Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

芸術とAIと青春~斜線堂有紀『ゴールデンタイムの消費期限』

斜線堂有紀の本は初めて。そもそもは5月に見た映画『死刑にいたる病』からの連想で著作『恋にいたる病』経由でその名を知り、今回、Amazonでレビュー数の多かった本書を読んでみた。


ミステリ作家の中でも、清涼院流水の系譜なのか、実在しない苗字のペンネームは、メフィスト賞っぽいかライトノベルっぽい印象があり、今回も、ついこの前、潮谷験に求めて得られなかったものと同様のもの(本格ミステリベースの反則すれすれエンタメ)を自然に求めてしまう。
実際、あらすじを知らずに読み始めた本書も、シチュエーションは「絶海の孤島」という王道で、登場人物も癖があり、これは期待できる!と序盤を読み進めた。


あらすじは以下の通り。

自分の消費期限は、もう切れているのかーー

小学生でデビューし、天才の名をほしいままにしていた小説家・綴喜文彰は、ある事件をきっかけに新作を発表出来なくなっていた。孤独と焦りに押し潰されそうになりながら迎えた高校三年生の春、綴喜は『レミントン・プロジェクト』に招待される。それは若き天才を集め交流を図る11日間のプロジェクトだった。「また傑作を書けるようになる」という言葉に参加を決める綴喜。そして向かった山中の施設には料理人、ヴァイオリニスト、映画監督、日本画家、棋士の、若き五人の天才たちがいた。やがて、参加者たちにプロジェクトの真の目的が明かされる。

★招かれた全員が世間から見放された元・天才であること。このプロジェクトが人工知能「レミントン」とのセッションを通じた、自分たちの「リサイクル計画」であることをーー。

俊英が贈るAI×青春小説!

毎回思うが、大体の小説において、あらすじは「書き過ぎ」であることが多い。
今回も、「★」以降の内容は、読んでから知って「おお!」と驚く方が楽しい。
自分は「AI」が関連することさえ知らなかったが、それはさすがに触れずにいられないとしても、集められたのが「元・天才」であることまで書く必要は全くない。
序盤の面白いところは、主人公が、長らく小説を書けていない「天才・小説家」であることへの悩み・コンプレックスが、一堂に会した「若き天才たち」の中で、劣等感を強くする心理描写にある。小説の主旨は、こういった「才能」に対する劣等感やプレッシャーにあるので、事前にこれを削ぐような種明かし(★の部分)は避けた方が良いと思う。

また、『レミントン・プロジェクト』の目的が明かされていない段階では、突如「館の主」が、皆に向けて「さあゲームの始まりです」とデスゲーム開幕を宣言する可能性も残されており、「絶海の孤島」に集った5人の若者たちが憎しみ合い、殺し合った末に犯人捜し、という展開もあり得た。★の部分のネタばらしは、こういった読者の想像力を根っこから奪ってしまうという点で罪深いと思う。


話を元に戻す。
「レミントン・プロジェクト」が「天才」を集めて切磋琢磨させるのではなく、「元・天才」を、「AIの力で再生」させることが目的と分かって以降、この小説は、趣を変える。

すなわち、「絶海の孤島」に集った5人の若者たちが憎しみ合い、殺し合った末に犯人捜し、という典型ミステリ展開の可能性がどんどん薄れて、芸術分野におけるAIと人間の協力・対立の関係を論じる内容になっていく。


料理、日本画、音楽、映画、小説、これらの芸術分野で優れた作品をつくるにはどうすれば良いか。
これに対して、まずは統計的なアプローチを採る、というのが、この本の中でのAI(レミントン)のアプローチだ。つまり、多くの専門家が優れていると感じるように、料理であればレシピを、音楽であれば演奏のリズムや強弱を、日本画であれば構成をAIが指定する。その指定通りに、基礎技術を習得している(が、何かが欠ける)「元・天才」が作品を仕上げれば、一級芸術品が完成する、ということになる。
それでは小説はどうか、と言えば、レミントン(AI)は、自然言語の解釈は出来ないが、46万冊の小説の学習によって「ベストセラーになる小説の展開」を把握できるようになっているというのが、この本におけるAIの設定だ。
したがって、作家の特性に合わせたベストセラー小説の展開(いわばレシピ)を提示することができる。
特徴的なのは

  • 「よくできた人物描写には、実際の人物の取材が必要」という観点から、小説の登場人物が、レミントン・プロジェクトの参加者と同様の構成(ヴァイオリン奏者、棋士、映画監督、料理人、画家、小説家)になっている
  • 「レシピ」通りを徹底させるため、作家には、最後の展開をギリギリまで知らないまま、執筆させる(結末を知っていると、レシピから離れてしまう)

という部分。

こうして書いてみると強引な気もするが、読んでいるとそこまでの違和感はない。
ただし、レミントン(AI)が、参加者たちの性格や心理を把握し過ぎていることについては説明がない点は拍子抜けに感じた。そこが最終日前に起きる「事件」に大きく関わるだけに、もっと陰謀論っぽいこじつけを入れた方がしっくり来ただろうと思う。
しかし、作者の意図は、ストーリーのまとまりよりも、少しでも多く、若い人たちの自分の才能への迷いや葛藤を書くことにあったに違いない。むしろこの本は、ストーリーも悩みを読ませる小説で、その悩みは、「天才」でなくても多くの人が若い時期に共感できるようなものになっていると思う。


参加者の何人かに共通するのは、その道を進む動機の中で、「親に認めてほしいから頑張る」という、自己表現とは別種の要因が大きな部分を占めている点だ。
それなのに若い頃にその「才能」を見出され、持ち上げられてしまう。
本来、芸術の本質は、自己表現のはずだが、表現する自己がないままに周囲の賞賛を浴びてしまうと、同じ意識のまま続けていこうとすると厳しくなるのは当然だ。

その典型が、最後の最後に思いを爆発させてしまったヴァイオリン奏者の秋笠奏子だ。彼女は、ヴァイオリン講師に「中身がない」と言われて、こう独白する。

お願い。何も無いなんて言わないで。

私、もっと頑張るから。
特別じゃなくてもいい。一番になれなくていい。
ただ、私が頑張ってきたことには意味があると思わせてください。
p291

しかし、これほど本人の悩みが深くても、「売れた」相手に対して「天才だ」と持ち上げた世間は、その悩みには興味が無いというのが残酷なことだ。

主人公・綴喜文彰の言葉は、持ち上げた「世間」を批判する内容で、読者にとって耳の痛い内容だが、「有名人」としてやっていくには周囲の反応に敏感過ぎるとも感じさせる。周囲の声を気にせずに、自分はこれを表現したい、という部分を押し切る強さも大事なのだろう。

ちやほや持ち上げられたいわけじゃない。これ以上、下に落ちたくないだけなんだ。たった一回天才だって持て囃されたお陰で、僕は一生そのツケを払わされる。ただ生きているだけで消費期限を突きつけられるんだよ。終わった人間相手には何を言ったって赦されるとみんな思ってる。過去に書いたものもあげつらわれて、お前は偽物だったって言われ続けるんだ」
p112

主人公の綴喜とヴァイオリン奏者の秋笠の内面は似ていて、二人とも、かつての栄光に縛られて、自分をうまく表現できないし、自分とうまく付き合えない。*1

結局、レミントン・プロジェクトを経て、最後に二人はそれぞれ、小説、ヴァイオリンの道を目指さないことを決める。新しい道に進んだ彼らが、「自分自身」を取り戻しているラストは清々しい。


なお、悩みの問題だけでなく、それに絡めたAIと芸術の話も面白い。
世界的な映画監督を父親に持つ凪寺映深(えみ)の言葉は、レミントン・プロジェクトによる小説の書き方が、芸術の本質から外れていることを見抜いている。つまり、自分の中から湧き出るものが芸術には必要とわかっていつつも、「売れる」方法という切り口では、レミントンの方法が「あり」であることを認めてしまう。

「第一、この物語には伝えたいテーマが無いじゃん」
「結末も知らないのに何でそんなことが言えるんだよ」
「真取こそ分かんないの?たとえどんな高尚なテーマがこの物語に盛り込まれていたとしても、それはレミントンがそのテーマなら共感を得られると判断したからでしょ。深い洞察も高い共感性も、レミントンが心の底から伝えたいことじゃない。レミントンには心が無いんだから。私はそれが気に食わない」
凪寺がきっぱりと言い切る。
「…でもまあ、悔しいけど、普通に売れるとは思う。そういう作り方をしてるんだから、当然」
苦々し気に、凪寺がそう締めくくる。この小説がどんな結末を迎えるにしろ、それはある程度消費者の好みを反映するものになる。それに伝えたいことがあればいい小説だ、というわけでもない。
p150

もちろん、この「AIと芸術」のテーマには特に答えを出しているわけではないが、凪寺だけでなく、参加メンバー皆が一番興味を持っている部分で作中ではそれぞれがAIとどう付き合っていくかを表明するので、基本的な部分で理解の助けになった。今後も勉強して、もう少し突っ込んで考えたいテーマだ。

ということで潮谷験『エンドロール』に引き続き、「反則的なミステリを読もう」と心に決めていただけに「まじめか!」と突っ込んでしまう結果となったが、テーマに対して真摯に取り組むタイプの作家は好きなので、別作品も読んでみたい。

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com

*1:なお、私小説形式を得意とする綴喜が、自己の経験を切り売りするように書こうとして医者から止められる流れがあるが、エッセイ漫画家が陥りやすい罠だと思う。「このままだと、人生を丸ごと小説に食い尽くされることになる」という医者の指摘がそのまま当てはまるような人もいるのではないか