Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

作品テーマを見抜けなかった~ジョーダン・ピール『NOPE』

今回、事前情報を出来るだけ遮断して観に行き、「UFOの映画らしい」程度のことしか知らなかった。そのことで逆に、映画館に入ってからもっと知っておくべきだったのでは?と不安になったが、広い牧場と空が絵的に美しい映画で、内容も、ホラーというかパニックものとしてとても楽しめた。


パニックものとしては、「敵」の性質・弱点、勝つための「ルール」が上手く示されていることで、「攻略」の仕方が理解しやすいのが良かった。(ジョジョで言うと3部のスタンド)


空に浮かぶ「ずっと動かない雲」に敵は隠れている。(これも『ジョジョの奇妙な冒険』っぽい設定でドキドキする!)
音楽をきっかけに敵はコチラに近づいてくるが、周囲に「無電地帯」をまとっているので、電化製品が止まり始めたら突然途切れたら敵が来た証拠。
レコードの音が突如遅くなり、止まると、一気に不穏な空気が立ち込める上手い演出で、それだけでドキドキする。
そうした敵の性質を逆手に、最終決戦時に、広い牧場の中に配置された「スカイダンサー」は、相手の接近を知らせるカナリア的役割を果たす。広い牧場にカラフルなスカイダンサーが舞っているのは、それだけで絵的に楽しいが、理に適っている。
敵の弱点(気管をふさぐような、旗など)も、納得感のあるもので、ラストの「勝ち方」もすんなり受け入れられた。
クライマックスはとても楽しく、「目を見てはいけない」という息苦しいルールはサスペンス度を上げる。また、突然の「金田のバイク」演出や、敵の「エヴァンゲリオン使徒」(もしくはゼットン)っぽい怖さも盛り上げに一役買っていた。


ただし、観た直後の感想は、「面白かったけど、前2作に比べると、テーマがよくわからなかった」というもの。
UFOをめぐるメインのストーリー以外に、チンパンジーの事件が並行して語られることで、UFOとチンパンジーの対比から何かを伝えようとしていることはわかる。
また、主役の兄妹、OJとエメラルドが、最後まで、生き残ることよりも、映像を撮ることにこだわっていたことが異様に感じたが、そこも何かを伝えようとしているということはわかる。
ただ、それらを繋げるものがピンと来なかった。


その意味で、今回はパンフレットが、非常に作品解釈の助けになった。
特にライターの稲垣貴俊さんの文章が上手くまとまっていたが、核心部分だけを引用する。

ピールが本作で暴くのは”見世物”、彼自身の言葉でいえば「スペクタクル」を求める人間の欲望と短絡的な消費行動だ。それに振り回される愚かさと悲しさ、消費する側と消費される側がグルグルと入れ替わる構造である。けれども特に野心的なのは、この主題を、そもそも見世物として誕生した”映画”というメディアで描いたこと。

あ、そうか。
これでだいぶ理解が進んだ。
その直前部分もわかりやすい。

現在、人間はあらゆるものを見世物として消費している。有名人の醜聞や政治家の汚職、凶悪犯罪、暴露話などが視聴率や再生回数、アクセス数のタネとして使われるや、人々は何かしらを物申し、議論し、罵倒し、やがて飽きると次のネタを探す。メディアやインフルエンサー、そのユーザーは何もかもを食べ尽くさんとする勢いだ。すなわち人間や動物、植物などを次々に食べては吐き出すUFOは、さながら現代社会を生きる人々の欲望そのもの。大手ゴシップサイト・TMZの記者があっけなく食べられてしまうのはいかにも象徴的だ。人間や事件を食い物にする存在が、文字通り食い物にされるのだから。


宇多丸の映画評は、映画を観終えてから聞いたが、ちょうど、この「見世物」「見る、見られる」の関係の話を中心に語られており、今回、もし映画評を聞いてから観たら、もう少し作品の本質にアンテナを張って観ることができたかも、とも思った。(が、わからないまま観るのが楽しいんだろうと思ってます)

パンフレットやこれらの解説も含めて振り返ると、自分が映画で十分読み取れていなかったのは、ジュープの内面と物語的な位置づけ。彼は子役時代に見世物的に消費されたのに、「UFO」を見世物として消費する側に回るという象徴的な意味を持つ。ジュープは、アジア人キャスティングということもあり、非常に親しみを持って見ていたはずなのに…。


ということで、作品テーマは鑑賞直後にはわからなかったものの、いろんな部分で楽しめる映画でした。
今回の主人公OJを演じたダニエル・カルーヤは、『ゲット・アウト』で主人公を演じていた人なのか。生涯ベスト級に好きな映画なので、そろそろ見返すタイミングかな。

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com