スポーツを題材にした小説や漫画を読めば、試合のシーンでは、主人公らの活躍を応援したくなる。
一方で、小説全編に渡って試合のシーンばかり、ということは無いので、ずっと応援ということは無い。
しかし、この小説は、全編に渡って応援したくなる、何なら投げ銭したくなる一冊。
タイトルからも何となく予想がつく通り、この本は、動画配信の小説。それどころか全編が「配信口調と視聴者コメント」で出来ているのが大きな特徴。6編が入っており、記念すべき配信第1回目から6回目までの道のりを追うことが出来るので、チャンネル登録者必携のガイドブックと言える。
配信者は表紙の2人の女性であらすじは以下の通り。
十時さくらは配信サービス《ときときチャンネル》で同居人のマッドサイエンティスト・多田羅未貴の発明を紹介し、収益化して生活費の足しにすることを目指す。
マグカップで宇宙を飲む? 時間の結晶を飼う? 無限に拡張していく家の中で迷子? 外ロケに出たら異世界へ入り込み、通販でエキゾチック物質をお取り寄せ!
多田羅の発明品が巻き起こすトラブルもこみで、ゆるやかに楽しくお届けします。目指せチャンネル登録者数1000人!
全編配信口調と視聴者コメントで語られる新感覚の百合配信者SF。
表紙の通り、小さいから中学生に間違えられる十時さくらが、ツンデレで身長179cmの天才科学者・多田羅未貴を上手くおだてすかして、彼女の毎回研究成果をネタに配信する。
面白いのは、多田羅さんが作るのが、何か目的がある発明品ではない、ということ。
たとえばドラえもんのひみつ道具のように「モノを巨大化させる」とか「時間旅行をする」という目的はなく、科学的興味で、つい生み出してしまったモノが毎回紹介される。
どんなものが作られるか想像できる(想像できない)6編のタイトルのうち5話まではこちら。見てわかる通り、初回からもはや哲学的な領域に入り込んでしまっている。
#1【宇宙飲んでみた】
#2【時間飼ってみた】
#3【家の外なくしてみた】
#4【近所の異世界散歩してみた】
#5【エキゾチック物質雑談してみた】
その特殊な文体を説明するため、たとえば「#2【時間飼ってみた】」から一部引用する。
そんなことできるんですか?自分で時間作れたら最強じゃないですか。
<一日の長さ二倍にしたりできるってこと?><マジで!?><やりたい放題じゃん>そう思いますよね!どうなんですか、多田羅さん。
「他人と比べた自分の時間を伸ばすなら誰でもできるよ」
ほんとに?<どうやるんですか!?>ほら、みんな訊いてますよ。
「速く動けばいい」
どのくらいですか?
「車に乗ってるだけでも何百億分の一秒とかのレベルで時間の流れが遅くなる。光速に近付くほど効果が大きい」
p72
このように、
- 地の文:十時さん
- 「」の中:多田羅さん
- <>の中:視聴者コメント
という記載ルールが最後まで続く。
ちなみに、光速に近付くほど、重力が強いほど、他人と比べた自分の時間を伸ばすことが出来る、というのが相対性理論なので、高い場所に登山すれば百億分の数秒レベルで時間の進みが速くなる。つまり自分の時間を伸ばしたい人は地下に行かなくてはいけない!
このように、発明品というよりは、時間や空間などの概念の説明が多く、そこがむしろSF心を煽って楽しい。
時々、多田羅さんがホワイトボードに図を描いて説明してくれるのも嬉しい。

「君が知覚する世界には限界がある。その限界は光の速度によって決まる。光の速度は不変なので、この壁は絶対に越えられない。その向こうは認識できないし、関わることもできない。
非因果的領域というのはそういう意味」
なお、ここで図に描かれた光円錐については、このあとの「世界線」の解説でも使われる。
ここは、毎回、話題になる「配信者の住所特定」を避けるため#4で多田羅さんが作った「スクランブラー」という処理の説明なのだが、自分も「誤用」の方に慣れているので、とても勉強になる。
えーと、つまり…?
あ、もしかして、別の世界線の映像をカメラに流してるってことですか!
「う~~〜~ん、並行世界と言った方がまだ正確かな」
並行世界って世界線のことですよね?
「いや、完全に誤用が広まっちゃってるから言っても無駄だと思うけど、誤用。世界線ってのは本来、時空図を移動する光子の軌跡。並行世界とは全然違う概念」
お?お?わかんなくなってきたんですけど?
「いや、君は知ってる」
え?
「前に説明した光円錐、あのバッテンが世界線。ミンコフスキー空間を移動する光子の軌跡」あれって実際には砂時計型の立体でしたよね?
「そう。だから砂時計型の立体の表面は”世界面”になる。まあ、あれも時空の複数の次元のうち空間と時間の二成分だけ示した結果そう表現できるって話なんだけど、君がそこまで気にしなくていい」 p155
視聴者との掛け合いが、全然別のところに行くことがあるのも魅力のひとつだ。
(ちなみに、うちの子ふたりは、ちゃんと「延々と」派で安心した。)
「ロマネスコっていうんだっけ、あれはわかりやすくフラクタルだな」
同じ図形を永遠と繰り返すやつですよね。
「延々と、な」
ん?永遠と?
「最近の子、その言い方するよな」
なんか間違ってます?
「“延々と”を“永遠と”って言うの、言い間違いだろ」
ええ?そうなんですか?だって意味的には合ってますよ。
「合っててもむずむずするんだよ。」
<わかる><俺もだめ><どうしても気になるよな>え、え、ほんとですか。うーん。私は永遠の方に慣れちゃってて、延々って言われてもピンと来ないなあ。
<永遠派です><延々って言いにくいしずっと続いていく感じが薄い>そうそう、 私もそれ!
p200
ちなみに、ロマネスコを知らないことについて、さくらが世間知らずの多田羅さんをからかっていたが、自分も名前は知らなかったし食べたこともない。
ちょっと気持ち悪い感じなので食べてみたい。
nazology.kusuguru.co.jp
ロマネスコについては作中でもフォローが入るが、配信なので、説明なしに放置される視聴者コメントも多い。しかし、それがかえって気になり調べたくなるのもネットぽくて良い。
⇒バンダースナッチ - Wikipedia
- p81 シミュラクラ現象:顔のないバンちゃんに、さくらが無理やりマーカーで目と口を描いた時の視聴者コメント。
⇒シミュラクラ現象 - Wikipedia
- p85 混沌に目鼻つけた話みたい:同じくバンちゃんの顔描いたことへの視聴者コメント。
⇒渾沌 - Wikipedia(この中国神話の怪物を指す場合は渾沌、渾敦と表記するようですね)
- p129 ウィンチェスター・ミステリーハウス:場所特定を避けるために第三話で多田羅さんが作ってくれたスクランブラーによって、自動生成されていく廊下や階段が、奥に行くにしたがって破綻していく様を評した視聴者コメント。
⇒ウィンチェスター・ミステリー・ハウス - Wikipedia
そんな風にして進んで、最後の6回目のタイトルは
#6【登録者数完全破壊してみた】
チャンネル登録者数にこだわるさくらちゃんに対して、雑談の果てに、多田羅さんが量子もつれ(+グレッグ・イーガンの塵理論+量子化)を使って解決しようと試みる。
ということで、裏技も駆使して無事に500を達成するのだが、目標は1000なので、つい先日、この本の続きが出ている。
チャンネル登録者数がどのくらい増えたか気になるので、早く読まなくては!
また、宮澤伊織さんは他にも有名シリーズを抱えているので、そちらも気になります。