Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

やはり目立たない北条義時~坂井孝一『承久の乱』


今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の時代考証担当の坂井孝一さんの著書。
ということは、歴史の勉強になるだけでなく、これから大河ドラマで描かれるストーリーを探る上でもヒントになるだろうと思って読んでみた。

既に漫画2冊で予習済*1みということもあったが、非常にわかりやすく書かれており、理解が深まった。
本書の文章を引用しながら、主要登場人物の印象について、これからの大河ドラマへの期待も込めながら綴ってみた。

源実朝

坂井孝一さんは、本書の前に源実朝の本を書いているということもあって、もしかしたら抑え気味にしているのかもしれないが、熱が入っていることがよくわかる取り上げられ方。悲劇の天才歌人という一般イメージから離れて、幕府を治める将軍としての実朝について理解できた。
特に、「東国の王権」構想は興味深い。

尊敬する亡父頼朝と同じく王権を意識し、また自分に子供ができないと自覚した実朝にとっても、名付け親であり政治・文化の模範である後鳥羽の皇子を将軍に推戴し後見するという策、つまり王権という公家政権の伝統的権威を新興のの武家政権に取り込み、幕府をいわば親王に譲ってその後見になれば、後鳥羽が譲位して自由を謳歌したように、実朝も前将軍の権威を保ちつつ、将軍が果たすべき公務から解放され、遠隔地に足を延ばすなどの自由を謳歌できる。(略)いわば、実朝による「幕府内院政」である。p96

一方で、2冊の漫画の中でも脈絡なく挟まる、謎の渡宋計画がかなりよくわからなくて笑ってしまうのも確かだ。
本書の中でも「実朝の夢は実によく当たった。一種のカリスマ性を醸し出すほどであった。」(p90)*2と書かれているが、夢のお告げで巨大な船を建造し、それが浮かびすらしない…。
このエピソードが大河ドラマでどう取り上げられるか。そして、この不思議な雰囲気を演じられる俳優が誰なのか。坂井孝一さんが専門家として一番思い入れのある人物であろうことも含めて気になる。
ただ、京都から正室を取り、側室を取らず、子を持たずに若くして亡くなってしまう、という生涯は徳川家茂と重なる。とすると、『青天を衝け』で家茂を演じた磯村勇斗(針ネズミ)が似合う気もする。

後鳥羽上皇

日本の歴史の漫画2冊で、後鳥羽上皇が文武両道で実朝にも目をかけていたという基本的な部分は把握できていても、実朝暗殺後、承久の乱に進むまでの唐突な心変わりがよくわからなったが、この本を読むと経緯がよくわかった。


特に漫画2冊で抜けていた重大な事件は、大内裏焼失だ。
実朝横死のあと「次もしかしたら俺が将軍かも」と思っていた摂津源氏の名門で政所別当に就任していた源頼茂(よりもち)は、三寅が後継将軍となり「切れて」しまった。召喚に応じない頼茂を追討するため在京武士が駆け付け合戦に及んだが、籠って火をつけ自害し、その火が広がったという。

しかし、そもそも頼茂を追討しなくてはならなくなった責任は、実朝の暗殺を許し、将軍職をめぐる内紛を起こした幕府にある。摂関家の子を後継将軍にするという妥協までしてやったのに、権力闘争を都に持ち込むとは何事か。後鳥羽は思いをめぐらすうちに、コントロール不能な実朝亡き後の幕府に敵意を募らせていったのではないか。p121

大内裏が焼失した原因は幕府の内紛が都に持ち込まれたことであり、幕府は地頭を指揮して積極的に再建に協力すべきである。そう後鳥羽は考えたであろう。にもかかわらず、地頭の抵抗を幕府に訴えても埒があかない。後鳥羽からすれば、今の後鳥羽からすれば、今の幕府はコントロール不能なのである。
もともと頑健な肉体と抜群の身体能力を持ち、乗馬・水練・笠懸などの武技に秀で、自ら太刀の焼き入れをしたと伝えられる後鳥羽には、幕府や武士の存在そのものを否定する気などなかったと思われる。ただ、日本全土に君臨する王が、幕府をコントロール下に置けないのは問題であった。なぜコントロールできないのか。幕府の中に元凶がいるからである。その元凶とは誰か。p135

で、その元凶とは北条義時なので、北条義時を追討せよというのが承久の乱の始まりだ。ただ、後述もするが、この本の中でも北条義時は存在感が薄く、なぜ元凶なのかよくわからなかった。

三浦義村北条泰時北条時房

漫画2冊では、何度か「裏切者」として名前が出て気になっていたのが三浦義村和田義盛の乱の際はまさに裏切者としてだが、公暁による実朝暗殺の黒幕説にも名前が出る。(公卿の乳母夫=後見人が三浦義村

しかし、承久の乱の序盤から重要な役割を担う。本書での評価も以下の通り。

和田合戦の時も、三寅下向の方針を打ち出した時も、キーパーソンは三浦義村であった。和田合戦では同族の和田義盛との約諾を破り、承久の乱でも弟胤義の勧誘に乗らなかったことから、義村は権謀の人と評価されがちである。(略)
しかし、別の角度からみれば、義村は一貫して北条義時の側に立っており、ブレはない。p169

これを読むと、大河ドラマ三浦義村山本耕史が演じることに納得感が生まれる。
そして、承久の乱の戦全体と戦後処理で重要な役割を果たしたのも北条泰時北条時房三浦義村だったというから、大河ドラマでも出ずっぱりになるのだろう。実質的に主役に近いのかもしれない。


なお、ここで挙げた3人のうち3代目執権で御成敗式目で有名な北条泰時は義時の息子として知っていたが、北条時房はかなり気になる人物。都の教養を身につけ、蹴鞠を得意として後鳥羽上皇からも一目置かれたという。北条義時の12歳下の異母弟で、泰時とは、承久の乱でともに活躍し、ライバル関係にもなったという。Wikipediaを見ると「容姿に優れた人物」などとも書かれている。仮面ライダー枠として、ドラマ『最愛』が素晴らしかった高橋文哉(ゼロワン)を期待したい。

追記:よく考えると、先に挙げた磯村勇斗仮面ライダー枠であること、また、年齢について改めて精査が必要なので考え直してみる。生年を調べると…
北条政子:1157
北条義時:1163
北条時房:1175
北条泰時:1183
源実朝:1192
仮面ライダー俳優で固めてしまえば、実朝はやはり磯村勇斗北条時房高杉真宙北条泰時が高橋文哉でどうでしょうか。

北条義時

この本を読むと、やはり北条義時は地味だ。
そもそも言及が少なく、承久の乱では北条義時は鎌倉にいただけだったということがわかった。

一か月前の五月二十二日、嫡子の泰時を先頭に鎌倉方の軍勢を出撃させてからというもの、義時は戦勝と世の平安を願う祈祷を鶴岡八幡宮勝長寿院永福寺大慈寺で行わせてきた。p201

館に雷が落ちて凶事ではないか!と不安ばかりが募っていたとのことで、とても格好悪い。


本の中では、京方が「後鳥羽ワンマンチーム」だったのに対して、鎌倉方が「チーム鎌倉」として結束力・総合力を十二分に発揮したことが勝敗の分かれ目だったとされているが、「チーム鎌倉」に占める義時の割合はいかほどだったのだろうか。
なお、大河ドラマでは、二代将軍頼家を修善寺に幽閉し殺害する流れや、関連して比企氏を滅亡に追い込み、また、実朝暗殺後に源氏の血を引く者を次々と誅殺した北条の怖さがどう描かれるかはもっと気になる。
もしかしたら北条義時はそういった冷酷な部分で評価されているのか。

とにかく義時の凄さが感じられない本だったが、このあたりは、最近出たこちらに書かれているのかもしれない。
引き続き大河ドラマを楽しみながら、歴史を勉強していきたい。

そして、もう一冊の新書『承久の乱』も。

*1:なぜ北条義時は「学習まんが日本の歴史」に登場しないのか~『鎌倉殿の13人』時代の日本史漫画2冊読み比べ - Yondaful Days!

*2:ちょうど今日放送された第三話では、頼朝が、夢枕に立った後白河法皇からのお告げがきっかけで挙兵の決意をする場面が出てきた。怨念や祈祷、夢などがドラマの中でどう取り扱われるのかは楽しみ。

なぜ北条義時は「学習まんが日本の歴史」に登場しないのか~『鎌倉殿の13人』時代の日本史漫画2冊読み比べ

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が始まったこともああり、小中学生時代に読んでいた『学習まんが少年少女日本の歴史』(以下、小学館版)と石ノ森章太郎『新装版マンガ日本の歴史』(以下、石ノ森版)を比べて読んでみた。

同じ内容のものを2冊読むのは面白い。だけでなく、以前も不思議に思った「小学館版は何故、主要キャラクターで登場しない人がいるのか」についても少し突っ込んで考えることが出来た。*1
ざっくり言えば、(ビリギャルが推薦するほど)小中高の「学習」を意識した小学館版に対して、石ノ森版は、物語としての歴史の面白さを重視しているということになるが、以下で簡単に説明する。

なぜ義時は「まんが日本の歴史」に登場しないのか

『鎌倉殿の13人』で主人公となる北条義時は、小学館版では登場しない。
これは、おそらく時代区分ごとに、「似顔絵」としてのビジュアルのインパクトを強く印象付けるメインキャラクターを絞っているためだ。
そして、それは、中学校の学習内容と比較したときに過不足ない内容を限られたページで、という制約条件を強く意識しているのだと思う。
たとえば、この期間の歴史的重要事項、1219実朝暗殺、1221承久の乱、1232御成敗式目の中で、御成敗式目を成した北条泰時の前の世代の北条氏としては、政子と時政を出せばよく、義時は不要だ。実際、「石ノ森章太郎」版では義時の顔は出ているし、名前は何度も登場するが、書き文字での説明は「義時=政子体制」となる。二人のうちで目立つのは政子なので、わざわざ義時は顔を出す必要はないというのが小学館版の判断なのだろう。
なお、このシリーズは目次部分で主要人物の顔が出るが、上に挙げた北条3人はいずれも登場する。(繰り返すが義時は登場しない)
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また、そもそも承久の乱は、北条義時が朝敵と名指しされて戦が始まったが、もう一つ和田義盛(鎌倉殿の13人の1人。ドラマでは横田栄司)が義時を討とうとした「和田合戦」についても、小学館版では、義時の顔を全く出さずに話を進める強引さがあり、徹底している。*2
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卿の二位(卿の局)

石ノ森版で目立つのは、後鳥羽院の取りつぎとして絶大な権力を持ったと言われる、乳母の「卿の二位」(藤原兼子)の存在だ。
第3章と第4章の間に「間章 女人入眼(にょにんじゅがん)の日本国」という章を設けて、北条政子と卿の二位という東西の女性実力者の歴史的会見(1218年)について取り上げているが、彼女の存在は大きかったようだ。
二人の会見では、実朝の世継ぎが見込めないことから、次の将軍を「皇子将軍」としようということで話が決まる。しかし、その後1219年に実朝が暗殺されたことをきっかけに、この話がご破算になり、さらにこじれて承久の乱になる。
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小学館版では、この流れは描かれておらず、後鳥羽院が実朝に目をかけ、和歌(新古今和歌集後鳥羽上皇勅撰和歌集)についても、面倒を見てやろうとしていたことが描かれる。可愛がっていた実朝が死んでしまったので幕府との対立関係が顕著になったという流れだ。
石ノ森版の解説(歴史学者村井章介さん)では、後鳥羽上皇についてこう書かれている。

彼はなんでもできる百科全書的な人間で、『新古今和歌集』の編集をリードしたのをはじめ、蹴鞠、管弦、囲碁、将棋などにも堪能で、朝儀の故実にも詳しかった。(略)
注目すべきは彼が武芸を好んだことで、みずから刀の鍛造もやったといわれる。

刀の鍛造!
幕府側の人間だったとしても驚きなのに、朝廷側でそんな人がいるとは…。


なお、先日、Twitterでも友人と話をしたが、ドラマ『鎌倉殿の13人』で誰が後鳥羽上皇を演じるか、というのは気になる。生まれ年は以下の通りなので、後鳥羽院が義時よりも17歳下ということを考えると、小栗旬よりも少し若い役者がやることになる。*3
北条政子 1157
北条義時 1163
後鳥羽院 1180
源実朝 1192
敵役のメインキャラクターということもあり、ある程度名の知れた俳優であることを考えると、中村倫也はいい線だと思う。NHKが積極採用するかどうかはわからないが、東出昌大とかもいいんだけど…。

政子の母子関係、父娘関係

もう一つ、石ノ森版で面白かったのは、政子の母子問題、父娘問題の顛末がどちらも似た図式になっていること。
不良息子の源頼家は、息子の一幡の待遇への不満から、病中にもかかわらず北条を討とうと決める。これは頼家の妻(若狭局)とその父・比企能員(鎌倉殿の13人の1人。ドラマでは佐藤二郎)の差し金で、結果として比企一族はほぼ全滅、頼家は出家させられる。
北条時政は、やはり後妻の牧の方(ドラマでは宮沢りえ)にたぶらかされて、1205年に、忠臣・畠山重忠を無実の罪で討ち、実朝暗殺も企てる。これが発覚して時政は出家させられ、表舞台から去り、義時=政子体制が確立する。
二人とも身内であることを考えると、政子は本当に頼朝第一で、父や息子には、それほどの愛情は向けられなかったのだろうなと感じた。


このように一連で見てみると、やはり、『鎌倉殿の13人』の時代の実質的主人公は北条政子であることを強く感じる。没年も義時は1224年、政子は1225年でほぼ同じながら政子の方が少し長く生きているし、義時が日本史の中では目立たないキャラクターであることがよくわかる。
『鎌倉殿の13人』の初回でも、義時(この時点では13歳)が「このまま平家の世の中でもいいんじゃないですか」みたいなことを言うが、あまり熱くないキャラクターだからドラマの主人公とするのに面白いのかもしれない。
この時代はどんどん関連作を読んでいきたい。

*1:以前、維新の時期のを読んだら木戸孝允がほぼ登場しないことを不思議に思った。

*2:なお、小学館版のすごいところは、「行間」に色々な歴史事実や解釈が含まれた箇所が多いこと。勉強してから読むと、「あ、さらっと書いているここには深い意味が…」と気づくことがよくある。

*3:勿論、朝ドラで深津絵里が10代の役を長く演じているように、俳優の年齢を特に気にする必要はないという考え方はある

熱くなれる新書~中川裕『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』


これは名著。

タイトルから見ると、漫画『ゴールデンカムイ』の謎本、考察本の類かと思ってしまうところもあるが、著者は『ゴールデンカムイ』のアイヌ語監修を行っている千葉大学文学部教授で、いわば「中の人」。

ただ、その教授も1955年生まれで自分よりも20も年上の人であることから、偉い先生の「ご高説」を伺うような本になっているのかと予想したが、全くそのようになっていない。

この本は、著者の中川裕さんの、アイヌ文化の専門家としての立場、『ゴールデンカムイ』の制作裏話を教えてくれる「中の人」としての立場、そして何より、『ゴールデンカムイ』の物語を楽しむ読者としての立場、3つの立場のバランスがよく取れた本になっていると思う。


中川さん自身、序章で野田サトルゴールデンカムイ』がいかに特別な漫画であるかについて、ストーリー、演出力、作画技術、魅力的なキャラクターを挙げたあと、以下のように書いている。

それに加えて、私たちのようなアイヌ文化に興味を持ち続けてきた人間にとっては、特別な意味をもたらす漫画でした。

ゴールデンカムイ」はそれまでの漫画と違い、明治末期のアイヌ社会を真っ向から漫画の中に組み込み、強い意志と高い能力を持ったアイヌを何人も中心的キャラクターとして登場させながら、高度なエンターテインメント性で広い読者を獲得していった、初めての作品だと言えます。

本書は、著者の中川さんが指摘する『ゴールデンカムイ』という作品の間口の広さ、エンターテインメント性は出来るだけ生かした形で、その上にアイヌ文化の解説がついているという絶妙のバランスのもとに出来ているように感じる。

このことは、あとがきでも書かれている通りで、本の中での「アイヌ文化」と「ゴールデンカムイ」の比率は、専門家なら8:2、7:3くらいにするのが普通だと思うが、この本は5:5もしくは4:6くらいの比率になっている。

ゴールデンカムイ」においてアイヌはひとつの素材であり、そこにはフィクション*1も多々含まれています。だから本書のタイトルも『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』なのであって、『「ゴールデンカムイ」で学ぶアイヌ文化』ではありません。でも、この本はどっちからどっちにでも行けるようになっています。


ということで、一旦まとめると、この本は、読めば漫画『ゴールデンカムイ』を読み直したくなる、そして、中川さんの指摘を受けて動作やセリフを追加した部分もあるというアニメを見返したくなる名著で、本編完結後には、必ず続編をつくってくださいと切実な気持ちでお願いをしたくなる。

新しいアイヌの未来

扱われているアイヌ文化について、ここで一つ一つ取り上げることはしないが、8章で語られる「アイヌ語の現在そして未来」という項がとても熱い内容だったので、それについて。

母語としてのアイヌ語が話せる人の数はそれ*2からも減っていますので、母語話者としてのアイヌ語話者は、もういないと言ってもよい状況です。
しかし、母語話者の数にこだわる必要はありません。英語が世界で最も力のある言語であるのは、母語話者の数が多いからではありません。母語話者数で言えば中国語のほうがはるかに上です。英語の力の源は、英語が母語ではない世界中の人が英語を学ぼうとすることにあるのです。そして、学ぼうという力が働けば、消滅危機と言われた言語でも力を取り戻すことができます。ハワイ語がそのとてもよい例です。
ハワイ語1893年アメリ海兵隊によってハワイ王国が崩壊させられ、1900年にハワイ諸島全体がアメリカに併合されたことにより、母語話者がほとんどいなくなるという状況に陥りました。しかし、その後ハワイ大学を中心に復興運動が進められ、現在、ハワイ島には幼稚園から大学まで、完全にハワイ語だけで授業を行い、教員同士の会議までハワイ語で行うというような状況ができあがっています。(略)家に帰れば英語で生活をしているのですが、ハワイ語を身につけることによって、自分たちの歴史や文化に誇りを持つことができ、ハワイ人であることに胸を張って生きる社会を作りつつあるのです。

このあと、アイヌ語もその道を目指して取り組んでいるという話が出ている。
義務教育の過程の中で行うのは問題があるだろうが、興味・関心を持った人がそこに積極的にアクセスして学んでいける状態を作ることが出来れば、母語話者がいなくなっても、アイヌ文化は滅びない、ということだろう。
実は『ゴールデンカムイ』という作品は、アニメで途中まで見てしばらく時間が経った今年の夏に、WEB上で全話無料キャンペーンがあり、一気に読んだのだが、一番感動したのは、樺太に移ってから、アシリパアイヌ文化をどう遺し伝えていくかを考えていく場面だった。
一線で活躍するアイヌ文化の専門家と、青年漫画誌にのっているアクション漫画が、同じ問題意識で動いているところに、とても熱いものを感じる。8章の締めの一文はそのまま物語の本編に続くものになっているのだ。

アシリパという名前は「未来」と読むこともできます。彼女が現代に生まれたら、今いる人たちとともに、新しいアイヌの未来に向かって突き進んでいくことでしょう。


なお、本の中にはコラムが2つ挟まれており、それぞれ、小樽市総合博物館館長と札幌大学教授が別々の視点から『ゴールデンカムイ』という作品を絶賛している。
それほどまでに専門家に愛され、期待されている(にもかかわらず、他には類を見ないほどの変態キャラクターが頻出する)漫画『ゴールデンカムイ』が、このあとどのように完結を迎えるのか楽しみであり、終わってほしくないという気持ちもある。

そして、この『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』を読んで、ウポポイ(2020年にアイヌ文化の復興・創造・発展のための拠点として開業した施設:札幌から約1時間)にも行ってみたくなった。
勿論、関連書籍も読んでみたい。安心と信頼のヤマケイ文庫からこんな本が!

*1:例えば、動物の肉を細かく刻んで食べるチタタプは漫画の中で登場回数が多いが、「チタタプ、チタタプ」と言いながら刻むという習慣は野田サトルの創作とのこと。p168

*2:2009年の「消滅危機にある言語・方言」というユネスコ報告で最高レベルの深刻度に分類

「課金マウンティング」と少年隊ラジオ~劇団雌猫『浪費図鑑 ―悪友たちのないしょ話―』

2017年初刷なので、少し前の本になるが、各種の沼にハマってしまった人たちの「推し」への愛以上にその「出費」に目を向けた本。目次を見ると、どんな趣味が取り上げられているのかがわかる。

◎はじめに

◎第一章 浪費女の告白(匿名エッセイ)

  • あんスタで浪費する女
  • 同人誌で浪費する女
  • 若手俳優で浪費する女
  • 地下声優で浪費する女
  • EXOで浪費する女
  • ロザンで浪費する女
  • 乃木坂46で浪費する女
  • 宝塚歌劇団で浪費する女
  • 東京ディズニーリゾートで浪費する女
  • V系バンドで浪費する女
  • ホストで浪費する女
  • コスメカウンターで浪費する女
  • ●ン十年前の特撮作品で浪費する女(丹羽庭)

◎第二章 竹中夏海(振付師)スペシャルインタビュー

◎第三章 High&浪費ナイトイベントレポート

◎第四章 浪費女2000人アンケート

◎第五章 劇団雌猫座談会

◎おわりに

色んな沼にはまりお金を使う人は実際に見聞きすることもあるので、第一章の匿名エッセイは、そういう人もいるんだろうね~という感じで読んだが、面白いのは第4章の2000人アンケート。
勿論、「浪費」している自覚のある人へのアンケートだから極端な回答は出るであろうが、2000人に対して行ったアンケートで、「クレジットカードが止まったことがありますか?」の質問に「ある(限度額に達して)」11%、「ある(支払いの遅延)」11%はちょっと怖い。後者は、いわゆるブラックリストに載ってしまう状態。そして「貯金額はいくらですか?」という質問に「貯金なし」20%もすごい。
勿論、人生の中の数年の話なのかもしれないが、この辺りを読んで、怖くなってきてしまった。
たとえ自分で稼いだお金だったとしても、自分の恋人や子ども、もしくは子どもの恋人が、趣味に稼いだ金額のうち生活費以外を全て注ぎ込んでいたらどうしようか…。


自分がそうだから趣味にお金を使うのは全く問題ないけど、度を越している場合、どこまで寛容でいられるかと言われると自信がない。
さらに、「ある特定のジャンル」については、やっぱりこれはダメなんじゃないか、というジャンルがあった。そのジャンルに比べれば、ホストで浪費するのは、むしろ理解できる。若手俳優の舞台チケットがはけないことに心が痛み、貯金ゼロにも関わらず「追いチケ」してしまう、というのも分からなくもない。


絶対にハマってはいけないジャンルというのは、ずばり、ソシャゲ。


この本の最初で出てくる「あんスタで浪費する女」が凄すぎる。
あんさんぶるスターズ!」というスマホ向けゲーム、略して「あんスタ」の項で出てくるのが「課金マウンティング」という概念。
つまりは、ファン同士で「課金額を公言し、ガチャを回した記録をSNSにアップし、推しキャラのガチャや誕生日ガチャでは死ぬ気でガチャを回す」という、マウントの取り合いがコアファンの間では重要なゲームなのだという。(2017年当時:今は知りません)

課金マウンティングはしんどいです。Twitterでフォロワーがガチャを何十連もしたスクショを貼っている時、イベントランキング上位の画像を貼る時、コンテンツを愛しているならお金を落とさなきゃと語る時、頭のなかで、生活費をあとどれくらい削ればいいのかの計算がはじまります。けど、私も結局、言い訳しながらも、推しのえっちな絵が欲しい。そんなとき「課金マウンティングが大変だから仕方なく」の旗のもとに、課金のアイコンをタップするのです。
p11


別の場所ではこんなことを書いている。

「あんスタ」は、課金アイテムを使い続け、タップを延々と繰り返し、指紋と貯金をすり減らしてカードを手に入れるアプリです。そこにゲーム性は一切ありません。楽しいかって?別に楽しくねーよ。指紋減らすだけの作業がたのしいわけないだろうが。

そこまでわかっているのに何故…。


自分は高校生の頃に読んだ『メディア・セックス』(オカルト書に近い扱いなのかもしれない)では「サブリミナルコントロール」について繰り返し書かれていて、自分が「衝動買い」に慎重なのは、この本の影響がとても大きい。サブリミナルコントロールについては、コカ・コーラのCMの例がよく出される。

1957年9月から6週間にわたり、市場調査業者のジェームズ・ヴィカリー(James M. Vicary)は、ニュージャージー州フォートリーの映画館で映画「ピクニック」の上映中に実験を行なったとされている。ヴィカリーによると、映画が映写されているスクリーンの上に、「コカコーラを飲め」「ポップコーンを食べろ」というメッセージが書かれたスライドを1/3000秒ずつ5分ごとに繰り返し二重映写したところ、コカコーラについては18.1%、ポップコーンについては57.5%の売上の増加がみられたとのことであった(Wikipediaサブリミナル効果

その後、このサブリミナル的な表現方法は世界的に禁止されているようだが、重要なのは、自分の内から出てきたはずの「ほしい」という気持ち自体が、商品を買わせたい他者からコントロールされているということがあり得るということだ。
実際、サブリミナル広告でなくても、テレビのCMがきっかけで飲食物を衝動的に購入した直後に、あまり飲みたくなかったな、食べたくなかったな、ということに気がつくということはザラにある。
また、よくよく考えてみると、モノが欲しいのではなく、お金を使うことそのものを欲している時もある。
深層心理的には、何か切実な欲求があり、例えばそれは人とコミュニケーションしたり、運動をしたり、何かの表現をしたりすることで満たされるものなのかもしれないのに、安易に消費欲求に置き換えてしまう、ということもある。


勿論、「本当に欲しいもの」ではないとわかっている「無駄なもの」を買うのが楽しいことはわかる。
しかし、欲求を他者からコントロールされていることがあからさまで、かつ、手に入るものが実質的にはコピー可能なデータであることを考えると、やはりソシャゲを楽しむのには節度が必要だと思う。
後半の座談会でも、1つのイベントのガチャで5万、10万、20万とかける方の話が複数出てくるが、他人だったら笑い話だが、家族にいたら勘当クラスだし、ショックで眠れないかもしれない。*1
しかも「課金マウンティング」は、ライバル(推し仲間)同志で命を削り合う、いわばチキンレース。ここから抜け出せないのは、欲望をつかさどる脳の機能がバグっているのだと思う。ギャンブル依存症と同じだ。
この本にはギャンブルが出てこなかったのは、ギャンブルを入れてしまうと凄惨な内容になるからだろう。でもソシャゲは限りなくそれに近い。
…と、ここまで書いてきて思い出したが、最近「あるアニメ」で、ソシャゲ中毒者の暗転する人生を見たから、ソシャゲに敏感になっているのだと思う。
ワクチン接種のように、中高生には、ソシャゲ中毒者のフィクション・ノンフィクションを見せるのがいいかもしれない。


なお、自分の思う、沼にハマり過ぎてしまった人たちの理想的なお金の使い方は、この、少年隊ファンのラジオの話。こんな風に多くの人が幸せになるようなお金の使い方だったら家族だって応援したくなる。趣味へのお金の使い方と、他者(家族)の「浪費」に対する寛容の心をどこまで持てるかという問題は、なかなか難しいなと思った本でした。
togetter.com

*1:いや、前言撤回するが、ホストに一晩でうん十万かけるのも嫌だな…

百戦百打一瞬の心 VS 脱走~橋本絵莉子『日記を燃やして』

百戦百打一瞬の心

久しぶりにテレビでしっかり高校サッカー準決勝「青森山田(青森)×高川学園(山口)」を見た。
元々スポーツ観戦はそれほど熱を入れて観ることはなく、現地で応援ということもほとんどしないが、高校時代にサッカー部に所属していたこともあり、国立競技場で1日2試合を楽しめるの高校サッカー準決勝はお得だと、大学生時代には数回応援に行った覚えがある。

それでも、最近はテレビ観戦からも離れていた。
今年、観てみようと思ったのは、やはりセットプレーでニュースに何度も取り上げられて気になっていた高川学園がまだ準決勝に残っており、相手がここ最近は決勝の常連チームとなっている青森山田だからだ。

www.soccerdigestweb.com


ところが、試合開始早々に青森山田が先制。
結局、高川学園は、ゴール近くではフリーキックどころかコーナーキックも蹴らせてもらえず、いわゆる「トルメンタ」や「列車」等の多彩は技を披露する機会すらない圧倒的な格の違いを見せつけられ、6-0という結果に終わった。

なお、青森山田の圧倒的強さは、やはり高校サッカー界では問題もあり、ちょうど昨日亡くなった島原商業、国見学園監督だった小嶺忠敏との比較から、監督就任27年目の青森山田・黒田剛監督(51)について書かれた記事もあり、興味深く読んだ。
spaia.jp


ただし、青森山田の強さは、(全国から集められた選手の)個々の技術力・体格だけでなく、個々のプレーの集中力にあるのは見ていてよく分かった。まさに、チームのモットーである「百戦百打一瞬の心」が体現されている。
圧倒的にボールを支配できる力があるからではあるが、ダラけた局面がほとんどなく、常にゴールに向かって得点を狙うプレーが、観ている観客を熱くさせる。


勝戦の相手は、優勝候補だった静岡学園を下した関東第一にコロナ感染者が出たため、準決勝を不戦勝で勝ち進んだ大津高校。もともと地力の差があることに加えて、準決勝が無いことによる気力面のマイナスが泣きっ面に蜂となり、準決勝以上の圧倒的な試合になってしまう可能性がある。大津高校イレブンは、今頃、『ロッキー』を集中的に見てメンタルを整えているんだろうか…。


さて、話が飛んだが、繰り返すと、青森山田のプレーはまさに「百戦百打一瞬の心」というキャッチフレーズがそのまま表れているようで、いわゆる「勇気をもらう」「元気をもらう」=何かの目標に対して前向きな気持ちになる効果があり、こういうのが正月スポーツを皆が見る理由なんだよなあと思った。

脱走

ポップスの歌詞は前向きなものが多い。
だから、後ろ向きなものが耳に入ると、お!と思って聴いてしまう。
堀込高樹1人体制になったKIRINJI『crepuscular』の中でも「How old?曖昧だ 俺 今 いくつだっけ」(曖昧Me)とか「ネタバレしてる人生」(薄明)という歌詞に惹かれるし、このアルバムは、そういった内省的な歌詞が多く自分好みだ。


そんな中、年末に聴いた元チャットモンチー橋本絵莉子のソロアルバム『日記を燃やして』が、KIRINJI『crepuscular』を超える面白い歌詞と、統一したアルバムコンセプトで夢中になって聴いている。


中でも、年初に聴きたい楽曲は「脱走」「前日」。
それぞれの描く「百戦百打一瞬の心」と真逆な世界が良い。


「脱走」は毎日のルーティーンから外れて、好きなところに脱走してもいいじゃないかという歌で、練習のシュート一本一本にまで魂を込める「百戦百打一瞬の心」とは正反対の内容。
ここまで努力を重ねて成果を出してきた人だからこそ説得力があるとはいえ、サビは誰にでも当てはまる。

やってみて嫌だったらやめたらいいねって
やってみて飽きたらやめたらいいねって
ただやってみようと思ったから
やってみただけ
一年の中のたった一日さ
人生の中のたった一瞬さ

もしカレンダーめくるの忘れても
ただカレンダーめくるの忘れた日なだけで
止まってなんかいない
明日2枚めくろう
それだけの話さ

そして「前日」の、部屋を掃除しようと決意してから諦めるまでの変わり身の早さ!
2番では、笑って聞き過ごした他人から言われた嫌な一言に対して明日は何か言い返そうと決意する悔しい内容。それでも、最後は、前向きになれるいい曲。

わーめっちゃモノある
今すぐこの部屋大掃除したい
そういえばお腹すいたな
その前にたぬきち撫でよう
まー明日がんばるか
部屋は逃げんし
そういう体でいこう

それ以外の曲も歌詞が良すぎて全部引用したいくらいだし、これから聴いていくうちにもっと心に響いてくるんじゃないかと思う。

  • 初心には返れない(かえれない)
  • 解散はできないようにもうバンドは組まない(今日がインフィニティ)
  • 「誰ももらってくれんかったら 嫁にもらってあげるな」世界一嫌な曲ね(ロゼメタリック時代)
  • あんなに口うるさかったかあさんが 結婚したとたん何にも言わない さびしいよ それはそれで(あ、そ、か)
  • 少し年をとったね 順番通りだね(特別な関係)

スポーツでも仕事でも、これ!というときは「百戦百打一瞬の心」が重要だけれど、人生全体で考えると、いわゆるゾーン(『鬼滅の刃』でいう全集中)に入っていない時間の方がずっと長い。年を取ればとるほど、そういうダメな時の自分と付き合ってくれる歌の方に惹かれていく。
そして、物語ではなく、フレーズ単位で頭に入ってくる「歌詞」という媒体だからこそ、人は自分の気持ちを、人生を、そこに載せてしまうし、だから歌は楽しい。
しかも『日記を燃やして』は、方言交じりの歌詞やたぬきちという飼い犬まで登場する橋本絵莉子の、まさに日記的な内容で、曲ごとの切り売りではなくアルバムで聴くことに意味がある。


昨年半ばからまた音楽を少しずつ聴く習慣を取り戻しつつあるけど、その中でもアルバム単位で楽曲を聴く楽しさを最高レベルで味わえる一枚に出会えて嬉しいです。

小川淳也の感染力~大島新監督『香川1区』

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年末の12/28は、昼間に、いわば聖地のポレポレ東中野を訪れ『香川1区』を鑑賞し、夜はテレビ番組「SASUKE」を見た。


『香川1区』を見るタイミングについては少し考えた。2020年の映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』の続編と言える作品なので、『なぜ君』を見たあとの方が良いだろうという気持ちは勿論あったが、ついこの前にあった衆院選を題材にしているという速報性に重きを置いて、『なぜ君』は未鑑賞のままで行くことにした。

そういう意味では気持ちはアウェー。
おそらく『なぜ君』を見て、小川淳也に惚れ込んでファン目線で来る観客が大半であろう中で、「俺はまだそっち側ではない」という気概を持って半ば喧嘩腰に臨んだ。


だから、序盤はどうも焦点を絞り切れず退屈に感じるほどだった。
例えば、テレビのドキュメンタリーと比べると散漫。かといって、想田監督のドキュメンタリーと比べると、編集が多い割に、ぼんやりしている。
そもそも手持ちカメラの映像が動き過ぎでは…等々。


ただ、選挙戦開始直前のある事件をきっかけに一気に引き込まれる。
もともと一番の懸念は、選挙のライバルである自民党平井卓也議員のマイナス点ばかりを殊更にあげつらうような映画だったら、公平性という観点で気持ちが悪いのではないか、というものだったが、そうはなっていなかった。

むしろ、小川淳也のマイナスの部分が良く見える映画になっており、その点にこそ本作の特徴があるかもしれない。
その、小川淳也の短所の象徴が、マスコミにも批判的に取り上げられた維新の町川議員への「立候補取り下げ要請」の部分だ。
mainichi.jp
www.shikoku-np.co.jp
→後者は、平井卓也の母親が社主、弟が社長を務める四国新聞の記事。「マスコミ」かと言われれば違う気がする…


デジタル担当大臣となった平井卓也は「恫喝」騒動など選挙前に失点が多く、ある意味で小川淳也にとっては追い風が吹いていた。にもかかわらず、平井卓也小川淳也の一騎打ちだったはずの選挙戦の構図は、直前に「日本維新の会」の町川順子が立候補を表明して一変。
そこに小川淳也が、立候補取りやめを単独でお願いしに行き、マスコミには「圧力をかけた」という取り上げられ方をされることになった。


映画内でも繰り返される「いつも直球勝負」という性格の現れだが、辻本清美に叱られるだけでなく、この件を心配して事務所を訪れた政治評論家の田﨑史郎に対して激昂してしまうシーンは、映画の中でも印象に残る部分で、まさに政治家としては危なっかしい。


そういった危なっかしい部分も含めた彼の人間的魅力は、周囲の人間を惹きつけ、多くの人間が彼をサポートすることになる。特に、妻のみならず、社会人になった娘二人がマイクを持って選挙活動の正面に立って汗をかくのは驚きだ。
涙をこらえ切れなかったのは、「20時当確」が出て、小川淳也が御礼の挨拶をしたあとの、家族からの挨拶。娘の友菜さんは、泣きながら「これほど真面目で正直な人がこれまで選挙では勝てなくて…」という場面。*1

家族からの(あきらめを含めた)信頼と、家族の協力という意味では、すべてを捨てて競技に打ち込む、SASUKEのアスリートを見ていて似たようなところを感じた。
代表的なのはキタガワ電気店長の日置将士さん。3人の子どもが応援してくれるだけでなく、自宅のセットで一緒にトレーニングしたりする映像を見て、この人も小川淳也同様に家族に愛される人なのだと思った。


しかし、異なるのは、周りの人間がどんどん小川淳也に「感染」されていく部分なのだろう。
パンフレットの中村千晶さん(映画ライター)のまとめが分かりやすい。*2

実は本作に小川氏の言葉はそれほど多くない。それ以上に雄弁なのが、彼に呼応した人々の言葉だからだ。(略)
そう、これは「小川淳也」の映画ではない。「小川淳也」という人を受け取った側の成長の記録なのだ。
それこそが「なぜ君」へのアンサーだ。「なぜ君」は「なぜ私たちは君のような人を総理大臣にできないのか」でもあったのだから。我々有権者が政治に無関心で忘れっぽいから。選挙に行かないから。しかし変化は起こっている。ラスト、東京・有楽町の街頭で女性が小川に言う。「がんばってください、ではない。(一緒に)がんばりましょう、だと気づかせてもらった」と。自分たちこそがこの国の政治の責任者だと気づく人が増えること。我々自身が変わること。それが「なぜ君」が問うた課題であり願いだった。そして起こった変化の芽を捉えたことこそが、この映画の大きな意義だと強く思う。

映画の中では、ボランティア団体「小川淳也さんを心から応援する会(オガココ)」のメンバーが何度も登場するが、ライターの和田靜香さんも選挙活動に協力し、小川淳也への信頼を熱く語っていたのが印象的だ。これについては、本が出ているようなので、こちらも読んでみたい。


さて、小川淳也の短所の部分に話を戻すが、維新立候補取り下げ騒動から、彼には多くの議員を味方にしていく能力に欠けているのでは?という疑問が湧く。だからこそ、映画の最後に、選挙後の立憲民主党代表選の模様までが収められているのは良かった。
結局、決選投票まで残らない4人中3位で終わるのだが、負けたことの報告含め、あくまで(一般市民を対象とした)青空集会メインで小川淳也は代表選を戦う。地方票を集めるために全国の議員に頭を下げに行くような「政治家っぽい」方法の対極にあるが、それで正しかったのか。


NHKのニュース記事では、その「新しさ」に刺激を受けた議員も多かったと書かれている。

小川陣営の議員の中には、今回初めて小川と身近で接したという議員も少なくなかったが、“青空対話集会”での小川の姿勢に「刺激を受けた」、「立憲民主党が目指す方向が明確になった」といった声が聞かれた。

中には、小川を「スター」とまで評するものもいた。
「小川は有権者との対話を通して、相手を包み込む力がある。あの包容力は才能だ。これからは、こういう『スター』を党として支えていくことが必要だ」

最後に、今後「仲間」を増やしていくために、会食の誘いなどに応じるつもりか軽い気持ちで聞いてみたが、小川は真顔でこう返してきた。


「『飲んだ』『食った』って重要だけど、それだけで一生やり過ごしている人は見たことがない。ないよりかは、あった方がいいが、もっと大事なのは、世界観とか社会観とか、将来構想を共有できるかどうかだと思う」

小川淳也は、やはりどこまでいっても小川淳也のようだ。
小川淳也 幻の勝利のシナリオ 立憲民主党代表になれなかった男 | NHK政治マガジン

記事のまとめ方に、記者が小川淳也に「感染」した感じが現れているが、周囲の政治家を「仲間」にしていくよりも、広く社会を取り込んでしまった方が早いということなのかもしれない。

ただ、記事の中で小川淳也の言う「世界観とか社会観」が、映画の中では見えてこなかったので、これについては、関連書を読んでみたい。*3
あとはやっぱり「なぜ君」を見ないと。



なお、野党第一党ということで、立憲民主党には何とか頑張ってほしいと思っている。
小川淳也を破って新しく代表になった泉健太は自分と同い年。党の路線変更の姿勢には自分の中でも賛否両論があるが、小川淳也をうまく使って何とか次の参院選で躍進してほしい。(著作がないのは残念)

補足

書き忘れたが、この映画のもう一つの魅力は、自民党平井卓也陣営の「恫喝」気質、限りなくブラックに近い集票活動がカメラに収められていること。
この辺りはもっと咎められてもいいと思うのだけど。

*1:なお、このシーンは、8時当確が出たという事実が映画の画面からは分からない不親切な場面だったように感じた。誰もがこの選挙の結果を知っているわけではないと思うのだが…

*2:パンフレットは例えば平井卓也小川淳也のこれまでの対決の戦績含めわかりやすいつくり。大島監督が大島渚の息子であることを初めて知った。

*3:パンフレットでは、大島新監督とノンフィクション作家の中原一歩との対談が収められており、政策面の弱点についても触れられている。そもそも前原誠司の下について希望の党からの出戻りということは、枝野ラインではなく立憲民主党の本流ではない(泉健太と同じライン)のだが、「格差」や「ジェンダー」の問題に疎いという指摘は、致命的な気がする。そのあたりがどうなのかを本を読んで知りたい。

関連本読後にまた読み返したい~品田遊『ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語』


この本を読むきっかけになったのは『変な家』。
話題になっていたということ以上に、やはり間取り図メインの本ということに惹かれた。
『変な家』の感想を簡潔に言うと、とても読みやすく、とても面白いけど、その面白さが「想定内」の範囲に留まってしまった。
特に、明らかになった事実を追記して同じ間取り図が繰り返し出てくる構成は、本当に読みやすく、さすがweb連載だと感じた。ただし、ホラーとしてもミステリとしても、あともう少し何かできたのでは?という感じが残ってしまった。



さて、webで活躍する人で、ということか、関連本としてAmazonに紹介されたのが『ただしい人類滅亡計画』。これだけ聞くと、岡田斗司夫『世界征服は可能か』や、架神恭介, 辰巳一世『よいこの君主論』を思い出すが、副題を見ると「反出生主義をめぐる物語」とある。
「反出生主義」は“私は生まれてこないほうがよかった”、“苦しみのあるこの世界に子どもを産まないほうがいい”というような考え方を指し、森岡正博が新書を出していたので気になっていた。が、そんな悲観的で暗い考え方が、この本のカバー表紙のように楽しい話にできるのだろうか?と、まず感じた。
そもそも作者の品田遊は誰?と調べると、オモコロなどで活動するライターだという。しかも過去の著作のAmazon評がものすごく高い。
ということで、まずは2冊の小説を読んでみる。
pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com


確かに文体は軽いが、『変な家』よりも自分に合っている!この作家は信頼できる!と考え、やっと、問題の『ただしい人類滅亡計画』を読むに至った。


で、この本を読んだ感想。
確かに文体は読みやすいし、読んでみたいと思わせる設定。
基本情報をプレスリリースからそのまま抜粋する。


【あらすじ】
全能の魔王が現れ、10人の人間に「人類を滅ぼすか否か」の議論を強要する。結論が“理”を伴う場合、それが実現されるという。人類存続が前提になると思いきや、1人が「人類は滅亡すべきだ」と主張しはじめ、議論は思いもよらぬ方向へと進んでいく……。

【本書の登場人物】
魔王:全能の存在。人類を滅ぼす使命を持っているが……。
召使い:魔王の忠実なる僕。
〈魔王主催「人類滅亡会議」の参加者〉
ブルー:悲観主義者 —「生きていてもいやなことばかりだ」
イエロー:楽観主義者 —「生きていればいいこともあるわ」
レッド:共同体主義者 —「すべての人間は共同体に属している」
パープル:懐疑主義者 —「まだ結論を出すには早いようじゃぞ」
オレンジ:自由至上主義者 —「誰だって自分の人生を生きる自由がある」
グレー:??主義者 —「本当に存在するのは、このボクだけさ」
シルバー:相対主義者 —「どちらの言い分もある意味で正しいね」
ゴールド:利己主義者 —「とにかく俺様がよければそれでいい」
ホワイト:教典原理主義者 —「教典には従うべき教えが記されています」
ブラック:反出生主義者 —「人間は生まれるべきではない」

【人類滅亡会議の基本ルール】
1.これから「人類を滅ぼすべきか否か」を話し合う
2.結論が出たら魔王にその内容を申し出る
3.魔王は結論を受け入れ、そのとおりに実行する
4.ただし、結論が理を伴わない限り、それを認めない

実際の議論は、反出生主義者であるブラックが「人類は滅ぼすべき」という自分の理論を展開し、他の9人は、それを批判したり影響されたりしながら進んでいく。
ただ、後半になればなるほど、議論はより原理原則的なところ(道徳とは何か)に向かっていき難しくなっていく。おいおい、これはガチなやつじゃないか…。


でも、話の難易度にかかわらず、読んでどんどん理解が深まれば、やはり面白いはずなのだ。しかし、そういう感じは全くしない。
論理展開そのものには納得できないわけではないが、そもそも“私は生まれてこないほうがよかった”、“苦しみのあるこの世界に子どもを産まないほうがいい”という反出生主義の基本的な考え方自体が腑に落ちない。*1
その後、もはや、反出生主義の考え方自体から興味を失くしつつ、この物語をどう「落とす」のだろうという方にばかり気が行っていた最終盤の第18話で、それまで寡黙だったグレーが語りだす。ここで自分はやっと共感できるキャラクターが出てきた、と感じた。

ブラックの主張の根本には「人を傷つけてはならない」という原則があるよね。その原則をどこまでも伸長させて「人類を滅ぼすべき」という主張に改造してるみたいだけど…その「人を傷つけてはならない」っていうルール自体、行ってみればただのルールにすぎないわけさ。みんな、そんなルール大して重視してないんだよ。
「ただのルール」にすぎないものを過剰に神聖視して人類全体に守らせようっていう思考がもう、ふつうの人達からしたら胡散臭くて仕方がないってことだよ。そりゃあ、人生をこじらせた奴にしか共感なんて得られないよ。p176

そういう道徳的な教えってのはいわば「指針」であって、目的地じゃない。北極星の方向を目指して夜の太平洋を航行する船が、空を飛んで北極星に到着しちゃったら、それはもう一般論としては航行失敗なんだよ。ボクたちはルールを教わることで「ルールを守ること」を学ぶんじゃなくて「ルールの守りかた」を学んでるんだけど、たまにその差異がわからない奴が出てくる。
あのさ、これは知ってる奴なら誰だって知ってることだから、いまさら言うまでもないかもしれないけど、悪いことをしても別にいいんだよ。p178

ここから第20話で魔王がどう決断するか(人類を滅ぼすのか滅ぼさないのか)までは、それまでとは全く違った熱の入り方で読み込んだ。
なお、この本では、最終盤にスポットライトのあたるグレーの意見が「正解」としてではなく、アンチ反出生主義の強力な意見として挙げられているに過ぎない。
「あとがき」にも書かれている通り、この本のひとつの大きな特徴は、10人それぞれがそれぞれ別々の意見を持っていて根本的には噛み合わないというところにある。やや難しい「道徳」についても考えさせながら、「何が正しいか」から離れた部分に読者の視点を向かわせるところに、品田遊の書く力と誠実さを強く感じた。
関連書籍を読んだあとで、またこの本を読み直そうと思ったし、品田遊の次回作もものすごく気になる。

本書は「人類を滅亡させるべきか否か」について10人が議論する様子を描いた小説であり、反出生主義について考えるための補助線です。対立する意見の応酬を読みながら自分もその会議に参加しているつもりで考えてみてほしいと思います。自分の意見を持つ必要はありません。それよりは、食い違う主張について「どちらが正しいのか」ではなく「異なる種類の”正しさ”がそれぞれどんな水準で成立しているのか」を考えることをおすすめします。
(あとがき)


なお、巻末の参考資料の中には、本家本元のディヴィッド・ベネター『生まれてこないほうが良かった』や『現代思想2019年11月号』、森岡正博『生まれてこないほうが良かったのか?』などど真ん中の本と合わせて、永井均『改訂版 なぜ意識は実在しないのか』、中島義道『後悔と自責の哲学』、川上未映子『夏物語』(!)が挙がっている。この辺も読みたい、というか川上未映子『夏物語』が気になるなあ…。

後悔と自責の哲学

後悔と自責の哲学

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*1:このあたりの「論理展開は合っているように聞こえるが、共感できるできないとは別」という感覚は、ネットで見かけるフェミニズム論争を読んでいる時の感覚に近い