Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

戸惑いと感動と~新海誠監督『すずめの戸締まり』


今回、どの程度がオープンになっているのかあまり理解していないが、話題作は徐々にネタバレOK圧が高くなっていくので、早く行っておきたいと思っていた。
結局公開1週後に観たが、観るのを急いだのは公開直後に「震災の映画」ということを聞いたため。「震災」とは…?
その一言以降、それこそ厳重に心の「戸を締め」て、それ以外の情報が入らないようにして映画館に向かった。

以下、実際に観たときに感じたことを列記していく。


物語の始まりは宮崎県。
東北ではなく、しかも十分遠いことに安心する。
その後、緊急地震速報と「みみず」の登場に、そうか、「東日本大震災ではない地震」の話なのだなと改めて安心する。
そして、舞台は愛媛、兵庫へと移り変わっていく。

新幹線で東京に行くあたりで、東北に近付いていくのは嫌だなと思いつつも、どうも東京が地理的に重要なポイントらしいとわかり、作品で扱うのは「これから起きる関東大震災*1なのだとひとまず理解して、気持ちを落ち着ける。


しかし、物語が進み、最後に訪れるべきは「夢で見た場所」であることがわかる。
ここで、ああそうなのか、と。やはりここで東北に行ってしまうのかと観念した。
それ以降は、ちょっと普通のアニメ映画を観ているのとは気の持ちようが全く違う。


福島の帰還困難区域が出てくるにつけ、これは架空の場所ではなく実際の日本を描いている映画なのだと、さらに気を引き締める。
海の見えない巨大防潮堤に「ああ、今はこんな風になっているのか」と思ったタイミングで、車は田んぼに突っ込み自転車での移動に。
ここまで明るい気分にさせてくれてくれた(カーステレオから流れていた)懐メロには感謝しつつクライマックスへ。


自分が泣いてしまったのは、すずめと環が訪れた「以前自宅のあった場所」の風景。


震災直後の2011年の夏に出張で仙台に行った際に、立ち寄った閖上で見た光景が重なったからだ。
仙台在住時にはプールや市場にもたびたび訪れていた、かつての閖上の町だが、津波で大きな被害を受けた結果、家の区画だけが残る状態が連なり、まさに映画で見るのと同じ景色が広がっていた


とにかくこれはとても複雑な気持ちだった。
今自分が泣いているのは、物語の進行とは全く無関係な理由で、むしろ自分の記憶の扉が開いたことが原因。
さらに、こういうアプローチで辛い気持ちになる人が多数いる映画であることが、良いことなのか、悪いことなのか。


しかもその後は、異世界に入ったとはいえ、中での風景は、気仙沼津波火災。ここに至って、住居の上の船は、震災遺構として保存の話もあった大槌(岩手)のものだということが分かる。
東日本大震災の実際の光景が積み重なり、こんなに扉を開いたら、映画自体を「締められない」のではないか、とかなり戸惑った。「後ろ戸」の「戸締まり」が成功したときもスッキリしない気持ちだった。


しかし、その後の、高校生のすずめが12年前のすずめに語りかけるシーンが印象を一変させた。
最後に、主人公が生きる望みを与えられるのは、エヴァンゲリオンのテレビ版の最終回の拍手シーン等も似ているかもしれない。しかし、受け入れてくれるのは未来の自分。
素晴らしい仲間が迎えてくれるのではなく、未来の自分が自分を勇気づけてくれるという構図は、友だちのいない人、家族を失った人、誰にとっても救いになる。

「心配しないで。あなたはちゃんと成長していける」(うろ覚え意訳)
これを言ってほしい、他の人ではなく未来の自分からこれを言ってほしい人たちは、特に若い世代にはたくさんいると思う。ここに新海誠監督の次世代に向けた優しさを感じて、ここは物語に泣かされた。


また、映画を観たあとパンフレットおよび入場者特典の『新海誠本』*2を読むと、監督自身、東日本大震災への強い思い入れがあり、けじめをつけたい気持ちでこの作品を手掛けたということがよくわかった。
その意味でも、改めて新海誠監督の誠実さに触れられたし、日本を代表する監督の作品だからこそ、アニメでこのテーマを扱うことができたのかと思う。


思えば、昨年の朝ドラ『おかえりモネ』も気仙沼を舞台にし、直接的に東日本大震災を扱っていた。しかも「おかえり」「ただいま」の話であり、「いってきます」の本作ともその点で繋がりがある。
あの日から10年が経過し、直接の当事者でない人達にとっては、エンタメ作品で直接扱うことで向き合う時期なのかもしれない。
ただ、繰り返しになるが、当事者に近い場所にいた人たちがどのようにこの作品を捉えるのかはわからない。そういった人の評価も聞き、安心し、もっと好きになれる作品になると良いなと思う。

「場所を悼む」と「ソウルがある」、そして「正しさ」

東日本大震災」が前面に出てくる前に、メインとなっていた「場所を悼む物語」というテーマは、とても良いと思った。特に、今は廃墟となってしまった場所でも、かつては多くの人が言葉を交わし、訪れ、生活していたということは、もっと意識されるべきだと思う。

11/16に発売されたばかりのオリジナル・ラブ『MUSIC, DANCE & LOVE』のラストを飾る「ソウルがある」は、ウクライナへのロシアの軍事侵攻に反対する反戦歌となっている。

ミサイルが落ちたそこには
ソウルがある
ソウルが血を流している
愛が生きている
愛が叫び声を上げている

ロシアの侵略を非難する内容だが、「ソウルがある」という歌詞は、その地名や地図の背後にある人間について想像することを促す歌だ。
『すずめの戸締まり』は、より近い場所で起きたことを想像することを促す。
東日本大震災に限らず、地域の歴史を振り返り、忘れない。
現在進行形の遠い場所のことも、近い場所で過去に起きたことも、そこに暮らす人たちのことを、僕たちは想像することができる。
そういったことが出来ることが人間の強みだろうし、そうして欲しいと思って監督は映画を作ったのだろう。

「観客の何かを変えてしまう力が映画にあるのなら、美しいことや正しいことにその力を使いたい」

映画監督のすべてがこうあってほしい、とは思わないが、こんなことをストレートに言う新海誠監督はいいひとだと思う。そして、日本で一番売れる映画の監督がこういう監督で良かった。
「正しい」「美しい」は、もちろん危うさを持った言葉だが、この「正しさ」というキーワードが主題歌の歌詞にも引き継がれている。

愚かさでいい 醜さでいい 正しさのその先で 君と手を取りたい

毎度ながら作品に絡めた歌詞が上手く、野田洋次郎の才能を感じるが、『君の名は。』『天気の子』と比べても、まさに「正しさ」を探求したような作品だと思った。
多くの観客に監督の思いが伝わると良い。

そのほか

すずめ(岩戸鈴芽)を演じるのは、ドラマ「真犯人フラグ」で見知っていた原菜乃華は全く違和感なし。
(顔で選んでいないか?といつも監督を疑ってしまうが)


それに対して宗像草太を演じた松村北斗SixTONES*3は冒頭シーンが棒読みで不安だったが、以降は慣れる。
しかし「かしこみかしこみ」のシーンは違和感。『来る』の松たか子ですら違和感があったので、神道の言葉(祝詞?)を、通常の台詞から連続的に発声するのは難しいことなのかもしれない。でも、いつも最後は「かしこみかしこみ」だったので、何とかしてほしかった。


キャラクターとしては「椅子」は良かった。予告編では「可愛い?かな」と思っていたダイジン、サダイジンは「とても怖い」という印象になった。ぬいぐるみを買うとしたら「椅子」一択です。

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com

*1:ただ、みみずが出てくるのが丸の内線だったので、え、地下鉄サリン事件?と勘違いして一瞬怯えてしまった

*2:パンフレットより充実している部分が多数あり、これが無料…?

*3:また「これ何て読むんだっけ」「ストーンズ」「えーーーー!読めないよ!」というやり取りを繰り返してしまった。