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なぜ北条義時は「学習まんが日本の歴史」に登場しないのか~『鎌倉殿の13人』時代の日本史漫画2冊読み比べ

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が始まったこともああり、小中学生時代に読んでいた『学習まんが少年少女日本の歴史』(以下、小学館版)と石ノ森章太郎『新装版マンガ日本の歴史』(以下、石ノ森版)を比べて読んでみた。

同じ内容のものを2冊読むのは面白い。だけでなく、以前も不思議に思った「小学館版は何故、主要キャラクターで登場しない人がいるのか」についても少し突っ込んで考えることが出来た。*1
ざっくり言えば、(ビリギャルが推薦するほど)小中高の「学習」を意識した小学館版に対して、石ノ森版は、物語としての歴史の面白さを重視しているということになるが、以下で簡単に説明する。

なぜ義時は「まんが日本の歴史」に登場しないのか

『鎌倉殿の13人』で主人公となる北条義時は、小学館版では登場しない。
これは、おそらく時代区分ごとに、「似顔絵」としてのビジュアルのインパクトを強く印象付けるメインキャラクターを絞っているためだ。
そして、それは、中学校の学習内容と比較したときに過不足ない内容を限られたページで、という制約条件を強く意識しているのだと思う。
たとえば、この期間の歴史的重要事項、1219実朝暗殺、1221承久の乱、1232御成敗式目の中で、御成敗式目を成した北条泰時の前の世代の北条氏としては、政子と時政を出せばよく、義時は不要だ。実際、「石ノ森章太郎」版では義時の顔は出ているし、名前は何度も登場するが、書き文字での説明は「義時=政子体制」となる。二人のうちで目立つのは政子なので、わざわざ義時は顔を出す必要はないというのが小学館版の判断なのだろう。
なお、このシリーズは目次部分で主要人物の顔が出るが、上に挙げた北条3人はいずれも登場する。(繰り返すが義時は登場しない)
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また、そもそも承久の乱は、北条義時が朝敵と名指しされて戦が始まったが、もう一つ和田義盛(鎌倉殿の13人の1人。ドラマでは横田栄司)が義時を討とうとした「和田合戦」についても、小学館版では、義時の顔を全く出さずに話を進める強引さがあり、徹底している。*2
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卿の二位(卿の局)

石ノ森版で目立つのは、後鳥羽院の取りつぎとして絶大な権力を持ったと言われる、乳母の「卿の二位」(藤原兼子)の存在だ。
第3章と第4章の間に「間章 女人入眼(にょにんじゅがん)の日本国」という章を設けて、北条政子と卿の二位という東西の女性実力者の歴史的会見(1218年)について取り上げているが、彼女の存在は大きかったようだ。
二人の会見では、実朝の世継ぎが見込めないことから、次の将軍を「皇子将軍」としようということで話が決まる。しかし、その後1219年に実朝が暗殺されたことをきっかけに、この話がご破算になり、さらにこじれて承久の乱になる。
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小学館版では、この流れは描かれておらず、後鳥羽院が実朝に目をかけ、和歌(新古今和歌集後鳥羽上皇勅撰和歌集)についても、面倒を見てやろうとしていたことが描かれる。可愛がっていた実朝が死んでしまったので幕府との対立関係が顕著になったという流れだ。
石ノ森版の解説(歴史学者村井章介さん)では、後鳥羽上皇についてこう書かれている。

彼はなんでもできる百科全書的な人間で、『新古今和歌集』の編集をリードしたのをはじめ、蹴鞠、管弦、囲碁、将棋などにも堪能で、朝儀の故実にも詳しかった。(略)
注目すべきは彼が武芸を好んだことで、みずから刀の鍛造もやったといわれる。

刀の鍛造!
幕府側の人間だったとしても驚きなのに、朝廷側でそんな人がいるとは…。


なお、先日、Twitterでも友人と話をしたが、ドラマ『鎌倉殿の13人』で誰が後鳥羽上皇を演じるか、というのは気になる。生まれ年は以下の通りなので、後鳥羽院が義時よりも17歳下ということを考えると、小栗旬よりも少し若い役者がやることになる。*3
北条政子 1157
北条義時 1163
後鳥羽院 1180
源実朝 1192
敵役のメインキャラクターということもあり、ある程度名の知れた俳優であることを考えると、中村倫也はいい線だと思う。NHKが積極採用するかどうかはわからないが、東出昌大とかもいいんだけど…。

政子の母子関係、父娘関係

もう一つ、石ノ森版で面白かったのは、政子の母子問題、父娘問題の顛末がどちらも似た図式になっていること。
不良息子の源頼家は、息子の一幡の待遇への不満から、病中にもかかわらず北条を討とうと決める。これは頼家の妻(若狭局)とその父・比企能員(鎌倉殿の13人の1人。ドラマでは佐藤二郎)の差し金で、結果として比企一族はほぼ全滅、頼家は出家させられる。
北条時政は、やはり後妻の牧の方(ドラマでは宮沢りえ)にたぶらかされて、1205年に、忠臣・畠山重忠を無実の罪で討ち、実朝暗殺も企てる。これが発覚して時政は出家させられ、表舞台から去り、義時=政子体制が確立する。
二人とも身内であることを考えると、政子は本当に頼朝第一で、父や息子には、それほどの愛情は向けられなかったのだろうなと感じた。


このように一連で見てみると、やはり、『鎌倉殿の13人』の時代の実質的主人公は北条政子であることを強く感じる。没年も義時は1224年、政子は1225年でほぼ同じながら政子の方が少し長く生きているし、義時が日本史の中では目立たないキャラクターであることがよくわかる。
『鎌倉殿の13人』の初回でも、義時(この時点では13歳)が「このまま平家の世の中でもいいんじゃないですか」みたいなことを言うが、あまり熱くないキャラクターだからドラマの主人公とするのに面白いのかもしれない。
この時代はどんどん関連作を読んでいきたい。

*1:以前、維新の時期のを読んだら木戸孝允がほぼ登場しないことを不思議に思った。

*2:なお、小学館版のすごいところは、「行間」に色々な歴史事実や解釈が含まれた箇所が多いこと。勉強してから読むと、「あ、さらっと書いているここには深い意味が…」と気づくことがよくある。

*3:勿論、朝ドラで深津絵里が10代の役を長く演じているように、俳優の年齢を特に気にする必要はないという考え方はある