Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

とりとめないけど惹きつけられる~石井遊佳『百年泥』


すごいものを読んだ。とにかく「とりとめがない」という一語に尽きる。さすが芥川賞
冒頭は既に豪雨の場面だが、主人公が日本語教師としてインドのチェンナイに来た経緯をさかのぼるところまでは普通の小説だ。日本語教室に来るインドの技術者たちが、シヴァとかガネーシャとか神様の名前というのも変ではあるが非現実的ではない。(以下、あらすじ前半)

インドの花形産業であるIT企業の若手技術者は、生意気盛り。主人公の「私」は、別れた夫にすがりついて仕事を紹介してもらったのはいいが、この生意気な若者たち相手の日本語教師だった。日本では想像もできない下層の生活から這い上がってきた美形の青年デーヴァラージの授業妨害と戦いながら、日本語を教えはじめて三か月半。豪雨による洪水が南インドの大都市チェンナイを襲った。

ところが、「百年泥」が現れてからは、「一体何を読まされているのか」と意識が朦朧としてくる。4月という(個人的感覚では)1年で最も眠い時期に読んだからかもしれない。(以下、あらすじ後半)

百年に一度の大洪水がもたらしたものは、川底から溢れた百年分の泥だった。アダイヤール川にかかる橋は泥の模様を見物に来た大勢の人であふれていた。泥と人をかき分け、「私」は川向こうの会社に向かった。途中、泥から様々なものが掻き出されていく。サントリー山崎のボトル、ガラスケースと人魚のミイラ、大阪万博記念コイン……。疾走するユーモアと暴走する知性が暴き出す人生の悲しみと歓び――。新潮新人賞芥川賞と二冠に輝いた本作は、多数の選考委員から絶賛された希有な問題作である。


百年泥」が現れてから、物語は一気に非現実的な内容にシフトチェンジするのに、さらにこの上に「飛翔通勤」の設定が畳みかける。

たいてい毎朝9時ごろ、すでに30度をはるかに超える酷暑の中を私は会社玄関に到着する。その時ちょうど前方で脱翼した人をみると副社長で、「おはようございます」あいさつすると大柄な彼は私にむかって愛想よく片手を上げた。そのまま趣味のよいブルーのワイシャツの襟元をととのえつつ両翼を重ねて駐車場わきに無造作に放り出す、すると翼が地上に到達する直前に係員が受け止め、ほぼ一動作で駐車場隅の翼干場にふんわり置いた。

翼の話は、このあと、「百年泥」という魔法空間とはまったく別個に時々登場する。最初にこれを読んだときは、少し先の未来を描いたSFなのか、と思った。しかし、読了した上で振り返ると、物語は近未来ではなくあくまで現代の話で、これは単に「異文化」を表しているのだろうということがわかる。
ただ、何かの比喩というわけでなく、「異文化」を喩えるものとしては突飛過ぎる。これがいわゆる「マジックリアリズム」なのか。


さて、物語は、百年泥の中から出てきた諸々の物品、もしくは日本語授業の会話の端からつながった思い出話が次々と繰り出される形で進む。
その寄り道ぶりが激しいだけでなく、ときに、主人公でない人物が1人称で思い出話を語ったりもする。そして割合的には、本筋5%、寄り道95%なので、少し油断すると、誰がいつの話をしているのかだけでなく、自分が何を読んでいるのかを見失う状況が頻発した。


というようなドラッギーな読書体験が終盤まで続き、どう終わらせるんだろう?と思っていると、最終盤に突如、まとめの文章が入り、何となく納得。

かつて綴られなかった手紙、眺められなかった風景、聴かれなかった歌。話されなかったことば、濡れなかった雨、ふれられなかった唇が、百年泥だ。あったかもしれない人生、実際は生きられることがなかった人生、あるいはあとから追伸を書き込むための付箋紙、それがこの百年泥の界隈なのだ、(略)
こうなにもかも泥まみれでは、どれが私の記憶、どれが誰の記憶かなど知りようがないではないか?しかしながら、百年泥からそれぞれ自分の記憶を掘り当てたと信じきってる人びとはそれどころじゃない、めいめい百年泥のわきにべったり座り込み、一人一人がここを先途と五巡目男にむかってかきくどくのだった。

つまり百年泥は、本当は無かった「if」の人生でありながら、自分の記憶と他人の記憶が混在している坩堝であり、そこには全部入っている。
著者は、チェンナイ市在住の日本語教師であるということなので、その「全部入っている」感覚は、おそらく著者自身がアダイヤール川から受け取る印象そのものなのだと思う。
物語全体からも、それは強く感じ、描かれるエピソードの中には、チェンナイに住むインドの人々の暮らしや考え方が伝わってくる部分も多い。「れない」結婚が基本的に許されない社会であることがわかる話も非常に興味深く、インドの人たちの日常について触れられる満足度もある。


ただ、繰り返すが、とにかくとりとめがない小説だ。チェンナイに無関係の人が書いていたら謎過ぎたが、見返しの著者紹介で「チェンナイ在住」という情報を知り、私小説要素が混ざっている小説なのだと少しだけ謎が解けた。単行本で読んだが、文庫版解説はは著者大学院時代の恩師、東大名誉教授の末木文美士氏だという。著者の人となりが気になるので、こちらの解説は読んでみよう。(なお、表紙は単行本の方が好き。)

あと、よく言うところの「マジックリアリズム」というのがこれなら、他のマジックリアリズム小説も読んでみたい。

あとはインドに関する興味がまた増したので、関連本も読み進めたい。

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com