Yondaful Days!

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「逃げちゃだめだ!」ではなく~千早茜『ひきなみ』


この感じ!この感じだよ!小説を読んでる感じは!そう思う読書だった。

これまでずっと自分にとって「面白い」のは、どういう本だろうというのが読書のテーマで、今もそれは変わらないが、今年初めの「フィクションが社会に与える影響」論争(後述)を受けて、小説家は何を考えて作品を書いているのか、という部分も気になってきた。角川のホームページにあった『ひきなみ』のインタビュー記事は、その興味に十分応えてくれる内容だったので、今回、これを長く引用する。

kadobun.jp


インタビューの中で特に興味深く感じたのは、千早茜さんが、登場人物の行動や心理について「~だと思う」と友人の話のように答えるだけでなく、自作を「読み返して胸が痛くなりました」と言う部分。そうか、そこまで作家の手を離れるのか、と思ったが、もっと直接的に書いてある部分があった。

――「陸」の部は、「海」から約二十年後です。葉は入社十年の会社員で、観劇が趣味。SNSに載せている感想にはいいねもつきます。真以は、いわゆる職人の世界で生きていて、それがとっかかりとなり、葉と真以は思いがけない再会を果たします。しかし、すんなり打ち解け合ったりしません。特に、葉は子ども時代同様、真以の本心をつかみかね、悩むこともありますね。

千早:ふたりがもっと腹を割り合ったらどうか、とは担当さんからも指摘されたんです。私自身も、まどろっこしいな、「寂しかったよ」とか素直に言うシーンがあってもいいよねと思うんですが、ふたりは思うようには動いてくれないんです。『さんかく』という三角関係を描いた作品でもそうでしたね。じれったいと思いつつ、自分の好きなようにはできない。書いているときは、何よりも整合性を優先しています。こういう人物はこの程度では態度を変えないとわかっているので、そこまでのプロセスがきちんと踏めていないとどんなに筋を進めたくても動いてはくれない。つくづく自分は創作物の奴隷で、書くもののいいなりにしかなれないのだなと思います。

葉と真以が、心を通わせていない雰囲気は、前半の小学生時代もだが、後半の再会後は本当にもどかしく思っていた。が、作者自身が「まどろっこしいな」と考えているのでは仕方がない。インタビューでは、2人の関係性についても「言葉にしにくい関係性」を大事にしたいという言い方をしており、これも本を読んだ印象と近い。

――関係性の物語を多く書いていらっしゃいますね。本作でも、葉と真以の間にあるのは友情だと言い切れないというか。

千早:我ながら、しつこいくらい関係性の物語ばかり書いていますね。ありとあらゆる関係性を、許される限りそればかり書いていたいと思っているくらいです(笑)。女同士の友情や、シスターフッド(連帯)の物語が流行っていますが、私は言葉がつけられてしまった関係にはそれほど興味がないんです。むしろ、同志でも友だちでもない、言葉にしにくい関係性を見つめていきたいのかも。


インタビューでは終わらせ方やメッセージについても話が及んでおり、ここも興味深い。

――この作品でどんなエンディングにするか、あらかじめ決めていらっしゃいましたか。

千早:小説として、最後くらいすっきりしたオチとか、苦しんでいるひとのための解決策とか、明示できるならやってみたいとは思うんですけれど、難しくて。ハラスメントは労働基準監督署に訴えたほうがいいよというのがいちばんの正論だとしても、正論が鬱陶しいとか、正論だけではどうにもならないとか、そういうときもありますよね。「海」の部で葉が真以の母親のストリップを一緒に見に行ったときの帰りに「きれいだったね」と言うんですよね。そういう邪気のないやりとりの方が気持ちを楽にさせてあげられるときもある。いえ、そういう向き合い方しかないんじゃないかとも思ったりしました。

読み終えた後、改めてポイントを読み返してみた。
確かに、最後はハラスメントの解決策の話に収束しており、ある意味ではスッキリする終わり方になっている。しかし、苦しいところからどう抜け出すかという以上に、苦しんでいる人にどう手を差し伸べられるか、と言う部分がもう一つのテーマとなっている。

葉は真以を助けたかった。
長野くんは同期女子を助けたかった。葉も助けようとした。
真以は「お兄さん」を助けたかった。
平蔵おじいさんは奥さん(真以の祖母)を助けたかった。


一方で、皆が逃げたかった。
それについても語られているが、口数の少ない真以が葉に畳みかける終盤のシーンの圧が凄い。

「わたしはずっと自分が女であることが嫌だった。(略)
葉の言う通り、逃げたい気持ちはずっとあったよ。でも」(略)
「別に逃げなくても良かった」(略)
「人の目を変えるのは難しい。みんな、見たいように見る。児玉健治とのことでもよくわかった。わたしと彼が思う真実も違うみたいだ。逃げるってことは、自分じゃない人間の見方を拒絶しているようで、受け入れてしまっている。逃げて選んだものは選ばせられたものだから」(略)
「手を動かすのはいい」(略)
「手でなにかを作るっていうのは、ひとつひとつの工程を順番に進めなきゃいけなくて、ひとつも飛ばすことはできない。逃げることはできないんだってわかる。手を動かして、自分がきれいだと思うかたちを作っているときは、逃げて選んでいるかたちはひとつもない」(略)
「わたしの作品を見て、誰かが『女らしい』と言ったとしても、それについてわたしはもう肯定も否定もしない。その人の見ている世界はわたしの世界とは関係ないから」(略)
「偏見や悪意には抗うけれど、そのためにわたしがわたしの性別を拒絶することは違う」p245-246

つまり真以は「逃げない」ことが重要なんだと説く。葉は、それをそのまま受け入れられない。

私は梶原部長の嫌がらせを拒絶することも無視することも笑い流すこともできない。どう捉えて、どう対処したらいいのか、答えがみつからないままだ。
「闘わなきゃいけないのかな…なんで、私なんだろ…」

これに対する回答は難しいと思う。
ちなみにお節介な後輩の長野くんの回答は、「闘うべき。敵を傷つけることを第一に考えて」というところだろうか。
真以の答えはこうだ。

「闘わなくていいよ」(略)
「闘えなんて、誰かに言うのも暴力だよ。聞かなくていい。女性の代表になんてならなくていい。どうにかしようと思われなくていい。自分を変えようとしなくていいよ。間違っているのは相手なんだから」
「じゃあ、どうしたら…」
葉は葉のやり方で、生きて

これを受けた葉の行動は「闘って」いるようにも見えるし、「解決策」になっていないようにも見える。
でも、長野くんとのやり取りから、真以のアドバイスと整合した答えを葉は自ら見出していることがわかる。

「思う壺じゃないですか」と長野くんは溜息をついた。「あんなクソに正攻法で歯向かうっていうんなら、ただの馬鹿ですよ」
「そうだね」と頷く。それでも、いままでの私は梶原部長の目を見返すことすらしなかった。俯き、過ぎるのを待っていた。その状態よりはずっと生きている気がする。もう目を逸らすのはやめる。p257

「葉のやり方で生きて」という曖昧な言葉の意味の補助線は、和紙職人となった真以のセリフの中にもあった。
「手を動かして、自分がきれいだと思うかたちを作っているときは、逃げて選んでいるかたちはひとつもない」。
長野くんのネット頼みの「炎上計画」は、自分の手を動かして、自分がきれいだと思うかたちを作る方法とは最も離れたもので、小説の構造的には、長野くんのアドバイスの対比があるからこそ、真以の言葉が効果的に響く。


いや、すべてにおいて、それが言える。平蔵が「逃げたかったもの」「助けたかったもの」が戦争や、呉の特殊慰安施設に関連する重い内容であることから個々人の問題と、社会全体の問題が関係していることも示唆されているので、読者も大きなものと向き合わざるを得ない。
とにかく用意周到で精緻なつくりの小説だと感じた。そんな小説への感想・批評に対しても、「わたしの作品を見て、誰かが『女らしい』と言ったとしても、それについてわたしはもう肯定も否定もしない。その人の見ている世界はわたしの世界とは関係ないから」と真以に先回りして言わせているように見える。


インタビューの終わりでは、「私自身にそんなにメッセージがあるわけではない」と言っているけれど、記事の中で述べられている小学生のときにザンビアから帰国した時に感じた日本の閉鎖的な学校空間の話を読めば、「モノ申したい!」という気持ちは伝わってくる。一方で、作者本人が読み返して作品のテーマを推定する形にはなっているが、「たくさんの道が作られていけば、この先の社会も変わるのでは」という願いをタイトルに込めていることも分かる。

――ところで、タイトルにもなった「ひきなみ」というのは、船が起こす白波、航路の跡のことだそうですね。

千早:島も島に暮らす人も、海に囲まれているから閉ざされているように見えますが、海の上に船がつける道があると思えば閉ざされていないとも言えます。私は、この作品を読み返してみて、見えないところに道を作る物語だと思いました。インターネットなども、ある意味では見えない道ですよね。真以が駆けたテーブルの道も。そういうたくさんの道が作られていけば、この先の社会も変わるのではないかなと期待しています。

――最後に、読者へひとことお願いします。

千早:こういうインタビューで、いちばん伝えたいことはなんですかと聞かれることがあります。でも私自身にそんなにメッセージがあるわけではないんです。逆に、この小説で何が伝わってしまうんだろうとそちらが気になります。特に、この作品はいろいろな要素が入っていて、男女間の友情とか、香りと記憶の相関だとかテーマがはっきりしているわけでもないので、どこがいちばん強く伝わるんだろう、読んでくださった方はどんな物語として受け止めてくださるのだろうと、どきどきしつつ楽しみにしています。


今年1月に、劇場版の『SHIROBAKO』の話に端を発した論争の中で「多くの創作者は『社会に影響を与えよう』などと思って作品を作っていない」という発言をした小説家の方がいて、自分はショックを受けた一方で、その人の作品はあまり好きではなかったので納得する部分もあった。

togetter.com


今回、千早茜さんのインタビューを読んで、社会に影響を与えようと思っているのは小説家自身ではなく、登場人物なのだと少し考えをあらためた。
今の社会から辛い、逃げ出したい、という登場人物の思いが強ければ強いほど、社会に影響を与える小説になる。
小説家の仕事というのは、イタコのようにそれを汲み取って書き出すのことなのかもしれない。
そして、自分の思う、面白い小説は、(社会に影響を与えるかどうかと関係なく)登場人物の思いが真摯で、その思いを抱えている人が自分の身の回りにもいると感じさせる小説だ。『ひきなみ』は、まさにそんな小説だった。
千早茜さんの本はもっと読んでいきたい。

次はこのあたりでしょうか。