瀬田なつき監督『違国日記』

そもそもこの映画を観た理由の90%がガッキー。
『正欲』で死んだ目をしたガッキーを見て、その魅力の虜になった自分は、『違国日記』の予告編を見て、あの「死んだ目ガッキー」の「その先」の姿に激しく惹きつけられた。
『違国日記』は読んだことがないけれど、大まかな登場人物像と表紙は知っていた。海辺に立つガッキーのイメージビジュアルは漫画そのままのように見える。
これは見なくてはならない!
大嫌いだった姉を亡くした35歳の小説家・高代槙生は、姉の娘である15歳の田汲朝に無神経な言葉を吐く親族たちの態度に我慢ならず、朝を引き取ることに。他人と一緒に暮らすことに戸惑う不器用な槙生を、親友の醍醐奈々や元恋人の笠町信吾が支えていく。対照的な性格の槙生と朝は、なかなか理解し合えない寂しさを抱えながらも、丁寧に日々を重ね生活を育むうちに、家族とも異なるかけがえのない関係を築いていく。
さて、原作は映画当日になってから読み始め、3巻まで読んでから映画館に。
実際に映画を観てみると、ガッキー演じる槙生は、やはり原作漫画のイメージともピッタリで、この印象は終始変わらない。
ただ、葬式での「盥」の文字の説明を含む長台詞は、ちょっと芝居がかって見えたし、朝の反応も含め、かなりの違和感が残るシーンで、冒頭から大丈夫なのかな、と不安に思った。(また、冒頭付近は、ホラー映画っぽい撮り方をするところがいくつかあり、それも不安に感じる要因となった)
そして一方の朝。
映画の朝は、漫画で読んだよりもさらに不安定な性格に感じた。
特に、卒業式をボイコットしてしまう流れは、言い分も分からなくはないが、先生の立場を思うと、先生の方に問題があるとは思えない。
演技が大袈裟なのかもしれない、とも思ったが、両親を目の前で事故で喪ってしまった中学生が混乱しない方が変なので、むしろ演じた早瀬憩は、原作に忠実に、丁寧に朝を表現してみせたと言えるのかもしれない。映画が後半になるにつけ、朝の演技の不安定な感じ(クラスの同級生と比べても少し浮くくらいの感じ)は、むしろリアルなんじゃないか、と思えてきた。
パンフレットにも書いてあったが、映画版は、朝の青春映画として観られるように作られており、その分だけ原作漫画よりもストーリー的にまとまりが良い。特に、クライマックスに配置されているバンドの演奏シーンは大好きな場面。
ここで披露された楽曲(「あさのうた」)が、チャットモンチー過ぎるものだったので、エンドロール見たら作詞作曲・橋本絵莉子で、強く納得した。あそこは本当に青春を謳歌している感があって良かった。
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そして、朝の名シーンと言えば、えみりとの体育館での長回し。この辺は演劇っぽさ(少し大袈裟)も感じるが、高校生女子の会話は「こんな感じ」なのかもしれない、と思いながら観た。
そして、脇も固い。ドラマ『ブラッシュアップライフ』でも主人公(安藤サクラ)の同級生役を演じた夏帆は、今回も似た役回りという安心感。朝とのやり取りも自然に盛り上がり、現場が楽しそう。
原作とはかなり印象が異なる笠町君は、瀬戸康史だが、これはこれで良い気がする。(一方、出番は少ないとはいえ、染谷将太の塔野は違和感が強かった。)
ということで、原作同様、「人間の変わらなさ」というテーマ*1は踏襲しつつも、朝の「成長」にスポットを当てることで普通のストーリーにしたところが映画の最大の特徴。
原作漫画の核を「アンチ・ストーリー」(アンチ成長)と考えている人からはかなりの改変に思えてしまうが、原作漫画に思い入れの無い状態で観た分、別物として映画を楽しむことが出来た。
ヤマシタトモコ『違国日記』
ヤマシタトモコ作品を何冊か続けて読んだとき(8年前!)に書いた自分の文章を読み直して、『違国日記』にも全く同じことが言えると思った。
さて、ヤマシタトモコ作品は、こういった評価にそぐわないようだ。1冊完結作品しか読んだことがないということも関係があるのかもしれないが、アンチ・ストーリー、アンチ・成長という、ひねくれた印象を受ける。
もっと言うと、登場人物が作品内世界で生き生きと暮らしていれば、それでいいのだ、という開き直りを感じる。ストーリーを駆動させるために、悩みやコンプレックスがあるわけではなく、登場人物それぞれの個性として、自然と悩みが漏れてしまっているだけなのだ。
たとえば、『Love,Hate,Love.』で言えば、主人公の貴和子は28歳で男性経験がないことが1つのポイントだが、作品内では、それは終始変わらず、むしろ「ネタ化」されている。弱点がキャラクターの個性として大切にされ、変化することは許されないようにも見える。
つまり、ヤマシタトモコの作品は、ストーリーテリングの面白さ(意外な展開)や、伝えたいメッセージのためではなく、登場人物の魅力を最大限に引き出すことを目的として作品が作られているように思う。ストーリーは2の次だ。
繰り返すが、自分が好きなタイプの典型は、登場人物が、ぶつかった壁を乗り越えたり、悩みに対して前向きになったりするものなので、それらとは全然違うアプローチになる。
実際、この漫画は、「突如同居生活を始めることになった2人が、新しい家族になる物語」でもなければ、「どうしても嫌いだった姉の知らなかった一面を知り、姉を許す物語」でもない。人はそう簡単には変わらない。
冒頭で、槙生が宣言する*2通り、2人が同居して暮らしても、槙生の「嫌い」は変わらないし、朝を愛することにも自信が持てない。
人と人とは絶対にわかりあえない。それでも「踏みにじらない」ことを大切にする生活で、それぞれの個人が前に進んでいける。そこに重きを置いた物語、ということが言える。
だから、この漫画は、ストーリーのない「日記」として、もしくは「名言集」として読まれてきたのではないかと思う。したがって、この漫画のファンそれぞれが脳裏に思い描く「映画化」があるわけで、今回の映画化がハマらない人は相当数いるだろうとも思う。
さて、自分は、この漫画を、映画鑑賞後に一気に読み終えたが、そのような読み方に適さない作品であることを痛感する。この漫画は、連載中に次の巻を待ちながら繰り返し読み返すタイプの作品だった。様々な方向から、普遍的な、多くのテーマを扱う作品だった。
そんな中、映画で全く触れられていない部分で、自分にとって身近過ぎる、捨て置けないテーマがあった。それは、「父親」の問題だ。
朝は、交通事故で「両親」を亡くしたのであって、「母親のみ」を亡くしたのではないが、どうしてもメインに据えられるのは「母親」だ。そして、そこから考えれば、映画がそうしたように、漫画でも、父親は「扱わない」という方法もあるはず。*3
しかし、朝が「父はどのような人間だったのか」を探るために、わざわざ勤務先の同僚から人となりを聞き出そうとする場面があり、自分は、娘(ほぼ朝と同じくらいの年齢)からどう思われているのか、少し不安になってしまった。この作品ほど「無」の父親ではないはずだが、それこそ人の気持ちは分からない。今、自分が死んでしまっても、会社にヒアリングに行くのは遠慮してほしい(笑)とかいろいろなことを考えてしまった。
なお、作家である槙生は当然として、朝の書く日記そして歌詞、実里(みのり:槙生の姉)の書く手紙など、文章を書く、言葉を綴ることに大きな価値を置いている作品だった。だから、特に漫画の中心にいる槙生の数々の「言葉」に心を打たれた。
ただ、登場人物たちが話す言葉それぞれは、ストーリーの中に組み込まれたものではなく、それぞれの個人の状況に基づいて語られるため、すぐにピンと来なかった言葉も多数ある。その意味では定期的に読み返したい作品だ。
また、漫画を読む能力も問われている気がする。上に2016年の自分の文章を引用したが、あの頃の方が漫画をたくさん読んでいる分だけ解像度が高かった。
幸いアニメ化も決まっており、それまでにもう少し時間があるので、もっと色々な漫画を読んでから『違国日記』に再会したい。
参考(過去日記)
pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com
→原作に忠実な映画化のラインを狙ったのなら参考にするのは『星の子』だったのではないかと思う。これは、アンチ・ストーリーな原作をなぞった映画化だった。
