Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

被害者家族の思いと少年Aの「更生」~奥野修司『心にナイフをしのばせて』

この表紙とタイトルが ずっと以前から気になっていた本。その印象から小説だと思い込んでおり、改めて手に取って初めて、ルポルタージュだと気がついた。
ましてや題材としている事件が自分の生まれる前、1969年の事件に起きた(酒鬼薔薇事件を思い起こさせる)凄惨な事件とは想像もしなかった。
(事件については、Wikipediaを参照→高校生首切り殺人事件 - Wikipedia

そして読み進めるほどに、想像の枠から外れていく不思議な読書体験。


少年のイラストが描かれた表紙とタイトルからは、加害者少年の「心の闇」に迫る内容を想定したが、作者は被害者家族を丹念に取材する。
当時高校1年生の息子・洋君を殺された母親のくに子さんが、事件後数年経ってから喫茶店を開こうとする話。その母に反抗した洋君の妹・みゆきさんが、常に親の言うことに逆らって、進路を決めていった話。
そんな諸々を読んでいると、当初想定していた本の内容と違い過ぎて、自分は何が読みたくてこの本を読んでいるんだっけ?と考えてしまうほどだった。


実際、11章+終章の計12章のほとんどは、殺された少年の母親・くに子さんと、妹・みゆきさん(くに子さんの娘)の一人称で書かれており、その気持ちは直接事件の方には向けられない。ただし、その苦労の源には事件が、洋君の死が常にある。
だから、11章「少年Aの行方」で、加害者少年の現在が取り上げられたときに読者として感じる感情の高ぶりも大きい。あとがきから引用する。

「あいつをめちゃめちゃにしてやりたい」
みゆきさんは、兄を殺したAが弁護士になっていると聞いたとき、ほとばしる憤懣を従妹の明子さんに涙で訴えた。みゆきさんにはめずらしく、半狂乱のようだったという。驚いた明子さんは電話口で必死になだめたが、みゆきさんの興奮はおさまらなかった。
1人の命を奪った少年が、国家から無償の教育を受け、少年院を退院したあとも最高学府にはいって人もうらやむ弁護士になった。一方のわが子を奪われた母親は、今や年金でかろうじてその日暮らしをしている。にもかかわらず、弁護士になったAは慰謝料すら払わず、平然としているのだ。みゆきさんでなくても釈然としない。
「1人の命を奪いながら、国家から無償の教育を受け、知りたいことをいくらでも知ることができ、あったこともなかったことにできて、最高じゃないですか」
みゆきさんは精一杯の皮肉を、涙とともに吐き出した。


11章と文庫版あとがきでは、弁護士になった少年Aとの接触についても触れられ、慰謝料をめぐるやりとりが記載されている。これも被害者家族の立場からすると、本当に胸糞悪い、辛い内容だ。
少年Aの人生は、「更生して社会復帰」という少年法の一種の理想的な姿のようにも映る。自分も教科書的に、厳罰化よりも社会復帰の可能性を増やした方が良いのでは?と思ってきたが、これでは被害者家族が救われなさすぎる。


解説では、テレビでも見かける大澤孝征弁護士が「本書は日本の法廷を変えた画期的な書物」と位置づけ、この本がきっかけとなって、2004年の犯罪被害者等基本法など被害者の立場に立った法制度の仕組みが整ったとしている。

ただ、永遠にクリアできないのかもしれないが、根本的な部分として、作者の以下のような疑問もよくわかる。

ごく単純なことだが、Aが「更生した」といえるのは、少なくとも彼が加賀美君の遺族に「心から詫びた」ときだと思う。「更生」とは、そのとき遺族が加害者のAを許す気持ちになったときにいえる言葉ではないだろうか。

「どこまで謝れば」という話もよく出てくる話であり、交通事故を思い浮かべれば、自分が加害者の立場にいつなるともわからない。それでも、このようなルポルタージュで、被害者家族の事件後の30数年の人生を追体験してしまうと、「その後の人生」の重みを強く感じる。この事件を通じて、少年Aは一件の殺人だけではない、3人の被害者遺族の生活を大きく乱しているのは間違いないのに、それに無頓着に暮らしていいわけがない、と思ってしまう。
一方で、「更生」を信じたい気持ちもある。この本の取材のきっかけとなった酒鬼薔薇事件も含め、加害者がどのようにして罪を償おうとしているのか、被害者遺族はどのようにそれを捉えているのか、については、もっと色々な本を読んでみたいと思った。

参考(少年法改正について)

2014年までの少年法改正については、以下のページが経緯も含めてコンパクトにまとまっていた。20004年成立の犯罪被害者等基本法についても触れられている。
www.nippon.com

2021年の少年法改正については、以下のNHK解説がわかりやすい。
www.nhk.or.jp