Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

関心を持たざるを得なくなるドキュメンタリー映画~『ビヨンド・ユートピア 脱北』

映画を観に行くシチュエーションというのは自分には2パターンあって、見る映画が完全に決まっている場合と、映画を観に行く日と時間だけ決まっている場合がある。
映画が決まっていない後者の場合でも、常に観たいストックはたくさん貯めているので、あまり迷うこともないのだが、今回は少し違った。

  • 公開日で前評判の高い「52ヘルツのクジラたち」は当然候補に入っていたし、こちらも公開3週目で継続して評価の高い「夜明けのすべて」。気分次第ではこれらを選んだが、邦画を見る気分になれない。さらに、元々、本屋大賞関連作には警戒感があり、避けることに。
  • 第一候補「ストップ・メイキング・センス」を観に行くなら時間的に渋谷のシネクイント。元々激賞されていたIMAXではないのは諦めるとして、「4Kレストア版」なのに「※当館では2K上映となります。」と書いてあるのが気になって、優先度が落ちる。
  • 先日のアトロクでの宇多丸評が高かった「梟」は、歴史も関連しているということでかなり最後まで迷ったが、良い時間のものが無く、泣く泣く選外。
  • マ・ドンソクが日本で暴れ、青木崇高も登場する「犯罪都市3」。これは良さそうだけど、1,2を観ていないので…。
  • さんざん悩んだ挙句辿り着いた結論が、1月公開で存在を忘れかけていた「ビヨンド・ユートピア脱北」。ただ、いつも座席を選ぶときに参考にしているサイト「東京映画番長」で、シネマート新宿のスクリーン2(7階の方)について、「スクリーンが小さく見づらいです。ホームシアターのレベルです。」「鑑賞自体おすすめできないスクリーンです。」と、激渋の評価がされていて不安になるが、もう自分にはこれしかないんだ!


で、結論としては、さすが俺!と自分を褒めたくなった。
今不足していたのはドキュメンタリー成分だったということに気がついた。
先週最大限の期待を持って観た「落下の解剖学」が、その期待には見合わなかったので、今、フィクションを観ても面白い(と思える)ものに出会える自信が無かったというのもあり、そんな自分にピッタリの作品だった。

感想

脱北を試みる家族の死と隣り合わせの旅に密着したドキュメンタリー。

これまで1000人以上の脱北者を支援してきた韓国のキム・ソンウン牧師は、幼児2人と老婆を含む5人家族の脱北を手伝うことに。キム牧師による指揮の下、各地に身を潜める50人以上のブローカーが連携し、中国、ベトナムラオス、タイを経由して亡命先の韓国を目指す、移動距離1万2000キロメートルにもおよぶ決死の脱出作戦が展開される。

あらすじの補足について、パンフレットの森達也(映画監督、『福田村事件』等)評から抜粋する。

でもその日を待てない。 だから脱北する人たちは少なくない。過去に成功した女性。自分は成功したが息子が強制収容所に入れられた母親。そして現在進行形で脱北しようとしている5人の家族とこれを援助する韓国人牧師。本作はその4つの視点が交錯しながら展開する。
特に中国からベトナム、さらにラオス、タイと逃避行を続ける五人の家族については、まさしく今目の前で行動しているかのようにリアルだ。いやリアルで当たり前。ドキュメンタリーなのだ。でもなぜこれを撮れたのかと思いたくなるシーンが続き、まるで劇映画を見ているような気分になる。

「なぜこれを撮れたのか」、本当にその通りで、どうやって撮影したんだよ!と突っ込みたくなる映像の数々が挟まれ、編集も上手く、息を付けないようなスピード感がある。(パンフレットで、ブローカーたちに撮影を依頼したことが明かされている)
今回、特に巧みだと感じたのは、メインの家族の脱出行(ロさんの5人家族での脱北)が、別で進行中の脱北失敗事例(ソヨンさんの事例)と並行して描かれること。
ソヨンさんの事例では、北朝鮮に残してきた息子の脱北失敗の原因はブローカーの裏切り。ロ一家もあらゆる場面で複数のブローカーの協力を得ており条件は同じで、ブローカー達の気が変われば、作戦は失敗必至の状態だ。そのせいで、最後にメコン川を渡ってタイに入るまで全く気が抜けない。

しかし、彼らの脱北を直接指示するのは、我らがヒーロー、頼れるキム牧師。脱北者である妻とのなれそめの話を「妻の一目惚れ」(北朝鮮には太った男は金正日しかおらず、太ったキム牧師は金正日に見えた)と笑いながら言い切る姿は、自信とユーモアに溢れ、信頼できる人間に映る。

毎日何本もの相談の電話を受けながら、ロ一家の脱北には直接同行する、という、まさに体を張った支援には驚くばかり。過去の脱北支援の際に首の骨を折ったエピソードも笑いながら話していたが、ジャングルでの激しい疲労状況も含めて、よくもそんな無茶を…と観ながらとても心配になってしまうほどだった。
シンドラーのリスト』のシンドラーもこんなタイプの人だったのだろうか。

北朝鮮での生活と「脱北」

映画を観て、これまで北朝鮮がどういう国か理解どころか、あまり想像したことが無かったことに気がついた。
ロシアや中国など厳しい情報統制のある国のことは知っているから、北朝鮮も似た感じの状況かと思い込んでいた。例えば、スマホもある現代では、少なくとも都市に住む人たちは(北朝鮮の)外の情報についても、ある程度は把握しているのだろう、と高を括っていた。

しかし、映画を観ると、北朝鮮国民が、自分の国がユートピアだと信じているのは、国外の情報が完全に遮断されているからこそであることがわかる。


映画の中で描かれる北朝鮮の日常で驚いたことはとても多い。

  • おそらく郊外ということなのだろうが、上水道整備が行き渡っていないようだ。脱北者であるキム牧師の奥さんは(北朝鮮での生活を思いだすと)麺のゆで汁を「捨てられない」と言っていたし、ロ一家の父親も、水の確保がひと仕事だと説明していた。
  • そして下水道も同様で、水洗が普及していない。便は肥料として使えるよう、桶に貯め、定期的に袋などに詰めて学校や職場に持って行くのだという。隠し撮り映像で実際のトイレの様子も映っていた。
  • ロ一家は、親戚の脱北が原因で、マークされるような立場だったというから、元々厳しい生活を強いられていたのだろう。毎日、生活のために路上に物を売りに出かけていたのだという。なお、パンフレットにもあったが、配給制度が崩壊してからは、その日暮らしのような暮らしをする人たちが増えたようだ。
  • 罪の重い犯罪者に対して、見せしめのために公開処刑(銃殺刑等)を取ることが多いようだ。(その映像もあった)
  • 罪の軽い犯罪者に対しては、収容所施設(ソヨンの息子が連れていかれた場所)というのもあるようだが、それ以外の処罰の方法の話も強烈だった。何もない山の上で車を下ろされ毛布さえ取り上げられ置いて行かれるのだという。古い時代から使われている「流刑地」のような場所があるようだ。
  • また、家には金正恩金日成肖像画を飾り、抜き打ち検査でホコリがついていることが分かった場合は刑罰に処される。また、キム牧師の奥さんが、「金日成に似ているから」キム牧師を一目惚れしたように、彼らのことを美的にも優れていると洗脳させられるようだ。ロ一家の2人の娘にも洗脳の成果がよく表れていた。

そして、その洗脳ぶりに驚き、辛くなるのが、ロ一家のおばあちゃん(80代)の様々な発言だ。そもそも彼女は「国のことを信じているから脱北したくなかった。でも、毎日お金を要求され、暮らしていけず、出るしかなかった」と、北朝鮮に未練がある。
その上で、「なぜ金正恩将軍は、あれほど若くて賢いのに、日々の暮らしが良くならないのか。国民が怠けてしまうせいだ。」というようなことを脱北中にもカメラの前で繰り返していた。
最後の方で、やっと「こんなことだったら、もっとおしゃれがしたかった」というようなことも言っていて、やっと洗脳が晴れたのか、と少し安心した。彼女の場合は80年以上も洗脳され続けていたのだから、それを解くにも時間がかかるということだろう。
ロ一家の父親(50代?)も、脱北後の生活を幸せに感じながらも、「もう時間を取り返せない。やり直したくてもかなわない」と辛そうにしていたのが印象的だった。
彼らの話を聞いていると、「脱北」は、場所的な脱出、だけでなく、時間的な脱出=未来方向へのタイムスリップの意味がとても大きいように感じた。日本で言えば、1945年から現代に来たくらいのインパクトがあった。

コロナと脱北、ベトナムラオス

映画の最後では、キム牧師が、いつものように電話を受けながら、「今は難しい」と脱北の相談を断るシーンが映し出される。ロ一家の脱北直後にコロナ対策が厳しくなり、映画で描かれたような北朝鮮から中国国境を越えての脱北は相当難しくなってしまったのだという。
なお、今回の脱出行は、北朝鮮→中国→ベトナムラオス→タイ→韓国というルートを辿り、実質的なゴールはタイ入国だ。確かに、中国で捕まれば北朝鮮に強制送還されるというのは感覚的にわかる。しかし、ベトナムラオス北朝鮮寄りなのか、という、東アジアにおける、いわゆる地政学的な状況に改めて気づかされた。
最後にラオスからタイに入る際にメコン川を渡らなくてはいけないという地形と関連づけた地理的イメージも含めて、非常に勉強になる一作でもあった。

北朝鮮という国

本作の監督はアメリカ人のマドレーヌ・ギャヴィン。彼女のインタビュー記事は、なかなか示唆に富んで面白かったので、一部を引用する。
fansvoice.jp

(以下はマドレーヌ・ギャヴィン監督の言葉)

  • もちろん、飢饉やミサイル発射、生活苦といった一般的なニュースは見聞きしていましたが、あの国に2,600万人の人が住んでいることや、実際に彼らの生活がどれほど大変なのかという、その“質感”のようなものは全く分かっていませんでした。
  • 例えばロ一家の祖母は、キム政権の発信する情報を全身全霊で信じていました。アメリカや日本が敵だということを心底信じていたわけですが、私たちとして知り合うことで、我々は同じ人間であることを肌で理解しました。

つまり、プロパガンダは勿論、ニュースでの情報では、実際の“質感”は伝わらない。もっと言えば、身の回りにいる人のことは、かなり精度の高い“質感”を持って捉えることが出来るが、知らない異国の地に住む人や生活については、何かの機会がなければ伝わらないし、「おばあちゃん」がアメリカ人を毛嫌いしていたように、何らかの偏見に染まりやすい。
そこを打開するのがドキュメンタリーの役割ということだろうし、自分がドキュメンタリーに期待することを、マドレーヌ・ギャヴィン監督が言葉にしてくれた気がする。


その一方、アメリカ人監督が危機感を持って知りたい、伝えたいと感じた北朝鮮の状況について、「隣国」日本に住む自分が、これまで無関心に過ごしていたことを恥ずかしく思った。(あれだけ、横田めぐみさん等拉致被害者の報道を目にしているのにもかかわらず)

映画で描かれるような生活を北朝鮮国民の多くが続けているのであれば、もうこの国は持たない。遅かれ早かれ大きな問題が生じてもおかしくない。そのときに日本にどのような影響があるのか、どう対処すればよいのか。
地震津波、洪水などの自然災害と同様に、北朝鮮の崩壊や、突然の武力行使なども、(政治レベルでは論じられているのだろうが)一般市民として、もっと関心を持っておくべき話題であると感じた。

これから読む本、見る映画

まず、映画の(当初の)原作本であり、映画にも登場するイ・ヒョンソの著作。

また、同時期に出版された脱北者による著作。(よく比較もされているようだ)

さらに、『かぞくのくに』をはじめとするヤンヨンヒの映画と著作。


もう一つ、北朝鮮の収容所を扱ったアニメ映画。

トゥルーノース [DVD]

トゥルーノース [DVD]

  • ジョエル・サットン
Amazon


非常に大量の「あとで読む」候補が出てしまい、嬉しいですが困惑もしていますが、とにかく興味を持つことが重要ですね。