Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

軽く読むべきだった芥川賞候補作~安堂ホセ『ジャクソンひとり』

井戸川射子『この世の喜びよ』、佐藤厚志『荒地の家族』が受賞した第168回芥川賞の候補作が発表になったとき一番気になった作品はこの本のタイトル。
実際に本を見てみると装丁も良く、字も小さい。
これは絶対に自分に合うやつだ!と思って読みだすと、冒頭が既にカッコ良過ぎる。

ココアを混ぜたような肌、ぱっちりしすぎて悪魔じみた目、黒豹みたいな手足の彼は、ベッドに磔にされていた。そのビデオを見てすぐに、ジャクソンはそれが自分だと察した。その時のことは覚えていないし、似ている男なんて世界中に何人もいると思う。だけど、ここは日本で、この外見でこんなふうに扱われるのは、ジャクソンひとり。


ちょうど、荻上チキsessionで特集があったので、ジャクソンに対する 「レイシャル・プロファイリング」 *1がテーマなのかとあたりを付けて読み進めると、予想外にエンタメ方向に話が進みジャクソンが増えていく。

ジャクソンは頭の処理が追いつかない。二人目のジャクソンが現れたと思ったら、さらに二人追加で、ジャクソン四人。もう一人誘ってグループ組む?って冗談でも言おうと思ったけど、雰囲気からすると追加メンバーなのはむしろジャクソンらしかったし、黙っていた。

ジャクソン・ファイブの冗談が出たと思ったら、『君の名は。』に絡めて「俺たちも、入れ替わっちゃう~?」という大作戦の提案が出る。
ひとりかと思ったジャクソンに外見がそっくりの人物が本人含めて4人集まり、入れ替わり作戦を講じる…という、改めて読むと愉快な展開なのだが、このあたりから自分には怪しくなってきた。

というのは、三人称視点で「ジャクソン4人」(ジャクソン、ジェリン、イブキ、エックス)それぞれの内面も描写されるのだが、主人公ジャクソンの心情ごあまり見えないままにどんどん新キャラクターの描写にスライドしていくので、誰が誰だかわからなくなってしまったのだ。

結局、「ジャクソンひとり」なのは冒頭だけで、しかも4人の中でジャクソンが一番感情をあらわにしないタイプなので、話に没入できず行きつ戻りつ読み進め、8割くらいまで行ったところで眠り込んでしまった。(少し深掘りすると、恋愛関係を挟まないゲイ男性4人の関係性が全く読み取れなかったということもあるかもしれない)

個人的に面白かったのは、自分が夢の中で、「ジャクソン4人」が入り混じって感じられることが、現代社会で希薄になるアイデンティティを示している、みたいな総括を勝手にして納得していたこと。


目を覚ましてまだ本を読み終えていないことに気がつく。しかも眠ってしまった少し前の部分に非常に重要な事実が明らかにされているし、アイデンティティ云々は全然無関係じゃないか!と驚いた。(笑)

そもそも、実際に芥川賞をとった『この世の喜びよ』が何も起きないタイプの小説だったので、同じ芥川賞候補の作品にストーリー展開に期待しない、というか想定していなかった。しかし、この小説の特徴は、ラストギリギリまで話が展開すること。ここまでわざわざ展開する必要があるの?というくらいに…。
改めて本の紹介を見ると、Amazonのあらすじはこんな感じ。そうか「芥川賞候補作」としてではなく、こういう内容の本を読むというマインドセットだったらもっと違う印象になったのかも。

着ていたTシャツに隠されたコードから過激な動画が流出し、職場で嫌疑をかけられたジャクソンは3人の男に出会う。痛快な知恵で生き抜く若者たちの鮮烈なる逆襲劇!第59回文藝賞受賞作


読み終えてから安堂ホセのインタビューを読むとどれも面白いし、彼自身がとても魅力的だ。
book.asahi.com
pdmagazine.jp
www.huffingtonpost.jp



中でも面白かったのは島本理生との対談。

www.bookbang.jp


まず、他のインタビュー記事でも必ず触れられているように、この小説をどのようなものとして読んでほしいかという部分。これを読んで「純文学作品なら、何かのテーマを読み取って読まなくちゃ!」という自分の思考の癖が、思いっきり的を外していたのだな、と考え直した。

もともと大学で映画の勉強をしていたこともあって、映画や映像をよく見ていました。Netflixで見られるような海外ドラマが好きでよく見るのですが、ああいう30分くらいの尺で単純に見ててワクワクする面白い展開をつくりたいなと思って。仕事が終わって疲れて家に帰って、みんなで適当に見て楽しめるような、難しく考えすぎないで一気に読んでもらえる小説をつくろうと思いました。

そして、自分が読みにくいと感じた三人称での進行についても言及があった。

ゲイの書き手がゲイの小説を書くときに一人称を使うと、自分の話やエッセイみたいなものと思われて、小説と思ってもらえなかったりすることがあるなと前から思っていました。たとえば悲しい状態を一人称で書くときに、書き手よりも読み手のほうが入り込みすぎちゃうというか。悲しい話で悲しい語り方です、となると読んでいる人からしたらそれは単純にしんどかったり、最初の時点でこの作者は何を訴えたいかを決めつけて、読む気がなくなっちゃうことがあるのかなと思って。

(略)遊びに見えるようにしたかったんです。だから設定も日本だけど片仮名の名前がたくさん出てきて、話のスピードもすごい速くて、コミカルな感じで読んでもらえたら。言い方は悪いんですが、舐めた態度で読んでもらえるようにしたかったんです。いろんな人が出てくるから、一人称でジャクソンがいろんなことを追っていくよりも、読み手と少し距離がある三人称で書いていったほうが話も進めやすいとは思いました。

ほら、やっぱり「この作者は何を訴えたいか」を先回りして読むような読み方は望まれていない(笑)。ただ、「コミカルな感じで読んでもらえたら」の意図はわかるけれど、キャラクターがごっちゃになってしまったのは確か。でもそれも最近の自分が忙し過ぎて疲れていたのかもしれない。

その他、作家になったきっかけが「文藝」の「覚醒するシスターフッド」という特集を読んだことだったり、文学に目覚めたきっかけが川上未映子の詩集だったりと女性作家の影響を大きく受けていることが興味深い。

タランティーノ映画の話などの雑談や、文藝賞の選考委員としての島本理生角田光代の話も面白いし、豊作の対談だった。


ということで、インタビュー記事や対談はどれも面白いのだけど、巧く読み取れない部分があったのは自分の体調と読解力が理由かもしれない。
島本理生との対談の中で執筆中とされている次作は体調の良いときに読もう!

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com