Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

「知らない人」と話すこと~津久見圭『障がい者よ、街へ出よう』

図書館の地域図書のコーナーで出会った本。
作者の津久見圭さんは、1970年の大阪万博のパビリオンディレクターとして、携帯電話を初めて世界に紹介した人で1939年生まれ。目の難病「網膜色素変性症」のため、視野狭窄が進行し、2000年頃(つまり61歳頃)に光を失ったものの、この本の発売当時は、ラジオ番組のプロデューサーとして活躍されていたという。
最寄り駅が京王線柴崎駅調布市)だったということで、調布市の図書館の地域図書の特集コーナーの棚に置かれていた。


この本は、タイトルの通り、通勤し、働くという日常生活のルーチンの中から、障がい者とその家族に向けたメッセージを伝えようとする内容になっている。

障がい者というのは、自分で「迷路」を作り、その中に入り込んでしまっている人が多いように思う。健常者であれとは言わないが、障がいを持っているということを少し心から離して、もう少し、自然な気持ちの中で、自分を型の中へ入れることなど決してせず、多少のバリアは承知の上で、前を向いて歩くことである。

私が本書の主旨として声を大にして言いたいことは、障がい者を家庭の中で「保護する」という方向には走らず、多少のリスクはあっても、どんどん表へ出してほしいということである。我が国も、いや、我が国の若者たちも「捨てたものではない」と言いたいほど、意識が向上している。

これらのアドバイスは、彼自身が前向きに生き、目の見えるときと同様に仕事を続けている実体験から出たもので、とても説得力がある。この本の中には、さまざまな人(時に、抱きつきスリ、介抱ドロなどの犯罪者や、不親切な人たちもいる)との出会いが描かれているが、作者自身が「知らない人」と積極的にコミュニケーションを取り続けているところに感心する。
一番驚いたエピソードは、駅でぶつかってしまった人があまりに落ち込んでいる様子なので話を聞いて励ましてあげる話。自分が何かの事故で目が見えなくなってしまったとして、こういう「引きこもらない」生き方ができるかな、というのと合わせて、改めて目の見える見えないにかかわらず、街で困っている人を見かけたら積極的に声をかけるようにしなくてはという気持ちになった。


なお、ホーム転落に関連した内容は興味深かった。
津久見さん自身、JR赤羽駅京王線新宿駅京王線つつじヶ丘駅でホームから転落した経験があり、そのことが綴られている。これを読むと、不注意ももちろんあるが、工事中の点字ブロックの誤った誘導、電車の入線時刻や車両数の変更、人からのリアクションを受けてのイレギュラーな動作(よける等)など、日々生じうるさまざまな原因で転落事故が起きていることがよくわかった。
このことと、自殺するはずのない知人(視覚障害者)が、駅で飛び込み自殺をしたと聞いたことから次のように語る。

先程の話のように、視覚障がい者が誤ってホームから転落した事故を「自殺」とされてしまう例がかなりある。そんなに自殺する人が多いわけがない。視覚障がい者は絶対に鉄道自殺はしない。中央線の八王子~新宿間は、ある時期「自殺の名所」と言われた。とんでもないことである。一番、視覚障がい者が乗る確率が高い路線なのである。これらは、自殺ではなく、ただただ「転落事故」が多いだけなのである。
すべての鉄道会社に申し上げたい。視覚障がい者がホームに転落をして事故死することを、事務手続き上「自殺扱い」をすることは、断じてやめていただきたい。事故と自殺の差が、鉄道会社にとって大きく影響することは理解するが、自殺扱いをして早々に書類作成を済ませてしまうことは、問題である。

そんな風に考えたことは無かったが、全体件数が多くないことからすれば十分にあり得ることだとも思えてくる。この本が出てから10年の間に京王線もホームドア設置駅が増えており喜ばしいことだ。ただ、点字ブロックなどの身近なものと合わせて、それらが設置された目的などはしっかり理解しておきたい。


繰り返しになるが、人と話すことの重要性を改めて感じる一冊だった。
目が見えない人にとっては、相手の声を聴くまで近くにいる人が「知っている人」かどうかの判別もつきにくく、自然と「知らない人」と話す機会を多く持つことになる。
もちろん、視覚障害でなくても、何かの障害を持てば、「知らない人」に迷惑(というと語弊があるのかもしれないが)をかけたり、「知らない人」のサポートをお願いする機会も増えるだろう。
そう考えると、不審者扱いされないように(笑)注意しながら、知らない人とでも自然にコミュニケーションを取れるよう練習していきたい。そう思った。