Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

5月によく聴いた曲(プレイリスト)

ここ数年は、だいぶ音楽との付き合い方が変わった。
かつてのようにアルバム単位で繰り返し聴くのではなく、Appleミュージックにオススメされた新曲や、ドラマ主題歌などを見繕って、およそ月に一度くらいの頻度でプレイリストを作成して聴いている。そのうち5月分が特に良く何度も聴いたのでメモしておく。

  • スキピオ(水曜日のカンパネラ)
  • 君にしかない(tiny-yang-yang)
  • 奇跡は起きない(DIALOGUE+)
  • 人誑し / ひとたらし(桑田佳祐)
  • FANCLUB(スカート & ODD Foot Works)
  • 飛ぶ時(Vaundy)
  • 飛ぼうよ(yama)
  • シンギュラレポート(DIALOGUE+)
  • 愛晩餐(ano)
  • 火種(キタニタツヤ)
  • 君は恋人(オーイシマサヨシ)
  • イデアが溢れて眠れない(Vaundy)
  • Not your Idol(usabeni)


いくつかについて極私的な観点から解説を。

「スキピオ」(水曜日のカンパネラ)


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曲調自体は、まったく好みではないが、歌詞が聞きごたえがあり過ぎて、何度も聴いてしまう。
水曜日のカンパネラの偉人シリーズは、コムアイがボーカルだった時からの定番だが、今回は、ローマ時代の偉人スキピオに推し活をさせる異色作。
サビの「推し推せ 大スキピオ」は、「大好き」×「好きぴ」という言葉2つを合わせて「スキピオ」と掛けたのかな?という程度に思っていたのだが、世界史で時々出てくる、2人いる同名の人を区別する「大スキピオ」をそのまま使っている。
…など専門用語が多くて安心できない。さらに推し用語の方もわからないので「リリイベ全通」とか「ザマのライブ」とか、ハンニバルと「同担で語り合い」とか、どこからどこまでが史実なのか混乱する内容で、(推し活用語も含め)知的欲求を刺激する曲。
昔(途中まで)読んだ『ローマ人の物語』を読み直すべきかなと思って、調べると、漫画でもスキピオ×ハンニバルのコンビが出ているものもあるのですね。
これまで多くの人にオススメされている『ドリフターズ』は歴史の参考にはあまりならないのかもしれないが読んでみたい。

「人誑し / ひとたらし」(桑田佳祐)


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アニメ『あかね噺』の主題歌。
え!桑田佳祐がアニメの曲を!と思ったらOPもEDも桑田佳祐で、しかもYOASOBI、米津玄師並みに物語のエッセンスが織り込まれた歌詞に驚いた。さらに両方とも歌詞のメロディへの乗せ方が高レベルで今回のプレイリストで最も歌いたくなった曲。
しかし、その後の実歌唱調査の結果、自分にはあまり合わないと実感。再チャレンジしたい。

「奇跡は起きない」「シンギュラレポート」(DIALOGUE+)


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DIALOGUE+は声優8人から成るユニットでプロデュースは、UNISON SQUARE GARDENの田淵智也。キャッチーな楽曲が多いので新曲が出る度に聴いてしまう。
今回2曲選んだが「奇跡は起きない」は、途中に(ラップと言うよりは)ポエトリーリーディングを挟む、RYUTist「ALIVE」ライクで、アイドル楽曲のひとつの理想と考える大好きな構成。一方の「シンギュラレポート」は、エレキがうねるロック寄りの音楽に、言葉遊びのような歌詞が並ぶ、これもアイドルっぽい曲で楽しい。

「飛ぶ時」「イデアが溢れて眠れない」(Vaundy)


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同じクールでアニメ主題歌(黄泉のツガイ)と、ドラマ主題歌(サバ缶、宇宙へ行く)を担当してしまうなど、飛ぶ鳥を落とす勢いのVaundy。
ミュージシャンの名前として目にはしていたが、自分が初めて意識して聴いたのが、去年のアニメ「光が死んだ夏」の主題歌「再会」。そして去年の紅白で歌っていた「怪獣の花唄」「tokimeki」。
Vaundyに限らず、ここ数年で歌ってみて最もしっくり来た楽曲は「怪獣の花唄」だったので、それなら自分に合うのは「飛ぶ時」だろう、と思っていたが、実際にカラオケ屋で曲と向き合うと「イデアが溢れて眠れない」の方が段違いに良い。実歌唱調査の必要性を改めて感じた。

「FANCLUB」(スカート & ODD Foot Works)


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今クールは、あまりに多くのドラマ・アニメを見始めてしまい、遅れてスタートした一部のドラマ(サバ缶など)は、泣く泣く諦めるほどだった。
そんな中にあって、スカートの新曲として聴き始めた『FANCLUB』があまりに良過ぎて、後追いでアニメ「霧尾ファンクラブ」を見始めた、というのは以前にも書いた。
この曲は、ラップ+メロディアスな歌から成るODD FootWorks部分だけでも十分成立している。しかし第三波としてやってくる澤部渡ボーカルが心地よ過ぎて滅*1
なお、観ている(観ていた)のは以下で、今後の人生でこれ以上テレビ番組をチェックすることは無いと思う。

月:銀河の一票
月:多すぎる恋と殺人
火:夫婦別姓刑事
水:102回目のプロポーズ
木:君が死刑になる前に
木:悪の華
木:るなしい
木:霧尾ファンクラブ
金:田鎖ブラザーズ
土:黄泉のツガイ
土:あかね噺
土:ガンバレ!中村くん!!
土:朝ドラ「風、薫る」まとめ
日:仮面ライダーゼッツ
日:豊臣兄弟
帯:夜ドラ「ラジオスター」
帯:夜ドラ「ミッドナイトタクシー」

まだ終わっていないものも多いが、ベストは「銀河の一票」と「君が死刑になる前に」だろうか。後者は、主役の加藤清史郎はじめ全キャスト良い。なお、唐田えりかは、「君が…」も「102回目のプロポーズ」もヒロイン役で大活躍。
ただ、それ以上に見る機会が多いのは、坂東彌十郎。(「風、薫る」「銀河の一票」「夫婦別姓刑事」)そして、彼が珍しく悪役として登場する「銀河の一票」は、都知事選を題材にした傑作ドラマで、何より野呂佳代が素晴らしすぎる。また、松下洸平と倉悠貴のコンビ(大河ドラマ「豊臣兄弟」の徳川家康と黒田官兵衛)もとても良い。

「愛晩餐」(ano)


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既に映画化もされている名作漫画が、あの&鈴木福の共演で!と驚いたドラマ「悪の華」。
当然、福君の方が年下のはずだが、制服姿(中学生)は、あのちゃんの方が自然体。「愛晩餐」はドラマの内容とも合っていてお手本のような主題歌。
少し前にあのちゃんの番組降板騒動があったが、彼女は無理にバラエティ番組に出る必要ないのでは?と思う。
なお、同様に漫画原作ドラマとして、同じ木曜日に、「るなしい」があって、これも面白く観ている。こちらのキャストは原菜乃華&窪塚愛流。

「君は恋人」(オーイシマサヨシ)


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アニメ「グリッドマン」の主題歌だったオーイシマサヨシ「UNION」は、未だにカラオケの十八番で、一人カラオケではなく、全然曲を知らない人を前にしても歌ってしまう。
それ以降、新曲はちょくちょくチェックをしていたが、今回この曲を歌ってみると、やはり相性抜群。シンプルなラブソングで気持ちも込めやすいし、これはもっと上手くなりたい課題曲です。


ということで、プレイリスト楽曲については、記憶にとどめる意味でも、ときどき書き留めておきたい。

*1:この、滅、の使い方がよくわかりません。

本当は怖いデイリーポータルZ~澤村伊智『アウターQ』

Twitterで流れてくる漫画の試し読みは、大半はスルーしているが、題材や絵柄が気になったら読んでみることもある。
あるとき流れてきたのは若い女性フードライターが、怪しい雰囲気が立ち込めるレストランに取材に行くという話。試し読み部分を読み、改めて自分好みの漫画だと思い、Amazonで調べ直すと、原作は澤村伊智。確かに、背景に描かれたトーテムポールが醸し出す怪しさは『邪教の子』を読んだとき頭に浮かんでいた絵に似ている。
澤村伊智は小まめに読んでいるつもりだが、未読本は山ほどあるので、まずはとにかく原作を!ということで読んでみたのが、この文庫版の『アウターQ』。

  • 笑う露死獣
  • 歌うハンバーガー
  • 飛ぶストーカーと叫ぶアイドル
  • 目覚める死者たち
  • 見つめるユリエさん
  • 映える天国屋敷
  • 涙する地獄屋敷

以上の7話からなる連作短編集で、どの話も面白いのだが、やはり最初の「露死獣」。
読み終えてみると、全体的には、怪異現象というより、いわゆるヒトコワ的な話が多いのだが、「露死獣」は、そのどちらかもわからない状態で読んだ上、最も(元ネタである)デイリーポータルZ的な、小学生ノリが強い。もしかしたらこれはホラーじゃなくてコメディ的に終わらせる?と思ったところで、突然の非道な落とし方で驚いた。


もちろん、7話目の、全体を通した大オチ(伏せます)も素晴らしい。
いろいろに無理がある伏線回収であることは承知なのだが、「キャラ付けにしてもちょっとやり過ぎでは?」と、読んでいる誰もが思うアレに、理由があったことにする、と言うウルトラCが、うまく決まっている。
また、解説で阿津川辰海さんが指摘する通り、全体を通して(特に最後の大ネタには)、社会風刺が含まれ、日々スマホで暇ネタを消費して過ごす現代人には耳が痛い内容だ。

最後に、本書全体のテーマについて総括しておきたい。本書は、ウェブマガジンという媒体をテーマに選んだことからも分かる通り、「伝える」ことの責任と難しさ、という主題が全編を覆っている。私たちは常日頃、多くのソーシャル・メディアに触れ、それを消費しながら過ごしている。だからこそ日々目にする情報に麻痺している面もあるが、フェイク・ニュースや個人の悪質なデマが簡単に世に出回るのを見ると、薄ら寒いような思いもする。

この解説は澤村伊智の過去作をひととおり総ざらえするような内容であることもあり、やはり彼の著作をもっと読んでおきたいなと思った。
『アウターQ』と同様に、「読者が心の底に抱えている、澱のような淀みを直視させられる作品」として解説で挙げられている以下の本は優先度を高くしよう。(結局、比嘉姉妹を読めということか…)


なお、漫画の方は7話では終わっておらず、オリジナルが含まれるのかもしれない。こちらも読んでみたい。

自分自身の人生を考える~児玉雨子『##NAME##』


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ここ数年で衝撃を受けたアイドルの楽曲に、BEYOOOOONDS『求めよ…運命の旅人算』がある。歌詞の中で、いわゆる旅人算の「問題」「解法」(1番で「出会い算」、2番で「追いつき算」の2問)が含まれて、さらにサビで前向きなことを歌うという、ちょっと意味のわからない偉業を、聴きやすいメロディで成し遂げる。
以降、BEYOOOOONDSの楽曲は追っているが、最新アルバム収録曲には、その他にも、英語(語形変化)、理科(フックの法則)、国語(俳句)など、やりたい放題で、それらの歌詞を手掛ける人こそ児玉雨子。
ちょうど『運命の旅人算』にハマっていたとき(2023年上期・第169回)に、芥川賞候補となったのが、この『##NAME##』だ。児玉雨子は、BEYOOOOONDS以外でも、多くのハロプロ楽曲を手掛ける。芥川賞候補になったのはどんな作品なのか。


冒頭から、写真撮影のために、きわどい服装に着替えるアイドル候補の小学生2人が出てくる。
この小説は、主人公・石田雪那が、大学生になり就職活動をするようになってから、小中学校時代の「アイドル」活動を振り返る内容で、時系列が行ったり来たりする構成を取る。
大学生時代の話は、「推し活」の話がメインで、『イン・ザ・メガチャーチ』読後すぐだったので、混ざりそうになった。
本のタイトル「##NAME##」も推し活(二次創作)からきている言葉だ。以下に引用したが、本文中に明確に書かれている内容は、初読時には、よく理解できず、読後になってから「夢日記」なるものが実在すること*1を知ってやっと合点がいった。

次は蒲田、というアナウンスとともに、電車が深呼吸をするように減速を始めた。
漫画を読むのはやめて、携帯を開いてブックマークから「夜もすがら」のサイトを開き短編のリンクを選択した。私は新しい物語に渇いていた。リンクが紫色になっていない未読のタイトルをクリックすると<あなたの名前はなんですか?空欄の場合##NAME##と表示されます>と付記された名前入力欄が出てくる。
一度、他の夢小説サイトで正直に本名を入れて読んでみたことがあった。しかし西欧風の名前を持ったキャラクターたちの物語に、無理やり私をねじ込んだようでいつまでも馴染まない。それでも最後まで読み切って物語の一部になった気分でいると、あとがきのページで「雪那さん、ここまで読んでくださりありがとうございました!」と、それまで私を甘やかした物語がふっと他人の顔で深々とお辞儀をして、さぁ早くここから出てゆけ、と突き放す。それから夢小説でも名前は空欄のままで読むようにした
p53

つまり、この小説は、タイトル通り「あなたの名前」をどうするか、もっと言えば「あなたに馴染む名前」をどうするか、に焦点が置かれている。
主人公の石田雪那は、小中学校時代の芸能活動を(母親が決めた)「石田せつな」で行なっていたことで、デジタルタトゥーを抱え、大学生になってもそれが影響してしまう。つまり名前に悩んでいたのだ。
彼女が採った結論は、最後に具体的な行動となって現れるが、思考としては物語中盤ですでに出ている。大学生の彼女が品川駅前のレインボーロードを歩く場面だ。

美しい光景だった。けれど、ここは毎朝大勢のサラリーマンがオフィス街に歩いてゆくので「社畜回廊」と呼ばれる方が一般的なようだった。私の名前も、そんなものでよかった。それやこれ、レインボーロードと変わらないただの私の指示語でしかなく、私を指すだけで私の意味そのものではないのに、自分の名前でいるだけでいつのまにか片目を後ろから誰かに塞がれているみたいに、世界との遠近感がわからないまま歩かされているようだった。もし私が「ゆき」だったら、美砂乃ちゃんが呼んだ「ゆき」だけが私だったら、もう少し早く目の前にある障壁に気づいて、避けて通れたのではないかと考える。この清らかな光が注ぐ道を、周囲と同じように憂鬱を抱えながら通勤している「ゆき」の後ろ姿を思い描いて、私はそれを追いかけるように進んだ。
p107

さて、作品のもう一つ大きなテーマについても、上の引用箇所の直後に出てくる。

中央改札の前に着くと、見知った構内に入った途端に踵の痛みが足にまとわりついてくる。山手線の乗り場へ下っていると、ちょうど電車が到着する。何度もここで美砂乃ちゃんと別れた。美砂乃ちゃんの家は京急線沿線だったから、一緒にプラットホームから階段を上り、京急との連絡改札を通って大人の人波に入ってゆく美砂乃ちゃんの後ろ姿を、見えなくなるまで見送った。あの時の私たちは、既に児童ポルノの「児童」だったのだろうか。当時は、確かに子役や未成年の水着はめずらしいものではなかった。テレビに出ている子もさせられていた。普通だった。普通だと言い聞かせて、普通にしていたのだ。「子供じゃない」と再三再四言われたので、あの頃の私と美砂乃ちゃんの像に「児童」という言葉を与えても、その言葉から私と美砂乃ちゃんが逃げ出そうとする。
でも、どうしても「児童」だ。どんな写真や動画が法に触れるかばかりで、誰からもその存在について言及されていない「児童」だ。「世のお兄ちゃん」と呼びかけられた者たちは、何を恐れ、どんな我が身を守ろうとしているのだろう。データを削除されたところで私はここにいるのに。
p108

このテーマ設定に、自分は面食らった。
ハロプロは今も小中学生を抱えて活動しているはずで、その現場にいる人が、このようなテーマを扱い、しかも主人公含めて誰も、一般的な意味での「成功」を得るわけではない、そんな物語を書くのか。
ただ、よく読めば、この小説は、そうした小中学生の芸能活動の危険な面も描きつつ、それを安易に批判する社会へのカウンターも放っている。

また、闇だ。自分の知らなかった領域やそこにいる人々に出くわした時の、手に負えない現実を見切る時の呪文であり、未知に遭遇した興奮にはしゃぐ時のかけ声のようで好きじゃない。闇が深い、すごい闇、貧困の闇、業界の闇、児童ポルノの闇、どちらとも呼べない闇、と憤ったり憐れむような表情を浮かべたりしながら、割引シールを貼られた高い惣菜を見つけるように探している。
p138

美砂乃ちゃんといた世界の断片だけは憐れまれたくなかった。目を離せば、あっという間に散り散りになってしまう小さな世界。誰からも覗き込まれたくなかった。
そしてどんな美しい言葉であっても物語られたくなかった。怒りと同じで、物語ることができるのもその世界の断片を手放せる者だけだ。家も学校も安らげない場所で、たとえ闇の、歪な構造の中であっても、私は美砂乃ちゃんといる瞬間は私でいられたのだ。だからこれを手放したらもう私には何もなくなってしまって、あんなにかけがえのないきらめきを持っていた美砂乃ちゃんのことも簡単に忘れてしまいそうだった。私があの頃の美砂乃ちゃんを思い出せなくなったら、もうどこにも子供の頃の美砂乃ちゃんを知っている人がいなくなってしまって、誰かに打ち明けたくなっても、語れば語るほど小さな美砂乃ちゃんの輪郭が溶けて流れ出し、顔のないただのかわいそうな子供になってしまう気がした。かわいそうではあるけれど、助けが必要なただの子供だけど、美砂乃ちゃんは美砂乃ちゃんで、その美砂乃ちゃんのおかげで、私はゆきでいられた
p142

他の誰かに何かの言葉で括られたくない、という気持ちは「名前」についてのメインテーマとも呼応している。


主人公・石田雪那は、最終的に改名を申請する。その際の手続き書類の最後に「変更許可を求める申立てをしましたか」「それはあなたの真意ですか」という項目がある。
これはつまり、芸能活動を行う際の「石田雪那」⇒「石田せつな」の変更許可は、彼女自身の「真意」ではなかったことの裏返しだ。
彼女は「片目を後ろから誰かに塞がれているみたい」な人生を送ってきた。それを終わりにしたいと考えた。
そして、彼女の場合は、それが「名前」という分かりやすいものだったが、もっと曖昧なものも含めれば、誰もが、多かれ少なかれ他の人の意図を汲んだ人生を生きている。
だからこそ、周囲からどう言われようと、「私が私でいられた」人生の瞬間は、かけがえのないものなのだ。
つい最近見た映画『サンキュー、チャック』でも同様の主旨がメインテーマに取り上げられていた。
そして、自分は、歌もその種の歌詞を好んで聞いてしまう。
大好きだった2025年の映画『推しの子』の主題歌にもそういうものがあったし、(先日も取り上げた)アニメ『霧尾ファンクラブ』の主題歌でスカート参加曲の、まさに澤部渡の歌唱部分も同じ意味で好きだし、「名前をつけること」を歌う歌詞で親和性も高い。

一番星がいつも私を導くよ
さあ行こう未来へ愛を胸に前向いて進むよ
自分自身の人生を歩いていこう
『SHINING SONG』/B小町

世界を変えながら 変わらないために
愉快な名前をつけよう
「ファンクラブ」

世界はここにしかないんだ
二人の気持ちに名前はまだない

何度も世界を変えながら
変わらないために
愉快でイカした名前をつけるなら
「ファンクラブ」
『FANCLUB』/スカートとODD Foot Works

さらに言えば、先日、本屋大賞を受賞した朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』も、それがもたらすデメリットにも触れながら、視野を狭くしてすべてを一点につぎ込む楽しさを語る一面があった。
その意味では、『##NAME##』も時代の空気をまとった一冊と言えるのかもしれない。
なお、主人公・石田「ゆき」は、被害者として語られるのを拒否しつつも、性犯罪一般にはキッパリとNOを突きつけている。このあたりのバランス感覚もとても良く、ハッピーな終わり方ではないものの、読後に前向きになれる小説でした。また、さすが作詞家と言うべきか、言葉のセレクションの巧さに唸るところも多数。他の作品も読んでみたいです。

参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com

*1:ピクシブ百科事典による夢日記の説明⇒小説(物語)の一種。ドリーム小説・ドリー夢小説・名前変換小説などともいう。略称は夢・ドリーム・ドリなど。狭義には「主人公となるキャラクターの名前を、読者が自由に設定できる小説」の総称であり、主に個人制作(同人)によるWEB小説として公開されているものを指す。

モブの恋〜『ガンバレ!中村くん!!』×『霧尾ファンクラブ』

アニメ「ガンバレ!中村くん!!」の第6話を観て泣いてしまった。


元はと言えば、岡村靖幸&中島健人「瞬間的に恋しよう」が主題歌の作品は、どんなもんだろうかと見始めたアニメ。

恋が成就しないタイプのラブコメと思って見ていたが、6話で中村くんは、とうとう意中の彼(広瀬くん※BLです。)*1に「友達になりたい」という告白をして受け入れられる。

そこまでの、横浜課外授業の中での期待、逡巡、決心、後退…の流れが素晴らしく、すでに涙腺が刺激されていたところに、プリプリ「世界で一番熱い夏」がかかったことが、まさに最後の一撃。

「ガンバレ!中村くん!!」は、毎回エンディング曲が異なり、80-90年代のツボ楽曲がセレクトされるが、少し渋谷系〜シティポップ寄りと思い込んでいたので、予想しない角度から中高生時代に引き戻されて驚いたのでした。*2



アニメ主題歌という意味では、その後、サブスクで聞いたスカート関連楽曲「FANCLUB」(スカート& ODD Foot Works)が、今期のアニメ・ドラマ主題歌の個人的完全優勝楽曲だったので、すでに始まっているアニメ「霧尾ファンクラブ」の初回と最新回(5話)を見た。

これも中村くんと似ていて、恋が成就しないタイプの話と感じた。同じクラスの霧尾くんを推しに据える女子2人のファンクラブ的掛け合いが中心でもっとギャグ寄り。両作品ともに、主人公は、いわゆるモブであることを自覚していて、こういうのが今の時代の空気なのかと思ったり。

ところが第6話を見ると、霧尾と主人公2人が急接近。しかも、物語の中心にいながら「桐島、部活やめるってよ」さながら、声は登場するも表情はほとんど映されない霧尾くんの内面の話が出てきて目が離せなくなってしまった。


まず主人公はモブ的存在であることが全体で、本題に入る前に、かなりの話数を使って主人公の独り言や、同担同士の気を使わない安全圏の会話を中心にアイドリングをする。リアルなコミュニケーション(の割合)が減った現代ならではなのかな、と思いつつ、だからこそ自分は過剰に思い入れて泣いてしまったのかな、と、これからの両作品を期待を持って見続けたいと思ったのでした。

*1:この文章を書いているときに、アニメ第5話に端を発する炎上騒動を知りました。原作未読ですが、アニメを見ている分はあまり問題を感じませんが。

*2:エンディングテーマは、自分と同世代は爆死してしまうラインナップ→ https://nakamura-kun.love/music/?id=ed

安達茉莉子『私の生活改善運動』(未読)と私の新生活

4月から単身赴任生活が始まった。

もちろん家族と離れて寂しい部分もあるのだが、今のところとても楽しい。
楽しくて、お弁当を作ったりしている。


3週間近く過ごしてみて再確認したのは、自分はスーパーに食材を買いに行くのが好きだということ。料理は別に得意ではないのだが、スーパーで少し安いものや地元野菜を買ったりするのは楽しい。
あと、買ったものをダメにならない期間に食べきるために、Gemini(生成AI)に、無理目なレシピ相談をするのも楽しい。
おかずは、クックドゥーみたいなものが多いので、2-3人前作ることになるし、野菜は、傷んだら嫌だな、とか思うと、何かしら作ったり漬けたりして保存する。
そうすると、お弁当はとても合理的だ。


また、最初の数日は、テーブル類が何もなく、室内灯も主要部分のみで、暗い中、段ボールに配膳してご飯を食べていた。その後、色々と揃ってきて、道半ばだが、生活空間がどんどん整っていく状態も楽しい。

ちょうどテレビを見ていたら、安達茉莉子さんが出ていて『私の生活改善運動』の内容について話していた。*1

自分のことを好きになるなんて
よくわからなくても
自分の生活を好きなものに
変えていくことはできる

ふだん使う道具や生活空間、料理など、好きなものを少し手間をかけて用意して自分のご機嫌を取ることが、生きる上で大切、というような話をされていて、あ、これかもしれない、と思った。
単身赴任を機会に、生活をリセットして、自分の好きなもの(趣味ではなく衣食住の好きなもの)に目を向ける機会が増えたことが、自分にとっても「楽しい」に繋がっているのかもしれない。


安達茉莉子さんは『臆病者の自転車生活』しか読んでいなかったのだが、ロードバイク購入の背中を押した、クマのイラストとともに忘れられない一冊。
ちょうど、2月に行ったTBSのイベント『AKASAKA BOOK STUDIO 2026』*2で出品していた書店・生活綴方のブースでも安達さんの本がズラリと並んでいて最近の著書を買って帰ったばかりだったので、テレビで本人の姿を見ることになるとは思ってもいなかった。
代表作なので『私の生活改善運動』を読み、『臆病者の自転車生活』を読み直し、既に積読になりかけの購入本やZINEも読もう。


なお、今回初めて買ったものでは、ホットサンドメーカーは良かったです。前に持っていたのは、自分で火にかけるやつだったけど、電動のは、待てばいいだけなのでラクだし。

ちいかわのも気になったのですが…


*1:NHKあさイチ4/20の放送:インポスター症候群についての特集

*2:『AKASAKA BOOK STUDIO 2026』初開催!

肩書きや血のつながりではなく~HIKARI監督『レンタル・ファミリー』×白岩玄『プリテンド・ファーザー』

HIKARI監督『レンタル・ファミリー』

『レンタル・ファミリー』という映画は、東京で暮らす落ちぶれた俳優フィリップ(ブレンダン・フレイザー)が、「レンタル家族」の仕事を通して自分自身を見つめ直していく姿を描く。
フィリップは作中で多くの家族を演じるが、メインとなるのは、小学校受験の面接のために、6歳の娘の父親役を演じる話。ここだけ聞くと、お涙頂戴の話なんでしょ、と聴こえるかもしれない。実際自分も、傑作『37セカンズ』のHIKARI監督の最新作にしては、どうなのか…と思ってしまっていたが、見た人誰もが内省的に自分のことを見つめ直すことになる内容で、オチの切れ味も合わせて、大好きな映画となった。(というか、今のところ、2026年ベスト候補の映画です。)


白岩玄『プリテンド・ファーザー』

『プリテンド・ファーザー』は「父親のふりをする」というタイトルなので、まさに『レンタル・ファミリー』と同様の内容のように見える。あらすじは以下の通り。

シングルファーザーとして、4歳の娘を育てる36歳の恭平。亡き妻に任せきりだった家事、育児をひとりで背負うことになり、会社でもキャリアシフトを求められ、心身ともにギリギリの日々を送っている。そんななか再会するのが、高校の同級生・章吾。シッターというケア労働に従事しながら、章吾もまた、ひとりで1歳半の息子を育てていたのだった。互いの利害が一致したことから「父と子」×2での四人暮らしが始まるが……。

これだけ読むと「プリテンド」がどこにあるのかは分からないし、実際に冒頭から読み進めても、タイトルの解釈が出来ないまま話は進む。


さて、この小説は、恭平と章吾の独白めいた一人称の語りが交互に出て進むこともあり、映画『レンタル・ファミリー』と同様に、読者が我が身を振り返りながら読み進めることを促す作品。これについては、文庫解説の河野真太郎さんの文章があまりに良くて、自分の言葉をこれ以上連ねる気力を失っている(笑)。
はじめから一区切りするところまで長文引用する。

男たちは変わることができるだろうか。変わった男たちは、社会を変えることができるだろうか。男たちが変わるために、社会が変わることはできるだろうか。
この小説は対話に満ちている。それは二人のシングルファーザー、恭平と章吾のあいだの、齟齬もふくんだ間接的な対話であり(おなじ事象に対して二人がまったく違うとらえ方をしている様子が、巧みに対置される)、二人の対照的ともいえる男性の、容易には変わらないみずからの男性性、父性との内省的な対話であり、志乃と耕太という、異なる発達段階にある子供たちと、悩めるシングルファーザーたちとの対話である。
それだけではない。二人は、子育てはどうあるべきか、父/母はどうあるべきか、男らしさ/女らしさとは何かといった社会の側の理念や規範との、厳しい対立をともなう対話も行う。
そして、この小説を読む経験もまた、対話的な経験だ。読者は、恭平と章吾の曲がりくねった歩みを追いながら、自問をしないではいられないだろう。自問の内容はもちろん立場や属性によってさまざまではあろうが、例えば私のような、二人を、自分が子育てをしていた頃と重ねて考えないではいられない人間は(私はシングルファーザーではなかったが)、自分が恭平の、または章吾の立場にあったらどうするだろうか、二人のように真剣に自分自身と子供たち、そして社会に向きあうことができていただろうかという内省なしでこの小説を読むことはできない。そして、この小説との対話から学べることの一つは、そのような自己や他者との対話をしない、もしくは対話を拒絶することこそが男性のかかえる問題なのであり、本書で恭平と章吾が失敗しながらも継続してみせる対話こそが、そのような男性問題にとりくみ始める方法だということだ。

自分が漠然と思っていたことを、いわゆる「言語化」してもらったような文章だと感じたが、引用箇所の一番最後の指摘には、考えてもみなかったところを突かれて強く感動した。
ちょうど先日読んだ『数学ガールの秘密ノート』でも、「自分の理解」に目を向け、自分の中で対話すること、間違いを修正していくことの重要性が唱えられていたが、同じ視点が含まれている。
つまり、(反対から言えば)対話を拒絶する一方的な理解は、誰か別の人を疲弊させ、押し殺して、自己を正当化するように進んでしまう(結果として、その犠牲に気がつくこともない)、ということだ。


この小説の「対話」が説得力を持つものになっているのは、恭平の性格設定によるところが大きい。2人は共同生活を始めたものの、育児に対する考え方に根本的な違いがある。しかし、頑なな部分はあるものの、聞く耳を持っているのが恭平の良いところ。
あるとき、育児は自分に向いていないと言わんばかりの恭平に、章吾の思いが爆発する。

「働いてお金を稼ぐのも、子どもを育てる上で大事なことだからそれは否定しないけど、本当は恭平の心のどこかに、育児なんかしたくないっていう気持ちがあるんじゃないの?」
(略)
「僕が同意できないのはそこなんだよ。お金を稼ぐのが大事なのも、育児が得意じゃないのもよくわかる。でもだからって目の前にいる子どもから逃げていいわけじゃない。
自分は育児をしたくないっていうのはさ、子どもに向かって『おまえの面倒なんか見たくない』って言ってるのと同じなんだよ」
p156

これに対して恭平は、1日、自分を顧みてから章吾の指摘が正しいことを受け入れる。

心の中に「なんで俺が」という気持ちがあるのがすべての答えだという気がした。どんなに父親として努力していると言ったところで、結局俺は、なぜ俺が育児なんかしなければならないんだとどこかでずっと思っている。(略)
「なぁ、章吾」
「ん?」
「おまえの言う通りだったよ」
「何が?」
「俺は志乃から逃げてるだけだ」
章吾がなぜ怒ったのか、今ではその理由がよくわかった。半端な理屈を盾にして、志乃と向き合おうとしない自分を正当化したのが問題だった。

自分自身、既に2人とも大学生だが、子ども2人の育児については、ほとんど奥さんに任せっきりにしてしまっていた。その根本部分には、恭平と同じような考え方があったことは否めない。
だから、自分のような読者は、徐々に考え方を変えていく恭平に共感しやすい。


また、そんな恭平の性格をわかっているからなのか、後輩の井口(作中で最もフェミニズム的な考えを持つ人物)も、恭平に急激な変化を求めない。
育児の能力がないと思い込んでいる男性にも「フリをする」ことを推奨する。(つまり、井口も、恭平の背後にいる読者に「寄り添う」ようなアドバイスをする)

「そんなの別にフリでいいじゃないすか」
「ふり?」
「なじめないなって思っても、家族になるフリをし続ければいいんですよ。私がまだ新人でまったく契約が取れなかった頃に言ったでしょう?最初から仕事ができる人間なんていない、みんなそれらしく社会人のフリをしてるうちに少しずつ仕事ができるよういなるんだ、今はしんどくてもフリを続ければ、五年後にはちゃんとした営業の人間になってるよって、そう励ましてくれたのは汐屋さんですよ?」
p191


上の引用箇所では、タイトル通りの「フリをする(=プリテンド)」が出てくるが、より「プリテンド」度が高いのは、章吾の方であることが読み進めるうちにわかって来る。
最初は伏せられている、章吾の「秘密」は、小説の説得力を高めることに繋がっており、その開示の仕方が非常に巧い。

  • 京香の妹の佑香が、志乃を引き取りたい(普通養子縁組を利用したい)と言ってくる p122
  • 章吾が客から真実告知(あなたを産んだ親は別にいるということを子どもに伝えること)の相談を受ける p140

この過程を経てようやく、章吾が耕太と血のつながりがないことが読者に明かされる。


子育てをするのが男性か女性か、子育ては男女の夫婦でするものなのか、というテーマ設定で、恭平の物語を中心に据えてしまうと、「男女関係なく、血の繋がった家族が一番大切」という、それはそれで保守的な考え方に陥ってしまいかねない。しかし、章吾の存在のおかげで、読者は、そこからも自由になる。
そして、シッターとして経験が豊富な章吾は、「我が子」よりももっと広く「子ども」のためを思って社会の変革を望むのだ。恭平の話だけであれば、個人としてのピンチをどう切り抜けるか、という狭い話にとどまっていたが、章吾の存在が、より根本的な問題に読者の視線を向けさせる。

現実は理想のようにはいかない。恭平が言っていることもすごくよくわかるので、それ以上反論はしなかった。でもこのまま何もせずにいるのは、気にせずにいられる環境にあぐらをかいて、困っている人たちを対岸の火事のように眺めているのと同じだ。
「僕が今の仕事をしてるのはさ」
(略)
子どもを持つことが、つらく苦しいことだって思う人が、少しでも減ればいいなっていう思いがあるからなんだ。まあ、それが自分にできる唯一のことだっていうのもあるんだけど……なんていうか、子どもたちをみてると、たとえ親のエゴでこの世に生まれたんだとしても、彼らが大人たちから歓迎されないような社会にはしたくないって思うんだよ。だって、自分が受け入れられることを疑わずに生まれてくるのに、最初から面倒な存在だと思われてたらあんまりじゃない?」

章吾の視線は、京香(恭平の亡くなった妻)のような、亡くなってしまった親にも向けられる。志乃ちゃんの世話をしながら、自分に言い聞かせるように「愛情」について語るのが印象的だ。

ハンドソープの泡を載せた小さな手がこすり合わされるのを眺めながら、肩書きや血のつながりではなく、行為によって親になるんだと自分にそう言い聞かせた。僕の存在が志乃ちゃんの記憶に残らなくても、行為の中に愛があるのなら、それでいい。大事に思う存在が、その愛を栄養にして育つのであれば、僕がここにいる意味はあるのだ。
「どうしたの?」
少し涙ぐんで洩をすすったのを気づかれてしまい、「なんでもないよ」とごまかした。
手を拭くためのタオルを取ってやりながら、これからも記憶に残らないような行為を積み重ねていこうと思う。だいたい、いつか忘れられてしまうその愛情の価値を認めなかったら、京香さんのような、幼い子どもを残して亡くなった親たちを否定することになってしまう

『レンタル・ファミリー』も人間の生死の問題を挟みながら、人が個人としてどう成長するかではなく、どう他人をケアするか、助け合って生きていくのか、ということをテーマにした物語だった。
2作品を通して、家族の中の自分、会社組織の中の自分など、多くのことを振り返り、改めて考える良いきっかけとなった。ここで得たものを、今後の考え、行動、発言に少しでも繋げられるようにしていきたい。

読みたい本

解説で河野真太郎さんも触れている通り、白岩玄さんの前作は同様のテーマで男性を描いた内容で、以前から読みたかったもの。さらによく見ると、この人は『野ブタ。をプロデュース』の人なのか。
また、河野真太郎さんの本は以前から気になっていたけど、まずは一冊読んでみたい。

学ぶことは楽しい!そのときに大切なのは?~結城浩『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』

数学ガール(と言っても本編ではなく、秘密ノート)はかなり久しぶりだったが、先日、シリーズが完結したと聞いて久しぶりに読んでみた。
「秘密ノート」のシリーズの中でもタイトルがとっつき易いものを選んだが、これは結構すごい本だった。


内容は確かに薄い。
なんたって、「数学ガール」と題しておきながら、結局、直線グラフ(一次方程式)のみを5章を通じて延々と繰り返し取り上げる低スピード。
ところが、「理解すること」について取り上げる深さは、他に類する本はないのでは?


「数学ガール」は、「僕」とレギュラーメンバーの女子中高生との対話で数学の理解を深めるシリーズだが、この本に出てくるのは、いつもの「僕」(高校生)、ユーリ(中学生)と、今回の主役であるノナ(ユーリの同級生)となる。
とにかくノナの理解が遅い。


数学ガールは基本的に会話で話が進むのだが、ノナの喋り方はこんな感じ。

  • 「意味が……意味がわからない…xX」
  • 「意味がわからない……わかりません…oO」
  • 「暗記……暗記しますか…??」

これに対して「僕」が、イライラして早口になってしまうのが面白いが、まさにこの本が題材としている対話、もっと言えば「常にスムーズに行くとは限らない対話」は、ノナがいるから生じる。

ノナとの対話は、同じところを何度も何度も回る。
なかなか、数学の話まで行き着けない。
教えるって、時間が掛かる。
考えるって、時間が掛かる。
本当に、時間が掛かることなんだ。
でも。
でも、僕がノナと対話する時間は無駄じゃない……と思う。
僕は彼女と、とても大切な対話をしている。
そんな、手応えがある。  

構成としては、

  • 1、2章で、ノナとの対話の難しさを読者も共有する。
  • 3章はノナはお休みで、「僕」とユーリが、ノナの「わからない」をどうしたらいいか作戦を練る。
  • 4章では、ノナのこれからについて大きなアドバイスを示し、5章では、そのアフターフォローを行い、ノナに自信を与えてあげる。

3章までが良いのは、「僕」が、これまでユーリやテトラさん達=スムーズに対話が進む相手に対してでは、見過ごしてきた「対話」のむつかしさに初めて気がつくところ。
ノナは、説明内容がわからなくても、質問をしないだけでなく、「はい」と生返事をしてやり過ごそうとしてしまう。そんなことは「僕」が想定していなかったことだ。
こうした、多様な「わからない」のあり方を踏まえるからこそ、事態に光が見える4章はクライマックスにあたり、非常に読み応えがある。


数学ガールのシリーズを通してのスローガンは「例示は理解の試金石」で、自分が理解できているかどうかを確かめるために、具体例を作ってみることを推奨している。
今回「僕」がノナに、一番大切にしてほしいと伝えることは、このアレンジなのだが「自分の理解に関心を持つ」という態度
この部分の対話を抜粋する。

ノナ「まちがってもいいの……いいんですか...??」
僕「まちがっても、いいんだよ。まちがうことを恐れていたら何もできなくなっちゃう。ただし、まちがったときには『どこをまちがったのか』をきちんと確かめて訂正する必要があるけどね。<自分の理解に関心を持つ>態度でいるなら、自分がまちがったところを確かめて訂正するのがすごく楽しくなるよ。自分の理解がより正しくなるわけだから」

 
これこそが、本書のいちばん重要なメッセージだが、女子中学生のノナちゃんだけに向けられたメッセージではないと感じた。
SNSでは膨大な情報が溢れ、それらにどう向き合うかを本来は日々考える必要がある大人たちだって、<自分の理解に関心を持つ>態度が必要だろう。
「まちがわない」ことが重要なのではない。
自分が理解できていない部分、自分が過去にまちがった部分を確かめて改めることこそが大切なのだ。*1


ただ、この理屈も、ノナちゃんには届かない。
何故なら、ノナちゃんは、まちがうこと自体が恐いのではなく、恥ずかしいわけでもない。
まちがったときに怒られるのが嫌だったのだ。
さらに対話が進む、ノナちゃんは家庭に大きな問題を抱えていることが示唆される。

僕「ノナちゃんはよく怒られるの?」
ノナ「何回教えてもまちがうなんて、この子は馬鹿じゃないの!っていつも怒られる……怒られます…xX」
急に甲高い声を出したノナに、僕は言葉を失う。
そんな、ひどいことを言うのは、誰だ?
親か?親なのか?

当然ではあるのだが、この問題の解決を家族間の問題として処理しないところが、「さすが数学ガール」という部分だ。
「僕」は次のようにアドバイスをする。

僕「ノナちゃんがまちがったとき、もしかしたら<誰か>は怒るかもしれない。でも、それは気にしなくていい」
ノナ「はい…??」
そのとき、僕の心に言葉が舞い降りてきた。
僕「そうだよ。ノナちゃんは、ノナちゃん自身の先生になるんだ
ノナ「答え、知らないのに…??」
僕「そうだよ。先生の仕事は答えを教えることじゃない。先生の仕事は理解を助けることなんだから」
ノナ「理解…oO」
僕「ノナちゃんは、ノナちゃん自身の先生になる。自分の理解を助ける先生になる」
ノナ「先生......になる…??」
僕「理解を助ける先生。理解しているかを確かめる先生。どこを理解していないのか探す先生。何回まちがっても怒らない先生。時間が掛かっても急かさない先生。それを跳ね返してくれる先生。ノナちゃんは、そんな先生になろう。ノナちゃんは、ノナちゃん自身の先生になる」
ノナ「先生……先生になる…oO


数学がノナちゃんに生きる力を与えている!
この部分は本当に感動的だった。
5章では「5.6 理由が大事な理由」で、さらにノナちゃんの背中を押す。

僕「誰が怒ろうとも、ノナちゃんの主張に正しい理由があるなら、ノナちゃんは正しい。年齢も性別も国籍も無関係。誰がなんと言おうとも、正しいものが正しい。それは、数学のおもしろさの一つなんだよ。だから、難しそうに思えても、理由をしっかり考えようね」
ノナ「はい..!!」
僕「正しいかどうか判断するために理由を考えること。どうして、と問うこと。それはノナちゃんの強いく武器> になってくれるかもしれないよ。ノナちゃんが考えるための武器、学ぶための武器にね」

思考は武器になる。
そして、考えること、学ぶことは楽しい。
そうした数学ガールに通底したメッセージが強く表れた一冊だった。
巻末に章ごとに用意された、読者への問いかけも、とても教育的で、このシリーズをもっと読み進めたいと思わされた。



なお、数学ガールを完結させた結城先生の最新小説は『AIと生きる』。
早速購入してみると…登場人物は数学ガールの面々じゃないですか!
ノナもいる!
AIの活用も気になるし、早く読み進めよう!


参考(過去日記)

前にシリーズの感想を書いたのは15年前と12年前!
pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com

*1:奇しくも、先日ドラマを観終えたばかりの『テミスの不確かな法廷』で、松山ケンイチ(安堂清春裁判官)が口にする「分からないことを分かっていないと、分からないことは分かりません」を思い出した。傑作ドラマでした…