Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

ノンフィクション、エンタメ、文学の境界~齊藤彩『母という呪縛 娘という牢獄』×川上未映子『黄色い家』

齊藤彩『母という呪縛 娘という牢獄』、川上未映子『黄色い家』という全くジャンルの異なる2冊の本を短い期間に連続して読んだ。
異なる、と書いたが、共通点もある。
『母という~』はタイトル通り、母が娘を拘束して、そこから逃げ出せないような「監禁」状態で過ごした二十数年間が描かれ、『黄色い家』は、冒頭で主要登場人物が若い女性の「監禁」で捕まる話が出てくる。
それもあって、順番的にあとに読んだ『黄色い家』は、『母という~』に似たような展開の可能性も予感しながら読み進めた。
結果的には、似たところは全くない二冊だったが、それらを読む中で、ノンフィクション、エンタメ、(純)文学というジャンル毎に自分が何を求めているのか、が見えてきた気がする。
今回は、そこにも触れるようにしながら感想を書いた。

齊藤彩『母という呪縛 娘という牢獄』

深夜3時42分。母を殺した娘は、ツイッターに、
「モンスターを倒した。これで一安心だ。」
と投稿した。18文字の投稿は、その意味するところを誰にも悟られないまま、放置されていた。
(省略)

母と娘――20代中盤まで、風呂にも一緒に入るほど濃密な関係だった二人の間に、何があったのか。
公判を取材しつづけた記者が、拘置所のあかりと面会を重ね、刑務所移送後も膨大な量の往復書簡を交わすことによって紡ぎだす真実の物語。
獄中であかりは、多くの「母」や同囚との対話を重ね、接見した父のひと言に心を奪われた。そのことが、あかりに多くの気づきをもたらした。
一審で無表情のまま尋問を受けたあかりは、二審の被告人尋問で、こらえきれず大粒の涙をこぼした――。
殺人事件の背景にある母娘の相克に迫った第一級のノンフィクション。

ページ数もちょうどよく字も大きい。
ここまでリーダビリティに優れる本も少ないだろう。
正に「一気読み」のノンフィクション。
あらすじを短く説明すると、扱われているのは、31歳の娘が同居する58歳の母親を殺害して河川敷に放置したという2018年の事件。医学部に合格せよという母親の要請にしたがって、9年間(!)の浪人を経て看護学校に合格した娘が、それ以降のさらなる束縛に耐え切れず犯行に及んだという。
母親とのLINEのやり取りや手紙がそのままの文章で挟まれるのも臨場感を生み、まさにページをめくる手が止まらない。いうなれば「本当にあったイヤミス」。


母親は、娘が小学校の頃から成績優秀であることを強要し、テストの点数が悪いと怒り、暴力を振るう。それが包丁で切りつけたり、熱湯を太ももに浴びせたりするというものなので度を越している。
娘の側も、悪かったテストの点数を改ざんするなど点数不足を嘘で補うなど対応するが、特に小中学生の頃はすぐに母に嘘を見抜かれる。バレるたびに表面的には母に従順を装いつつ、胸に澱が貯まっていく、というのも、そうだろうよと納得だ。


一方、母親は倹約家としても度を越しており、節水のために娘が20歳を過ぎても母娘二人で風呂に入る生活を続けていたという。(そんな彼女と気質が合わなかった父親は、日々の嫌味や罵声にも疲弊し、娘が小6のときに別居に至る)


忘れられないエピソードはいくつもあるが、一番衝撃だったのは、最初の受験で京大看護学科不合格が判明した直後のこと。(目標である医学部よりもレベルを下げた母の妥協点としての「京大看護学科」)
娘には、中高6年間の学費を補助してくれていたアメリカ在住の祖母(母の母)がいたのだが、母親は、祖母に向けて「京大に合格したことにする」と言い出すのだ。
電話での直接の合格報告に加え、わざわざ京大で母娘写真を撮影し、買った土産も送ってダメ押しをする。
母親の計画では、京大で仮面浪人をして医学部合格を目指す予定だったので、確かに、1年後に医学部に合格してしまえば、京大合格の嘘は小さいものと言えるのかもしれない。アメリカ在住ということでバレることは無いと言え、そこまで体面にこだわるのか。

この後、9年後に医学部を諦めて看護学科に志望変更をするタイミング(既に京大合格の嘘はバレている状態)でも、母は娘に、祖母に向けて嘘の手紙を書かせる。本文中での、この手紙の入り方が絶妙過ぎて、急に娘が心変わりして母親に協力的になったのか?と思わせ、一種の叙述トリックのように機能しているのもゾッとする。


なお、娘の側も高校時代から定期的に家出を繰り返し、隙あれば住み込みバイトに逃げ込もうとするが、母親側は探偵を雇って家出先を突き止め連れ戻してしまう。
タイトルにある通り、まさに「牢獄」で、30歳のときに母親殺害に至るが、よくそこまで我慢した、と思ってしまうほどの内容だった。


さて、事件は2018年1月に犯行、3月に遺体発見、直後に娘にも捜査の手が及び、6月に逮捕に至るが、当初、彼女は「死体損壊・遺棄」のみを認め、「母親は自殺した」と主張していた。滋賀県警や検事の取り調べに否認・黙秘を継続できたのも、20年以上もの母親との毎日のやり取りの中で、本心を偽ることを鍛えられてきたからだというのも皮肉な話だ。
その後、裁判の過程で、父親を含む多くの人の優しさに触れる中で、自らの殺人についても認め、後悔の気持ちも示すようになる、というのが、この本で数少ない感動ポイントだろう。


と、本の内容を振り返ってきたが、やはり元々のエピソードの豊富さにも助けられ、一冊の本としての読みやすさは一級だったように思う。
とはいえ、以下の点が非常に残念だ。

  • 娘と同じ立場にある人が、どこに助けの声を上げれば良いか、について参考となる情報がない。
  • (裏返しになるが)このような問題を「殺人」(もしくは「自殺」)という事態に発展させないための公の対策について言及がない。
  • 母親はそもそも取材が出来ない相手ではあるが、彼女自身にも、何か治療的なアプローチが必要ではなかったのか、ということについても触れない。これが無いと、単に母親という「モンスター」から逃れられて良かったね、という話になってしまい、議論が「モンスター」を生み出さない方向に向かわない。

これらの補足説明を付け加えれば、この本の一番の売りである「読みやすさ」は損なわれるだろう。しかし、これが無ければ、「ノンフィクション」というより「エンタメ」、まさに「本当にあったイヤミス」として消費される本ということで終わってしまう。
以前読んだ『モンスターマザー』は、「モンスター」の母親に追い込まれた男子高校生が自殺した事件を扱いながら、母親をトコトン追及することに拘りすぎていて、共通した問題点を感じてしまった。
読書は常に「何かためになること」を求めてなされるべき、とは思わないが、実在の事件を扱ったノンフィクションについては、ましてや、それで死人が出ている事件については、何らかの教訓を求めてしまう。それが亡くなった方の弔いになると思う。
pocari.hatenablog.com


川上未映子『黄色い家』

2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。
60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。
長らく忘却していた20年前の記憶――黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。
(省略)善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!

川上未映子は、つい先日、映画『PERFECT DAYS』のパンフレットその人柄に触れはしたものの*1、著作はこれまで未読。
芥川賞をはじめとする受賞歴の数々から「文学」の人だと思っていた。
ただ、『黄色い家』は、先々週に読んだときは「王様のブランチBOOK大賞2023」のみ受賞(その後、読売文学賞受賞、本屋大賞ノミネート)しており、「エンタメ」なのかも、と不思議に思った。

ということもあり、今回、『黄色い家』は「文学」なのか「エンタメ」なのか、それを分ける者は何なのかを考えながら読んだ。
結論としては、

  • 『黄色い家』は「文学」
  • 「文学」は「予感」

連続で読んだこともあって比較すれば、『母という呪縛 娘という牢獄』が280ページながら非常に濃いエピソードが目白押しだったのと比べれば、600ページ越えの『黄色い家』は、主だった出来事が少なくスカスカとすら言える。その分を何が埋めているのかと言えば「予感」が埋めているわけです。

  • 17、8歳で社会で生きていくために共同生活を始めた主人公たちは、数年後どころか数か月後の暮らしの保証がない中で、過去を振り返り、将来への期待・不安で頭を悩ませながら、すなわち「予感」に右往左往しながら生きている。
  • 読者は、彼女たちに感情移入しつつも、物語の構造上の観点からメタ視点で、そろそろトラブルが起きる、そろそろ人が死ぬ、など勝手な想像をしながら、「予感」と並走しながら登場人物たちを眺める。

つまり、文学作品でよく言われる「何も起こらない」という特徴は、そのまま「(何も起こらない分だけ)予感に満ちている」と言いかえることが出来る。
これに加えて、この物語の最大の特徴は、「起きそうで起きない」こと。

  • 共同生活する4人(黄美子さん、花=主人公、蘭、桃子)の仲が悪くなり、協力関係が破綻したら…
  • 4人以外でもこの登場人物が裏切ると大変なことに…
  • 謎の多い登場人物が抱えていた事情が明らかになり物語が展開する流れなのか?

読みながら色々な「予感」が頭をよぎるが、大半は起きない。しかし、どんどん状況は悪くなる。

物語の中心にいる黄美子さん、つまり冒頭で2020年に若い女性の監禁・傷害の罪で捕まった黄美子さんのキャラクターが全くつかみどころがないのも大きい
彼女は、共同生活をしていた残りの3人(当時18~20歳)よりも20ほど年上だが、その年齢差を感じさせないキャラクター。スナックでも花に先輩風を吹かせるわけでもなく、ただ飄々と、いや飄々と、というより何も考えていないかのように暮らしている。
そんな彼女がなぜ逮捕されたのか?という謎を考えながら読み進めるフックがかなり効いており、小説内で起きなかった、もしくは起きたが描かれなかったトラブルの「予感」も含めて、読者は物語を味わうことになる。


そして結末も、誰も信じられない、という後味の悪いものではなく、皆が善人という能天気なものでもない。胸がすくような伏線回収もない。
結果として、2000年頃に三軒茶屋付近で共同生活を営んだ「黄色い場所」という、時間と場所、そしてそこで必死に生きていた人たちの人生そのものと、少しの希望が残る。
結末近くで4人が本音をぶつけ合う場面があるが、その部分の明け透けすぎる物言いも良い。人は勢いでそんな酷いことを言える。


ともすると、物語は、ストーリーを形づくるプロットとキャラクターが重視されがちだが、物語を味わう読者の「予感」をコントロールするように設計された小説の方が「文学」として優れているのではないか、というようなことを考えた。



最後に付け加えれば、この本は装丁が良い。
六本木の21_21 DESIGN SIGHTで開催中の「もじ イメージ Graphic 展」でも、名久井直子さんのデザイン本ということで並べられていたうちの1冊で、そこでも、『黄色い家』は目立っていたように思う。*2


表紙カバーをめくれば、真っ黄色な表紙には「SISTERS IN YELLOW」の文字。
そして表紙カバーは青が入り黄色が映える。
さらに帯の赤色も非常に綺麗。コメントを寄せたのは王谷晶、ブレイディみかこ、凪良ゆう、高橋源一郎、東畑開人、亀山郁夫河合香織、花田奈々子。
中でも河合香織のコメント「この小説は安易な要約を拒む、生の複雑を読者に突きつけていく」が、「予感」に満ちたこの本のポイントをついていると感じた。
Amazonのあらすじは、書き過ぎだったので、上に引用するとき、一部を省略しておいた。

次に読む本

齊藤彩さんは、これが初の著作ということで次作に期待。
川上未映子さんについては、有識者に聞いたところ、「っぽい」作品として、芥川賞受賞作『乳と卵』をオススメされた。『黄色い家』や『夏物語』は、本流とは少し異なるらしい。よく目にする『ヘヴン』も読んでみたい。そして勿論『夏物語』も。

*1:https://pocari.hatenablog.com/entry/20231231/perfect

*2:改めて見ても名久井直子さんのデザインの本は読みたくなるようなものが多く、どれを読もうか、と思ってしまう。→ www.bird-graphics.com