Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

読んで色々と考えた~野田聖子『私は、産みたい』『生まれた命にありがとう』

野田聖子さんの本を読んだのは中島岳志さんが著書『自民党 価値とリスクのマトリクス』で『私は、産みたい』を「名著」としていたからで、総裁選に名乗り出た4人の中では(マトリクス的に)最も共感できる場所に位置する野田聖子という政治家に興味があったからだ。
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『私は、産みたい』

40歳で職場結婚した国会議員を待っていた、不妊治療の高い壁。間断ない検査、憂鬱な服薬・注射、そして恐れていた緊急入院…。32歳の若さで国政に飛び込み、37歳で戦後最年少大臣に就任した女性が赤裸に綴る。すべての働く女性に贈る、勇気ある告白。

この本で書かれているのは、野田さんの40代前半に当たる。

  • 2001年(40歳):国会議員の鶴保庸介と知り合って4か月で結婚。自然妊娠を目指すも兆しがなく、年内から不妊治療を開始する。
  • 数か月を経た後、さらに詳しい検査で卵管閉塞が不妊の原因だったことがわかり、(卵管再生手術の選択もあったが)体外受精の道を選択
  • 2003年(43歳):6回の体外受精チャレンジのあと、一度不妊治療から離れるが、病院を変え、8回目で妊娠。
  • 2004年(44歳):2月に流産(「ねお」と呼んでいた子)

不妊治療の話は知人からも聞いたことがあるし、基本的な知識は「情報」として触れたことはある。しかし、個別の一事例とは言え、ある程度長い期間にわたる気持ちの浮き沈みの連続と夫婦間の(険悪な雰囲気も含む)やり取りを見るのは初めてだったので、それだけでも色々と感じるところがあった。


それに加えて驚いたのは国会議員の仕事のハードさ。
永田町には、金帰火来(きんきからい)という言葉があるというが、国会開催中は金曜日に地元に戻り火曜日に東京に戻るという生活が続き、土日もないという。
排卵日は調整できない中でのスケジュール調整のむつかしさはわかるが、妊娠判明後も(内緒にしているとはいえ)この生活をほとんど調整できない、というのは厳しい。
実際、地元の岐阜で大量出血し、出血の翌日には「欠席すると何を言われるかわからない」という理由から、別の議員の後援会総会に出席。夕方には業界団体の新年会にも出席。どちらも挨拶のみとはいえ、出血している妊婦としては当然避けたい行動だろう。*1
時間が不規則で移動が激しく、完全な男社会という職場の問題に加えて、議員らの偏見にも苦しんだことが語られている。
以下のエピソードも酷い話だ。

私のライフワークとも言える政策の一つに、選択的夫婦別姓の導入があります。(略)
しかし、この夫婦別姓に対しては党内でも意見が分かれており、とりわけ旧来の家族形式にこだわる方からは根強い反対にあっています。
その反対派のある重鎮議員、首相経験者と話している時のことでした。
「お前はそんなこと(夫婦別姓の導入)をやっているから子供ができないんだ」
とても理解を求めようという気にはなれませんでした。そんな理解のない状況で、不妊治療を理由に仕事を外すなどということはできませんでした。p113

おそらく、発言の主は森喜朗だろうと推測するが、こういう「絶対に理解を得られないお偉方」の仕切る職場で働くのは地獄だろう。
ここでは省くが、流産が決まってからの心の動きも読んでいて辛いが、そんな中でも行く職場がこのような地獄では…とより一層気持ちが暗くなってしまう。


全体(特にプロローグ)を読んで驚いたことが2つある。
一つ目は出版の時期。プロローグに書かれている通り、2004(平成16)年2月に、彼女は流産を経験している。それで出版が同年12月。そんなに短い時間で気持ちの整理ができるものなのか?もう少し待ってからでなくて良かったのか?
この本を読んでみても、不妊治療、妊娠に関する気持ちの浮き沈み*2や、夫婦間でのすれ違いについて実際のやり取りやその時の心情が具体的に書かれている部分が非常に多い。まさに「赤裸々」で、自身の言動を飾るところが少ない。
政治家の出す本なのに、生い立ちや政治家としての実績についてアピールするところはほとんどなく、むしろ通常は隠しておきたい部分が大半だ。
あとがきでは、我に返ったように政治的観点から自身の体験を振り返っている。

私の個人的な”母へのチャレンジ”が、この重要な時期に働く国会議員としての活動に厚みをもたせることになれば、そしてこの私の体験を通じて少しでも多くの方々が何らかの問題意識を持つきっかけとなれば。本書を綴らせていただいたのは、そういった動機からである。そしてこの記録が、「ねお」のささやかな墓標となることを願いつつ。

ということで、あとづけの部分もあるのかもしれないが、自らは勿論、夫だった鶴保庸介にとってもマイナスイメージが付く内容を率直に語った理由は、多くの方々への問題提起のためだという。
これはなかなかできないことで、自分もこの本で学び、おそらく同僚の国会議員へのインパクトも併せて考えると、出版の意味は大きかったといえるのではないだろうか。


全体を読んで驚いたことのもう一つは、帯にも関われている、「もう、あとがない」という強いメッセージ。出版時44歳だった彼女が、出産するのは45歳が限界だと考えているが故の「時間がない」「私に残された時間は日々、確実に奪い取られている」と繰り返し書いている。
だからこそ、このタイトルなのだろう。

実際には、この後、自身の出産が50歳となることを考えても、「45歳」は、野田聖子の自分勝手な設定であり(46歳以上の人を傷つける可能性のある言葉でもあり)、このタイムリミット込みのタイトルはむしろ自身にプレッシャーを与える意味が多分にあったのかと思う。
それほど切羽詰まった中で書かれたこの本は、保身のための「計算」が入らないという意味で、中島岳志さんの言う通り「名著」だと言えると、自分も思った。

『生まれた命にありがとう』

この本でも『私は、産みたい』で書かれた40代前半の話にも繰り返し触れられているので、実質的には、一冊で野田さんの40代の10年間の流れがわかる内容になっている。

  • 2004年の流産を経て、自ら妊娠のリミットと決めていた45歳を超えても体外受精のチャレンジを続けたが、2006年に二人は離婚。(正確には事実婚の関係を終えた)
  • 2007年1月に今の夫(たまたま食事をした焼肉店のオーナー)と出会う。
  • 子どもは欲しいものの、体外受精にチャレンジする気力も体力もなく、そもそも卵子の劣化が気にかかっていたところに卵子提供という方法を知る。

卵子提供は、第三者卵子の提供を受けて妊娠する方法で、国内ではまだアンダーグラウンドな方法となる(非合法ではないが合法のお墨付きがない)。必然的に海外で卵子提供を受けることになるのだが、国会議員として時間が取れず困難な方法だ。
そこに、大きな政治的動きが起きる。2009年8月の衆院選での自民党は政権の座を奪われる。野党になると一気に暇になるということで、封印していた妊娠、出産への道を前に進めることとし、2009年11月に視察の名目で渡米し、いくつかの検査を受けたあと、卵子提供のドナーを探す。
ここで、卵子提供(精子提供も同じ)という方法の大きな問題点が出てくる。つまり、ドナーの条件を選択出来てしまうということだ。この本では以下のように書かれている。

11月中旬、エージェントを通じてさっそく、1名のドナー候補の女性に関するメールが送られてきた。メールには、彼女にまつわる、さまざまな情報が書き込まれていた。
生年、身長、体重に始まり、血液型、民族、宗教、教育歴、自身のお子さんはいるかいないか、彼女の髪や目や肌の色。
病歴、手術歴、服用薬品、視力、喫煙飲酒の有無。
また、彼女のご両親の身長、体重、髪と目の色、ドナー自身の分析による彼女の性格や趣味等々…。さらに、彼女の幼少時の正面と横から撮った、白黒の顔写真も添えられていた。
p30

ドナーを選択できるという倫理的な問題点がわかっていたので、野田聖子夫妻はあらかじめドナーを選ぶことは止めると話し合っていたという。ただし、自身が卵子の劣化を気にしていたということもあり、ドナーの年齢、そして輸血等を考えて血液型のみを条件とした。
結果としてドナーは最初にドクターが勧めてきた白人女性(アイルランド系のメキシカン)に決定する。

  • 2010年の2月に再び渡米し、受精卵を移植。が、3月に妊娠に至らなかったことがわかる。
  • 5月下旬に改めて渡米し、受精卵を移植。(2月の段階で19個の受精卵を用意済みで、2月に3つを移植。残りの中から3つを移植)
  • 6月に妊娠判明。
  • 6/24参議院選公示、7/11投開票。自民は民主党議席数を上回り、ねじれ国会に持ち込む。
  • 8/5の定期健診で赤ちゃんに「腹腫」が見つかる。
  • 8/19の定期健診で、それが「臍帯ヘルニア」と分かる。(1万人に1人の割合で発生する疾患)

ここで野田聖子は、医師から羊水検査を行うか(染色体異常を確認する検査で、通常、中絶の判断のために用いる)を問われるが、このあたりは少し気になる部分だ。

いずれにせよ、私の結論は決まっていた。
「羊水検査は不要です。私は堕ろしませんから」
どんな子どもでも産むとの最終宣言だった。
「ねえ、そうだもんね」
振り返って夫を見る。夫は身じろぎ一つせず、固まってしまっていた。
「そういうことなんで、これからもよろしくお願いします」
夫に有無を言わさず、この瞬間、正式に出産が決まった。事前に夫の了解を取っていたわけではなかった。
(略)
「何年も付き合って、聖やんに何を言っても無駄だってのは分かっているけど、それにしても突然すぎて」
夫は私の決断自体に驚いたのではなかった。唐突に、もう決まっている既成事実のように決断をポンと放り投げられたことに驚いたのだと口にした。
しかし、きっと彼も後々理解してくれるはずだ。産んで良かった、子どもを作って良かったと。
p107

ここで登場する「夫」は、最近週刊誌の記事で取り上げられている人物だが、元の夫であり議員の鶴保庸介と比べると、非常に優しく、野田聖子を立ててくれるタイプのようだ。
だが、それにしても、ここでの書き方は夫が可哀想で、彼女の「我の強さ」というより「わがまま」を感じてしまう。

  • 8/26 雑誌に手記を掲載。(このとき15週)
  • 9/16の定期健診で、子宮頚管が以前より短くなっていることが判明。安静を勧められる。(が、安静にはせず)
  • 10/1臨時国会開幕
  • 10/14の定期健診で12月からの入院を通告される。
  • 10/26大量出血、即入院。
  • 11月 臍帯ヘルニア以外に心臓疾患が確認される。
  • 1/20を予定日(帝王切開手術日)としていたが、母体に限界がきているため1/6に変更
  • 1/6出産。子どもの「真輝」君はすぐにNICUに。(食道閉鎖症も見つかり、1歳になるまでに6度の手術を受ける必要)
  • 1/12に自宅に戻るも体調が良くない。
  • 1/18に夫が野田の籍に入る形で婚姻届けを提出。
  • 1/19に再入院
  • 1/21に子宮摘出の手術を受ける。

『私は、産みたい』と比べると、『生まれた命にありがとう』に対して、素直に読めない一つの理由は、赤ちゃんに疾患が見つかってからのこの流れにある。
羊水検査の可否を一人で決めたエピソードもそうだが、野田聖子が、一度決めたら後には引かない、国会議員の仕事は何があってもやりきる、という(悪い意味で)とても体育会系のマインドを持っていることがよくわかる。
8月の雑誌への手記掲載は、赤ちゃんの疾患が判明してから数週間後で、(疾患の事実自体は伏せているが)気が気ではないはずの状態。(ただし、全く理解のない国会議員らにインパクトの大きい方法で伝えるにはいい方法と言えるだろう)
さらに驚いたのは、この本の出版自体が2011年の2/25で、出産および子宮摘出手術から1か月しか経っておらず、真輝君自体もNICUに入ったまま。こちらは自分が家族や秘書、編集者だったら止めていると思う。
また、これは国会議員の制度の問題だとは言えるが、9/16の定期健診で安静を勧められたのに変わらず議員の活動を継続しているのは、(それが求められる職場だとはいえ)何とかならなかったのかと思う。

さらに、この本では自分の考え方とは、かなり違うと感じられる部分があった。少し長めに引用する。

一方で、家庭を築き、家族とともに暮らし、家を継いでいくことの重要性が、私の中から離れていくことはなかった。過去脈々と受け継がれてきた家を、絶やすことなく次の世代へと繋ぐ。保守とは何かと問われれば、その原点はやはりそこにあると私は考える。祖先を敬い、子孫に未来を託すことは、最低限の使命ではないかと思っていた。実際、私自身も家の火を絶やさないために、成人してから野田姓になっている。それまで、私は島という姓だった。つまり野田聖子という政治家、いや個人の存在は、保守の精神の賜物なのである。(略)
こうして紆余曲折を経て誕生した「野田聖子」が、野田家の火を絶やしてしまうことには、個人としても、また保守自民党の政治家としても責任を感じていた。前夫との家庭作りには失敗してしまったが、新しい彼と幸せな家庭を築いていこう。しかし、家庭には子どもが不可欠である。
無論、私を含めてお子さんができない家庭は幾らでもあり、それを否定するつもりは毛頭ないし、さまざまな家庭のあり方があって然るべきである。が、叶うことならば、やはり跡取りである子どもを含めた家庭を築き、次世代にバトンをタッチしたい。
p111~113

野田さん自身も言っているように考え方の多様性はあるとはいえ、ここで書かれる「保守」の定義はそうなのかなと疑問に思うし、「子孫に未来を託すこと」の優先度は自分にとって低い。
「家庭には子どもが不可欠」「野田家の火を絶やす」「跡取り」などの言葉も、彼女に抱いていた印象とだいぶ異なるので驚いた。
また、安産祈願も真っ先に「靖国神社」で行っており、その理由については以下のように書いている。

明治維新十傑の一人であり、靖国神社の前身にあたる東京招魂社の建立に尽力した大村益次郎は、私の遠い親戚なのである。ご先祖さまの魂の注入された安産祈願のお守りは、これ以上ないご加護があるに決まっている。
p104

本の中にも「毎年参拝している」と書かれており、2009年のこの参拝についてはWikipediaにも記載がある。

2009年(平成21年)8月15日(終戦の日)、首相・麻生太郎を含む麻生内閣の他の閣僚が靖国神社参拝を見送る中、閣僚としてはただ1人参拝を行った。「国務大臣」の肩書で記帳し私人として参拝したと説明している。

このあたりも、当人の「ご先祖様」への思いは別として、閣僚としての参拝にこだわる必要はないのではないかと疑問に思う。

『私は、産みたい』から繰り返し出てくる「そこまでして、どうして産みたいの」という周囲からの質問に対しては以下のように書いている。

理屈ではないのだ。女性の本能として、気が付いた時には子どもを産みたいという想念に支配されていたのだから。しかし、理屈でない分、いくら言葉を費やしても理解してもらうことは難しい。p37

これを読んだときは、「理屈ではない」という説明に半ば納得していたが、そのあとで「野田家の火を絶やしたくない」という別の説明を見てしまうと、何だか急に重みがなくなってくる。


少し戻るが、野田さんが周囲から受けた「そこまでして、どうして産みたいの」という質問に対して、どう回答するかが、ある意味でこの本のテーマでもあると思う。そもそも、産む/産まない、産みたい/産みたくないはそれぞれの自由なので、質問自体が無節操なものに感じる。しかし、年齢が上がったり、採る方法によっては聞きたくなる人が増えて当然だとも思う。

例えば、野田さん自身は、「野田家の火を絶やさないため」、卵子提供という選択を選ぶ前には「特別養子縁組」という方法も考えたという。しかし、日本では、血縁関係のない人同士の養子縁組に対するハードルが高い、ということで諦めている。すなわち、斡旋団体の提示する養親の条件が厳しく、婚姻関係にない高齢夫婦は条件を満たさないためだ。
ただ、最終的に、二人が正式に結婚することを考えると、卵子提供という手段をとるよりも、こちらの方がよほどハードルが低いのではないかという気がしてならない。


また、この本では、卵子提供のエージェント探しのところなどで、野田聖子がアドバイスをもらった相手として向井亜紀さん(高田延彦の妻)が出てくる。向井さんは、子宮頸がんで子宮を摘出していたため、夫婦の受精卵を米国の女性の子宮で育てて出産してもらうという方法(代理母出産)を採った。

本の中では、野田さんが渡米時に、向井亜紀さんの代理母を務めた米国人女性と話をするエピソードが書かれているが、この方が、向井さんの代理母として双子を産んだあとの話はなかなか見過ごすことの出来ない内容を含んでいた。

彼女はその後も、別の代理母を引き受けたが、不幸なことに何ケース目かにトラブルに見舞われ、子宮破裂を起こしてしまう。それ以降は、代理母はもちろん、自らの子どもも妊娠出産できないようになってしまったという。
そうした経験を、彼女は笑顔で話し続けた。誰も恨んでなどいないことが、心の底から伝わってくる。むしろ、彼女は自分を責めているようですらあった。「もっと、多くの女性の役に立ちたかったんですけどね」そう口にした彼女は、やはり笑顔だった。(略)
代理母卵子提供には、ややもすると命をお金で売り買いする、といった負のイメージが付きまといがちである。しかし彼女と会えて、ネガティブな批判など気にしなくて良いのだと改めて確信することができた。p62

自分が読んで受けた印象は、野田さんとは正反対で、代理母という方法への負のイメージが強くなってしまった。
野田さん自身が子宮摘出を行ったように、もともと出産にはリスクがあるものだから、それを第三者にお願いすることには抵抗がある。
しかも同じく第三者の協力を得る臓器移植などよりもかなりの長期間にわたって、自由を制限することになる。


一方で、リスクの中には、技術によって抑えることができるリスクもある。
日々技術向上が図られている分野であり、また、菅内閣が取り組んだ不妊治療の保険適用の話など技術発展に合わせて法整備も進められてきている。
不妊治療以外にも卵子凍結など、既に取り組まれている色々な技術があることを考えると、同僚や身近な場所からこういった話を聞くことも増えるだろう。個人の選択としても生命倫理の問題としても、こうした話題については、積極的に色々な情報を知っておき考えておいた方が良いと感じた。


また、2冊の本を読んでみると「姉御肌」と言われる野田さんには「男社会」をサバイブした政治家としての我の強さや体育会系的な考え方に驚くところもあった。いわゆるリベラルな感じとは異なる雰囲気を強く感じたが、やはり自民党の中ではもはや少数派となってしまった重要な存在であることは間違いないのだろう。
産休、育休などの労働環境改善も含めて、野田さんの一番の政策課題である少子化対策には、まだ行うべき内容がいくつもある。
たとえ総裁に選ばれなくても、ここで野田さんが手を挙げて少子化関連の問題を議論のテーマに掲げたことには大きな意味があると思う。新内閣では何とか責任ある立場で、こういった課題に取り組んでほしい。

*1:なお、我が家は妊娠判明時点で即入院という特殊事例なので「普通の妊婦さん」の行動がわからず、より慎重に考えてしまうバイアスがある

*2:わずかな期待が大きくなって、その後、絶望に突き落とされる繰り返しを本の中で「ジェットコースター」に喩えられている。