Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

いつか私が。いつか誰かが。~佐々涼子『エンド・オブ・ライフ』

ベストセラー『エンジェルフライト』『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』の著者、佐々涼子が、こだわり続けてきた「理想の死の迎え方」に真っ正面から向き合った。

京都の診療所を訪れてから7年間、寄り添うように見てきた終末医療の現場を静かな筆致で綴る。 私たちに、自身や家族の終末期のあり方を考えさせてくれる感動ノンフィクション。

(あらすじ)

200名の患者を看取ってきた看護師の友人が病を得た。 「看取りのプロフェッショナル」である友人の、自身の最期への向き合い方は意外なものだった。 残された日々を共に過ごすことで見えてきた「理想の死の迎え方」とは。 在宅医療の取材に取り組むきっかけとなった著者の難病の母と、 彼女を自宅で献身的に介護する父の話を交え、 7年間にわたって見つめてきた在宅での終末医療の現場を描く。

あらすじ

この本は2013年、2014年と2018年、2019年とやや離れた年の出来事が綴られているが、時系列順に並べれば以下のようになる。

  • 2013~2014年:作者の佐々さんが渡辺西賀茂診療所の取材を始める。この診療所は、在宅医療用の診療所であるだけでなく、「在宅の患者たちの、最後の希望を叶える」ボランティア活動を行っているところが特徴的。ところがこの取材は頓挫してしまう。
  • 2018~2019年:渡辺西賀茂診療所の取材のあとも指摘に交流のあった訪問看護師の森山にがんが見つかる。森山から依頼もあったことで、取材内容を本にまとめる仕事を再開。最後には森山を幸せな形で看取り、森山とのやり取りを中心にこの本を著すこととなった。

(以下の文章では、佐々さん以外は、本文の記載のまま「敬称なし」の書き方としている)


沢山の死を看取った訪問看護師が、自らの死に直面する。
この時点では「死(残り時間のわかる死)」を他者の死、自分の死の両面から扱っており、これは、先日読んだ井上靖補陀落渡海記』と同じ設定と言える。
補陀落渡海記』と異なるのは、死に直面した者の心境の変化が、別人によって(記録者自身の考え方の揺れと合わせて)記録される点だ。
その点で、『エンド・オブ・ライフ』ではさらに多くの視点から「死」と向き合うことになる。

また、この本は「死」というよりも「医療」に関する本であることが『補陀落渡海記』とは全く異なる。
佐々さんの視点は、取材を重ねることで医療の現場に近くなっているが、在宅医療に対する不安、負担を感じ、一歩引いた立場にいる。
その不安感や家族・医療従事者の負担は、自らの母親の在宅療養を支える父親の姿を眺めた実感から出たもので、医療に関する個人的経験が取材の動機にもなっている。

さらに、類似テーマの著作が続いてもなお、死をテーマとする執筆活動に惹かれてしまう自分にうしろめたさを感じ、2018年時点の佐々さんは本を書くことができず、ライターとして開店休業中だった。
そんな佐々さんに、死を目の前にした森山から、将来、看護師になる学生たちに向けた、患者の視点からの在宅医療の教科書を作りたい、と共同執筆の依頼があり、この本の出版に繋がっている。


このように、『エンド・オブ・ライフ』は、他人、家族、自らの「死」に向き合いながら、他人、家族、自らに対する「医療」について考えるだけでなく、それをテーマにしたものを世に著すことそのものについても書かれた重層的なドキュメンタリーになっている。

個々のエピソード

構成は以下の通り。(括弧内は、追記。/のあとは主な取材対象の看護師、医師)

  • 2013年(p11~)
    • たった一日だけの患者(潮干狩り)
  • 2018年 現在(p48~)
    • 元ノンフィクションライター(京都への訪問/森山)
  • 2013年 その2(p63~)
    • 桜の園の愛しい我が家(篠崎さん夫妻/蓮池、渡辺)
  • 2018年(p85~)
    • 患者になった在宅看護師(大甕の海/森山)
  • 2013年 その3(p101~)
    • 生きる意味って何ですか?(中山さんの話)
  • 2013年 その4(p111~)
    • 献身(介護される母、介護する父)
    • 在宅を支える人(奥さんと息子に逃げられた山田さん、父親をタオルで叩く管理職世代の息子、こだわりの強い山口さん、/ヘルパー長・豊島、看護師の奥村)
  • 2013年 その5(p151~)
    • 家に帰ろう(母の入院経験)
  • 2019年(p169~)
    • 奇跡を信じる力(森山夫妻)
  • 2013年 その6(p183~)
    • 夢の国の魔法(ディズニーランドに行った森下さん)
  • 2019年(p199~)
    • 再び夢の国へ(森山一家とディズニーシーへ)
  • 2013年 その7(p219~)
    • グッドクローザー(医師・早川との対話)
    • 卒業式(グループホームでの看取り、おせち・どじょう/看護師・吉田)
  • 2014年(p245~)
    • 魂のいるところ(母親の死)
  • 2019年(p257~)
    • 命の閉じ方のレッスン(森山の死)
    • 幸福の還流(/篠崎さんの妻、診療所のヘルパー・田中)
    • カーテンコール

この本を読んで誰もが「えっ!?」と思う予期せぬ展開がある。
死を目前にした森山が、スピリチュアルな言動をしだす「奇跡を信じる力」の章(p170~)だ。

ここまでの章の組み立てはよく考えられている。
冒頭から前段の森山との対話(「患者になった在宅看護師」)までは、これまで何人もの患者を看取ってきた人だからできるのだろう、ある種の達観を森山が見せる。
また、理想的な看取りとも言える、仲の良い篠崎夫妻のエピソードが挟まれる。
ここまでが出来過ぎのため、「理想はそうだけど、現実にはそううまくいかない」と思う読者の気持ちに応えるようにして、p102~p167には、在宅医療に対する否定的なエピソードが挟まる。ここが巧い。


まず、作中で最も悲劇的な話である中山さんの事例、そして、母親の在宅療養の話。
中山さんの事例は、「生きていても痛みで何もできない。こんな僕に生きている意味ってありますか?」(p104)という言葉が胸に突き刺さる。「痛み」については、他の部分でも何度か取り上げられているが、改めて大きな問題だと感じた。

  • 日本の緩和ケアはまだ遅れているのが現状だ(p69)
  • 以前は病を治すことが何より大事で、苦痛を取り除くことにはあまり関心がもたれていなかった(p225)
  • 近代ホスピス創始者といわれるシシリー・ソンダースの分類によると、痛みには大きくわけて4つの種類がある。身体的な痛み、精神的な痛み、社会的な痛み、そしてスピリチュアル・ペインである。(略)精神的な痛みは、生きていく上での人生の一部についての心の痛みだが、スピリチュアル・ペインは自分の人生全体の意味がわからないという苦しみである。(p71)

中山さんの事例からは、身体の痛みが、死の恐怖(精神的な痛み)や生きる意味の追求(スピリチュアル・ペイン)に作用することがよくわかる。ただ、緩和ケアの蓮池医師によれば、身体の症状がほぼない中で人生の意味を突き詰めて苦しむ人もいるという。スピリチュアル・ペインについては後述する。


「献身」というタイトルの章は、妻(佐々さんの母親)の介護に、文字通り「身を捧げている」父親の姿を「自分には到底まねのできないもの」として描いており、むしろ、在宅療養の難しい部分が伝わってくる。
次の「在宅を支える人々」ではヘルパー長、看護師、家族の話を、やはり苦労の面から描く。長期におよぶ老人介護で、息子がわめきながら介護相手の父親を叩く、虐待にも見えてしまう事例が印象的だ。
そして、発熱から母親が入院し、病院でひどい扱いを受けて家に戻る「家に帰ろう」という章では、処遇の酷さから看護師の職場環境の余裕の無さも伺え、在宅医療で良かった、というより、看護師よりも完璧に対処ができる父親の「献身」のレベルの高さが伝わってくる。


ここまでで、在宅医療にかかわる患者、医療従事者の「理想」と「困難」のそれぞれの面が書かれており、ある程度まとまった内容になっている。

森山の転向

そして、このあとに来るのが問題の「奇跡を信じる力」の章だ。
ここでは、代替医療ホリスティック医療と呼ばれるものに急激に惹かれていく森山に、家族も同僚もついていけなくなる様子が描かれる。

西洋医学での治療が手詰まりの中、身体の自然治癒力での寛解に望みをつないでいる彼には、もはや現代医療の看護で得た経験が邪魔にすらなっているようだ。
私は内心、彼の今までの看取りの経験が彼自身をも救うのではないかと期待していた。ところが、症状が進むにつれ本人は仕事から遠ざかり、在宅医療や在宅看護から距離を置く患者となった。p175

ここで佐々さんは、ある言葉を結び付けて森山を解釈しようとする。

「スピリチュアル・ペイン」は存在すると実感した。森山の言葉は、魂の痛みを表現していた。医療では緩和できない根源的な苦しみだ。それを今、彼は擬人化した「がん」の言葉として語らせている。魂の痛みには魂の癒しが必要なのだ。p181

緩和ケア専門医の蓮池は、患者たちの「魂の痛み」を緩和するために、「話ができる時に、自分の今までの経験や考えをすべてぶつけるつもりで向き合う時間を」(p73)持つという。とはいえ、佐々さんには、森山の「スピリチュアル・ペイン」に対処するには荷が重く、難しい。


森山の「スピリチュアル・ペイン」の訴えは、もうひとつ何度も出てくる「エリザベス・キューブラー・ロスの受容の五段階(死に対する態度:否認→怒り→取引→抑鬱→受容)」でいえば、死を「受容」するまでの過程で「魂の痛み」を癒すために必要な流れだったということだろう。


全体を読み返してみると、森山は、ここで殊更に突飛な発言をしているわけではないようにも思える。このあとの発言を見ても、死の直前まで「がんの言い分」の話をしているし、大きく変わっているわけではない。
これは読者の慣れもあると思う。
このあとの文章を読んでいくことで、死の直前まで語り続ける森山の言葉を「変なもの」とせずに寄り添い、「がんの言い分」に関する言葉も許容できるようになる。
死を受け入れるにあたっては、西洋合理主義から少し距離を置いた考え方に寄り道することも必要である(どちらか一方の考えに囚われ過ぎない)ということが、この本のメッセージであると感じた。

予後の告知(余命宣告)と選択する過酷さ

繰り返すが、これ以降は、森山の言葉を受け入れる土壌を、読者に育てるためのエピソードがセレクトされていると感じる。(とはいえ、大半は佐々さんと森山との対話なのだが)

特に、「予後の告知」と「医療の選択」についての話が印象的だ。
予後の告知について、医師・早川は、受け入れられる人と受け入れられない人(そして家族)、どちらの考えも尊重することが必要と説く。さらに、医師の役割について次のように語る。

家族にも、ヘルパーにも、看護師にもできないことがあります。それは最期の数週間のプロデュースです。その人にとって、もっとも大切な残り時間をちゃんと考えてくれる医師と会うのと会わないのでは、全然違う。本人の意思に反する延命措置をしないことも大事ですし、臨終間際に意識をどの程度保つようにするかも、最終的には医師の判断が影響します。p234

これに対して、死を目前にした森山は少し別の角度から予後予測の問題点を指摘する。
「予後の告知」は家族にとっては大切かもしれないが、本人からすると、「生きるエネルギーが削がれる」というのだ。

死ぬ人と決めつけられて、そういう目で見られる。ああ、この人はあと少しなんやなと。そんな接し方をされると生きるエネルギーが削がれてしまう。p209

予後を気にして生きていたら、それだけの人生になってしまう。僕は僕自身であって、『がん患者』という名前の人間ではない。病気は僕の一部分でしかないのに、がんの治療にばかり目を向けていたら、がんのことばかりを気にする人生を送ることになってしまう。p61

ここでいう「生きるエネルギー」「人生を送る」というのは、「治る」「少しでも長く生きる」ことではなく、文字通り「生きる」ことなのだろう。「治す」ことに囚われ過ぎている日本の医療の中で、より良く「生きる」ことを見据えた医療を目指す早川(渡辺西賀茂診療所)の考え方は、森山の考え方と同じ方向を向いていると思う。


もう一つ、「医療の選択肢」が多いことの残酷さについても繰り返し話題に出る。これは森山が以前、大学病院で子どもの生体肝移植に携わっていたことが大きく関係するが、がん医療にも同じことが言える。

助かるための選択肢は増えたが、それゆえに、選択することが過酷さを増している。私たちはあきらめが悪くなっている。どこまで西洋医学にすがったらいいのか、私たち人間にはわからない。昔なら神や天命に委ねた領域だ。p204

あきらめが悪くなったのは「奇跡が起きるかもしれない」という期待と、正反対の「後悔するかもしれない」という不安が増えたことによる。後悔について、森山は次のように語る。(代替医療に入れ込む前のタイミングでの言葉だが…)

人工的に何かができると思うことがとても多くなって、実は医療行為と寿命との因果関係はほとんどないかもしれないのに、勝手に『もし、あの時』と考えて後悔する。(略)
後悔するのではないかという恐れに翻弄される日々ではなく、今ある命というものの輝きを大切にするお手伝いができたらいい。そうしたら、たった3日でも、1週間でも、人生の中では、大きな、大きな時間だろうし。p96

「後悔」の問題は、それを判断するのが患者本人だけではないということが問題をさらに難しくさせている。家族の「治ってほしい」と望む気持ちは当人の意志を飛び越えてしまうときがあり、「胃ろう」の選択も、基本的には家族が行う場合が多いだろう。

ある程度、自分で意思表示ができる環境であるなら、本人がきちんと意思表示をしないとね。自分の意思を尊重してもらいたいのなら、日ごろから本人の意思が尊重される関係性を築いていないといけない。p93

この問題は難しいけれど、このあとに書く内容と同様、家族とのコミュニケーションの問題、つまり、元気なうちにやり取りをしておかなくてはならない件であることがわかる。

生きてきたようにしか死ぬことができない

これも繰り返されているが、病気になったから人が変わって家族に優しくなる、ということはあまりないようだ。
普通列車に乗って生きてきた人は、死期が迫ると、特別列車に乗り換えるイメージを持っていたが違うらしい。今現在と、死を目前にした自分は完全に地続きであり、今考えなければ、余命宣告を受けても考えないことになり、少し焦る。

  • 人は病気になってから変わるというのはなかなかありません。たいていは生きてきたように死ぬんですよ。篠崎さんはきっと元気な頃から家族を大事にされていたんでしょうなあ(p77:渡辺)
  • 生きたようにしか、最期は迎えられないからね。自分が生きてきた中でどうしたらいいのか。世の中のしがらみの中で生きてきた人は、その時になって考えろって言われても、どうしていいかわかんないんじゃないかな。でもそれは、その人のせいというわけじゃなく、そういう風に生きてきたことを、周囲も自分も許してきた中での結果だから。(p92:森山)

ただし、森山は、この発言の直後に反対のことも言う。

僕は、子どもたちに何が残せるのかな…。人は生きてきたようにしか死ぬことができない。でもひょっとしたら病気がターニングポイントになるかもしれませんよね。このターニングポイントの中で、自分も周りも変化して、今まで生きてきた感覚とまったく違う輝きがそこに生まれるかもしれないと思うんです。p97

森山はそこに希望を見出そうとした。
病気をきっかけにして、そこから死ぬまでの間に「残す」ことができるものがあると考えた。
だからこそ、その「受け手」であることを意識して書かれた本の後半の文章は、どれも感動的で読んでいて胸が詰まる。

終末期の取材。それはただ、遊び暮らす人とともに遊んだ日々だった。そして、人はいつか死ぬ、必ず死ぬのだということを、彼とともに学んだ時期でもあった。たぶん、それでいいのだ。好きに生きていい。そういう見本でいてくれた。
(略)その人がその人らしく家にいる。そのために看護があり、医療がある。もし、医療の出る幕がなければ、それが一番いいのだ。p265

亡くなりゆく人は、遺される人の人生に影響を与える。彼らは、我々の人生が有限であることを教え、どう生きるべきなのかを考えさせてくれる。死は、遺された者へ幸福に生きるためのヒントを与える。亡くなりゆく人がこの世に置いていくのは悲嘆だけではない。幸福もまた置いていくのだ。p303

本編の最後の言葉は「いつか私が。いつか誰かが。」だが、誰もが「人類が営々と続けてきた命の円環の中」(p273)に生きている。
だから、誰にとっても特別でありながら、特別でなく、社会全体から見れば「日常」に過ぎない。
…という風に、何となく「死」の理解が深まったのかと思いつつ、あとがきでは「死については本当にわからない」と書く。

もしかしたら、「生きている」「死んでいる」などは、ただの概念で、人によって、場合によって、それは異なっているのかもしれない。ただひとつ確かなことは、一瞬一瞬、私たちはここに存在しているということだけだ。もし、それを言いかえるなら、一瞬一瞬、小さく死んでいるということになるのだろう。
気を抜いている場合ではない。貪欲にしたいことをしなければ。迷いながらでも、自分の足の向く方へと一歩を踏み出さねば。大切な人を大切に扱い、他人の大きな声で自分の内なる声がかき消されそうな時は、立ち止まって耳を澄まさなければ。そうやって最後の瞬間まで、誠実に生きていこうとすること。それが終末期を過ごす人たちが教えてくれた理想の「生き方」だ。少なくとも私は彼らから、「生」について学んだ。p314

ここに書いてあることはまさにその通りだと思う。
そもそも、自分が渡辺西賀茂診療所のサポートを受け「最後の希望を叶え」てもらうことになったとしても「最後の希望」自体をどうするか決められない。
貪欲にしたいことをして、誠実に生きる中で、それも見えてくるのだろう。


とはいえ、事件や事故で死ぬこともあるかもしれないし、病気による突然死もある。
ウクライナで起きている戦争(ロシアによる軍事侵攻)では、そんな死が頻繁に間近に散らばっている。
そんな運命を想定する場合はなおさら、自由に考え行動できるうちに精一杯「誠実に生きる」ことが必要になってくる。
と書くと、少し堅苦しいが、好きなものを追求しつつ、周囲の人(特に、自分になにかがあった場合、支えてくれる人)とのコミュニケーションを取りながら、自分の考え方を研いで、生きていきたい。


なお、作中に出てきた渡辺西賀茂診療所の出している本があるようなので、こちらも読んでみたい。

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com