Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

「羅生門」形式 or not ~『悪なき殺人』×朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』

ドミニク・モル監督『悪なき殺人』

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とても見ごたえのある映画で、大満足だった。
この映画は、同一の事件を 、 登場人物それぞれ別の視点から描くことで、事実が明らかになっていく「羅生門」スタイルを取る。同一事件を語るので、時系列は行ったり来たりするが、あまり混乱もせずに伏線が回収されていく、その構成が見事過ぎて「傑作!」と言いたくもなる。

が、これが、フランスのみを舞台にしていたら、これほど「大満足」な作品ではなかっただろう。自分がこの作品を好きなのは、やはりもう一つの舞台であるコートジボワールにある。

監督もそれを意識しているのであろう。冒頭のシーンはコートジボワールの喧騒の街アビジャンから始まる。しかし、最初の1~3章「アリス」「ジョゼフ」「マリオン」はあくまでフランスが舞台で、「いつになったらアビジャンの街に戻るのか」と観客は焦らされる。
ラストとなる4章目でやっとアビジャンの街に移るのだが、そこでの映像がドキュメンタリー風なのも良いアクセントになっている。

ネタバレは後半に回すが、『悪なき殺人』は、舞台がフランスとコートジボワールと大きく離れた場所にあるのに、「羅生門」形式が成立してしまうという意味でも面白い作品だった。

朝井リョウ桐島、部活やめるってよ

朝井リョウの著作をよく読む人にとっては「今さら?」という話だが、これまで読んだ朝井リョウ作品は、すべて複数の登場人物の視点で同じ時期の出来事を語るスタイルが取られ、これは『悪なき殺人』と似ている。

しかし、これが「羅生門」スタイルなのか、と言えば、それは違うということになる。
朝井リョウの複数主人公形式は、叙述方法のトリックによって、真実を徐々に浮かび上がらせる効果をそこまで狙っていないからだ。
彼の作品は、「真実」や「伏線回収」よりも、「人それぞれで見ているもの、考えていることが違う」ことそのものに重きが置かれる。
そして『桐島、部活やめるってよ』の最大の特徴である「桐島が出ない」ことも、「桐島は桐島で別のことを考えていた」という結論に辿り着くように書かれている。
つまり、真実というゴールが一つあり、そのかけらをそれぞれが持っているのではなく、誰もが別々のゴールに向けて生きていることが描かれる。


だから、作者の分身なのかもしれない菊池に少しだけ重きが置かれていても、彼がメインということではなく、6人(文庫では7人)は対等に書かれているように感じる。
読む前は、スクールカーストが描かれているというイメージがあったが、例えばスクールカースト上位者を悪者に仕立て上げ、下位者が救われるというような話には全くならない。誰もが17歳の人生を悩んでいる。


文庫版解説は、映画版を監督した吉田大八。名解説から、この小説の驚きのポイントを引用する。

当時19歳の作者が同世代の気持ちをここまで徹底的に対象化、描写し得たことには素直に驚く。その頃の自分の余裕の無さなんか思い出して、さらに。もちろん「気持ち」を意識しない訳じゃないんだけど、それをほぼリアルタイムで精細に出力するパワーとコントロールのバランスが絶妙。

大人になってから(安全圏に逃げ切ってから)、ある程度の余裕をもって振り返るのとは訳がちがう。美化された回想でも、現場からの荒々しいレポートでもなく、ギリギリの距離感で触れたか触れないか、そんな生々しさ。そりゃ第二十二回小説すばる新人賞くらい獲って当然、だったのかもしれない。


まさにその通りで、19歳でこれを!というのは衝撃だった。
作中で頻繁に、チャットモンチーRADWIMPS、『ジョゼと虎と魚たち』や『百万円と苦虫女』…etc、具体的な音楽、映画のアーティスト名、作品名が出てくるところは、最初はあざとい感じもしたが、吉田監督の書くような「ギリギリの距離感で触れたか触れないか」のバランスが絶妙で、もはや、取り上げる音楽や映画よりも、「そんな音楽が好きな彼ら一人一人」の方に思いが向かう。作者の狙い通りに、自分はこの小説を読んでいるな、と、してやられた気持ちになりながら楽しくなる。


文庫解説は以下のような文章で終わる。『正欲』という作品を読むと、吉田監督の期待通りの作家に、朝井リョウはなっているのだと思う。

もしこの先世界がもっと深い闇に迷うことがあったとしても、微かな「ひかり」をすくい上げる朝井さんの感覚は、ますます研ぎ澄まされていくに違いない。
それが学校の外へと向けられたとき、僕らが感じるのは救いだろうか。それとも徹底的に救いの無い何か、だろうか?
個人的には、後者にも期待している。

映画版も見返したい。


『悪なき殺人』ネタバレ

この映画の面白いのは、やはり第4章だ。
アリスが主人公の第1章「アリス」が終わり、そこに出てきたジョゼフが主人公の第2章「ジョゼフ」が始まる。
第3章は「マリオン」だが、冒頭からそれまでに出てきていなかった女の子が登場し、彼女がマリオンだとわかる。そしてこの3章では、アリスの夫ミシェルが、それまで何の接点もなかったマリオンに接触を図る謎展開で終わる。
普通に考えれば第4章は「ミシェル」のはずなのに4章タイトルとして、突如「アマンディーヌ」という聞きなれない名前が初登場。そして舞台はアビジャンに飛ぶ。


章の名前と舞台が一気に飛んで、カメラは、街の不良グループが「ロマンス詐欺」を働く現場を映す。観客は、3章ラストの謎展開までの流れが一気に理解できるので、アマンディーヌという架空少女になりすましたアルマンとミシェルのチャットのやり取りが面白くてたまらない。画面を眺めてニヤニヤするミシェルの名演も素晴らしく、この時点で5億点だ。

さらに楽しいのは、本当に不良にしか見えないアルマン(実際、本当に不良をスカウト…)が、ミシェルから振り込まれたお金でクラブでパーティを開き、DJから「将軍」とはやし立てられるシーン。アビジャンでの映像はドキュメンタリーっぽい撮影になっているのも併せて最高に上がる映像。


パンフレットを見ると国をまたいだロマンス詐欺は、広く行われていており、コートジボワールでは、詐欺先進国のナイジェリアとガーナから手口を学び、フランス、ベルギー、カナダのケベックのフランス語圏をターゲットにしているという。
日本では言語の壁からあまり問題になることは無かったが、最近は変わってきているというので要注意。

そんな中、日本語を話す中国語圏のロマンス詐欺師が、日本人男性をカモにするケースが増えています。中国語話者は漢字がわかるので、日本語の習得が容易です。そして、このパターンの主流は、ロマンス詐欺とFX投資詐欺を融合させたハイブリッド型です。恋愛関係を構築した後、FX投資させ、投資金を詐取します。

実際、好きになった相手が実在しないと知ったら大ショックだろう。スクリーンの中に映るミシェルは馬鹿な男だが、詐欺によって受けた金額以外の打撃は計り知れない。


なお、英題は『Only the Animals』、邦題は『悪なき殺人』で、どちらもピンと来ないし、あとから思い出せないタイトルだと思う。邦題のつけ方によっては大傑作になっていたのでは?と思うと、ちょっと残念だ。