Yondaful Days!

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「ありのまま」とは何か?~沼田和也『牧師、閉鎖病棟に入る。』

これまで牧師として見舞いに行っていた病院へ、患者として入院した著者。その病棟は、分厚い扉で仕切られ−。
「ありのままでいい」と語ってきた著者が、ありのままに生きられない人たちと過ごした閉鎖病棟での2ケ月を綴る。

予想していたものと違った部分がいくつかあった。
それこそ偏見だが、「牧師」という肩書から、何となく「無私」な人を想定していた。しかし、こういう言い方は変だが、沼田さんは結構「俗人」だ。「私」が頻繁に顔を出す。

また、精神的なものを原因とした入院と聞くと、吾妻ひでおの『失踪日記』を思い出す。作中で自らを省みるような訓練を受けるという状況も似ている。
閉鎖病棟」という言葉のイメージもあり、作者は、その中で落ちるところまで落ちて正気を取り戻すのではないかと思っていたが、復帰に至るまでの過程はそこまで劇的なものではない。


ただ、それらの予想外だった要素は、そのままこの本の読みやすさにつながっている気がする。

まず、沼田さんが「牧師」然としていないことで、読者側からは、身近に感じられるだけでなく、時に、嫌悪感を抱くくらいの場面もあり、問題を我が事として捉えることが出来るようになっている。

また、沼田さんの(自己啓発的な)「悟り」が、あくまで「俗人」的に語られることは、読む者に対して、これなら自分も一歩を踏み出せる、と思わせる効果があると感じた。

もちろん、このあたりは、沼田さん自身の文章の上手さによって成立している部分だ。

「ありのまま」とは何か?

この本の核は4章にある「ありのまま」論だろう。

1章から3章までは、自らのことについては抑え気味で、入院生活とそこで出遭った人たちについて書かれている。ここでは「社会的入院」が長期間に渡ることの問題点についても触れられている。

そして4章で、自己の内面について掘り下げ、5章で自身の過去についても批判的に触れながら内面への分析を深める、という形になる。


作者は閉鎖病棟の中で、主治医に「認知行動療法ノート」として、日記を記すよう命じられ、診察のたびに、その日記の内容について批判的な問いかけを受ける。
しかし、それは当然気持ちの良いものではない。あるとき、我慢できなくなった作者は「こんなものは治療ではない!わたしへの侮辱だ!」と椅子を蹴とばしたという。
そんな作者に主治医は、「ありのままでいい」と言ってもらいたい願望は捨てて、自己の内面を見つめて考えを深めることを求める。
これまで牧師として、多くの人に「あなたはありのままでいいんですよ」と語ってきた作者はショックを受ける。


沼田さんはまず、これまで使ってきた「ありのままでいい」という言葉が、向けた相手ではなく自分自身にとって心地よかったこと、「ありのまま」という言葉を武器にして、多弁な言い訳によって自分を糊塗し、なんでも人のせいにしてきた自分を認める。
さらに主治医が何を求めているのかを考え、キリスト教の「罪」の本来の意味が「的を外すこと」であったことに思い当たる。古代ギリシャの戦いでは、戦場で敵めがけて槍を投げる。槍が敵に命中するかどうかは生死にかかわるというのだ。

一所懸命に生きているのに、それこそ誰かのために命懸けで生きてきたのに、的を外してしまうことだってある。誰かを愛して、その愛が相手を傷つけてしまうことが。相手だけでなく、自分も満身創痍になることさえある。最初から意図的に傷つけよう、傷つこうと思って誰かを愛する人はいるだろうか。愛もまた的を外す。(略)
わたしは「これこそがわたしの『ありのまま』だ」という像を、何度も繰り返し、私自身という的へ向かって投げ続ける。しかしそれらはことごとく的を外し、わたしの内には今や、的を外した無数の槍が突き刺さっている。それらの槍はわたしの内部に突き刺さったまま、じんじんとわたしを痛め、わたしを内側から傷つけるのである。そうやって、ありのままどころか、わたしを苦しめる無数の自己イメージが、ますます増殖していくのだ。
自分の投げた槍が的を外していることを確認するだけではまだ足りない。投げ方を吟味する必要がある。陸上競技槍投げをする選手は、つねに自分のフォームをチェックし続けているはずである。余計な力が入ったり、不要な癖がついたりしてはいないか。フォームに不備が見つかれば、今度はそれを取り除くための練習を重ねるだろう。(略)

わたしのイメージする「ありのままのわたし」というあれこれの理想像は、おそらくどれも的外れである。的外れなだけでなく、わたしを苦しめる縛りや痛みとなっている。それらの理想像一つひとつを吟味していっても、時間ばかりかかって生産性がない。そうではなく、そのような「ありのまま」という槍を投げてしまう、その欲望のしくみ自体に潜む、自分の思考の癖を問わなければならない---これが、主治医がわたしに課したことだったのである。p125-127

「ありのまま」という、近年の流行語でもありながら、誰もが陥りやすい「罠」について、わかりやすい比喩でその問題点を説明しており、理解しやすい。
また、自分の理想像をどこに置いて槍を投げているか、また、その投げ方が十分吟味されたものになっているか、という問いかけは僕自身にも当てはまる。こういうことに無頓着なタイプではあるが、「槍を投げていない人」というのはいないはずだ。
沼田さんの書くように「無数の自己イメージ」が自分自身を苦しめていることもあり得なくはない。
忙しいと後回しにしてしまうが、しっかり自己の内面と向き合う時間を作りたい。

不満に感じる部分

4章後半では、入院前にTwitter依存に陥っていたことが語られ、その背景には何があったのかを分析する。さらに5章では、中学3年生の頃まで自らの過去を「ほじくり返す」。
このように自己の内面を見つめ直すことによって、作者には、変化が生じたという。

その頃、わたしは「相手にも言いぶんがある」という、考えてみれば当たり前のことを、ようやく理解できるようになっていたのである。p169

最初にも挙げたが、この辺は謎だ。
これまで牧師として多くの人とコミュニケーションを取り、指導的立場にあった人が、相手の気持ちを考えることをしていなかったということがあるだろうか。


また、そもそも、教会に隣接する幼稚園の園長としての生活でストレスが重なった挙句、キレて副園長を罵倒してしまった。そのことで「閉鎖病棟へ入院」となる経緯も良くわからない。同室の若者マレは「妹をかなづちで殴って」閉鎖病棟に来ているのと比べると釣り合わないように感じてしまう。
(むしろ、入院前に「罵倒」以上の直接的な暴力があったが、それを隠しているというのであればわかる。)


沼田さんは結局2か月で閉鎖病棟を出て開放病棟に移り、合計で3か月の入院を経て退院となる。しかし、通常の社会生活を営むのが難しいために年単位で「社会的入院」を続けている閉鎖病棟の仲間たちと比べると、最初から開放病棟で良かったのでは?と思ってしまう。

さらに、閉鎖病棟の生活でマレに代表される少年たちが、沼田さんの行くところに常についてきて、いつでも話しかけてくるのに耐えられず、とうとうキレて怒鳴ってしまうという事件が起きる。これは開放病棟に移る直前の時期だ。
閉鎖病棟に入る理由が「キレた」ことだったのに、出る直前も「キレて」る。それでは何を入退院の基準にしているのか?このあたりは本当に謎だ。


少し言い方を変えると、入院生活をともに過ごした若者や看護師、主治医などの人物や入退院の仕組みや制度が、作者の視点からだけで語られることが一番の不満点だ。

例えば、作者の指摘により、患者への暴力を働いていた看護師が指導を受けたあと、作者に対して「鬱陶しいインテリ密告野郎」と思っていたのではという推測、看護師が仕事にみあった給料をもらっていないんじゃないかという憶測(p100)、同様に、主治医の給料を推測した上での、「彼は明らかに給料以上のことをしてくれていた」(p195)という感想。このあたりは、(作者自身もそう意識して記載しているが)完全に偏見によるものだ。

全く「牧師」らしくない、このような「上から目線」の書き方は、この本の魅力の一つではあるが、この本を読んでも、看護師と医師が患者や社会的入院をどのように思っているかは語られない。さらに閉鎖病棟開放病棟の入退院の基準も語られないまま、(50年以上の人もいるという)長期入院患者の情報を教えられても、読んでいる側としては不安が募るだけだ。

たとえば、カレー沢薫『なおりはしないが、ましになる』は、「発達障害」当事者の口から自分勝手な意見が語られるから面白いのだが、それとバランスをとるように医師監修が入り、「正しい情報」が得られるから、安心して読むことが出来る。


この本では、終章で精神科医の見立てが分かれる。一人の医師は、再び牧師になろうとする沼田さんに「精神障害のあるあなたが責任のある仕事ができると、本気でお考えですか?」と強い口調で言う。それに対して、閉鎖病棟にいるときからの「主治医」は、復帰を薦め、沼田さんは後者にしたがった。

この本は退院後5年以上経ってから書かれており、実際、今沼田さんは牧師をしているので、この選択は正しかったといえるのかもしれないが、読者からすると、2人の医師の判断が分かれた背景も含めて、もう少し突っ込んで専門家の意見を聞いてみたい。

そもそも、2か月の入院だけで「閉鎖病棟を語る」のは、素人目から見ても難しいと思える。やはり、1章分くらいは割いて、現場医師・看護師や専門家による解説を入れるべきだったのではないかと思う。

とても面白い本だっただけに、その点は多いに不満に感じてしまった。
が、ないものねだりをしても意味はないので、興味を持った「社会的入院」については、ほかの本で勉強することとしたい。

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com