにはとても思えず、コロナ対策の裏側を描くような記事は、通常は「政府批判」をベースで書かれる(そういう記事を自分が読みがち)。したがって、それがない、というだけで自分にとっては読みにくい文章になってしまった。という意味では、これも自分の問題だったといえるかもしれない。


その中で、この本の一番の読みどころは尾身会長の人間力だろう。
広い意味でのコミュニケーション能力に長けた人で、一般市民に対するコミュニケーションはもちろん、対官僚、対政府いろんな場面で調整がいる中で、何とか最善の方向に引き込むことが出来る超人だ。

特に、激昂必至と思われるような場面でも、心穏やかに誠実に対応する様子(テレビでも見た)が本の中でも紹介されている。

一つ目は、参議院予算委員会(5/11)で立件民主党福山哲郎議員に詰め寄られる場面。

ここで福山議員は「私が言っていることについて答えてください」と詰問し、最後に「まったく答えていただけませんでした。残念です」と一方的に断定する。とても失礼な感じの質疑に見えたのだが、尾身会長は怒らず、感謝の言葉を口にする。

もう一つは、絶賛炎上中*1西村康稔経済再生担当大臣。

緊急事態宣言明けの専門家会議側の記者会見で、ほぼ同時刻に記者会見を開いていた西村大臣が「専門家会議は廃止する」と発言していたことを記者からの質問で知らされるシーン。

どう考えても失礼過ぎるこの一件に対しても理解を示すのだから、宗教的な境地に達しているのではないかとすら思ってしまう。


そもそも尾身会長は「怒り」という感情に慎重な立場を示す。

リーダーは感情のプロである必要がある。リーダーとは何かといった本には、決断力やコミュニケーション、大きな方向を示すことなどが書いてありますが、でももっとも重要で難しいのは、感情の、怒りのコントロールです。怒ったとしても、根拠のある怒りが必要だ。後で尾を引かないような怒り方をすることが重要です。p160

あとの尾身語録も素晴らしい。

この人の意志が明確で、政府との調整力が十分あったからこそ、それぞれ個人の研究の時間を削って奉仕している会議のメンバーも何とかバラバラにならずに「持った」ということがよくわかる。

サイエンスというのは失敗が前提。新しい知見が出てくれば、前のものは間違っていたということになる。そういう積み重ねが科学であり、さらに公衆衛生はエビデンスが出揃う前に経験や直感、論理で動かざるをえない部分がある。p132

三歩先のことを言ってしまったら、誰もついてこられない。一歩でも難しい。だから我々は半歩先の方向性を示すことが責務だ。p200

自分たちのことは反省せずに、政府への批判ばかり言っていたら自画自賛だと思われる。我々も完璧ではない。反省すべきところは改めていくと伝えたかった。p201

エピローグには、 60歳を過ぎてから 、学生時代にやっていた剣道を再開し、朝や晩の素振りは欠かさないという話もあるが、ここから引き出す「後の先」の説明も良い。

自分がこうしたいと思っても、当然のことながら相手がある。それはウイルスであり、政府であり、自治体であり、市民だ。つまり自分の気持ちだけ大事にしていてはいけないということです。世の中のリアリティ、人の動き、それぞれの思いが一人ひとりにある。そういうことを知らずに、自説を唱えているだけではうまくいかない。p206

それに繋げるようにして以下のようにも語る。

現実の動きに即して、自分を日々新たにする必要がある。それは迎合とは違う。自らを殺す部分がないとだめなのです。そして、絶対的に正しいことなんてそんなにあるわけじゃない。神しかそれは知らないんだよ。人間は不完全な存在だ。誰だって自分が他の人より物事をよく理解している、正しいと思ってしまう。私にだってそういうところはある。だけど、100パーセント正しい人もいないのと同様に、100パーセント間違っている人もいない。p208

こういった言葉を受けて河合香織さんが補足する。

このウイルスは人の行動変容が鍵となる。そして政府と科学が対立していては、実際の対策に結びつかない。そういう局面で人を動かすのは、合理性に加え、呼びかける側の人格でもあるのかもしれない。

つまり尾身さんほどの人格者がこの位置にいなければ、日本のコロナ対策は大変なことになっていただろうということだ。


一方で、この本に書かれた2020年6月より後、コロナの影響はさらに混迷を深めるが、その際の政府のメッセージは「人の行動変容」に対して効果的に機能しているだろうか。「呼びかける側の人格」は問わないとしても、「合理性」も「整合性」もなく、それぞれの人の「思い」も考慮しない、単に自説を振り回すだけのピントはずれのものになっているように思ってしまう。

とはいえ、この本の読者としては、尾身さんの姿勢を見て政府を批判するのではなく、自らを省みる必要があるのだろう。尾身さんのように物事を捉えるのであれば、怒りよりもまず感謝を、ということなのかもしれない。

明日からまた緊急事態宣言に入り、緊急事態宣言下での東京五輪開催という、ある意味では最悪かつ想定通りの状況になってしまったが、今後も尾身会長率いる「新型コロナウイルス感染症対策分科会」の出すメッセージには、注意深く耳を傾けるようにしていきたい。

*1:「休業要請に応じない飲食店に対して、金融機関からの働きかけを要請する」と発言し、すぐに撤回。こちらなど→識者、独禁法抵触の恐れ指摘 自民若手は悲鳴 西村発言 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル