Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

共感されない物語でいてほしい~図野象『おわりのそこみえ』


ポップな表紙デザインとは対照的に不吉なタイトル。
よく見ると、フォントまで不吉さを増幅している。
で、タイトルが『おわりのそこみえ』
そこみえ?
底が見えたのか?見えているのか?
いずれにしても、底まで行ってしまう話なんだろう。


実際読み始めてみると、語り手は、既に「底」にいるように見える。

コンビニに駆け込んでおろしたお金に、例えば消費者金融のマークが大きく書かれていたとしたら、ちょっとは借金のことを真剣に考えるのかもしれない。 
あら、この子借金したお金でコンビニのおにぎり買ってるわ、若いのに恥ずかしくないのかしら、しかも女の子、いやあねえ、なんてレジのおばちゃんに思われて。でもきっとそんな恥ずかしさにも慣れるんだろう。
昨日、ベッドに寝転がってスマホで借り入れの申し込みをするときもなんの感情もなかった。操作方法にも虚無感にも慣れ切っていた

さらに、読み進めると、ある種の「無敵」状態を、彼女・美帆の刹那的な考え方から何度も感じてしまう。こんな人が周りにいたらどう話をすればいいんだろう。

  • 去年もタクシーから同じような風景を見た気がする。今日と同じように借金をしてタクシーに乗ってバイトにいった。日当七千五百円のバイトに遅刻しそうだから二千円払ってタクシーに乗る。週のうち三日はタクシーに乗っているし、結局だいたい遅刻する。こんな生活を数年間続けているなんて正気じゃない。借金を返すための労働のはずなのに、借金をするために働いているみたい。バイトは辞めたいし今すぐ死にたいのに、借金があるから仕方なく生きているなんて笑っちゃう。(p5)
  • 「あのさ、その『死にたい』もファッションみたいなものでしょ?SNSとかではとりあえずそう言っておくの。死にたいな、って。わかる?そういう女子はそうやって生きてくの。死にたいって言いながら生きるの」 (p9)
  • 女はかわいければ人生楽勝イージーゲームみたいなこともよく聞くけど、そうではない人間もいる。私はそのイージーゲームに難解なステージをわざわざつくりだしてゲームオーバーをただ待っている。人生がコンティニューのない仕 様だったことは唯一の救いかもしれない。(p13)
  • 人生は配られたカードで勝負するしかないと聞くし、仕方のないことだけど、私はどうやって勝負すればよかったんだろう。外見がかわいいというカードを擦り切れるまでつかうくらいしか方法がなかった。でもかわいい一本で勝負した結果がバカで、後先考えられなくて、メンヘラくそビッチで、買い物依存症だなんてね。てへ。(p28)
  • 実際返済の目途は立たないし、先のことは考えたことがなかった。例えば風俗で働いてAVに出てたんまりお金を稼いだとしても、きっと今より借金は増えると思う。借金をする人間というのはそういうものなのだ。だから死ねばいいか、と思っていた。どん底まで落ちたら死ねばいい。悲しくも怖くもない。痛いのは嫌だけど、全部仕方のないことだと思う。(p59)


読み直してみると、「何も起きない純文学」ではなく、短い時間で色々なことが起きる飽きない展開だし、明るい要素もたくさんある。
そもそもこういった悲劇の主人公には「殺したいほど憎い親」がつきものだが、彼女の両親は、ダメで弱いが「悪」ではない。
物語を通じて「家族」を取り戻すシーンすらある。


それでも物語の最後には「そこみえ」が控えている。
マッチングアプリで出会った男とホテルに行き、トイレから戻ると財布から現金を奪われていたことに気がついたときに、突然、死が「見え」てしまう感覚が怖い。

でももう面倒だった。イッツマイライフだと思った。もう死ぬときがきたのだ。それを先延ばしにする理由はない。こんなにもわかりやすく死期が示されると思わなかった。目の前にはっきりと地獄への道が開かれた。(p127)

ナムちゃんのような「親友」や、宇津木のように、肉親以外で、明確に自分の味方になってくれる新しい「家族」を得ても、結局、美帆の気持ちは変わらない。冒頭の呟きに書かれているような思考を、毎日毎日繰り返しているうちに、そこから離れられなくなってしまった。
このような生き方・考え方の若者はそれなりにいるのかもしれない。
そもそも社会に期待していない。未来を信じていない。
そして自分に自信もないし、努力もしたくない。
そんな時に、たまたま「事故」を起こしてしまったら…。
そう考えると、美帆の「おわりのそこみえ」感覚は、特に若い世代には意外と多くの共感を得てしまうのだろうか?
日本の若者の多くが「こんな刹那的なこと」を考えていないよね。

かなり不安になってしまいながら、正体不明の著者図野象のインタビューを読んでみた。

web.kawade.co.jp


やはり男性だったか、ということ以上に1988年生まれの35歳で、それなりに年齢が行っていることに驚く。
作品内に充満する刹那的感覚は、20代のものかと思っていたが、30代の作家でしたか。
また、インタビュー記事を読んで、この本を作るきっかけが「買い物依存」の記事だと知り、納得した。この「ノーフューチャー」感覚は、世代由来のものではなく、買い物依存の人の感覚ということか。ここで改めて冒頭の文章を読み返して、最初からこの本は「買い物依存の主人公」の物語として読むべきでは無かったか、と恥じる。
ただ、学生時代からの唯一の友人だった「加代子」との関係を見ると、美帆の「ノーフューチャー」には、買い物依存と別に「親ガチャ」要素が垣間見える。彼女には「加代子を見返してやる」という感覚も嫉妬もなく、ひたすらに差を受け入れて諦めている。


そのように色々と書いていて、美帆のような人を救う救わない、というよりも、
こういう考えの人が多い社会は、とても「治安が悪い」に違いない、
だから治安をよくするために、美帆のような「ノーフューチャー」感覚の人たちを減らさなければ。
という利己的な考えが、自分の中に渦巻いてきた。(こんな読まれ方で良いのだろうか)


「親ガチャ」という言葉に代表される格差の問題や、「買い物依存」に政治や福祉はどうアプローチするのだろうか。
このあたりは、どんな問題があり、どんな対策が取られているのか関連書籍も読んでみたい。