Yondaful Days!

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『大奥』と『ベルばら』をつなぐ一冊~なだいなだ『TN君の伝記』

先月11/6・7に行われたビブリオバトルのWebイベント「Bib−1 グランプリ 2021」(ビブワン)はいつも以上に色々な本の紹介があり、とても楽しく視聴した。
『TN君の伝記』は、児童書という形式だったこともあり、これまで全くその存在を知らず、ビブワンの紹介で初めて知った本。
しかし、個人的には、歴史への興味がカンブリア爆発のように激増した2021年に読むべくして読んだ、自分にとって大きな一冊だった。


そもそも今年のGW頃に『大奥』と『ベルサイユのばら』を連続して読んで、以下のような疑問が湧いたのが始まりだった。

  • 同じように新しい時代の始まり(革命、維新)を描いているのに、なぜ日本の革命には「市民」が出てこないのか。
  • フランス革命(やアメリカ独立宣言)で確立されたような「人権」の概念は日本にいつ生まれたのか。

→参考:『大奥』と似てるとこ・似てないとこ~池田理代子『ベルサイユのばら』(3)~(5) - Yondaful Days!


そんな問題意識をもって見始めた大河ドラマ『青天を衝け!』の序盤は、(武士にはなるものの)主人公・渋沢栄一の農民視点からの「日本を良くしたい」という気持ちの描写が多く、自分の興味に応えてくれる内容とも言えた。
しかし、時代が明治へと移り、栄一が新政府の官僚として働くようになると変わってくる。登場人物は教科書に出てきたような「偉人」ばかりで、ドラマとしては面白味を増したが、市井の人の出番は徐々になくなり自分の興味を外れてしまった。
栄一の視点も、「欧米に追いつく」という気持ちが強くなり、基本的人権や民主主義に関する内容はほとんど出て来なくなった。(養育院の話については、序盤の「市民」目線が残っていたが。)


そんなときに読んだ、この『TN君の伝記』は、渋沢栄一と同時代における草の根の民主主義の状況が、当事者の視点からよくわかる内容だった。
作者のなだいなださんの意図*1に沿えば、TN君とは誰かを伏せたまま説明するのが良いが、最初だけ書いておくと、TN君というのは、「東洋のルソー」とも呼ばれた中江兆民(1847~1901)のことだ。ルソーの名からもわかるよう、フランス革命との関わりも大きく、まさに、『ベルサイユのばら』と『大奥』をつなぐ一冊という意味で、「俺得」な一冊だった。


以下、いくつかに分けて引用等を。

『青天を衝け』のキャラクター

TN君は岩倉使節団のメンバーでもあったので、岩倉具視伊藤博文、福地源一郎*2などが登場する。中でも、政府の中枢であった大久保利通の登場が多い。
ドラマの中のイメージ通り、大久保利通は能力は高いが敵を多く作るタイプの人だったようだ。
また、西郷隆盛征韓論から西南戦争までの流れについては、民権運動的側面があったという興味深い要因分析含め多くのページが割かれていてとても勉強になった。この辺りの人物イメージは、これまで全く歴史に興味がなく、明治維新に関する小説や漫画をほとんど読んでこなかった自分にとっては、『青天を衝け』のドラマが非常に役に立った。
なお、この本を読むまで知らなかったので恥ずかしいのだが、西郷隆盛(薩摩)、大久保利通(薩摩)、木戸孝允(長州)を維新三傑と呼び、このうち木戸孝允は『青天』には登場しない。(今回、小学館版学習まんが「日本の歴史」も読み返したが、そちらでもほぼ登場しない。)何故?

フランス革命とTN君

さて、ここからが個人的にはメインの内容となるフランス革命に関連する部分。

TN君は、岩倉使節団で日本を発つ前(1871)に、明治維新後の日本の外観の大きな変化に驚き、そして嘆く。(以下、引用は一部、仮名を漢字に修正)

十年前の、新しい世の中をつくる、というかけ声の結果が、これなのか、多くの若者たちが、命をなげだそうとしていたのは、鉄橋や人力車や牛肉屋や洋服のある新しい生活のためだったのか。そう思うと、なんだかむなしい気がした。人々は、もう政治のことは考えていないようだった。政治をわすれ、新しい生活のことばかり考えていた。
p75

このあたりは、自分が『青天を衝け』にかけた期待がドラマの中でうやむやにされかけていると感じたことと全く同じで、心が読まれているのかと感じた。(笑)
そんなTN君だが、岩倉使節団でフランスに行って何を得たのだろうか。


フランスに渡ったTN君は、「上流社会」ではなく「下流社会」のフランス人たちの話をよく聞いた。「両方知らなければ片手落ちで、フランスを知ったことにならない」(p92)のだそうだ。

居酒屋にあつまる労働者たちは、よく政治のはなしをした。そして、一人一人が意見をもっていて、すぐに議論になった。議論が熱して、はては口論から、つかみあいにもなりかねないところがあったが、TN君は彼らの姿を見ながら、この国の政治を動かしているのは、どうも彼ららしいと思った。実際、このフランスの19世紀の政治は、パリの庶民たちの手で何度か大きく揺り動かされたのだ。p93

そして、ある日、古本屋で見つけたジャン・ジャック・ルソー『社会の契約』を読んでみると、その中の言葉のいくつものフレーズを居酒屋で口論していた労働者の言葉として既に聞いていたことを思い出す。

この言葉も、別の労働者の口から聞かれたものだった。彼はそれを、まるで自分の言葉のように、自然に叫んでいた。おそらく、それがルソーのものだとは、自分でも知らないのではないか。
TN君は、思わずつぶやいた。

      • この本は生きているぞ。この言葉は、まだ生きているんだ。p100

TN君には、1873年のパリの街では、これまでの100年の歴史が古い建物に刻み込まれているようで身近に感じられたという。その中で、1762年刊行のルソーの書物の言葉が「まだ生きている」ことは大変な驚きであったに違いない。国民の啓蒙に力を入れようと決意したTN君の気持ちもよくわかる。
しかし、その一方で、2021年に生きる自分にとっては、日本人がここまで「歴史」や「個人」の「人権」に疎いのは、教育よりも国民性の問題ではないかという疑問を捨てきれずにいる。

TN君が抱いた「明治維新」への疑問は、そのまま日本人の国民性を表しているようにも思えるのだ。

明治維新は、たしかに、古い日本の体制を新しいものに変えねばならないという考えに支えられて起こった。そして、今の指導者たちも、日本を変える努力はしている。(略)
しかし、それらの近代化とか、改革とかは、いったいなんのためだったのだろう。誰のためだったのだろう。(略)
明治維新は、もう一つの目的を持っていなかっただろうか。人民ひとりひとりの、古い制度に縛られてきた生活からの解放の期待を、担っていなかっただろうか。いや、そちらこそが、人民の願いだったのだ。自分たちの国をつくる、自分たちのための日本をつくる。それが新しい日本をつくることではなかったのだろうか。それはTN君自身が、あの激しく揺れ動いた時代に感じていたことなのだ。(略)四民平等も、最初のうち、政府の旗じるしでもあったのだ。だが、そうした維新の夢は、いつのまにか強い国をつくるため、日本をヨーロッパふうにすることが目的だったようにすり替えられてしまっている。しかし、日本にいる人間たちは、そのことに気がついていないようだ。p116

このような日本人の「健忘症」的なふるまいは、このあと、大日本帝国憲法発布の際にも発揮される。完全に政府寄りの内容であっても、憲法ができてしまえばお祭り気分になってしまうのは、2021の東京五輪をめぐる日本の状態と似ているのかもしれない。


さて、TN君は、問題は「日本人の国民性」ではなく「教育」だと考える。
TN君が日本に帰る頃(1873)、日本では民権運動としては重要な出来事である「民撰議院設立建白」が提出される(1874)。しかし、これは、征韓論の騒動が招いた政治的対立から生まれたものである(中央から退いた板垣退助らが大久保らへの対抗手段として講じた)ことをTN君は残念に思った。
所詮それらは「パリ留学時代に居酒屋でめぐりあった労働者たちのような、無名の人々の心の中に根を張ったもの」(p137)ではなかったのだ。
国民一人一人が人権意識を育てていく必要があると考えたTN君は、ヨーロッパから戻って私塾を作る。

わしは、日本に自由がないのは、遅れているからだ、そこまで進歩していないからだと考えた。これまで、ずっとそう考え続けてきたのだ。だがね、今になって、それが間違っていたことがわかった。文明開化は進むだろう。ほっといても、大久保がやろうが、西郷がやろうが、進むだろう。しかし、ほっといたら、自由はこない。大久保にやらせてただ待っていても、日本に自由はこないだろう。

より自由になるということは、より進歩することではない。より文明開化することではない。ひとりひとりが、より自己に目覚めることだ。誰もたよりにせず、誰に支配されずに生きることに目覚めることだ。TN君が、そのとき悟ったことはそのことだった。p163


本の後半では、日本の民権運動とその弾圧、TN君の成功と挫折について描かれ、とても面白かった部分だが、今回はここまで。

*1:ぼくの知ってもらいたいのは、彼の名前ではなくて、彼がどんなふうに生きたか、ということだからだ。そのためには、名前なんてじゃまになる。そう思ったから、名前は出さない。p11

*2:『青天を衝け』では仮面ライダービルドの犬飼貴丈が演じた。