Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

再読時の感動が深い歴史ミステリ~深緑野分『ベルリンは晴れているか』

1945年7月、ナチス・ドイツの敗戦で米ソ英仏の4カ国統治下におかれたベルリン。ドイツ人少女アウグステの恩人にあたる男が米国製の歯磨き粉に含まれた毒による不審死を遂げる。米国の兵員食堂で働くアウグステは疑いの目を向けられつつ、なぜか陽気な泥棒を道連れに彼の甥に訃報を伝えに旅出つ――。

ざっくり言えば、1945年7月のベルリンを舞台にしたロードノベル。


メインは17歳少女+成人男性のコンビというと『すずめの戸締まり』と似ているが、『すずめの戸締まり』のような長距離ではなく、ベルリン中心部からポツダムのバーベルスベルクまでの30キロを車、地下鉄、歩きを駆使して進む。
1945年7月は、英米ソ3か国の首脳が、まさにポツダムに集まり、ポツダム宣言を出す直前の状況で、ベルリンは英米ソ仏による分割統治が行われている。
17歳の少女アウグステ・ニッケルが旅を共にするのは、あらすじでは「陽気な泥棒」と紹介される元俳優のファイビッシュカフカ(ジギ)。
命を救った恩人クリストフの甥にあたるエーリヒにクリストフの死を告げに行く旅、というそもそもの設定が「?」なところはありつつ、色々な登場人物と出会いながら旅は進む。


ところが全469ページ中300ページを進んでも話の全貌がよくわからず収束が見えないまま、疑問点(特に、による位置の把握)ばかりが増えていく。380ページ目でやっと、エーリヒに辿り着いたと思ったら、そこで大きな発見があるわけではなく、柔らかい展開で、いよいよ「どう締めるんだこの話?」と思った矢先に、絶体絶命のピンチから、急転直下の「犯人は私です」というアウグステの告白。
ロードノベルとしての面白さを重視したここまでと一転して、このあとは、怒涛の伏線回収が始まる。戦争を題材にして、多様な人間たちの人生を描く、純文学寄りの小説だと思っていたら、かなりしっかりした「ミステリ小説」であることが判明して驚く。
すべての謎が、ジギ(カフカ)の手紙の中で次々と明らかになる流れは、詰め込み過ぎと思いつつも、圧巻だった。


ジギ以上に、常にアウグステの近くにいた『エーミールと探偵たち』(英訳版)をラストシーンに持ってくるのも巧い。
そもそもケストナーの本は党の焚書の対象だったと書かれているが、ベルリンにいながら反政府的な言動を止めなかった作家だから当然だろう。政治的要素がほとんどない『エーミールと探偵たち』も閲覧制限があり、なおかつ英訳版ということで、ナチス統治下では所持を許されない本。したがって、これが自分の手に戻ってきたことは、まさに自由が戻ったことを意味する。だからこそ、このラスト。

自由だ。
もうどこにでも行ける。何でも読める。どんな言語でも…
失ったと思っていた光が、ふいにアウグステの心に差した。そしてその光は、今のアウグステには白く、眩しすぎた。


ラストの文章としては違和感がないが、読んだ誰もがアレ?と思う。この「自由だ。」は、物語の始まる前の台詞だからだ。
これは、これまで1945年7月のベルリンの旅の様子を補うように、過去の出来事が「幕間*1として挟まれる構成で進んできたのに、最後が「幕間」で終わってしまう構成による。


読者は、真相が明らかになったあとのアウグステのことが知りたいのに、アウグステのことは描かれない。この小説では「Ⅳ」の最後の台詞が、時系列的には最後のアウグステの言葉となる。

「私はあのことを今までずっと"戦争だったから"と自分に言い聞かせてきた。でもわかったんです」
ドブリギン大尉は興味深そうな目つきで私を見ている。
さっきまで、今日の空がこんなに美しくなければよかったと思っていた。私の心と同じく、雨が降り出しそうな重苦しい曇天であればと。だけどそうじゃない。これで正しかった。晴れていてよかった。
「ベスパールイ下級軍曹…トーリャ。どうか他の人たちにも通訳して伝えてください。大事な話をします。
私はクリストフ・ローレンツを殺しました。(略)
私が直接歯磨き粉に毒を入れて、クリストフ本人に持たせたんです。なぜなら
p403-404


このあと、小説は以下のように締められる。

  • 「幕間Ⅳ」:1940年のベルリンの空襲から1945年7月。クリストフに歯磨き粉を渡す直前まで。(クリストフの死の真相)
  • 「Ⅴ」:ジギからアウグステに向けた手紙(後日談と種明かし)
  • 「幕間Ⅴ」:クリストフに会ってから『エーミールと探偵たち』が戻るまで。物語が始まる直前のエピソード。

つまり、これまで「Ⅰ」~「Ⅳ」までアウグステの一人称で進んできたにもかかわらず、「Ⅴ」はジギの手紙になるため、「Ⅳ」のラストで真相を告白したあとのアウグステの心情が見えない。
このラストは表情が見えない少女が描かれるカバーのイラストと符合する。
ダメ押しで『ベルリンは晴れているか』というタイトルが改めて読者に問いかける。
アウグステの心は晴れているのかと。

再読

初読時にも、アウグステに大きなインパクトを与えたことが読み取れるセリフがいくつかある。

「ええ。私もあなたたち赤軍に辱められました」
大尉はにやりと唇を歪ませ、紫煙を吐いた。
「フロイライン、あなたも苦しんだのでしょう。しかし忘れないで頂きたいのは、これはあなた方ドイツ人がはじめた戦争だということです。”善きドイツ人”? ただの民間人? 関係ありません。まだ『まさかこんな事態になるとは予想しなかった』と言いますか?自分の国が悪に暴走するのを止められなかったのは、あなた方全員の責任です」
この人はあれが私のせいだというのか。ドイツの女性たちは父や兄や弟が他国で人を殺した代償に、凌辱されたのか。p239

このドブリギン大尉の発言は、彼の立場を考えれば詭弁に過ぎないのだが、アウグステにとっては大きい影響を与えたようだ。
勿論、この前後には、ジギの複雑な半生や、レニングラード包囲戦で飢えに苦しんだベスパールイ下級軍曹の話が出て来て、ユダヤ、ドイツ、ロシア(ウクライナ)それぞれの立場で悲惨な出来事があることを理解する。
しかし、ドブリギン大尉の発言を聞く前は、そのような悲惨な出来事は「みんな、戦争が悪いんです」と、戦争を、皆に平等に降り注ぐ「天災」のようなものとして捉えていた。しかし、そうではなく、「戦争を始めた人」がいて、その「責任」の一端が自分にもあるという感覚を強く持つことになる。


その後、もう一つ決め手となったのは、(同性愛者であることでナチス化で苦しんだ)ハンスの発言だ。

私はずっと心にのしかかっている思いを、ふとハンスに訊ねてみたくなった。
「…ハンスなら、憎らしい相手に会ったらどうする?」
(略)
「僕だって、薔薇色の三角形で僕に印をつけて矯正させようとしたあの人たちに、復讐したい気持ちはあるよ。女の子の裸のブロマイドをスライドで見させられたり(略)
もし今だったら、あの時の医者や心理学者たちを殺しても咎められないかも。だってナチスの悪いやつらだからさ」
(略)
「でも僕は臆病だし、正義って何なのかわからなくなった。だからあの人たちが、もうとっくに死んでて、復讐しなくて済めばいいなって思うよ」
(略)
さっきハンスと話してから、私は頭の中で彼の言葉を反芻し続けていた。無視したくても、骨に達するほど深く刺さったナイフのように、容易には抜けない。もし抜いたら血が大量に溢れて、私は死んでしまうだろう。


17歳のアウグステは2件の殺人に携わっている。
赤軍に辱められた直後に、その相手に銃を撃ったのが一件目。
そして、恩人でありながらイーダの死の原因と判明したクリストフに毒入り歯磨き粉を渡した件。
初読時は、読者には後者の事実は伏せられているので、前者の事実を思い浮かべながら読むが、これはミスディレクション(一種の叙述トリック)だ。
ハンスの言葉を聞いた時に思い浮かべていたのは間違いなくクリストフの件だろう。


つまり、この小説は、2件の殺人のうち、特にクリストフの件についてアウグステがどうすべきかを迷いながら最終的な結論に至る話と読むことができる。
だから、初読時は、(ドブリギン大尉から命じられているとはいえ)エーリヒに会いに行く意味がよくわからなかったが、わかった上で再読すると様々な発見がある。


特にエーリヒに会ってからの場面は読みごたえがある。
エーリヒに、クリストフが毒を飲んで死んだということを告げたときの、エーリヒの顔に浮かんだ表情の描写の背後は、アウグステの「自分の行動は正しかった」という安心が見える。その後も以下のように「たどり着いた」「私の役割もこれで終わり」と書いている。

だけど今、私の心をいっぱいにしている感情はただひとつだ。それは共感だった。
やっとたどり着いた。

クリストフの死をエーリヒに伝えられたし、下級軍曹がちゃんと報告してくれれば、エーリヒへの妙な疑いも晴れるだろう。
戦争は終わった。世界は美しい。そして私がやるべき役割も、これで終わりだ。あとひとつを残して。でもそのことは、まだ今は考えたくない。

そしてその後のエーリヒと2人での会話シーン。(この直後にドブリギン大尉がやってきて、本性を現し、最後の告白に繋がる。)

「大変だったでしょう、あのふたりと一緒に歩くのは」
いつの間にか隣に来ていたエーリヒが苦笑して、私もつられて笑ってしまう。
「確かに色々ありました。でも今は、灰色の曇天がやっと晴れた心地でいます」
「僕を見つけて、叔父の訃報を伝えられたから?」
穏やかに言うエーリヒに、私は頷いた。

でのアウグステの台詞から、クリストフの死を伝えることで、すでに彼女の心は(半分)晴れていることがわかる。


彼女が行うべき「もうひとつ」は何かを考えながらアウグステの最後の言葉を読むと、それが丁寧に書かれている。

私はクリストフ・ローレンツを殺しました。毒入りの歯磨き粉を彼に渡したのは、外ならぬ私自身です。誰にも売っていません。人狼なんていないんです。こんな格好をしてまで、エーリヒにどうしても会って伝えたかったのは、彼をおびえさせた人はもうこの世にいないと、安心してほしかったから。そして、告白すべきだったから。
私が直接歯磨き粉に毒を入れて、クリストフ本人に持たせたんです。なぜなら

さらにジギの手紙の内容からアウグステのその後の行動を見ると、彼女が行うべきと考えていた「もうひとつ」は「クリストフを死に至らしめたことを告白し、その罪を償う」ことだった。
彼女の正義感と勇気が、道化者のジギにも影響を与え、ナチスプロパガンダに荷担したことを自首するかどうか悩んでいることが手紙に書かれている。

だったら見なければいい。戦争ってそういうものだから、ひとつひとつ見ていたらきりがないから、誰しもみんなすねに傷があるから、言い出したらきりがないから、見ないし、話さない。俺はそれでいいと思う。だけど君は誤魔化さずに、一歩前に踏み出した。
俺は悩むのが苦手だ。楽な方ばかり選んで生きてきた。勇気なんて持つ必要ない人生を送ってきた。だのに、君に出会ってから、俺は考えたくないことを考え続けている。

物語序盤では、主人公のアウグステが、市街戦の際に赤軍兵から強姦され、直後にライフルで相手を殺したことが語られる。
戦争の中での出来事だったから…。
そう言い聞かせてはきたが、人を殺してしまったことが、彼女の心にずっと重くのしかかっていたのだろう。(クリストフの殺害は直接手を下してはいないにしろ)彼女はこの2件について「償わなければならない」とずっと考えていて、心は雨が降り出しそうな重苦しい曇天だった。 
エーリヒに出会い、彼女の心が晴れるまで、彼女を支えたのはラストシーンでも登場するケストナーの本。この本は自由の象徴であること以上に、英語学習のテキストであり、過去の自分の努力の象徴だった。
先日の『すずめの戸締まり』とも重なるが、自分を救い、勇気づけるのは過去の自分であるということだろう。だからこそ、未来の自分に恥じないよう、誠実に日々を過ごしていく。間違いを犯してもそこに向き合う。
「戦争だから」に逃げないで自分を貫くアウグステのまっすぐな生き方に、こちらも勇気づけられるような作品だった。

これから読む本

2次大戦はこれまでしっかり勉強したことがないので、今回の登場人物であるトーリャことベスパールイ下級軍曹が苦しんだエピソードが語られるレニングラード包囲網の独ソ戦については知りたい。
また、ナチスドイツは、以前『マウス』を読んだことがあったが、改めて、ヒトラー関連の本を、そして今回、登場しないがポツダム宣言の3首脳(チャーチルスターリントルーマン)のうち、スターリンが気になる。アウグステの父親も共産党員で、二次大戦前のドイツでは、ソ連に憧れを抱き、ナチス独ソ不可侵条約を結んだスターリンに幻滅した人がいたようだ。と考えると、やっぱりドイツ、ソ連ウクライナあたりの本、ということで独ソ戦かな。


また、そもそも『ベルリンは晴れているか』は、『ベルリンうわの空』をビブリオバトルで発表した際に、関連本としてお借りしたもの*2だった。その意味では香山哲さんの本を読みたい。この本はかなり面白そうでは…。

*1:「まくま」と呼んでしまったが通常は「まくあい」と読む。確かに。

*2:数年借りっぱなしだったものを、今回お会いする機会があったので、それに合わせて読みました!読んで良かった!ありがとうございました。