Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

2つのパープルと苦手意識~映画『カラーパープル』×大河ドラマ『光る君へ』

カラーパープル』は公開初日に観たのだが、鑑賞前に、映画.comでの感想を流し見して「誰にも共感できなかった」と書いている人がいるのを目にした。黒人差別という、構造的にはわかりやすいはずの問題を扱っていて「共感できない」ということがあるのだろうか、と、そのときは思った。

大河ドラマ『光る君へ』

この前の土曜日に、NHKの土曜昼の番組「土スタ」を見た。
大河ドラマ『光る君へ』で紫式部を演じる吉高由里子がゲスト。番組進行役の近藤春奈とは十年来の親友ということで、とてもリラックスした雰囲気でいつも以上に楽しい回だった。ちなみに吉高由里子紫式部につけたニックネームが「パープルちゃん」ということで、『カラーパープル』と『光る君へ』は繋がっている。


数年前からドラマは毎シーズン1つか2つくらいは見ていて、吉高由里子主演ドラマだと、最近の『最愛』(2021年)も『星降る夜に』(2023年)は、ちょうど見ていた。
ドラマを見るたびに思うのだが、自分にとって吉高の一番のチャームポイントは声と喋り方だ。
声質がべたっとしていることもあり、少しずれると、「ものすごく下手」「あざとい」となりかねないが、絶妙なバランスで、幼さと落ち着きの両方を兼ね備えていて、聴き入ってしまう。
これに加えて、いたずら好きそうな仕草・笑い方も、確かな魅力だと思う。


今回、紫式部の思い人という立ち位置の藤原道長役の柄本佑も、誠実性が前面に出た演技が魅力で『光る君へ』は、主演2人を見るためにも見続けるだろうと思う。
なお、柄本佑を見ると、どうしても弟の柄本時生と比べてしまうが、今回も柄本時生だったら、全く違った道長になるだろうし、そもそも道長役には向いていない…等と思いを巡らせる。


このように、邦画作品は、ドラマや映画を見れば見るほど情報量が蓄積して楽しみが増していく。さらに、出演作品や交友関係など、言葉で表現される情報ではなく、その表情などから読み取れる情報についても、海外ドラマ・映画に比べて段違いに多い。

  • どういうタイプ(顔、声)が世間的に人気があるかを知りつつも、自分は、そこからズレる、こういうタイプが好きだ
  • 普通は、この役には、こんなタイプ(顔や演技)が選ばれるから、この配役は失敗している

など、初見の俳優であっても解像度の高い受け取りと消化が可能だ。(もちろん反対に、自分の決めた枠の中で、常に作品を見てしまう、という弊害もあるかもしれないが。)

カラーパープル』序盤の印象

さて、話を戻すと、映画『カラーパープル』に出演しているのは、日本人ではない。
それどころか、出演はほとんどが(自分としてはあまり見慣れない)黒人*1俳優。
そうすると何が起こるかと言えば、『光る君へ』を見ていたときにあれほど高解像度だった脳内カメラの精度は一気に落ちて、年齢どころか、人の区別がつかなくなる。表情から思考を辿ることができなくなる。そもそも、髪型もカッコいいかどうか判断がつかない。
字幕を追っているだけで、すでに物語を一歩引いたところから見ているのに、さらに2歩3歩と後ろに下がってしまう。
この状態では、『光る君へ』を見ている時のような、キャラクターを多角的に楽しみ方はできなくなる。
そうか。
今気がついたが、こういうキャスティングの映画に、自分は苦手意識を持っているのかもしれない。


実際、出だしは少し混乱したこともあり、冒頭に挙げた「誰にも共感できなかった」という誰かの感想は、(当人がどういう意味でそう書いたのか不明だが)十分に起こりうることだと感じた。実は、TOHOシネマズ新宿で観た『カラーパープル』は初日でガラガラだったのは、同じように苦手意識を持つ人が多いからなのかもしれない。
自分事ながら少し面白いと感じてしまったのは、同じ黒人俳優でもスクイーク(メリー・アグネス)を演じたガブリエラ・ウィルソン(“H.E.R.")は、とても日本人的な顔立ちなので、少し安心感があるということ。
それと対照的なのがハリー・ベイリー。彼女の顔立ちは独特過ぎるので、人を惹きつけるが不安にさせる。『リトル・マーメイド』を酷評する人がいることも、今回実感として分かってしまった気がする。


つまり、人は見慣れた顔に安心感と好感情を抱き、
反対に、見慣れない顔には、不安と嫌悪を抱き、いつしかそれが苦手意識につながるのだろう。

しかし、今回、映画を観終えてみると、ポスターに出ている主演3人の表情はある程度読み取れるようになったし、一番の悪役であるダメ夫「ミスター」の心の動きも掴めてきた。
こういう風にして、映画一作品見通すだけでも、自分の中で作品の受け取り方に大きな差が出るのは面白い。
カラーパープル』を2度目に見るときは、今回感じた序盤のつまずきは確実に感じないだろうし、もっと共感しながら物語を楽しめるはずだ。
とすれば、映画に限らず色んなタイプの作品に触れることが、人生の楽しみを増やしてくれるのかもしれない。(もちろんリアルに色んな人と会い、話をすることがさらに重要なのだろう)

良かったところ

良かったところは圧倒的に歌。
今もサントラを聞きながらこれを書いている。
ちょうど、映画を観た日の朝に藤田和日郎が「ミュージカルは何でセリフを歌うんだろう?」という長年の疑問に、劇団四季の「ゴースト&レディ」の演出家スコット・シュワルツが答えてくれたというツイートを読んでいたので、「言葉にできないから歌う」を観に行って、まさにそれを実感した感じだ。


特にソフィア(ダニエル・ブルックス:ポスター真ん中)が、怒りを歌にするシーン(曲はHell No!)が良い。それまでも感情をむき出しにしていたが、歌にすることで、さらにギアがトップに入る。彼女が、理不尽に夫に怒鳴り家を出るところは感情移入しにくいし、収監されて意気消沈するところは、下げ度合いが強過ぎて、そこも含めて最も「共感しにくい」キャラクターという面はあるが、歌の巧さは、皆うまい役者陣の中でもトップではないか。(なお、ちょっとハナコ岡部に見えるときがある)

またディーバ役であるシュグ。最初に見たときは、あまり華のない見た目と感じていたが、歌い出すと一気に魅力が全開になるし、主役セリ―を演じるファンテイジア・バリーノもシュグと歌うシーン(What About Love?)や、お店を開いてからのシーン(Miss Celie's Pants)は、やっぱり歌が上手くて驚くし、歌でなければ表現できないと感じた。

パンフレット

カラーパープル』は、アリス・ウォーカーが1982年に発表した小説をもとにして1985年にスピルバーグが一度映画化している。その後、2005年にスコット・サンダースがブロードウェイ・ミュージカルにし、2015年にリバイバル公演。セリーやソフィアなど、舞台版の役者も引き連れた形で、新鋭ブリッツ・バザウーレの手によって2度目の映画化がなされた。
このあたりの情報がパンフレットに記載されているが、そのパンフレットの俳優インタビューで、それぞれが物語について深い解釈を持って演じていることがわかり驚く。(もちろん翻訳・編集の間でかなり手が入っている可能性もあるが。)
例えば、シュグ役のタラジ・P・ヘンソン

  • シュグとミスターの関係性をどう思いますか?
  • シュグとセリーについては?

など登場人物の関係性についての質問に、理路整然と自らの解釈を語っていく。
他の俳優も同じタイプの質問について同様に答えているが、セリーの回答の的確さもなかなかのものがある。

セリーの「姉妹たち」の存在について教えてください。


シュグ・エイブリー(タラジ・P・ヘンソン)、ソフィア (ダニエル・ブルックス)、そして最後にはスクイーク(ガブリエラ・ウィルソン “H.E.R.")も、全員が何かに気づきます。自分たちの強さに気づき、自分たちが何か偉大なことを成し遂げるために、この地球上に生まれたのだということに気づいたんです。
当時は、女性たちにとって今よりもはるかに大変な時代でした。だから、シュグが町にやってきた時、セリーたちは、「彼女は誰? 彼女が物事を進めている。彼女がボスで、誰にも指図されていない。彼女は誰の世話もしていない」って思うんです。
シュグは新風を吹き込んだ存在です。とくにセリーが自分の足で立ち、ステップアップするために必要としていた、あと一押しが彼女だったのではないかと私は思います。
それまでのセリーには自分の意見がありませんでした。セリーが自分たち女性にはものすごいパワーがあるんだということを理解するために必要としていたのは、シュグとの出会いだけでした。シュグとソフィアが自分のために立ち上がっているのを見て、セリーも最終的にミスターに立ち向かうことができるんです。


また、(スピルバーグ版ではソフィアを演じた)オプラ・ウィンフリーの言葉も素晴らしい。

製作のオプラ・ウィンフリーは固く信じている。
「この物語が長年生きながらえている理由は、辛い経験をしたり、透明人間になってしまった気がしたり、誰の目にも映っていないし大切にもされていないと感じたりしたことのあるすべての女性や男性にとって、これこそ、自分という人間になれる物語、自分自身になれる物語、他者の姿から反映される形での自己発見という素晴らしい体験を味わえる物語だからです。
セリーにとっての他者は、別の道があるということを教えてくれたシュグ・エイブリーでした。他の生き方があると。私たちが世界に向けて再びリリースすることで、この物語は引き続き生き残っていきます。」

テーマから何からオプラ・ウィンフリーの言葉に全部書いてある!
と、何度も噛み締めるように読む。


こうやって、俳優陣や製作陣の声を拾っていくだけでも作品のことが好きになるし、人間として親しみが湧いて来る。また、映画とは異なり、そもそもこの映画の核となる「音楽」は見た目と無関係に好きになることが圧倒的に多いアートだ。
そうすると、見た目で苦手意識を持っていた自分は勿体ないなあ、と改めて思った。
繰り返しになるが、映画は手軽に色々な文化、人種、民族に触れることができるメディアでもあるので、自分の知らない世界を扱った作品にこそもっと触れていきたい。

*1:あれ?「黒人」という呼称はOKなのか?と思って少し調べたが、厳密なルールがあるわけではないようだ。今回はパンフレットの表記が「黒人」で統一されていたので、それに倣った部分もある。こういった「呼称問題」はもっと勉強しておきたい→「アフリカ系アメリカ人」「黒人」、どちらが正しい呼び方?|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト日本人は「黒人」の定義をおそらく誤解している 安易にレッテル貼ることの影響を考えているか | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン