Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

太宰治『人間失格』★★

人間失格 (集英社文庫)
感想を書くのに、あまり気乗りしない。
何だか散々な印象を持った夏目漱石『それから』と同種のタイプの作品だったからである。
しかも太宰治シンパというのは結構多いように思えるので、太宰素人(走れメロスしか知らない)の自分が、否定的な意見を述べるのは何だか緊張する。
〜〜〜
主人公の葉蔵は、『それから』の代助に比べれば共感しやすい人間と言える。しかし、こういうタイプの人間を、僕は知らない。直接は知らないが、マンガによく出てくる。そう、だめんずウォーカーによく出てくる典型的なタイプのダメ男だ。(ハンサムで、哲学的なことを常に口にしているが、まったく生活力がなく、金をせびる)
葉蔵の悩みが深いのはわかるし、全く理解できない悩みではない。しかし、その悩みで他人に迷惑をかけすぎだろ。勿論、得意の「道化」で、周りの人からは迷惑がられず、むしろ「いいひと」と思われたことが多いようだが、その生活のため、始終、複数の女性に世話になっている。酒を飲むために、同居女性の服を質に入れる人の悩みなんて進んで聞きたくない。
何度も行う自殺未遂も考えものだ。太宰自身の実話からのエピソードである、心中に失敗して女性だけ死なせた話なども、僕には共感も感動もありはしない。
そういった「常識」人の感想は、解説ではお見通しとあって、

たとえば、自殺なんて、逃げた生き方だ、そんなのは弱い卑怯な生き方だ、もっと強く自信を持って生きていくべきではないか、という意見が多いに違いない。なるほどそういう考えは世間の常識に即している。だが、太宰はそんな常識論をまったく受け付けない。それどころか、世間の常識である道徳や習慣を徹底的にぶちこわしていく。そういう勇気を持った作家なのだ。

というように、常識にとらわれない部分を、太宰治の優れた部分だと説く。
しかし、僕らは実際お金を稼いで生活していかなくてはならない。そういった「生活」に関する悩みならいいが、自己の根源にの部分まで突き詰めるような悩みは「趣味」か「研究」の領域だ。何はともあれ、生活していかなければ始まらないだろう。(仕事をしている今だからこその感想であり、学生時代はもう少し違う感想を持ったかもしれないが。)
これに対しても、解説は次のようにいう。

彼がおそれていたのは、そのあいまいなままの順応であった。順応したとき人は、「生活」や「世間」の仕組みに既に染まっている。そのとき、「生活」や「世間」は何かなどと考える姿勢なんか、ない。もう、わかってしまっている。・・・かつては多少は疑問を持っただろうに。(P176)

世間の人々が生きるとは何やら意味のわからぬ漠然とした幸福ということを生きるということであり、彼が生きようとしているのはその漠然とした意味に漠然と染まることを拒否することなのであった。(P184)

そして太宰は、「わからない、わからない、という自分の姿勢を崩さなかった」のだという。しかし、そういう姿勢はすごいとは思うけれども、尊敬には至らないし、そういう風になりたくない。
ダメ人間の話には、僕は共感することが多い。最近のヒット『僕の小規模な失敗』も、やることなすこと上手くいかない漫画家の話だが、この中で、僕の好きなエピソードは、入学しなおした定時制高校で、主人公が柔道部をつくり、大会で活躍する話や、失恋でつらい中、ボクシングジムに通い始める話だ。主人公は悩みながらもバイトをして生活資金を貯め、さらに何か積極的に行動を起こすことで一歩先へ進もうと足掻く。その「足掻き」の部分が僕は好きなのだ。それと比べると、葉蔵は頭でっかちすぎる。そして「生活」に対して無頓着すぎる。漠然とした意味(「生活」)に漠然と染まって、なお悩んでいるのが大半の現代人だろう。
また、もう一点、葉蔵=太宰治を嫌いな点を挙げるとするならば、彼がモテ男だからだ。そうだ。ヒガミだ。文句あっか。
例えば、同じ文学者なら、「非モテ梶井基次郎武者小路実篤の方が信頼できるというもの。

非モテの文化誌(梶井基次郎の巻)
http://media.excite.co.jp/book/daily/thursday/022/

何で女性は太宰治みたいなのが好きなんだろうか?
 
次は、『それから』『人間失格』と同じ時代の、もう少し人間ぽい内容の小説が読みたいです。