Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

脱「思いやり」で社会を変える~神谷悠一『差別は思いやりでは解決しない』

ジェンダー平等」がSDGsの目標に掲げられる現在、大学では関連の授業に人気が集中し企業では研修が盛んに行われているテーマであるにもかかわらず、いまだ差別については「思いやりが大事」という心の問題として捉えられることが多い。なぜ差別は「思いやり」の問題に回収され、その先の議論に進めないのか?女性差別性的少数者差別をめぐる現状に目を向け、その構造を理解し、制度について考察。「思いやり」から脱して社会を変えていくために、いま必要な一冊。


この本のタイトルにはドキッとした。
差別に関する本は、これまでに何冊も読んで感想を書いたりもしてきたが、「思いやりが大切」という安易な感想に陥って来なかったか。
いわば「思いやりの罠」に嵌まって来なかったか。
そんな風に「自戒」モードで読み始めたが、それだけに、非常に勉強になる一冊だった。
目次は以下の通り。

  • 第1章 ジェンダー課題における「思いやり」の限界
  • 第2章 LGBTQ課題における「思いやり」の落とし穴
  • 第3章 「女性」vs.「トランスジェンダー」という虚構
  • 第4章 ジェンダー課題における制度と実践
  • 第5章 LGBTQ課題における制度と実践

正直に言えば、4~5章は、読むのにしんどい部分もあった。
自分は、いわゆる「LGBTQ」の問題に興味関心が高い方だと思うが、それでも法制度について書かれた文章を読むのは慣れない。
しかし、この本は、1~3章で、(「思いやり」ではなく)施策、法制度こそが重要ということを何度も説かれ、そこに強い納得感があるので、それを駆動力にして興味を持続させて読み通すことができた。

「思いやり」は何がダメか(1章抜粋)

この本は、ジェンダーセクシュアリティの授業のテストやレポートで、「ジェンダーについてもっと気をつけたいと思います」「配慮したいと思います」「思いやりを持つ人が増えれば」といった「心の問題」を結論に置く学生が多いことへの嘆きから始まる。
対象を学生だけでなく、企業へも広げて「周知を徹底する」というフレーズについて書かれた部分が辛辣で的を射ている。

このように考えていくと「周知を徹底」というのは、口では「思いやり」と言うけれど何も行動を起こさないことの集団・組織版、と言えるのかもしれません。だから「周知を徹底します」と言われると、「思いやりをもって気をつけようと思います」と同じ匂いを感じてしまいます。p39

なお、「思いやりの弊害」については以下の2点があげられている。

  1. 「アンコンシャスバイアス」は、無意識にしてしまう差別・偏見であって、自分では気づくことができないので、そもそも「思いやり」が機能しない
  2. 正規雇用で働いているパートタイマーを正社員にするのに「思いやり」だけで行うと、恣意的になってしまう。本来は、そのための制度が必要だが、なければつくる必要がある。(法整備を避けて「思いやり」に走るのは本末転倒)

「思いやり」や「優しさ」は、「かわいそう」ではない人、ましてや「気に食わない」人を相手には発揮されにくい。
結局、「思いやり」は上から目線の言葉で、助ける相手としてふさわしい人のみを恣意的に選ぶという意味がどうしても入ってしまう、ということだろう。

少ない法制度、禁止と罰則(1章抜粋)

人権というと「権利、権利と主張しすぎ」といったことが言われることもあるが、そもそも日本では個別の人権に関する法律も、人権一般に関する法律もかなり少ない。

  • 人権一般については「人権教育・啓発推進法」(略称)があるが、心がけとか思いやりなどのレベルにとどまっているという指摘もあり、実効性に乏しい。
  • ジェンダーに関しては、「男女雇用機会均等法」があるが、雇用の場にとどまる。「男女共同参画社会基本法」は、行政の取り組みの方向性や体制を示す法律で、人権保障に関する内容を含んでいない。また、いずれも従来の「男」「女」がベースとなっている。
  • つまり、雇用以外の場面での性差別に対処する法律はなく、当然、従来の男女以外の性的指向性自認に対処する法律もない。(先進国では多い。例えばEUの事例)

さらに踏み込んで、ハラスメント「防止」法制はあるが、「禁止」法制はない、という話がとても頭の整理になった。

  • 日本のさまざまなハラスメント「防止」法制は、ハラスメント行為に対して直接的な法的効果がない。*1これに対して国連の女性差別撤廃委員会が日本に対して「セクハラの禁止規定を法的に位置づけるべし」という勧告を繰り返しているが、日本では、未だにハラスメントを禁止する法令はない。
  • 法律で「禁止」が定められるだけでは「罰せられる」ことはない。規定に違反した場合の「罰則」が定められて初めて「罰せられる」ことになる。例えば子ども同士のいじめについては、日本でも「禁止」されているが「罰則」はない。したがって、罰則をどうするかは別として、まずは禁止すべき。
  • セクハラを禁止し、かつ罰則を加えようとすると、「罰則」の対象となる「行為」をかなり限定的に定める必要がある。そうすると「罰則の対象になるセクハラ」「罰則の対象にならないセクハラ」が分かれることになるが、それが良いことなのか悪いことなのかは検討が必要。(フランスなど罰則を定めている国もある)

「カミングアウトしなきゃいいんじゃない?」という思いやり(2章抜粋)

1章でも「私は、(あなたがゲイでもトランスジェンダーでも)何も気にしないよ」というのは、思いやりでもなんでもなく、「なにも気にしないで済む」という特権にあぐらをかいた差別的発言であるという指摘があるが、2章でも同様に「カミングアウトしなきゃいいんじゃない?」という発言がいかに無神経か説明されている。
こうした発言は、カミングアウトしたときのリスク(異動や退職勧奨といった差別的取り扱いやハラスメント)を念頭に置いたものだが、「カミングアウトしないことによる大変さ」こそがもっと知られるべきとしている。

しかし、カミングアウトしないことによる大変さについては、意外と知られていません。日常会話の些細なところにまで気を遣わなくてはならないストレスなど、カミングアウトしない場合も大変な状況に置かれるのです。(略)
ここまで繰り返し述べていますが、差別や偏見がなければ、このようなカミングアウトするかしないかという葛藤自体に苛まれる必要がありません。しかし、差別や偏見があるからこそ、このような葛藤に苛まれ、カミングアウトするかしないかという「選択」を迫られてしまいます。p77-78

こういった状況に対しては、相手の置かれている状況を的確に把握することが必要となるが、すべての人にそれができるわけではなく、誰もが(個々の「思いやり」に頼らず)一定程度対応できる「施策」が必要となる。

「女性」vs「トランスジェンダー」という虚構(3章抜粋)

Twitterで見かけるフェミvsアンチフェミ論争は、ゴチャゴチャしている以上に、お互いの悪意がむき出しで、読むのが辛く、スルーしてしまうことが多い。
それに対して、女性vsトランスジェンダーという図式には「男性」が入る部分がなく、自分が「非当事者」」の立場で、どちらにも肩入れできないような気持になって、やはりスルーしてしまう部分があった。
このテーマについて、よく引き合いに出されるトイレ、銭湯、性犯罪については、トランスジェンダー当事者や支援者によって運営されている「trans101.jp-はじめてのトランスジェンダー」(https://trans101.jp/)のページのQ&Aが分かりやすく、まず議論の土台を確認できた。

Q19 トランスジェンダーは、だれでもトイレをつかえばよいのではないでしょうか
性別移行の初期であったり、男女別でわかれたトイレを使うことに抵抗感があったりする場合に、だれでもトイレを使う当事者はいます。しかし、移行先の性別です馴染んでおり男女別トイレを問題なく使える当事者もいます。トランスジェンダーであることを特に明かさず暮らしている当事者も多く、このような場合にわざわざ離れたトイレを使う様に指定することは、望まないカミングアウトの強要やアウティングにつながりかねません。トランスジェンダーはこのトイレをつかうべきというひとつの答えがあるわけではなく、職場や学校においては状況によって合理的に判断していくことが重要です。


Q 21  トイレや更衣室などは、戸籍の性別に準じて使用を認めるべきでは

性同一性障害の診断をもつトランスジェンダーの半数以上が戸籍の性別変更に至ってない現状があります(Q4参照)。戸籍とは異なる性別で日常生活を送っている当事者は多く、また移行先の性別で馴染んでおり特にトランスジェンダーであることを公表していない場合も多くあります。戸籍に準じた扱いを求めることは望まないカミングアウトの強要やアウティングにつながりかねません。


Q22   公衆浴場はトランスジェンダーをどう扱っていますか

浴場組合によっては身体の形状(陰茎を有するかどうか等)で判断しているようです。管理者の意思が最優先される場であり、また施設の性質上、合理性のある基準ではないかと思われます。個別のケースに応じて、個室スペースを案内するなどの工夫をしている浴場もあります。トランスジェンダーと公衆浴場の話題は日本のSNSでこの数年話題となっていますが、トランス女性の団体が「自分たちを性別適合手術なしで女湯にいれてくれ」と訴えているのではなく、むしろ当事者への嫌がらせ(トランスジェンダーは無理難題を押し付けるクレーマーだという印象操作)としてこの話題が持ち出されていることに注意が必要です。


Q23  トランスジェンダーの権利が認められると性犯罪が増えるのではないですか

カリフォルニア大学ロサンゼルス校が2018年に発表した米国初の大規模調査では、性自認による差別禁止をした地域、していない地域を比較したところトランスジェンダー性自認によりトイレを使うことが認められても性犯罪増加にはつながっていないことが指摘されました。


Q25  トランスジェンダーの権利擁護をする人は性暴力に無関心ではないでしょうか

宝塚大学看護学部の日高庸晴教授がLGBTQ+当事者を対象に2019年に行った調査(有効回答数10,769人)では、トランス女性の57%、トランス男性の51.9%が性暴力被害経験を有しました。被害を受けても安心して相談できる環境が少なく、弱みにつけこまれやすいなど、トランスジェンダーにとっても性暴力被害は重要な課題です。安全性を理由としてトランスジェンダーを排除しようとする動きが国内外で増加していますが、イギリスにおけるLGBT団体によるDV/性暴力被害施設への調査では、支援者たちは安全性対策は日常的にとりくんでおり、トランスのサバイバーを受け入れた経験を肯定的にふりかえっていました。日本でも、DV/性暴力被害者支援に関わる支援者たちから「女性の安全」をトランスジェンダー排除のための大義名分としないよう声があがっています
FAQ|性別で区分されたスペース編 – はじめてのトランスジェンダー trans101.jp

ここでは、繰り返し、トランスジェンダー排除のために持ち出されている議論に釣られないように気をつける必要があると警告されている。(2000年代のジェンダーフリーバッシングと同じ構造)
また、本の中で引用されている広島大学准教授の北仲千里氏の発言が一番重要な部分であると感じた。

性暴力などの犯罪の加害者は、その加害者個人が批判されて、その人が責任を取らされるべきです。しかし、「カテゴリー」や「全体」を攻撃することになると、それはヘイトスピーチとか、ヘイトクライムと呼ばれることになります。p105

このような、ある種の「弱者」と「弱者」の主張が衝突しているように見える状況に対して、片方の困難を説明するメッセージだけでは「私は苦しいけれど、あなたは楽だよね」と受け止められ「不安」は解消しない。
そこで必要なのは「あなたと私を苦しめる、この不平等について話し合おう」というメッセージが必要なのだという。


この本では、その不平等の原因を「ジェンダー規範」に求める。

ジェンダー規範からの逸脱は、排除を引き起こし、差別やハラスメント、仲間外れや無視といった事象が、逸脱したマイノリティ(女性、性的マイノリティはもちろん、これらの人たちに限らない)自ら、自分を制約する方向に力を加える。それが差別に対する異議申し立てを封印し、「男らしさ」を優遇する。だから、性的マイノリティに対する個別の差別や暴力根絶とともに、大元の性差別撤廃(女性差別を含むが、より広い意味で)にも力を入れるべきだ、ということです。p112

それでは、既存のジェンダー規範からの解放を求めるにあたって、どのような法制度が必要になってくるのか。
ここでは、まず性暴力から被害者を守る法制度の整備が挙げられている。
しかし、日本の現状ではこれらの法制度が脆弱で、いくつもの課題が指摘されている。

  • 性犯罪については、罪を問える「行為」の範囲がかなり狭い。
  • たたちに「犯罪」とされない性暴力については、セクハラ関係や、「DV防止法」と呼ばれるものを除き法律が制定されていない。
  • DV防止法も、DV自体を「禁止」しているものではなく、狭義のDV以外の暴力(デートDV、同姓パートナーからの暴力)については、適用外となっている状況。

これを踏まえると、以下のような法制度の整備が重要である。

おそらく、「トランスジェンダー」に対して漠たる「不安」を抱える「女性」たちが想定しているのは、配偶者などや保護者が加害者*2ではない分野の性暴力ではないでしょうか。
その意味で、「不安」に応えるためには、性犯罪の範囲自体を見直すことに加え、現行の法制度からこぼれ落ちる人たちを、性暴力被害から守る法制度が求められます。p119

さらに、この議論の発端にある男女別施設の使用については、このようなまとめがされている。

また、既存の男女別施設でのプライバシー保護や性暴力を受けないあり方も問われるでしょう。これらは、「女性」やトランスジェンダーに限った議論ではなく、障がいを抱える人なども含めた、トイレや更衣室などの設計業者も巻き込んだ議論が必要となります。p119

これらの議論の整理の仕方はとても上手く、かなりすっきりした。
特に、トイレや更衣室の問題については、プライバシー保護の観点で考えることで、広く男性も巻き込んで議論することができるようになると感じた。
翻って考えると、自分がこの話題に入りづらいと思ってしまったのは、性暴力の被害者になるという想定がしづらいことが大きな原因だった。
ということは、こういった問題を考える際には、他の人の立場になって考えるという方法以外に、あくまで自身の立場で考える場合にとっつき易い問題設定を行うという方法があるとわかった。

担当者が誰であっても継続できる仕組みづくり(4章)

4章は個別の法制度の話なのでざっくり。
ここでは、ハラスメント防止法のように「禁止」や「罰則」を伴わない法制度であっても、組織内の空気を醸成し、個人個人の「思いやり」に頼るより実効力があることが分かった。

このように「啓発」が制度化することで、どんなに「ハラスメント」課題に興味のない人が担当者になったとしても、一連の職場の取り組みが担保されることになります。すると、そこで働く人たちも、多少は周知のための資料を目にするでしょうし、何がしかの研修なりに少しは触れることになるでしょう。
そうなれば、ハラスメントについて一定程度認識し、ハラスメント被害に遭っても周りに言い出しやすくなるのではないでしょうか(そして加害者にならないためにどうすればいいか知ることができます)。p141-142

ただし、このような各組織の「取り組み」任せの法制度では、やはり「努力してます」程度の「言い逃れ」や「やったふり」に逃げられてしまう実態があり、まだまだ課題が多いというのも理解できた。

LGBTQをめぐる法制度

4章では、いわゆる「LGBTQ」をめぐる法制度についての動きについてまとめられており、これも頭の整理になった。
まず、関連する3つの法案の説明。

  • LGBT差別禁止法(略称):LGBT法連合会が発表している法案。キャンペーンEquality Act Japanが目指すLGBT平等法と同じ内容。
  • LGBT差別解消法(略称):2016年と2018年に野党各党が国会に提出した法案。差別禁止法よりはやや限定的。
  • LGBT理解増進法(略称):自民党の特命委員会が取りまとめて2021年に提起し、野党とのすり合わせが行われたあと、自民党内の法案審査が通らず、2021年6月に法案提出が見送りになったもの。

最後に挙げた理解増進法案について自民党内での議論が紛糾した論点は2点で「差別は許されない」という文言についてと「性自認」という定義規定。
前者については、例えば以下のNHKの記事にもまとめられている。
www.nhk.or.jp


これに対して、後者(「性自認」という定義規定)は少しわかりにくい。

Gender Identityの訳語を元の自民党案が「性同一性」としていたのに対し、野党との意見すりあわせで「性自認」と変更した。これに対して、自民党内の守旧派自民党案の「性同一性」に戻せという意見が強かったという。
この二つの言葉の違いについて、これまであまり意識をしたことが無かったが、今では誤解を生みやすい「性同一性」ではなく「性自認」が広く使われるようになったのだという。(以下に本文を引用する)

「性はスペクトラム(連続体)である」という概念とその実態が十分に理解されないまま「性同一性障害」という言葉が広まったことで、「心と身体の性別が一致していないというなら、身体のほうを心に合わせればいい」との誤解が生じた。そして、事故の性別表現が男女二分化された性別規範に会わない人や、性別表現に揺らぎがある人に対して、周囲がシスジェンダー規範を振りかざし、「男か女か、どっちかにしろよ」などと一致を迫るようになった。その結果、「いや、私は○○だと自認しています」などと、ジェンダーに関する自己認識を他者に伝える必要が生じ、「性自認」という訳語が多用されるようになって、現在に至る。p198

また、これに関して調べてみると、かつて「性同一性障害」と呼ばれていたものは、今では「性別違和」もしくは「性別不合」と呼ばれるようになっており、名称の変化には「脱病理化」の流れがあるという。*3
自民党の一部議員が「性自認」ではなく「性同一性」にこだわった理由として、「性同一性障害ではないトランスジェンダーを排除したい」という思惑があったことについても本の中で触れられているが、「性同一性」にこだわる主張が、脱病理化の流れや、性自認についての世界的な認識の変化とは大きく違っていることがわかる。
このあたりも基礎の基礎だが、勉強になった部分だ。なお、理解増進法案の提出見送りを受けてのEquality Act Japanの記事を以下に付す。本の著者である神谷悠一さんをはじめ、多くの関係者が嘆きの声を上げており、自民党への批判を読むと、提出見送りをした議員らの考え方がどのようなものかがよくわかる。現在、国会では、いわゆる「旧統一教会」の問題が取りざたされているが、性的マイノリティに対する自民党の姿勢についても少なからず影響があったであろうことを考えると、徹底的に検証し、改めて法制度の整備を進めてほしい。
equalityactjapan.org

まとめ

この本のテーマである「思いやり」については、ダイアン・J・グッドマン氏による、社会的公正への「抵抗」についての説明(3章)が分かりやすく、また、ハッとさせられる。

グッドマン氏は「抵抗」について、「偏見とは異なる。偏見とは、ある特定の社会集団についてあらかじめ持っている先入観、思考や信念である。抵抗とはその人の考え方ではなく、多様な考えをどれだけ受け入れられるのかの問題である。偏見をなくすには自分なりの解釈や思い込みを自覚し、検証する必要があるが、そのように自己を深く突きつめて考えようとしない気持ちこそが抵抗なのだ」と説きます。まさに本書が「思いやり」として取り上げてきたことはグッドマン氏の述べる「抵抗」であると言えるでしょう。p98

その後に書かれている通り、大切なのは「差別をしたら、その誤りをその都度反省し、自分なりに検証していくこと」であり、「思いやり」という言葉で、自己検証をさぼってはいけない、ということだろう。
そして、法制度を整備し、少しでも実効性のあるかたちに変更していくことが、結果的に、誰にとっても生活しやすい社会をつくっていく近道である。ということは、政治や選挙の持つ意味は非常に大きい。(もちろん組織内での制度構築も同様に重要である)


今回、概念的な部分と具体的な法制度の部分をバランスよく勉強できたおかげで、(特にSOGI関連については)少しだけ基礎知識レベルがあがった気がする。
今後も定期的に本を読むことで勉強を続けていきたいと思う。

参考(過去日記)

この本のテーマとなっている差別と法制度の話については、以前、『女性のいない民主主義』で勉強した内容とも近い部分がありました。

pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com


また、小説でも「思いやりでは困難を解決できない」というテーマで書かれた本がありました。今回、この本のタイトルにビビビと来たのも、過去の読書の積み重ねゆえかもしれない!

pocari.hatenablog.com

*1:2018年の麻生財務大臣発言「セクハラ罪っていう罪はない」に符号

*2:配偶者や保護者が加害者の性暴力は、現行の法制度が想定する性犯罪の範疇にある

*3:例えば⇒性別不合とは・意味 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD