Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

文章からも挿絵からもカヨへの愛が溢れる~内澤旬子『カヨと私』

この本には下心(邪念)があって読み始めた。

内澤旬子さんの著作で読んだことがあるのは『飼い喰い』という、三匹の豚と半年間一緒に暮らしたあとで食べてしまう実話。その人がヤギと暮らす、その距離感に興味があった。
ちょうど『ヤギと大吾』と言うテレビ番組*1もあるし、「リアリティ番組」風な、「突撃取材」風な、それでいてテレビとは違って自己言及、自己分析が多めなエンタメノンフを予想していた。


さらに言えば、(この本を読んでいて気付いたが)ここで書かれている時期は、もしかしたら『ストーカーとの七〇〇日戦争』の時期と重なるのではないだろうか。本は2部構成で、第二部は「突然、海の見える家をでて引っ越ししなければならなくなった。」から始まるが、その理由が書かれていない…。


というように、色々と「邪念」含みで読み始めた本だったのだが、その「邪念」を吹っ飛ばすほどに「良い本」だった。

読んで感じる愛と信頼

予想と大きく違っていたのは、ヤギに対する視点だ。
もう少し「観察」寄りかと思っていたところが、完全にヤギと同じ目線で、飼っているというより、パートナーとしてヤギを見ている。特に何匹も登場するヤギの中で一番年長のカヨに対しての、愛情と言うより「信頼感」が強く感じられる。


一緒に暮らし始めたのはカヨ1匹なのだが、その後、カヨの4度にわたる出産もあり、ヤギは増えていく。本のタイトルから、「カヨ(1匹)と暮らした3年間」みたいな話なのかと思ったら、実際には、最初の出産で生まれたチャメとタメ、次に生まれた金角、銀角、次に生まれてすぐに引き取られた2匹、さらに最後に生まれた雫、一時期同居していたまさお、とかなり賑やかだ。


この、妊娠、出産にかかわる話こそが、この本の一番の核となっている。
例えば、初産の前、発情期で騒がしいカヨをどうすればいいか考えているときは、死まで思いを巡らせる。

カヨがもし死んでしまったら、どうしよう。 妊娠から出産までのことを調べていると、死んでしまう可能性に突き当たる。 大丈夫だと思いつつ、不安でしかたがない。
こんなに美しい生き物が、この世からいなくなるなんて、考えたくないけれど、たぶん私が生きている間に、カヨは私よりもずっと早く老いて、走り去ってゆくのだろう。
p66

この章のタイトルは「食べる是非」。カヨを食べることは考えていないが、以前育てた豚と比較しながら、死をどう捉えるかについて具体的に考えている。


また、乳腺炎にならないように搾乳を試みる場面では、カヨは怒って角を立てて抵抗する。
抵抗され、カヨにお願いして「許される」(もしくは許されない)。
逆に、カヨがお願いしてきて、それを許す(もしくは許さない)。
この流れ、すなわちカヨとの「対話」が本の中では何度も登場する。

それでも毎日搾り続けていると、カヨも搾れば乳房の張りがとれることがわかってきたのか、すこしずつではあるけれど、「搾らせてあげる」時間ができてきた。 一分が二分に、そして五分。
(略)
ああ、たぶんこれなんだ。馬に乗る人たちが、味わうという幸福。 彼らが私たちのために分けてくれる。許してくれる。私たちが一方的に操り、支配し、利用するのではなくて、家畜たちが、許してくれるからこそ、乳を搾ったり、背に乗って走らせたりできるのだ。私たちは、動物に許されて、譲られて、勝手をしている。 「使役」なんておこがましい。
カヨ、分けてくれて、教えてくれて、ありがとう。
p105


雫を生んだあとにも、発情期*2になると「雄ヤギのいるところに軽トラに乗せて連れてってくれ」とお願いをするカヨに対して、内澤さんは、その願いには応えられないと告げる。

ごめんね、カヨ。おまえが欲しいもの、したいこと、本当は全部かなえてあげたかった。心地よく楽しく暮らしてほしい。でも、この先も休みなく妊娠して出産し続けたら、間違いなくおまえの寿命は縮まってしまう。それが私には耐えられないんだよ。
私の、人間側の都合なのかもしれない。私たちは自分にも一緒に時間を過ごす相手にも、どうしても健康と長寿を欲してしまう。 もしかしたらカヨは発情しているのに交尾できないことのほうが辛いのかもしれないのに。
p230

このあたり、ある程度「当然」で済ませてしまうような(避妊や去勢をめぐる)話題にも、ヤギの目線で悩むのが内澤さんらしい。
坂東眞砂子の「子猫殺し」事件*3についても、事件当時は動物を飼っていなかったが「複雑な気持ちになった。たしかに私たちは動物の性欲をあまりにも簡単に取り上げがちだと気づいた」(p202)としている。


そういった、カヨや、そのほかのヤギ達への思いが詰まっているのが、何といっても、内澤さん自身による挿絵だ。最初に出会ったときから「美しい」「愛らしい」と描写する内澤さんのカヨへの思いは、その丁寧な描線に込められていると感じる。

上は、一緒に暮らし始めた頃に、食べる草を選り好みして、椿の花を美味しそうに食べるカヨ。
表紙、背表紙を含めて何十点もあるイラストすべてが、それだけで文章の何倍もの情報量を持っている。
是非、実際に本を手に取ってパラパラとめくってほしい本だと思う。

まとめ

この本を読む前に、多和田葉子『献灯使』を読んでいた。SF的設定、そして言葉遊びに近い表現や、登場人物たちの考え方には、「面白い」と感じる一方で、「震災後文学の頂点」などと評されると読み解きが必要で面倒な文章と思ってしまったことも確かだ。

それに比べてこの本はシンプル。

大きなメッセージはないが、言葉以上にイラストからカヨへの思いが伝わってくるようで、内澤さんの思いを辿りながら、あっという間に読んでしまった。

生きること、食べること、育てること。この本のテーマは、リアリティ番組のように消費されるものではなく、誰もがこれまで考え、これからも考えていく題材だ。

飼い喰い』のときにも感じていたはずの、内澤旬子さんの愛情や情熱は、読後に忘れてしまい、何となく「単なる面白エンタメノンフ作家」として覚えてしまっていたが、他の作品をぜひとも追ってみたい作家になりました。

次は、やはりストーカー本と、小豆島の話を読んでみたい。小豆島も行ってみたいなあ。

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com

*1:千鳥の大吾がヤギと旅する内容?→https://www.tv-tokyo.co.jp/yagitodaigo/

*2:種類によるが、カヨの種類は21日ごとに発情期が訪れる

*3:これについて本が出ていることを知った→https://www.amazon.co.jp/dp/4902465159