Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

淡々と体験談~奥野修司『死者の告白 30人に憑依された女性の記録』


よく聞く「震災の怪談」に興味があった。
それは、残された者がどう心を癒すのか、死者を弔うとはどういうことなのか、という心の問題として、災害とどう向き合うのかについて知りたかったからだ。もちろん、折に触れて災害そのものや被災者の方たちのことを考えたかったということもある。


そこで読んだのがこの本。
この本は、殺人事件で長男を奪われた家族を追ったノンフィクション『心にナイフをしのばせて』を読んで興味を持った奥野修司の著作として知った。今から思えば、同じ奥野修司の作品では、『魂でもいいから、そばにいてー3・11後の霊体験を聞く』の方が、自分が読みたかった内容に即しているはずだが、「憑依」というのが気になり、こちらを読むことにした。

この本では、高村英さんという当時20代の女性が、2012年の1年間に、子どもから大人、そして犬(!)まで30人に憑依された体験が語られている。
高村さんは、小さなころから霊が見える人だったが、コントロールが可能な範囲で問題なく過ごしていた。しかし、2012年5月頃からは、何人もの「他者の声」がいつも頭の中で響くほどで、関わる霊の数も増え、自我を保つのも厳しい状態になり、偶然知った栗原市にある通大寺に金田住職に助けを求める。
次から次へと「わんこそば」のように押し寄せる霊たちは、彼女に憑依してはそれぞれの体験や悩み(多くは自分が死んだことに気がついていない)を語る。その話を聞いた金田住職が説得し、彼らを死者の世界に送る一連の流れを10人程度の事例が記されており、ほとんどの内容が、高村さんの視点、金田住職の視点の双方から語られる。


驚いたのは、この本が、タイトル通り「記録」に徹していて、分析や追加取材が最小限であったことだ。
例えば、そこで語られた内容が、実際にあった出来事や人とリンクしていることが追加取材で分かれば、とても信憑性があるし、いわゆる「怖い話」になる。しかし、そういったことは無い。また、死とは何かについて「深く考えさせられる」ような本になっているとも言えない。

著者の奥野さんも飄々としている。高村英さんの話を疑えば調べるだろうし、信じ込んでしまえばやはり調べるだろうが、調べないと決めている。
どうもその部分は、住職と高村英さん、そして奥野さんは考えが近いようである。
住職は、「除霊」は、霊を鎮めるためではなく、憑依された人(高村さん)を救うために行っていると考えている。
高村さんが自らの体験を取材してほしい(広めてほしい)と考えたのは、自分のように生きづらい(自分は霊的なものではなく、多重人格障害なのではないか等で悩んでいる)人たちに、体験を伝えることが救いにならないかと考えている。
奥野さんは、心霊の存在を信じているわけではないが、2人から同じ出来事について語られる(しかも住職は知人)ということは、少なくとも2人が見て考えた「何か」はあるに違いない。しかし、それを深く追求することは、関係者は誰も望んでいないため、そのままの形で伝えようと考えている。
結果として、「恐怖」にも「感動」にも偏らない、まさに淡々とした体験談が語られる本になっている。


憑依される高村さんの感覚は、とても興味深い。「わんこそば」や「トコロテン」という比喩もあったが、この時期は人の出入りが激しかったようだ。別の箇所では、自分の心を自動車に喩えており、通常時は、ドアを閉め鍵をかけることができていたのに、この時期はドアが全開で鍵もかけられなかったという。この流れからすると、憑依される=体の支配を受け渡すのは、運転席を代わるイメージのようだ。
そして、本の中で何度も繰り返されているが、高村さんは死者に体を奪われる体験はレイプと同じだと言い、あの人(霊)たちは加害者だとさえいう。

理解できないでしょうね。約1年の間に、わたしが嫌がるのもかまわず、30人以上の人(霊)が強引にわたしの体の中に入っては暴れたり怒鳴ったり、この体をよこせ、生き返らせろ、俺は死んでないとか…。わたしの意思を無視して好き勝手をしていました。わたしにすれば、あれはわたしの人権や尊厳を根こそぎ奪う行為でした。p76

また、憑依するときは、死の体験(ほとんどが溺死)から始まって、そこから死者が語りだすような流れになるので、体力的にも非常に辛いようで、だからこそ「あれはわたしの人権や尊厳を根こそぎ奪う行為でした」という発言に繋がるのだろう。
だから、さまざまなタイプの死に方を追体験する中で、高村さんが最も共感したのは、津波の中で浮かぶ建物につかまり奇跡的に助かったにも拘わらず、別の男に足をつかまれて海の底に沈んでしまった大学生。「何で俺なんだ!」と、自分を海に引きずり下ろした男を憎む気持ちが、自分の気持ちそのものだという。


母親を待っていて津波に飲まれた小学生や、目の前で娘二人が流されるのを見て自殺してしまった男性など、「死んでしまった人」の体験談を聞くというのは普通は出来ないので、その点でも非常に興味深い内容になっており、溺れる者の視点での津波は本当に恐ろしかった。
また、住職の、死者の言葉を「傾聴」し、手助けして「物語」にしていくことで死を納得させる、死者との対話(死者との対話なのかどうかは分かりませんと言っているが)の技術も面白い。特殊なカウンセリングだと思っても読める内容になっている。
ただ、(読み返すと前半は、ある程度、追加取材の内容が入っているが)特に後半の、あまりまとめようとせずに、あくまで「告白」を重視する構成には少し面食らった。しかし、少し変わった本だったという感想をもとに『心にナイフをしのばせて』を振り返ると、やはりあの本も普通のノンフィクションと異なり「事実」よりも「語り」や「受け止め」が重視される内容だったように思う。その意味では、奥野さんの特性なのかもしれない。


ということで、今回、ある種、とても変わった本を読んでしまったので、改めて、もう少しストレートなタイプの震災関連の怪談本を探してみたい。