Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

新聞記者の仕事とは ~三浦英之『南三陸日記』

南三陸日記 (集英社文庫)

南三陸日記 (集英社文庫)

住んで、泣いて、記録した。東日本大震災直後に受けた内示の転勤先は宮城県南三陸町。瓦礫に埋もれた被災地でともに過ごしながら、人々の心の揺れを取材し続け、朝日新聞に連載された「南三陸日記」は大反響を呼んだ。文庫化に際し、8年ぶりの「再訪」や、当時は記せなかった物語を大幅追加。開高健ノンフィクション賞など、数々の賞を受賞した気鋭のライターが描く珠玉の震災ルポルタージュ


新聞連載をまとめたもので、およそ2ページの記事に見開きの写真がつく、という構成の繰り返しなので、非常に読みやすい。
ひとつひとつの文章が少ない分、以前読んだ(同じ三浦英之さん執筆の)『白い土地』に比べると、淡泊な感じはするが、その分、扱われている人の多さがこの本の魅力だ。


少し以前に、三浦英之さんのあるつぶやきに対して、“新聞記者の仕事って「作品」を書くこと?フラットに事実を伝えることなんじゃないの?”と批判するtweetが、それなりの数リツイートされていた。

ネットではマスコミ批判の発言が盛り上がることは多いし、自分自身もそう思うこともある。しかし、著作を読むと、「それは違うだろう」と言いたくなる。


そもそもフラットな事実というのは何だろうか?
最近では「ファクト」という言葉も多く使われるが、フラットな事実がただ積み上げられている本を読む自信が自分にはない。
例えば東日本大震災のことを振り返りたいと思ったとき、フラットな事実(ファクト)を常に追い求める人は災害報告書を読むのだろうか。
東日本大震災を忘れてはいけない」と簡単に言うが、時間が経てば多くのことは忘れてしまう。災害に限っても、同じ地震でも熊本地震があるし、多くの豪雨災害もあった。
海外での紛争や地球環境にも目を向ける必要がある。
それ以上に、皆それぞれの生活がある。


記者の仕事は、色々な出来事がある中で、多くの人が知っておくべきテーマについて読者の興味を引く文章を書くことだろう。
その意味では、どの記事も記者の「作品」であり、作品であることと、事実を伝えることは矛盾しない。
少なくとも自分は、この『南三陸日記』と『白い土地』を読んで、三浦英之さんの「記者」としての魂を感じたし、2冊を読むことで、宮城・福島の被災地域をこれまでより身近に感じた。
これらの本を読まなければ、例えば「汚染水」の問題を考えたとき、「復興五輪」という言葉の意味を考えたとき、色々な場面で、うすぼんやりと「被災地」という言葉で括ってわかったつもりになってしまっただろう。
そこには自分と同じように暮らす人たちがいる。そんな当たり前のことが、少し距離が離れただけでも、どんどん当たり前でなくなり、彩度を失っていく。
だからこそ、本で映画でドラマで、時には直接会うことで、色々な場所に住む、多種多様な人々の生き方を知っていく、それが、これからの世の中ではどんどん必要になっていくだろう。
新聞記者の仕事は、その手助けをすることではないか。
そんなことを考えた。


さて内容についても少し触れるが、取材対象になる人たちは、家族を津波被害で亡くした人が多い。
しかも2011年当時の記事なので生々しい写真もある。


そんな中で印象に残っているのは、「申し訳ありません」「家も家族も無事なんです」と答えた渡辺さん(p32)。この方は取材の翌日に登米市に引っ越してしまうのだが、断水が続く南三陸町では生活が厳しいということ以上に「町を歩いていると、周囲に『あんたはいいちゃね。家も車も無事で』と言われている気がして」辛いことが理由だと書かれていて、そんな苦しみもあるのだと改めて知る。(同様のエピソードは『白い土地』にも出てきたが)


取材対象として何度も登場する家族や店もある。
2011年3月に行われた追悼式で、宮城県代表としてスピーチを行った奥田江利子さん(津波で結婚したばかりの長男を亡くした)も何度も出ている。
奥田さんが、追悼文の文案を考える中で、当初最後の文として入れていたが、何度も書き直していく中で削った一文が心に刺さる。

戻れるなら、一年前に戻りたい…

この言葉の代わりに入れた「悲しみを抱いて生きていく」。それしかないとわかりながらも、震災から1年しか経っていない時期に色々なものを捨てなければスピーチでは話せない力強い言葉を奥田さんは選んだ。


そうした中、とても印象的な(文庫版の)表紙写真の、いかにも「新1年生」然とした女の子がどこに登場するのか、実はびくびくしていた。
「娘は4月に1年生になるはずだったんですけど…」
遺影を持った若い両親の口からそんな言葉が語られるのかも、と思っていたからだ。

しかし、彼女が誰なのかは、最後の最後にわかる仕掛けになっている。
そういう「作品」めいた「仕掛け」も含めて、『南三陸日記』は、自分にとって、とても心に残る本となった。


繰り返しになるが、「忘れてはいけない」「知っておかなければならない」テーマは、自分の生活に近い場所(例えばコンビニ)にもあるし、少し距離を拡げればそれこそ無数にある。
そういったところへアプローチするのを手助けしてくれるのが新聞記者や広くジャーナリストの役割だと思う。自分が興味・関心を持ち続けられるのは、多くの方の努力の結果生まれた数々の映像や文章の「作品」があるからだと思う。
三浦英之さんは1974年生まれで年齢も同じ。
三浦さんのように、などと大それたことは言わないが、社会に貢献できるような仕事を残していきたい、と自分を奮い立たせる読書となった。


次はこちらでしょうか。


過去日記

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竜児とマヤとキャンディ~いがらし ゆみこ・水木 杏子『キャンディ・キャンディ』

キャンディ・キャンディ』が届くまで

ご存知の方も多いと思うが、『キャンディ・キャンディ』は、日本どころか世界で愛された傑作アニメとして知られ、いがらしゆみこ先生の代表作でありながら、現在、絶版で入手困難な作品となっている。かつては何度も再放送されたアニメも、あることが理由で今後再放送やメディア化されることはない。(詳しくは下の記事もしくはWikipdeiaを。)
自分はそのことを著作権に関する本を読んで知り、すぐさま調布市の図書館に予約をしたのだった。(調布市水木しげるの故郷ということもあり、漫画の蔵書が比較的充実している)

pocari.hatenablog.com


思えば、それが6年も前のこと。そこから待ちに待ってやっと自分のところに熱望したキャンディ・キャンディが届いたのだった。

高嶺竜児とキャンディ

先ほども書いた通り、子ども時代にはキャンディ・キャンディの再放送をよくやっていた。本放送の時期も生まれてはいたが、2歳~4歳(1976〜1979)の頃のことになるので、ストーリーを意識したのは小学生になってからの再放送だろう。
当時、小学生男子だった自分は、少女向けアニメということで避けていたが、何故か2歳下の弟が熱中して見ていたので気になってはいたのだった。
なお、Wikipediaによれば原作漫画とアニメの関係は以下の通り。最終話のタイミングを一致させるなど、なかなか熱い取り組みがなされた作品だったことが分かる。

原作開始の1年半後にテレビアニメ版が放映開始、原作と同時進行しながら1976年10月1日から1979年2月2日まで放送。放送時間帯は、毎週金曜日19時から19時30分(全115話)。最終話は、原作の最終回が掲載された「なかよし」の発売日の前日に放送された。これは物語のラストで語られる「ある秘密」を出来るだけ同時に明かすようにするための意図的な試みであった。
キャンディ♡キャンディ - Wikipedia

さて、このあたりの「ある秘密」についてもしっかり知らなかったため、ストーリーに興味を惹かれたということの他に、今回、自分が『キャンディ・キャンディ』の物語を読む際に確認をしたかったことが2点あったので、最初にそれについて記しておきたい。


聖闘士星矢』で有名な車田正美が描いた『リングにかけろ』というボクシング漫画の名作がある。
車田漫画の王道と言えば、見開きで必殺技の名前を叫んで敵を倒す展開。
主人公の高嶺竜児の必殺技はフック系で、ブーメランフック→ブーメランスクエア→ブーメランテリオスとストーリーが進むにつれて強力な技に進化していく。
このうち、ブーメランテリオスという必殺技は、倒される相手が皆「テリオスとは…まさか…あの…(ガハッ!)」と一言発して意識を失う超強力な技だが、結局、物語が完結されるまで、テリオスとは何だったのかが明かされないのだった。


そこで、キャンディ・キャンディが出てくる。キャンディが好きになる相手は何人か登場するが、本命はテリュース(物語内ではテリィと呼ばれる)。「テリオスとは、まさか、あの…キャンディ・キャンディのテリュースなのではないか?」という風に誰かに吹き込まれたのか、何か関係があるのかと信じていたのだった。(さっき確認したら、両作品とも好きな弟が冗談で主張していたらしい)

もう一つは、車田正美先生がキャラクターの造形(特に髪型)をキャンディ・キャンディから学んだのではないか、という話を、これもどこからか吹き込まれて信じていたからだ。(この情報は弟由来ではない)
そもそも『リングにかけろ』の世界大会に登場するフランスJrチームは、ナポレオン・バロアが率いる5人兄弟(同じ顔)で、「ベルサイユのバラ』のオスカルと同じ髪型をしているので、これは信ぴょう性が高いと考えていた。

全く関係のない『リングにかけろ』とのつながりを考えると自分にとって『キャンディ・キャンディ』は、倒さなければならない敵だったのだ…。

「アッと驚く展開」でぴったり終わる物語

直前に、(記憶力はいい加減だが)すぐにネタバレをしてしまう奥さんから「たしか最後はとても後味が悪い終わり方だった」と聞かされ、びくびくしながら読む。実際、数人しかいない主要メンバーの何人かが命を落としてしまう展開に、『鬼滅の刃』を思い出して不安になる。
しかし、ラストは、少しずるいと思いながらも「アッと驚く展開」で丸く収まる。(奥さんの記憶違いだったようだ)
はっきり言って6巻があっという間に過ぎてしまう漫画で、そのスピード感と物語の深みは、それこそ『鬼滅の刃』以上のものがある。

好みのタイプとミスリーディング

アンソニー、アーチー、ステアという、兄弟のような3人から好かれ、さらに本命のテリュースだけでなく、嫌なニールからも好かれるというハーレム状態のキャンディだが、キャンディの好みは一貫しているところは信頼のおけるところだ。


最初に登場するのは「丘の上の王子様」。
孤児院「ポニーの家」でキャンディとずっと一緒に暮らしていたアニーが養女として引き取られ、その後、手紙もよこさなくなってしまうことを悲しみ、涙を流す幼いキャンディを「丘の上の王子様」は慰めてくれたのだった。

次は、ニールとイライザにいじめられて泣いていたキャンディを、6年前の「丘の上の王子様」と同じように慰めてくれたアンソニー。(自分は、一番最後まで、「丘の上の王子様とアンソニーは顔が同じで明らかに同一人物なのに、どうして分けるのだろうか…?」と思っていたが、作中では「6年経っているのに同じ姿はおかしい」ということでその可能性は否定されている)

そして、1巻の最後でアンソニーが落馬事故で亡くなり、代わりにアンソニーにそっくりなテリュースが登場する。性格が悪いにもかかわらず、キャンディはすぐにテリュースのことを惹かれていく。つまり丘の上の王子様→アンソニー→テリュースと顔の似ている人を次々と好きになる。


この流れを見ると、一番最後の展開は、上手いミスリーディング(髪の色の設定など)によって成立していることが分かる。その意味で、キャンディ・キャンディはミステリ的でもある。


以下、中公文庫2巻表紙はアンソニー、5巻表紙はテリュース。


さまようキャンディ

ところで、物語全編を通して、キャンディは活動場所を頻繁に移す。このあたりは朝ドラっぽいとも言える。

  • ポニーの家という孤児院(アメリミシガン湖近く)
  • ラガン家(ニールとイライザの家:レイクウッド)
  • メキシコ送りになりかける
  • アードレー家の養女に(レイクウッド)
  • アンソニーの死をきっかけにポニーの家に
  • 留学で聖ポール学院に(ロンドン)
  • イライザが仕掛けたテリーとの密会事件をきっかけに密航して渡米。ポニーの丘に。
  • メリー・ジェーン看護学校に。(ポニーの家から4時間程度)
  • 一次大戦がはじまり聖ヨアンナ病院に派遣。(シカゴ)
  • シカゴのアパート住まいは変わらないながらも、ニールの逆恨みから聖ヨアンナ病院を解雇されハッピー診療所で勤めることに。
  • 同居していたアルバートさんが行方不明になったことをきっかけにポニーの家に戻ろうと決意したところにニールとの婚約話が。
  • ポニーの丘に戻る。

こう書きだしてみると、序盤と終盤でニールの嫌がらせにより二度も居場所を失いかけるキャンディは可哀相。
特に、序盤の「メキシコ送り」の件はひどい。レイクウッド(ミシガン湖近く)からメキシコなんてどれだけ距離があるのか…。

キャンディと北島マヤ

Wikipediaを読むと、ストーリーは『アルプスの少女ハイジ』に着想を得ているようで、確かにそれも納得だが、自分としては、どうしても大好きな『ガラスの仮面』と比較してしまう。
なお、『キャンディ・キャンディ』の連載は、「なかよし」1975年4月号から1979年3月号、『ガラスの仮面』は「花とゆめ」1975年発売の1976年1号で連載開始ということなので、開始はほぼ同時期ということになる。
キャンディ・キャンディ』は終わり方も含めて、恋愛漫画というより、キャンディが自分の望む生き方を求めていく「自分探し」の漫画なのだが、まさにその恋愛要素が類似点だ。


両作品で対応するキャラクターは以下の通り。

  • アルバートさん:速水真澄
  • イリアム大おじさま:紫のバラの人
  • ジョルジュ:聖さん
  • ステア:桜小路君
  • スザナ(テリィの共演相手):紫織さん

こう見ると、マヤは気が多くて少しフラフラするので、桜小路君のような男が犠牲になっていることがよくわかる。
キャンディは「好き」がはっきりしているので、アーチーもステアも、キャンディへの愛情は変わらないが、気持ちを切り替えて他のパートナーを見つけている。(ステアにはパティ、アーチーにはアニー)
マヤがキャンディくらい桜小路くんのことを相手にしなければ、桜小路くんももっと幸せになっていたはずなのに…。


一方、ヒロインがもう少しで最愛の人と結ばれるというときに決定的な問題を生み出してしまうスザナは、紫織さんは完全に同じ役回り。
また、照明が落ちてきて怪我をするのは姫川亜弓と同じ状況であることを考えると、美内すずえ先生がキャンディ・キャンディを好きでわざと似せてきているということもあり得る。

ガラスの仮面 1

ガラスの仮面 1


最後に

ということで、キャンディ・キャンディは、悲劇、別れ、驚きの展開と、物語を盛り上げるいくつものポイントが短い話に盛り込まれているだけでなく、第一次世界大戦時のアメリカ、イギリス、フランス(ステアはフランス軍の志願兵となる)を舞台にした、やや骨太の要素もあり、得るところの多い作品だった。
それだけに、こんなに面白い作品が、手軽に読めないのはとても残念だが、著作権裁判についても勉強しておきたい。


なお、ブーメランテリオスの秘密はわかりませんでした。
また、ステアが何となく、ドイツJr.のヘルガに似ているかなと思ったけど眼鏡が共通するだけでした。

迎撃!田島貴男DCvol.2『風の歌を聴け』『RAINBOW RACE』『Desire』編

記事のタイトルは「田島貴男DC」としていますが、「田島貴男のHome Studio Concert ~ディスコグラフィー・コンサート」が正式名称。
買い忘れている人は早くチケットを買いましょう。

2021年一月から半年間に渡って、Original Loveのアルバムを3枚ずつピックアップし、その中から選んだ曲のみでライブする月に一度のプログラム「ディスコグラフィー・コンサート」。
第二回は、『風の歌を聴け』、『RAINBOW RACE』、『Desire』からピックアップ。
▼チケット購入URL https://originallove.moala.live/products/hsc-3-st
▼チケット価格 1,500円
■生配信予定日時:2021年2月20日(土) 21:00~22:00
アーカイブ閲覧可能時間:生配信終演後~2021年2月24日(水)23:59
http://originallove.com/news/2021/01/23/3292

前回⇒迎撃!田島貴男DCvol.1『LOVE! LOVE! & LOVE!』『結晶』『EYES』編 - Yondaful Days!
前々回⇒迎撃!田島貴男「ディスコグラフィー・コンサート」(に向けた準備) - Yondaful Days!



さて、突然ですが、自分は読書好きのように見せかけて、本は「買ったら読まない」「人から借りたら読まない」というのが習慣づいてしまっています。要は図書館で借りるものが最優先で、どんなに面白そうな本でも購入した瞬間に優先順位が下がり、数年手に取らないことがザラです。
最初にそういう言い訳をしたのは、まだ、この本を読んでいなかったから。

ポップスの作り方 田島貴男(オリジナル・ラブ) (ギター・マガジン)

ポップスの作り方 田島貴男(オリジナル・ラブ) (ギター・マガジン)

  • 作者:田島 貴男
  • 発売日: 2016/10/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

しかし、何となく予感がして本棚から引っ張り出して読んでみたら、まさしく今回のディスコグラフィー・コンサートの基本コンセプトが書かれているではないですか!
すなわち、この本の中では、田島貴男自身が、過去作について3枚ずつに区切って振り返っているのです。(この本の前半は語りおろしスタイルなので、田島が能地祐子さんに語っている口調ですね)

オリジナル・ラブの歴史をアルバム単位で区切ってみるならば『LOVE! LOVE! & LOVE!』『結晶』『EYES』の3枚と、初のベストアルバム『SUNNY SIDE OF ORIGINAL LOVE』までがメジャー・デビューしてからの第一期ということになる。わかりやすく言えば、宮田(繁男)さんがドラムスの時代ということ。まったく意識はしていなかったけど、今になって思えば最初のアルバム3枚は3部作っぽい感じだね。p76

風の歌を聴け』、そしてレコード会社を移籍してからの『RAINBOW RACE』、『Desire』という3枚。これもまた、なんとなく3部作っぽい感じになっている。(略)
「接吻」前後は所属事務所を変わったり、制作まわりの環境も少し変わった時期だった。(略)
最終的に小松、佐野っち、そして第一期から(木原)龍太郎さんが残って、その形でバンドをやることになった。ここからがオリジナル・ラブの第二期、『風の歌を聴け』の時代。p84

ひとまず『Desire』でワールド・ミュージック的アプローチはやりきった感があって、そこから今度は全然違う方向に舵を切る。ここからがまた結果的に3部作っぽくなっているんだけど『ELLEVEN GRAFFITTI』『L』『ビッグクランチ』の3枚。ドラムンベースとか、当時のクラブ・ミュージックやサンプリング音楽の類を聴くようになって。ちょうどデ・ラ・ソウルやベックなんかも盛りあがってたし、そういう部分を自分もやってみたくなったんだ。聴くのは好きだったけど自分の音楽ではやってなかったようなことをやってみようか、と。p88

という風に、ここまでは明確に3枚ずつに区切って語られています。
ただし、『ムーンストーン』以降は、本の中でも「音楽以外の面での難題が続出していて大変な時期」ということで、語り口自体が少し変化して、3枚毎には区切られていません。
3枚ずつ区切ると『ムーンストーン』『踊る太陽』『街男 街女』 で区切ることになりますが、ファンは誰もがそう思っているように、これは分けられないだろうという2作についても次のように話しています。

『街男 街女』と『東京 飛行』は、自分的にはショートムービー2連作みたいなイメージがある。p98

普通に考えれば、「第4期」オリジナル・ラブは、メジャー時期の最終ということで、『ムーンストーン』『踊る太陽』『街男 街女』『東京 飛行』の  4枚でまとめてディスコグラフィーコンサートを行うのでしょう。
その後のことを考えても、次を『白熱』『エレクトリックセクシー』『ラヴァーマン』とする方が区切りが良いです。
ずっと「第3期」のディスコグラフィーコンサートに期待をかけていましたが、やはりファンも一緒に苦しんだ感のある「第4期」は、その時期の思い出話みたいなものも含めて楽しみになってきました。

対象アルバム

  • 風の歌を聴け(1994年6月27日)
  • RAINBOW RACE(1995年5月17日)
  • Desire(1996年7月19日)

1994年~1996年の音楽

1994年の音楽 - Wikipedia
シングル

アルバム

⇒ランクからはわかりにくいが、世間的にはビーイング系が勢いを落とさない中、小室哲哉が盛り上がった年。

1995年の音楽 - Wikipedia
シングル

アルバム

⇒1995年は震災の年。前年からミスチルが大人気だったが、スピッツも人気になる。

1996年の音楽 - Wikipedia

シングル

アルバム

小室哲哉強し。PUFFYがデビューした年。

1994年~1996年は、大学2年生~大学4年生の時期。
オリジナル・ラブのシングル「接吻」は1993年10月発売で、勿論これがヒットして知ってはいたのだが、自分はほとんどこの曲を意識しておらず、1994年4月発売のシングル「朝日のあたる道」で本格的にオリジナル・ラブを知ることになる。
ただ、時期的には、それも決定打にはなっておらず、1995年4月発売のベスト盤『The Very Best of ORIGINAL LOVE』を聴いたのが、オリジナル・ラブにハマるきっかけだった。なお、1994年はミスチル『Atomic Heart』をよく聴いた。ミスチルスピッツは初期は渋谷系として括られることもあったように思う。


この1995年あたりの、自分の音楽的嗜好の変化は途轍もなく大きなものがある。1994年までは、いわゆる渋谷系の音楽どころか洋楽も全く聴かずにいた。CDTV(番組開始は1993年)を見て良さそうな曲をレンタルCDで借りる、というくらいしか音楽にはお金をかけなかったので自すべてはCDTVの掌の中で音楽を聴いていた感じか。
ところが、おそらく1995年初頭くらいの時期に図書館*1で借りた小沢健二『LIFE』とコーネリアス『THE FIRST QUESTION AWARD』を聴いて衝撃を受け、むしろ渋谷系を熱心に聴くようになる。(おそらく、それまでは歌メロ以外の音楽は聴こえていなかったのだと思う。)


なお、自分にとって音楽の「カンブリア爆発」が起きたこの時期に、大学時代の友人だったid:atnb(今でも仲の良い友人です。ピチカート・ファイヴのファン。)に押し付けられるようにカセットテープのダビングを5本くらいもらって、これは自分の音楽の幅を広げるのに決定的な役割を果たしたように思う。
橋本徹フリーソウルシリーズ が1994年に開始ということなので、それに影響を受けて編まれたテープなのか、色々な楽曲が入っていてとても勉強になっただけでなく、過去の名盤に食指を伸ばすきっかけとなった。

  
ということで、オリジナル・ラブにハマりだしたのは、ちょうど『RAINBOW RACE』が出た頃で、そこから『Desire』が出るのを待つ期間は、自分にとって長かったとともに勉強の時期だった。
延々と、当時の最新作『RAINBOW RACE』を正座して聴きつつ、初期3部作を聴き、企画盤『Sessions』のほか、『SUNNY SIDE OF ORIGINAL LOVE』(1993年12月8日発売)、そして『WILD LIFE』『SUMMER LOVE』を聴く。このうち、『SUMMER LOVE』はジャケも好きだし、波の音が入っているのも自分にとっては新鮮で、本当にリゾートに行っているような気分になる大好きなアルバム。
さて、「覚醒」した自分が、生まれて初めて発売日に買ったアルバムはCornerius『69/96』(これはタイトルの通り発売日は96年の6月9日)、少し遅れて待ちに待った『Desire』が出るのだった。


風の歌を聴け(1994年6月27日)

改めて聴いてみても色褪せない。
何も言えねえ。という言葉で済ませたいくらいのアルバムで、多くはコメントしないが、演奏を望む曲だけを書くと、聴いたことがないわけではないが演奏機会の少ない「時差を駆ける想い」を挙げたい。(以下にも収録されていることを考えるとレア曲というわけではないのですが…)

ひとりソウルショウ

ひとりソウルショウ

  • アーティスト:田島貴男
  • 発売日: 2012/06/27
  • メディア: CD

大学生時代に3度ほど行った海外旅行の際は、ウォークマンで聴くためにお気に入りの曲をテープに詰め込んだ。そこに絶対に入れていたのが「時差を駆ける想い」。国内の遠距離では味わえない「時差」を感じることになるのだから、ここぞとばかりに、この選曲。
今聴いても見知らぬ国で夜眠るときに遠くに聞こえる雑音や匂いを思い出す。
また、ライブでほとんど演奏していないという「二つの手のように」。


なお、この3枚のアルバムの解説は、本当に『ポップスの作り方』が最高の教科書になっているが、『風の歌を聴け』からは、基本的にすべての曲で田島貴男がギターを弾くようになったという事実は、アルバム全体の印象にも大きく影響を与えているように思う。このあたりのギタリストとしての田島貴男の意識の変化の話は第二章に詳しいが、とても面白く読んだ。

RAINBOW RACE(1995年5月17日)

自分にとっては、ながら聴きではなく、純粋に音楽のみに耳を澄まして聴いた、言い換えれば「正座して聴いた」回数の一番多いアルバムで、今回聴いてみて、改めてアルバムの良さが体の隅々に染み込んでくる。
結局、この2枚を聴いた、95年頃のこの時期に、ようやく自分はドラムを中心としたリズム楽器が耳に入るようになって来たのだと、今わかる。
それまで歌メロのみを聴いていたのが、ベースラインや他の楽器のメロディが聴こえるようになり、さらにドラムを中心としたリズム隊に耳が行くようになる、とリスナーとしての自分も少しずつ成長していった気がする。
実際、『風の歌を聴け』『RAINBOW RACE』の2枚は、ドラム佐野康夫とベース小松秀行という、二人がいたからこそ出来たアルバムで、『ポップスの作り方』によれば、この2枚の2年間は「がっつり、毎日が真剣勝負の活動をやって燃え尽きてしまったんだ(p87)」という。
だからこそ、当時を回想する田島のこんなつぶやきは、想像を掻き立てる。

あの時はそういう感じでやってみたかったんだけど、もしそのまま佐野っちと小松と一緒にやっていて、3人で『Desire』を作っていたらどうなっていただろうと考えることはある。たぶん、全然違うアルバムになっていただろうな。(p87)


なお、14年前に『RAINBOW RACE』について書いた文章を読むと、『RAINBOW RACE』についてというより、『東京 飛行』後の宙ぶらりんな気持ちがよく表れていて興味深い。(かなり踏み込んでものを言っていて「何様だよ」と思ってしまう笑)
pocari.hatenablog.com


さて、今回、聴きたいのは、「ブロンコ」と比べると登場回数の少ない「ダンス」(どちらも「Let’s Go」の遺伝子を受け継ぐ曲と思う)。そして、やはり首都高を走ることがあれば絶対に脳内を流れる「流星都市」。そして、ドラムがうるさい「ホモ・エレクトス」。

Desire(1996年7月19日)

先行シングル「Words of Love」(6月5日発売)は『Desire』まで繰り返し聴いたから今でも思い入れのある楽曲。カップリングは「ガンボ・チャンプルー・ヌードル」で、「何だこれ」感はアルバムを聴く前から既にあったが、それでも『Desire』の1曲目「Hum a Tune」には度肝を抜かれた。

この「なんか違う!」は、癖の強い楽曲もだが、主に「歌い方」に対してのもの。のちに能地祐子さんが書いていた「大瀧詠一を思い起こさせる」というコメントを読んで、「おお!そうか!」と思い、大瀧詠一はっぴいえんどを聴きこむきっかけとなった。
自分の場合、初めて行った音楽ライブはオリジナル・ラブのDesireのツアー(府中の森)だったことも含め、すべてが楽しく新鮮な音楽ライフを送っていたことを思い出す。


ただ、聴き直すと、やはり『Desire』は前2作とは大きく異なる。
はっきり言えば『Desire』は一曲一曲は思い入れのある楽曲も多いが、自分にとっては一枚を通して聴きにくいアルバム。
収録時間の関係もあるのかと考えたが、確認すると『Desire』は前2作よりも収録時間が短い。(詳しくは以下)
pocari.hatenablog.com


コンピ盤『Light Mellow Original Love』を編んだ金澤寿和さんが「その時期(東芝EMIの時期)の田島貴男は音楽的ベクトルを一本に集約させていったのに対し、自分の型ができ上がったあとのキャニオン期は、逆にそれを拡散させていく。」*2と書いているが、まさにその通りで、音楽的ベクトルを一本に集約した到達点が『風の歌を聴け』『RAINBOW RACE』なのだと、今回聴き直して実感した。(そしてそれが、ドラム佐野康夫とベース小松秀行との協働の中でこそ到達した地点であるということを、その後「再結成」を果たしたアルバム『ラヴァーマン』で音を通して理解できた。)


ただ、ポニーキャニオン期の、田島貴男博士の研究発表のようなCD類は本当に面白くて、一枚一枚勉強しながら聴いた。
『Desire』は、まさに「ZIGZAG」のような「折れ曲がって渦巻いてこんがらがってる」道の始まりとなったアルバムともいえる。
さて、そんな中でも変な曲である「黒猫」が今回一番聴きたい曲。大好き過ぎる「Hum a tune」「青空のむこうから」は、少なくともどちらかをきっとやってくれるでしょう。Vol1で「愛のサーキット」を演奏したことから考えると「Masked」もあり得るのか?

演奏してほしい3曲

  • 「時差を駆ける想い」
  • 「二つの手のように」
  • 「ダンス」
  • 「流星都市」
  • ホモ・エレクトス
  • 「黒猫」

今回も6曲…。

セットリスト

  1. 朝日のあたる道
  2. The Best Day of My Life
  3. Your Song
  4. ガンボ・チャンプルー・ヌードル
  5. 黒猫
  6. 二うの手のように
  7. 流星都市
  8. Masked
  9. ブロンコ
  10. ミッドナイト・シャッフル
  11. 少年とスプーン

感想

レア曲という扱いの 「Your Song」「流星都市」「二つの手のように」が聴けた!
それだけで満足ですが、特に「流星都市」は、今後のレパートリーとして演奏されることは確実では?と思わせる完成度でした。
3月26日からの弾き語りツアー(大阪、東京、静岡、愛知)が楽しみですね。

ただ、色々と期待が高まり過ぎたせいか、あと二押しくらい(具体的には「時差を駆ける想い」「ホモ・エレクトス」)欲しかった。そう考えると、「朝日」と「ブロンコ」は両方とも演奏は良かったんだけれども、今回はご遠慮いただいた方が…とか色々なことを考えてしまいました。


実は、先週以降仕事が忙し過ぎて気が落ち着かず、ライブの「おかわり」を一度も観ることが出来なかったのは本当に残念ですが、思い返すと、新兵器「バリトンギター」仕様のリゾネーター・ギターで演奏した「Masked」は、なかなかの新感覚で良かったです。
曲自体は「少年とスプーン」と並んで『Desire』の“統一感のなさ”を代表するような曲で、自分の中では『結晶』の「愛のサーキット」と同位置にある「微妙な曲」なのですが、ノリノリに演奏している様子も含めて、とても楽しい。
こういう「新しいこと」を仕込んでくるのは流石だと改めて思わされました。


そして今回のDCは何といっても新しいアルバム『骨tone BLUES』の発表がありました。MCでは、「ライブが終わったらすぐに買える」という意味のことを言っていたような気がしますが、実際には予約が開始で3/25に発売(順次発送)。
「初の弾き語りロックンロールアルバム」という謳い文句で、「BLUES」というアルバムタイトルからも納得ですが、 『東京 飛行』から3曲(「しゃれこうべ」(←何故ひらがな?)「遊びたがり」「ZIGZAG」)というのは驚きです。「築地オーライ」(『街男 街女』)も合わせて、最近は比較的よく演奏される曲と言えるのかもしれませんが、ここに来て敢えて『風の歌』色が薄めな選曲というのが面白いですね。楽しみです。

田島貴男、初の弾き語りロックンロールアルバム「骨tone BLUES」発売決定。 / NEWS / ORIGINAL LOVE OFFICIAL WEB SITE



次回は3月20日(土)。ついに大好きな『L』を含む、ディスコグラフィーコンサートの個人的なクライマックスです!
何とか仕事を上手く納めて万全な体制で迎えたいと思います。

*1:これは図書館も覚えていて、井の頭線新代田駅が最寄りの代田図書館。先にも書いた通り、音楽を聴きはするがお金をかけることがなかった。

*2:こちら→Light Mellow on the web 〜 turntable diary 〜 : ■ LIGHT MELLOW オリジナル・ラブ・ LIGHT MELLOW チャー

さすがに一冊ではわからない~関眞興『一冊でわかるドイツ史』

まずは読んだ自分を誉めたい。1月初めに今年は歴史を勉強するぞ!と宣言したその気持ちは続いていることを自分のことながらも改めて認識しました。
とはいえ、とても字が大きくて読みやすい本なので、読もうと言えばすぐ。でも「一冊でわかる」と言われると、さて自分は何を「わかった」のか?という疑問符で頭の中はいっぱいになるわけです。


ということで、まず、今回勉強してわかったことを羅列します。

  • 前身だった神聖ローマ帝国は1806年にナポレオンによって滅ぼされてしまった。これを読むと、ナポレオンは相当に強いんだな…。
  • オーストリアはドイツ人の国であり、ドイツ連邦(1815年-1866年)時代はその中に含まれたが、普墺戦争(1866)で袂を分かつ。その後オーストリア=ハンガリー二重帝国を経て、オーストリア共和国。1938年にヒトラーによりドイツに併合された。普墺戦争の普はプロイセン王国
  • 1871年に「ドイツ統一」が成し遂げられ、ドイツ帝国が成立。プロイセン王ヴィルヘルム二世が初代皇帝に。東西ドイツの統一以外に「ドイツ統一」があるのは知らなかった。
  • 四面楚歌という言葉があるが、一次大戦時も二次大戦時も随分たくさんの敵を周囲に戦っていた国ということに驚き。特に1914年。東のロシアと西のフランスを同時に相手しつつ、イギリスに攻められ、アジア・太平洋では日本を相手に闘い、その後イタリアも敵となり、さらにアフリカ植民地でも戦う中で、アメリカも参戦。これでよく国が残ってるなと感心。
  • 1918年にドイツ革命というのがあり、これによりドイツ帝国が無くなり、第一次世界大戦が終わった。その後にできたのがドイツ国(1919-1945)で、ワイマール共和国と呼ばれる。ロシア革命は習ったけど、ドイツ革命というのもあるのか…
  • 1967年にECが成立した契機は、1962年に仏大統領ド・ゴールが西ドイツを訪れ、「歴史的な和解」が実現したこと。確かにこの二国は常に戦争してきたということを読んだばかりなので納得。


さて、少し20世紀は復習したおかげもあって少しわかった気がするが、ナポレオンや神聖ローマ帝国の時代はやっぱり理解しづらい。
今後の勉強のために何が理解しづらい理解したいポイントを書く。

  • ドイツとプロイセンの関係がとても分かりづらい。オーストリアも含めると近い国の話なはずなのにかなり混乱する。ましてや神聖ローマ帝国ハプスブルク家の話は地理的な位置関係のイメージのしにくさもあり大混乱。本としては、頻繁に地図が入ったものを読まないとわからないか。
  • フランスとドイツが歴史的に仲が悪いことはわかった。でも何故?が分からなかった。もっと二国に絞ったものの方がいいのかも。
  • さらに、もともと興味のあった、ドイツとロシアの間にあるいわゆる東欧諸国についても結局ぼんやりしたままだった。これもやっぱり周辺地図と同盟関係が常にわかるような本がいいかも。
  • なお、フランス革命やナポレオンあたりの基本的な知識がなさすぎる。恥ずかしながら『ベルサイユのばら』を未履修なので、次はこれなのか。


本の冒頭にも書かれているが、比較されたりすることも多く、勝手に親近感を抱いている国(少なくともEUの国の中では親近感を抱く上位の国)ですが、100年前に「革命」が起きていたり、ナチス支配の二次大戦時だけでなく、一次大戦でも周囲に多く敵を作っているなど、波乱万丈な国の歴史をたどっていることは理解しました。
それでありながら今EUで中心的な役割を担っているというのは、本当にすごいです。ASEANやTPP内での日本の立ち位置を考えるととても信じられない。
ただ、日本人は自虐的な見方で自国を眺めてしまうという人もいるので、世界の歴史と並行して日本の歴史も勉強していきたいですね。
次はこれかな。

ベルサイユのばら(1)

ベルサイユのばら(1)

どこが「復興」し、何に「打ち勝つ」のか?~三浦英之『白い土地』


「人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証として」という欺瞞に満ちた枕詞がすっかり印象づいてしまったが、そもそも東京五輪は、東日本大震災の復興五輪という位置づけが大きかった。
先日の菅首相の施政方針演説にも、「東日本大震災」の言葉が添えられている。

菅首相は「夏の東京オリンピックパラリンピックは、人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証として、また、東日本大震災からの復興を世界に発信する機会としたい」にすると説明。
菅首相「東京五輪、人類がコロナに打ち勝った証に」開催に改めて意欲 施政方針演説 :東京新聞 TOKYO Web

そもそも東京五輪は、(それが誘致のきっかけとなったのかどうかはわからないが)2013年9月のIOC総会で、安倍首相(当時)が、東京電力福島第一原発を「アンダーコントロール」と表現したことが発端と言っても良い。*1
昨年2020年の3月に震災から丸9年を控えた福島を訪れた安倍首相(当時)を引き留めて「今でも『アンダーコントロール』だとお考えでしょうか」と地元記者が質問したことは、テレビでも報道されて印象に残っていた。


安倍首相県内を訪問 JR双葉町など視察


その記者が、この本を書いた三浦英之さんだという。
三浦さんについては『日報隠蔽』の共著者であることを知っていたが、実際に本を読むのは初めて。
本の概要は以下の通り。

「どうしても後世に伝えて欲しいことがあります」
原発事故の最前線で陣頭指揮を執った福島県浪江町の「闘う町長」は、死の直前、ある「秘密」を新聞記者に託した――。


娘を探し続ける父親、馬に青春をかける高校生、名門野球部を未来につなぐために立ち上がったOB、避難指示解除後たった一人で新聞配達を続ける青年、そして帰還困難区域で厳しい判断を迫られる町長たち……。

原発被災地の最前線で生き抜く人々と、住民が帰れない「白い土地」に通い続けたルポライターの物語。

ノンフィクションを読む際は、「知識」を得ることを目的とする場合が多い。
今回も、「白い土地」とは何か、帰還困難区域」の現状はどうなっているのか?という関心からこの本を読んだ。
しかし、予想外に、「知識」要素は少なく「人間」「生活」を強く感じる本だった。*2
ひとつひとつの話に、起承転結がついているわけではなく、取材は、それぞれの人の生活・人生の一部を切り取ったものに過ぎない。しかし、その文章を通して、自分は、作中の人物と会ったような気がしてくるのだ。

少し考えてみると、それは、三浦さんの取材対象との向き合い方によるものだということが分かってくる。
取材対象の人物たちは、三浦さんのことを「新聞記者」ではなく「三浦さん」として扱う。必然的に、内容も生活の方に寄って来る。これは、『聖の青春』(大崎善生)や沢木耕太郎の著作の手法に近く、ああ、そうか、こういうのをルポルタージュというのか、と改めて思った。

「帰還」と「新しい町」

特に、印象的なのは、週一回ではあるが、三浦さん自身が新聞配達を行った浪江町 の鈴木新聞舗を取材した第4章「鈴木新聞舗の冬」。
新聞配達の時期は、浪江町に出されていた避難指示が一部で解除されてから半年が過ぎた頃。しかし新聞配達をしていたからこそ、浪江町役場が公表していた帰還住民の数が「多め」の数字であることに気がつく。


このあたりの「帰還住民」の問題は、実際の原発事故や津波被害など直接的な被害に比べると、想像力を要する。
第5章~第7章は「ある町長の死」として、ガンを患っていた馬場・浪江町長のインタビューがまとめられている。
町内に原発が立地していない(故にそもそも恩恵が少ない)にもかかわらず、原発直後の空気の流れと降雨の影響で町全体が極度に汚染されてしまった「悲劇の町」。(いわゆるSPEEDIの問題はこれに直結する)
浪江町長としての津波災害、原発事故への対処、事前に通報連絡協定が結ばれていたにもかかわらず事故発生時に情報発信が何もなかった東電への怒りなど、今読んでも緊迫感が伝わってくる。
しかし、もうひとつのクライマックスは2017年2月。政府が浪江町中心部の避難指示を解除する考えを表明し、これを受けて町長が町内に帰還することを決断したときのこと。
この頃の馬場町長の危機感は町おこしならぬ「町のこし」という言葉に現れているが、三浦さんは「帰還の時期が早すぎたと思うことはありますか」と繰り返し質問する。

避難指示の解除から半年で町に帰還した人はわずかに約380人。町内にはスーパーや病院はなく、新設された小中学校への入学希望者は10人に満たない。帰還住民のうち少なくない人が「こんなことなら戻らなかった」と嘯き、その不満の多くは今、馬場町政への批判となって町役場に寄せられている。p147

かつての生活を取り戻したいと、生活の場に「自分だけが」戻っても、そこでの生活は、以前のものとは全く違ったものになる。確かにその通りではある。
さらに、人の数が十分だったとしても新たな問題もある。第10章では、大熊町の状況についてまとめられている。
浪江町と同様、一部の地域で避難指示が解除されて人口の1%程度、約120人が帰還した大熊町。新しい町役場が建設された大川原地区では広い町道を挟んだ南北で状況が大きく異なるという。

町道の南側には原発事故で家や土地を失い、八年ぶりに故郷に戻った帰還住民が災害公営住宅で暮らす。一方、北側には東京電力の社員寮が建設され、廃炉作業に取り組み約620人の東電社員が生活している。p213

北側住民の多くは町に住民票を移していないため、週末には首都圏に帰ってしまうという。原発事故の加害企業の社員と被害者が向き合って暮らすという「新しい町」は、大量の汚染土を一時的に収容するための「中間貯蔵施設」(保管期限は30年という約束になっている)の受け入れも決めている。
第3章で出てくる、2016年に結成した双葉高校野球部のOBチームの取材の中では、「OBチームの中でも、原発事故や避難生活のことについて会話を交わしたりすることがあるのでしょうか」という質問に対して、「いや、ありませんね」という答えが返ってくる。

それぞれいろいろな事情を抱えていますから…。加害者の立場の人もいれば、被害者の立場の人もいる。自宅が帰還困難区域にあり、今も帰れない人もいる。まあ、そこら辺は暗黙の了解です。私たちはね、ただ野球がやりたいだけなのです… p55

そう答えた人は、中間貯蔵施設の出入り口で敷地内に出入りする車の放射能量をチェックする仕事をしているという。
また野球部OB会会長は、環境省の中間貯蔵施設用地補償課に勤め、毎日のように用地交渉で「バカ野郎」と怒鳴られているという。
三浦さんの書くような原発被災地の取材に対して、健康被害はないのに風評被害を煽っているだけ、というような非難をする人もいるが、土や水の処理をめぐって将来への不安が消えないということ以上に、日常生活での苦労が絶えないことがよくわかる。この現状を見ると、まったく「復興」が終わっている感じはしない。

「アンダーコントロール」と復興五輪

このような、帰還困難地域の現状、および汚染土を詰め込んだフレコンバッグの置かれた仮置き場の状況(p189)を踏まえた上で、この本の終盤は、第11章「聖火ランナー」で、安倍首相の「アンダーコントロール」発言に対する質問に向かっていく。
2019年12月17日に発表された聖火リレーのルートを確認して三浦さんは改めて理解する。

目の前に広がる「風景」は為政者や大会主催者の意思を雄弁に物語っていた。彼らが意識しているのはきっとランナーや観客ではない。東京オリンピックを報じるために世界各国から集まってくる海外メディアの視線…つまりカメラだ。彼らはその映像の中に「復興の影」が映り込むことを極端に嫌っているようだった。発信したいのはあくまでも「復興の光」であり「復興を遂げた福島」という為政者や大会主催者がこの東京オリンピックによって作り上げたいイメージなのだ。p225

このことは「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として」との比較でも日本政府がアピールしたい日本像が徐々にシフトしてきていることが分かる。
安倍~菅政権の「科学音痴」がここに極まれり、という気がしてくるが、カッコよく見せたい「美しい姿」のビジョンはあっても、国の現状を科学的に把握することが出来ない。
それでも福島は国内だったから「世界を騙す」ことも可能だったのかもしれない。2021年1月の現状を見て全世界に対して「人類が打ち勝った」と胸を張れる気持ちが本当に理解できない(そう思っている世界の指導者がどの程度いると想像しているのだろうか)。また、処理水の海洋放出の話も残り時間がなく、廃炉処理のスケジュールも延期続きの状況下で今も「アンダーコントロール」と発言できる安倍さんはロボットで本当は心がないのではないかと思う。


三浦さんは「復興五輪」について、終章「1000年先の未来」でさらに突っ込んだ考察をする。

政府が掲げる「復興五輪」…その言葉自体に偽りはない。ただ、その対象が彼らと私では違っていたのだ。彼らが掲げる「復興」とは、原発被災地や津波被災地の「復興」ではなく、彼らが暮らす首都・東京の「復興」。もっと踏み込んでいえば、その東京に電気を送る東京電力の「復興」ではなかったか。p252

この言葉は、ぼんやりしたイメージで「復興五輪」を捉えていた自分のような人間にも突き付けられていると感じた。東日本大震災原発事故からあと少しで10年。「記憶を風化させてはならない」というお題目のもとで、当時のことを振り返ったりする機会こそあれ、帰還困難地域の「現状」としっかり向き合う機会はこれまでなかった。
現場を直接ではなく、周囲で暮らす人たちの生活の様子が垣間見られるこの本を読んで、改めて、色々な場所に暮らす人たちを想像することを続けていきたいと思った。

次に読む本はやはりこちらでしょうか。

南三陸日記 (集英社文庫)

南三陸日記 (集英社文庫)

*1:それにまた「人類が打ち勝った証」という嘘(少なくとも科学的根拠に乏しい言葉)を重ねるのか、ということを考えると頭が痛くなる。

*2:最近『オールラウンダー廻』という格闘漫画を読んでいるが、似たような印象を感じている。

迎撃!田島貴男DCvol.1『LOVE! LOVE! & LOVE!』『結晶』『EYES』編

記事のタイトルは「田島貴男DC」としていますが、「田島貴男のHome Studio Concert ~ディスコグラフィー・コンサート」が正式名称。
本当に素晴らしい企画で期待が高まります。
3枚ずつのピックアップということで、1/23(土)の配信ライブで対象となるアルバムは以下の3枚です。
毎回書くようですが、自分は、ポニーキャニオン時代からオリジナル・ラブに入ったので、東芝EMIの頃のアルバムは後追いで、当時の思い出もへったくれも無いのですが、当時聴いていた音楽を思い起こしつつ、アルバムを聴き直してレビューし、気持ちを盛り上げます。
決意表明はコチラ⇒迎撃!田島貴男「ディスコグラフィー・コンサート」(に向けた準備) - Yondaful Days!

対象アルバム

  • LOVE! LOVE! & LOVE!(1991年7月12日)
  • 結晶(1992年5月1日)
  • EYES(1993年6月16日)
  • SESSIONS(1992年8月26日)※企画盤

1991年~1993年の音楽

1991年の音楽 - Wikipedia
シングル

アルバム

⇒ドラマタイアップの当たり年。1989年にベストテン、1990年にトップテンが終了しているのも関係あり?

1992年の音楽 - Wikipedia
シングル

  • 1位 米米CLUB:「君がいるだけで/愛してる」
  • 2位 浜田省吾:「悲しみは雪のように」
  • 3位 B'z:「BLOWIN'」

アルバム

尾崎豊の亡くなった年。

1993年の音楽 - Wikipedia
シングル

アルバム

ビーイングの年。なお、Wikipedea情報によれば、1993年をピークとするビーイングのブームは「1990年のB.B.クィーンズのヒットを契機に始まった」という。え!B.B.クィーンズビーイングの始祖なんだ…。


1991年~1993年は、高校2年生~大学1年生の時期。
高校生の頃の自分にとって、音楽はテレビから流れてくるもので、学校ではユーミンやサザンのアルバムが…という話をしている人もいたが、CDを買うことはしなかった。
家にCDラジカセはあったものの、図書館で借りることがしばしばで、おそらく勉強優先のためなのか、歌モノを避けて、歌詞のないものばかりを聴いていたように思う。(G-クレフ、クライズラー&カンパニーカシオペア、スクエア、その他ゲームミュージック
ただ、流行りものは聴いていた。高校時代はLINDBERGプリンセス・プリンセス米米CLUB、ドリカム、ユニコーンなど。あと、2つ下の弟が1992年売上トップのチャゲアス『SUPER BEST II』を買ってきていたので、このアルバムは結構聴いた。
いやいや、思い出すと、いわゆるガールポップと括られるのか、谷村有美遊佐未森を好んで聴いていたのがこの時期だと思う。

愛は元気です

愛は元気です

  • アーティスト:谷村有美
  • 発売日: 1991/05/15
  • メディア: CD

大学に入ってからはカラオケで歌うためにCDを借りてテープを作るのが好きだった。親の車を運転させてもらうときにテープを入れるのが嬉しかったのを思い出す。
ただ、具体的にこの人のアルバムは全部聴いているのいうのはあまり無く、一人挙げるならば小比類巻かほる。『silent』(1991)あたりまでを一番よく聴いていて、おそらく新盤(中古盤でない)で初めて買ったアルバムは、『silent fiction tour 1991』(1992)というライブアルバムだと思う。

silent fiction tour 1991

silent fiction tour 1991


そんな1993年の自分は、オリジナル・ラブのことをまだ知らない。

LOVE! LOVE! & LOVE!(1991年7月12日)

LOVE! LOVE! & LOVE!

LOVE! LOVE! & LOVE!

  • 発売日: 2016/02/03
  • メディア: MP3 ダウンロード

ここまで説明したように、東芝EMI時代のアルバムはリアルタイムではなく後追いで聴いているのだが、その中でもこのアルバムには実は思い入れがない。
というのも名曲が多い故に、他の企画盤やベストアルバムと比べてこれを聴きたくなるタイミングが少なかったから。ジャケも2枚組ならではのゴージャス感があるし、これぞ信藤三雄というカッコ良さに満ちているけれど。
だから他のアルバムでいつも気にする曲順等もあやふや。ただ、聴き直すと、「I WANT YOU」~「DARLIN'」の流れは大好きでよくここを聴いていたことを思い出した。
このアルバムの楽曲は、メロディラインは避けてベースラインやサックスを辿る聴き方をすることが多いけど、中でも「I WANT YOU」はいつもそう聴いていた。この曲はライブでは聴いたことがない…と思ってクレジットを確認すると、作詞は井上トミオ(井上富雄さんのオリジナル・ラブでの作詞曲はこれだけでは?)!ということで、レア曲ですが、作曲は田島貴男ということもあり、演奏可能性はあるのでは?

結晶(1992年5月1日)

結晶

結晶

心理学こそ最強の学問である!とか言いたくなってしまうほど1曲目「心理学」が凄い。ラブソング全盛の時代に、名前にLOVEが付くバンドにもかかわらず「変わらないのか変わりだすのか」が繰り返されるサビは独特で、後半にちょっと不安になる変拍子がしつこく続いて1曲6分の濃厚過ぎる世界。

統計学が最強の学問である

統計学が最強の学問である

2曲目の「月の裏で会いましょう」のポップス度が高いのと比べると、「心理学」の濃厚さが際立つ。なお、企画盤「SESSIONS」は、1曲目2曲目の順序が逆で、しかも通常1曲目に入れにくいと思われる「ピアノ弾き語り」も、独特のアレンジで引き込まれ、こちらも最高。(『SESSIONS』は終わりも「ヴィーナス」のピアノ弾き語り)


なお、Wikipediaによれば以下の通り。この発言を読むと、「心理学」と、「スキャンダル」 そして、やはり歌詞が面白い「愛のサーキット」の世界観は繋がっているのですね。

今作では作詞を田島と木原龍太郎とが半分ずつ手がけているが、田島は
「詞に関しては、音が出来る前に僕の中に歌いたい題材っていうのがあって。ある意味でそれにもとづいて曲を書いたところってのがあったから、この曲は僕が詞をつけたいっていう割り振りみたいなものは、なんとなくあったんです」
「普段つきあっている、僕のまわりの人たちの心の中に、変化みたいなものが起こってきた。っていうのを去年、生活しているうちに感じて、それを題材として詞を書いたんです。僕がそれを書いたこと自体、僕も変化してたっていうことなんだと思うんですけれど、例えば『心理学』っていう曲だと、セックスとかオカルトっていう方向性で書いたんです。自分の判断力として霊とか超能力とか、っていうのに頼る人が出てきた。テレビをつければそういう特集番組を年中やっているし。僕のまわりにはいたんです」
と、リリース当時のインタビューで答えている。 

さて、Wikipediaにあるように、木原と田島で作詞を分けているというが、ラブソングに近かったりポップス度が高いのは全て木原曲。「心理学」「ミリオン・シークレッツ・オブ・ジャズ」「スキャンダル」も癖が強過ぎる。
スクランブル」は大好きなのに、ライブではおそらく聴いたことがないので演奏してくれることを期待したい。
なお、『LOVE! LOVE! & LOVE!』~『結晶』~『Sessions』についてはプロデュースを手掛けた井出靖さんのnoteに当時の思い出話が、宣材などの写真と合わせて綴られていて興味深い。
当時のことを知っているファンの方は、既に読んでいると思いますが、こんな雑文を読むより1000倍くらい貴重な情報が盛りだくさんなので、まだ読んでいない人は是非。

この記事の第一回に、1991年10月21日、オリジナル・ラブの初のホール・コンサート(渋谷公会堂)の様子が書かれていて、ここに載っている動画が、本編ラストで「夜をぶっとばせ」~幕が下りる~アンコールで「TIME」。カッコよすぎて驚きました。「TIME」は聴いてみたいけど、弾き語り向きではないので、今後バンド形態での演奏に期待。

EYES(1993年6月16日)

EYES

EYES

続けて聴くとはっきりわかるが、『結晶』とは断絶があると感じる。
リアルタイムで聴いていなかった東芝EMI時代は、アルバムの印象は結構いい加減で、特に『結晶』と『風の歌』に挟まれて、何となくぼんやりしたイメージしかなかった『EYES』については、今回聴きこんで大きな発見があった。


誤解を恐れずに言えば、『EYES』はアイドルのCDアルバムに近いつくりだ。


特に、『結晶』の後に出た『SESSIONS』との違いが顕著だが、『EYES』以前は、歌唱が楽器より前に出ないくらいの絶妙なバランスだった。
よく田島貴男が言う、ピチカート・ファイヴ時代に小西康陽から教えられたという「感情を排した歌唱」が『結晶』まではクールでカッコよかったし、歌詞も、意味が強過ぎず、同じ言葉の繰り返しなどが多かった。
それが『EYES』は大きく変わった。


田島貴男の歌が前面に出たアルバムになったように感じる。
アイドルの歌を生かすようにアイデアを出し合って楽曲制作や演奏が行われるのに近い雰囲気がある。
このアルバムはメンバー全員が作詞・作曲にクレジットされており、オリジナル・ラブとして最もバンドっぽいアルバムではある。そのメンバーの意図なのか、プロデューサー田島貴男の意図なのかはわからない。


ただ、他人への楽曲提供は、この時期(『結晶』が出た1992年5月から『EYES』が出る1993年6月くらいまで)に集中的に行われていることを考えると、田島貴男が自身を客観的に見た上で、そのボーカルを生かす作曲作詞を心掛けたと考えるのは自然だと感じる。

この時期の楽曲プロデュース*1

  • 1992年5月 石田純一「砂金」「ジゴロ」(作曲)
  • 1992年7月 クレモンティーヌ「ねぇ、ラモン」「リタがダンスを踊るとき」「サントロペで」(作曲・編曲)
  • 1992年7月 本木雅弘「THE CRYSTAL」「BLUE NOTE」(作曲・編曲)
  • 1992年10月 池田聡「ヘヴン」(作曲)
  • 1992年10月  井上睦都実「東京タワー」(作曲・編曲)
  • 1992年11月 高野寛と「Winter's Tale~冬物語~」
  • 1992年12月 KOiZUMiX PRODUCTION「SEXY HEAVEN」(作曲・編曲)
  • 1993年7月 井上睦都実夢で逢いましょう」(作曲・編曲)
  • 1993年7月 アンナ・バナナ『High-Dive』(アルバム・プロデュース)
  • 1993年時期不明 「Never Give Up」(CX系「ウゴウゴ・ルーガ」エンディング・テーマ)

月刊カドカワ1994年7月号 (『風の歌を聴け』特集)の萩原健太による全アルバム解説では、「ヴォーカリストとしての田島貴男の成長ぶりも聴き逃せないポイント」という健太さんの弁と合わせて田島貴男の言葉が引用されている。

歌うってことに関して目からウロコが落ちた時期。それまではソングライターとしての意識が強かったのか、曲に合わせて歌い方とか変えていたんですけど、このアルバムから”自分の声に合わない曲は歌えねえや”っていうか。自分の声をいかにうまく響かせるか、すごく考え始めた時期でしたね。

ほら、これ見ると、アイドルをプロデュースするような考え方でアルバム作っているじゃないか、と…。


続けて歌詞について。
月刊カドカワの同じページで歌詞については、田島貴男の次のような言葉が引用されている。

歌詞の面でも、たとえば『レッツ・ゴー』とか、それまで僕が試行錯誤を続けてきた”生きること”みたいなテーマに関して、ようやくこの時点での結論が出せた気がして。そういう意味でもすごく自信を与えてくれたアルバムです。

「LET'S GO!」は本当に偉大で、傑作アルバム『結晶』と『風の歌』のどちらにも近いテイストを持っている。歌詞も「終わりの始まりをここで始めよう今 Let's Go!」というサビは意味が重くなり過ぎず、繰り返し要素の入っているのは『結晶』に近く、全体の内容は『風の歌』に近い。
それと比べると、やはり『EYES』の二大看板「サンシャイン ロマンス」「いつか見上げた空に」の歌詞は、これぞ木原龍太郎(『いつか見上げた空に』はクレジットとしては田島貴男と共作)というのか、東芝EMI時代のオリジナル・ラブの曲で最も歌謡曲っぽい楽曲(悪い意味でなく)でありながら、田島貴男のボーカルの良さが最高に出た傑作。
「サンシャインロマンス」のカップリング曲「ティアドロップ」も作詞・木原龍太郎で同様の印象。*2
そして、「サンシャインロマンス」路線の曲は以降のオリジナル・ラブでは絶滅?してしまったのだけれど、宮田繁男*3村山孝志が主要メンバーのFIRST IMPRESSION「STARTIN' OVER」(1995年)が印象深い。この曲も本当に大好き。
www.youtube.com


それ以外の曲も、今もライブでよく演奏する「灼熱」は当然として「妖精愛」「Wall Flower」「砂の花」など名曲ばかりが揃うこのアルバム。今回のディスコグラフィーコンサートでは、この3曲のうち1曲は演奏してほしい。
「I Wish」はPUNPEEとの「Love Jam Vol.4」のときに演奏していた気がするけど、PSG「愛してます」越しに聴いてもやはり名曲。↓
www.youtube.com


そんな中で「JUDGEMENT」はやっぱり面白い楽曲なんだけど、この曲が『EYES』っぽくなくて、『結晶』までのオリジナル・ラブっぽい感じがするので、まとまりすぎるのを嫌った田島が、1曲くさびを打ち込んだ感じでしょうか。

という風に掘り下げていったら、思い入れが無かったこのアルバムもとても好きになりました。

演奏してほしい3曲

さて、ここまでを踏まえて演奏してほしい曲を考えると、以下の6曲でしょうか。3曲に収まりませんでした。

  • 「I WANT YOU」
  • 「DARLIN'」
  • 「心理学」
  • スクランブル」
  • 「Wall Flower」
  • 「いつか見上げた空に」

セットリスト

  1. 月の裏で会いましょう
  2. GIANT LOVE
  3. DEEP FRENCH KISS
  4. WALL FLOWER
  5. WITHOUT YOU
  6. 砂の花
  7. LOVE VISTA
  8. フェアウェルフェアウェル
  9. 愛のサーキット
  10. ティアドロップ
  11. ヴィーナス
  12. I WISH

感想

想像以上に良かったです!
特に、定番曲を避ける選曲が素晴らしく、「もしかしたら、これをきっかけに多く演奏される曲になるのでは?」、逆に「この曲はライブで演奏されることはもうないのでは?(笑)」と色んなことを想像してしまいました。本人も「見えない展開」と言ってましたが、煉獄さん風に言えば、「よもやよもや」の楽曲の連続でした。

事前に「演奏してほしい曲」として個人的に挙げていた6曲(上にあります)の中で唯一演奏された「WALL FLOWER」は、楽器を絞ることでさらにメロディの良さが際立つようだったし、この曲に限らず、思い出補完が働いているのか、ギター一本とはとても思えないです。
それ以外に、上に挙げなかったけれど演奏してほしかった「GIANT LOVE」「砂の花」「フェアウェルフェアウェル」は比較的最近演奏した気がしていた(故に挙げなかった)のですが、「フェアウェルフェアウェル」を聴いたのは2010年の”好運なツアー”だったので、もう10年以上前でした。
タイトルに引きずられて「寛大な愛」を歌ったものと勘違いしてい「GIANT LOVE」は改めてゆっくり聴くと、「刹那的な愛」について歌った曲で、むしろとても不誠実で、それが良いです(笑)


そして、予想していなかった「WITHOUT YOU」「LOVE VISTA」「愛のサーキット」そして「ティアドロップ」。これらは全て選曲の意外さを超えて演奏が素晴らしく、原曲を「惚れ直す」きっかけを作ってくれたのが2021年の田島貴男の凄いところですね。
「ティアドロップ」は、自分にとって変な思い出がある曲です。おそらく1996年の『Desire』発売前で、ライヴ自体にも行く前、とにかくオリジナル・ラヴを摂取したい!と渇望していた自分が、ファンイベントの”Origimal Loveナイト”みたいなものに初めて行ったときのことです。終盤に「ティアドロップ」がかかって、「聴いたことはあるのにこの曲知らない!!」「何故?あれほど勉強してきたのに!!!」と、出題範囲を間違えて勉強してきてしまった定期テストのように頭が真っ白になりました。当時、全アルバムと企画盤は繰り返し聴いたのですが、出会った当初は聴いていた『Very Best』は、以降ほとんど聴かなかったので、ノーマークだったのです。(そういう聴き方をしていると「Winter's Tale」もノーマークになるが、こちらはさすがに聴けばわかる)
で、この曲は「サビ始まり」であり、「サンシャインロマンス」以上に、歌謡曲よりの歌詞と楽曲構成と思っていたので、田島自身もあまり好きではないんだろうな、と思い込んでいたので、まさか今回のコンサートでピックアップされるとは…!なお、サビの「ぎみっよぅら!」か「でぃびっどぅら!」が癖になります。(この曲についてはほぼ耳のみなので「Gimmie your love!」という歌詞であることに気がつかず、スキャットと誤解していました…)
しかし、アルバム3枚からと言いつつ、アルバム未収録からも演奏されたので、「微笑みについて」「ディア・ベイビー」は当然として、全く演奏しない「冒険王」とか期待です。


それにしても、繰り返しになりますが、期待を遥かに超える内容で、企画自体が本当に良いですし、この流れからの発展として、当然、過去の楽曲の再演奏をパッケージで商品にしてほしいなあと熱望してしまいます…。
次は2/20に『風の歌を聴け』『RAINBOW RACE』『Desire』(アルバム未収録曲は「接吻」「微笑みについて」)からの選曲となります。
いよいよ、自分がリアルタイムで聴いた時代に入るので楽しみです。

*1:出典:月刊カドカワ1994年7月号、UnOfficial Page

*2:なお、Amazon Musicのアルバム『EYES』は本来の10曲以外に「ティアドロップ」と  「LET'S GO!」 のCosmo-Pahse Mixがボーナストラック扱いで入っている。

*3:宮田繁男さんは2014年に55歳の若さで亡くなられていますね。今更ながら本当に若く残念に思います。

神奈川県or武蔵県or多摩県だった可能性も~梅田定宏『なぜ多摩は東京都となったか』

以前、東京都の歴史を調べたとき、23区が生まれる過程についてとても面白く読んだ。ただ、他の本も同じだが、「東京」のことを書いてある本には、多摩地域のことが載っていないことが多いことが、23区「外」在住の都民としては、とても残念だった。

そんなときに、図書館でとても良さそうな本が!


出版元の「けやき出版」は、「欅坂」とか「ひらがなけやき」とかとは無関係で、多摩地域に密着した出版社で、この本は1993年にけやきブックレットの本として出ている。


さて本題だが、読んでいて面白かったのは、三多摩は、独立だけでなく、神奈川県とのつながりが強い地域であったということ。
また、毎年のように色々な案が出ており、何かのバランスが変わっていれば、今とは全く違う状況(埼玉県?神奈川県?横浜都を除く神奈川との合同県?)もあり得たということ。


以下に歴史を整理する。
なお、北多摩、南多摩、西多摩という呼称は、多摩地域に住んでいても馴染みがないが、ざっくり多摩川以南が南多摩郡。瑞穂町、日の出町、檜原村奥多摩町西多摩郡。残りは北多摩郡

  • 1871年廃藩置県三多摩は、一度、入間県(のち埼玉県)への編入が決定されたあと、神奈川県へ管轄が変更。この頃、三多摩は「横浜」とのつながりが強かったため。
  • 1886年東京府知事・警視総監の連名で西北多摩二郡の東京府編入を上申。移管理由は飲料水(玉川上水)の確保であり、水道会社構想とセットの案であるが故に、水源地・玉川上水と無関係な南多摩は含まれず。
  • 1889年。甲武鉄道(中央線)開通。東京都の経済的関係が強くなることで移管推進派が増加。
  • 1889年、1892年。衆議院第1回、第2回総選挙。政府側の「選挙干渉」に反対する三多摩自由党*1は知事の解任を求め、県知事は東京都に移管を内申。
  • 1892年。東京府知事三多摩移管を上申。
  • 1893年。政府案として「東京府神奈川県境域変更法律案」が提出。(三多摩東京府へ移管する案)反対もあったがすぐに成立。

⇒このあとは、現在大阪で行われているような「都制」への移行に際して、三多摩の位置づけをどうするか色々な案が出る。

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  • 1922年。東京市が独自案「帝都制案」を提出。都政区域は隣接五郡までとし、三多摩を神奈川県に復帰させる案。
  • この頃、五郡を除く「武蔵県」の県庁所在地として、織物工業の盛んだった八王子に県庁を置く案が盛り上がる。
  • 1923年。内務省が新たな「東京都制案」を発表。都政区域は隣接五郡までとし、三多摩を「多摩県」として独立させる案。

⇒「多摩県」構想は、反対が多数だったが、賛成する立場からは立川を県庁とする案で盛り上がる。
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  • 1925年。三多摩の強い反対のため、内務省案は議会への提案が見送られる。
  • 1930年。東京市議会視察団との会談で三多摩側は都制への編入を主張するも、すげない回答。この頃、横浜が「横浜都」として神奈川県から独立後に、神奈川県の郡部と三多摩で新県を設立(八王子が県庁)という案が盛り上がる。なお、このときの八王子のライバルは平塚町。
  • 1932年。三多摩は反対したが、東京市の市域拡張(隣接五郡まで)が実施、「大東京」誕生。
  • 1933年。政府が改めて「東京都制案」(三多摩編入案)を提案するも一度流れる。
  • 1935年。自治権拡張を図ろうとする区議会が政府案を推し、三多摩と運動の連合を図る「東京都制促進同盟」を結成。
  • 1938年。内務省東京都制要綱を発表。三多摩編入、都長官選、区の自治権否定。各団体の目的とのずれから三多摩と区議会の促進同盟は分裂。

ー1941年。太平洋戦争開始。首都防衛体制の強化という観点から都制成立が急がれるように。


東京都制の議論は三多摩編入と合わせて都長の官選か公選かも大きな論点になっていたが、それは省略した。
歴史を通して読んでみて、三多摩の中で何度か「県庁」案が出た八王子市の特別な位置づけや、区部との結びつきについて、玉川上水と中央線がある意味が大きいということが改めてよくわかる。
逆に、一宮があり、武蔵国国府だったはずの府中市は、三多摩編入の話ではほとんど名前が挙がることがなく、そのあたりにも興味が沸いた。
なお、隣接五郡を含む「武蔵県」構想で、県庁として挙がったのは新宿。当時は新宿も渋谷も豊多摩郡で、「大東京」前の東京市には入らず、郡部だったというのは、やはり面白い。


普段走るマラソンコースは、北多摩、南多摩そして川崎市を走ることが多い。いわゆる「神奈川県町田市」問題も含めて、県境がどのように決まっているかというあたりも少し勉強していきたい。

*1:三多摩自治を主張した自由民権運動のメッカとして知られ、五日市憲法が生まれた土壌