Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

父親が果たすべき役割は?~河合香織『母は死ねない』


河合香織さんは「この人の書く本はきっと自分にプラスになる」と信頼を置いている作家だ。
その信頼は、感性や能力的な部分だけでなく、人格的な部分にも及ぶ。「この人は誠実な人で、選んだテーマに安易な答えを出したりしない。また、取材する前から決めていた持論に取材内容を寄せるようなことは絶対にしない。」と自分は信じており、その信頼はいつも裏切られない。
1974年生まれで同い年である、という親近感もあるのかもしれない。


そんな彼女が今回選んだテーマは「母親」。
「母」の姿に正解なんてあるのだろうか。

このテーマは、そのように疑問を立てた時点で、「反語」的な解答がすでに出ている(つまり、正解なんてない)、という意味では面白味は無いが、今回は河合さん自身の出産、育児の悩みについて触れられた部分も多いことが特徴となっている。
しかも、取材対象は多岐に渡る。
あとがきから引用する。

ここには様々な母が登場する。わが子を殺された母や難病の子を育てる母、精子提供で子を産んだり、特別養子縁組で子をもった人もいた。夫との関係も困難で、暴力や暴言で自尊心が失われた女性たちもいた。生き抜こうともがいても、死を選んだ母もいた。
それらの姿は一見、どこか特別な人たちのように思われるかもしれない。特別な経験や悲しみ、極端な脆さや強さを抱えている人たちの、どこか遠くの出来事のように見えるかもしれない。

けれども、彼女たちは、私の友人であり、隣人である、どこにでもいる母であり、母とは何かを考える女性たちである。

グリーフケア

取材対象には、池田小事件の被害者の母親(本郷由美子さん)や、小倉美咲ちゃん事件の母親(小倉とも子さん)等、記憶に残る事件の関係者が含まれるほか、子どもの難病、中絶問題、同性婚やAID(非配偶者間人工授精)、里親制度、特別養子縁組など、単体でも一冊書けるようなテーマがずらっと並ぶ。


まず、派生的なテーマに関してグリーフケアについて感想を書く。
先にも挙げたが、子どもに不幸があった母親として、小倉とも子さん(小倉美咲ちゃんの母親)、本郷由美子さん(池田小事件の犠牲者の母親)の項があるが、共通して、姉妹の辛さについて触れられていることが興味深かった。


小倉美咲ちゃんがいなくなってから、お姉さんは気持ちが荒れ、学校にも行きたくなくなり、3か月の不登校を経験したという。

長女は妹がいなくなった当初から、学校で「美咲ちゃんのお姉ちゃんでしょう」「美咲ちゃん大丈夫?」と何度も聞かれることに苦しんでいた。
「自分が自分じゃなくなっちゃった。 大丈夫じゃないのに大丈夫って何百回言うのが嫌だ」ととも子が山梨で捜索している間、長女は祖父母の家の押し入れで毎日泣いていたという。それでも祖父母を心配させないために、学校に行きたくないとは言い出せなかった。
p81


池田小事件の犠牲者である優希ちゃんの妹もこれと似ている。

苦しんでいるのは、母だけではなかった。優希には妹がいて、とてもかわいがっていた。事件当時三歳だった次女の人生も過酷だった、と語る。事件について、はっきり親子で話し合ったことはなかった。だが、次女もまた、池田小に通ったので、毎年六月八日になると「祈りと誓いの集い」が開かれた。月命日になると、自宅にはたくさんの弔問客が訪れる。いつでも「優希ちゃんの妹」と見られ、「お姉ちゃんの分までがんばってね」と言われ続けてきた。次女はその期待に応えて、わがままを言わないとても良い子だったという。その姿がずっと気になっていた。次女が心を打ち明けたのは中学生の時だ。

「自分が誰だかわからない」「私が死ねば良かった」「私なんて生まれなければよかったんでしょう 」そして「寂しい」と泣いた。小さい頃から、両親は事件の話し合いや裁判のため多忙で、家にいないことも多かった。その間、次女は人に預けられ、孤独を感じていたという 。
p104

当時3歳ということは、10年間ためていた思いをやっと吐き出したことになる。このあと、優希ちゃんの妹は、(事件の印象と地名の結びつきが強い)大阪池田を離れて東京の学校に移り、元気を取り戻したという。

これが良い話、例えば「有名人のきょうだい」という認識のされ方だって煩わしいと思うに違いない。それが、悲しい事件に関することで、池田小の事件のように、毎年の行事で思い起こされ、記憶の風化も望めないのは本当に辛い。
勿論、災害で家族を亡くした場合も同様だが、被害者が多い場合と少ない場合では周囲の視線も変わってくるだろう。
さらに、小倉とも子さんについては、誹謗中傷の問題がある。「非難されないよう、化粧もせず、地味な服を着て、伏し目がちに話すようにした」という話などもあり、とも子さん自身が一番辛いが、家族が受けるダメージも相当なものだろう。

ただ、池田小事件のような明らかな犯罪被害者にも誹謗中傷は無縁ではないということにも驚いた。

「犯罪被害者は、運が悪い人、前世に何かがある人と感じる人もいます。そういう視線や無言の圧力を受けると、存在を否定されるような感覚になり、自分は生まれてこなければよかったのかもしれないと追い詰められることもあるのです」。事件直後、朝になると自宅の玄関が白いなと思ったら、何者かによって塩をまかれていた。それが毎朝続いた。夜中に「あんたが悪いから、子どもが死んだのよ」と何度か電話がかかってきて、電話を不通にしたこともある。「なんとなく暗い感じがしてね」と面と向かって言われたこともあった。  
p107

直接的に誹謗中傷を行うことは無い、と自信を持てれば良いが、万が一の場合がある。

今はネット社会なので、たとえば誤報リツイート*1や反射的なコメントで、意図せずに当人そしてその家族を傷つける可能性はいくらでもある。大規模災害や、大きな事件の被害者は、日々の暮らしも大変な中で、周囲からの視線に敏感になっているところもあるだろう。
想像力を持った対応を常に意識しておきたい。


本郷由美子さんは、次のように語る。

「グリーフというのは死別だけではありません。誰の身にも起こる当たり前のことで、日 常にいつもあるものです。それを皆が理解してくれたら、こんなに苦しむ人は減るかもしれない 当たり前にお互いが支え合って、かなしいと言えるようになってほしい」。 p106

「ひこばえ」とは切り株から出てくる芽を指す 。
「もう絶対に元には戻れない。それでも、違った形かもしれないけれど、ちゃんと生き直すことができるという意味を込めました。被害者がかなしみを手放すことも、加害者が贖罪の意識をもつことも、押しつけることはできません。自分でその可能性を見つけることのお手伝いができたらと願っています」
p110

本郷さんの言う通り、事件・事故の被害者だけが家族を亡くすわけでなく、誰もに等しく訪れることと考えれば、近くで不幸なことがあっても特別視をしないで自然に振る舞い、自然に支えることができるだろう。
なお、ここでは取り上げないが、死刑制度や受刑者教育に関する話題も非常に興味深かった。単著があるようなので、そちらを是非読んでみたい。

母の姿に正解はあるのか?「母は死ねない」のか?

多くの母親への取材を通して何を得たのか。

これについても、あとがきから長めに引用する。

子どもは母と一体化した相手ではなく、自分の思い通りにならない他者である。もどかしく、時に喜ばしく思いながら、そのことを心から知ることで、互いの人生を認めあう関係が築けるのだろう。それがどのような結末であったとしても。
その自明の事実に立ち戻ることが、母と子の呪縛から、あるいは力の不均衡から逃れられる唯一の手段ではないかと思った。
そして、母親たちが「かくあるべき姿」があると思いこむ背景には、それぞれの問題だけが存在するのではない。母も子も、社会からの視線によって自らを呪縛していた。母や女性、子どもに対して眼差しを向ける社会の方も変わらねばならないことを改めて感じた。
本書で出会った母たちの背中は一貫して、母は、人は、弱くても、不完全でもいいということを伝えてくれたように思える。
母であることの美化も卑下も必要ない、かくあるべき親子も家族もないことに気づく道程だった。


勿論、本書の中で河合さんが色々な思考を重ねた上で辿り着いた結論であり、ここに書かれていることは納得している。
しかし、通常なら入っているはずのキーワードが抜けていることが気になってモヤモヤしてしまう。
それは「父親」。


隠れて子どもを出産し、死なせた若い母親が罪に問われる事件がたびたび起きる。
このようなニュースを見れば、「なぜ母親だけが…?父親の責任は?」と感じる人が多いと思う。
また、ちょうど今年『射精責任』という本が出ているくらい、妊娠に関わる父親側の責任に焦点が当たっている時代でもある。

もちろん育児については、男性の育児休暇が(実際の取得状況は別として)よく取り上げられる状況にある。
このように(実践はどうあれ)多様性が叫ばれ、フェミニズム的視点に触れることが多い現代日本において、妊娠にしても、育児にしても、父親の存在について言及がないことは不自然に感じる。


ところが、この本には「父親」が、ほとんど扱われていない。言葉としても出てこない。

たとえば祖母~母~娘の対比で書かれた何編かは、内容自体が「母という呪縛」に引っ張られ過ぎている。
勿論、取材対象が、(起業している、著作を持つ等)エネルギッシュな女性であり、彼女たち自身、父親の協力を望まないというのもあるかもしれない。(小倉とも子さんがその典型だが)
しかし、何より河合香織さん自身の話の中でも、父親(河合さんの夫)は、最初に少し登場するだけで、その後はほとんど出てこない。


あまりに気になるので、全17編で父親がどう取り上げられているかを整理してみた。
取り上げられている母親を【】で記載、取材内容のキーワードを【】のあとに記載した。*2
【】の前の記号は以下の意味である。
-:父親への言及がない
×:離婚、DVなど、育児に負の影響がある父親
〇:育児に積極的、協力的な父親
△:父親の記載はあるが、登場するだけ
全17編を整理した結果は以下の通りで〇7、△4、×1、-5となった。

  • 母と生の狭間で:△【河合香織さん】出産後の感染症による入院。
  • ほんとうのさいわい:×【親友】脳性麻痺による障害。離婚。再婚後のDV。
  • 人生に居座る:〇【若い頃に旅で会った友人】AID(非配偶者間人工授精)。
  • 子を産む理由:〇【取材で出会った知人】遺伝疾患(二型糖尿病、先天性股関節脱臼)。
  • 風の中を走る:〇【古い友人(環境コンサルタントを設立)】娘の軟骨無形成症(小人症)。
  • 友ではない友:-【河合香織さん】2015年栃木県佐野市のママ友いじめ連続自殺。
  • 朝の希望:△【小倉とも子さん】小倉美咲ちゃん失踪事件。誹謗中傷。
  • 誰のせいでもない:〇【牧野友香子さん(デフサポ代表取締役)】聴覚障害。難病を持つ子。
  • 生まれるかなしみ:△【本郷由美子さん(グリーフケアライブラリーひこばえ)】池田小事件。グリーフケアのための絵本図書館。死刑制度の問題。受刑者教育。
  • 海と胎動:〇【塚原久美さん(中絶問題研究家)】大学生時代の2度の妊娠(中絶、流産)。30代後半で再婚後出産。母親と絶縁。
  • ただ家族として:〇【葉月さん】レズビアンカップル。AIDによる出産。
  • 不完全な女たち:-【河合香織さん】娘と保育所よしながふみ『愛すべき娘たち』
  • 母の背中:〇【志賀志穂さん】死産。里親制度、特別養子縁組。浦河べてるの家
  • 死を選んだ母:-【河合香織さん/子に手をかけた母親】河合さんの娘の病気の判明/遺伝性疾患で次男を亡くし、同じ病気が分かった三男の口を塞いで死なせようとし殺人未遂で有罪判決。その後、自死を選ぶ。
  • 何度でも新しい朝を:-【小倉とも子さん(2度目)】道志村山中で人骨が見つかって以後の取材。
  • その花は散らない:△【古い知人】50代での妊娠により命を脅かされる病気に。男尊女卑の父親。セックスワークと文筆業の兼業。
  • 花を踏みにじらないために:-【河合香織さん】小学1年生の時の痴漢被害。


「〇」がつくのは7つで、「-」(言及なし)が5つでそれに次ぎ、「△」(登場するだけで協力状況は不明)。「たまたま」と言うには無理があるほど父親への言及は少ないし、改めて読むと、不自然に露出を抑えて、「父親」の存在に気づかせないようにしているのではないか、とすら思えてくる。

確かに「母という呪縛」を強調したいのであれば、「父親」に目を向けさせないという方法は効果的かもしれない。しかし、この編集方針のため、(母親に向けて書かれたはずなのに)かえって「(母には)逃げ道がない」と感じさせる本となっていないだろうか。
河合香織さん自身が、自分の夫に目が向くことを嫌ったという可能性もあるが、最初に述べた通り、河合さんの誠実な人柄からそれは無いと信じたい。
もしかしたら、どうせ変わらない日本社会に嫌気がさし、男性の妊娠や育児に対する関与度は、今後どう「教育」しても良くならないと絶望しているのかもしれない。それなら最初から期待しない方が良いということで全編からカットしたという可能性もある。物理の試験での「摩擦」と同様に、子育て問題では「ただし、父親はいないものとする」が前提条件なのだろうか。


いずれにせよ、取り上げられているほとんどのケースにおいて「父親」が果たす役割がもっとある(あった)と思う。今回初めて知ってショックを受けた、栃木県佐野市のママ友いじめ連続自殺の事件もその一つだ。河合さんは「真相は分からないことばかりのこの事件にも、唯一確実なことがある。逃げればいいと人は簡単に言うけれど、母親たちに逃げることのできる場所など、きっとどこにもなかったということだ。」と書いているが、父親ができることがきっとあったはず。
それが出来ていないことで、母親が追い詰められるのであれば、もっと父親が責められるべきだし、本として取り上げない姿勢は、やはり不自然だ。もちろん、自分が男だからそちらに関心が向かうということもあるが、文庫化する際には、是非、父親に関する一章を設けてほしいと願う。

総括

昨年読んで大変勉強になった『日本の中絶』の著者である塚原久美さん、大好きなよしながふみ『愛すべき娘たち』も登場するなど、これまで読んだ本に関連する内容も多く、何より河合香織さんの著作だったにもかかわらず、モヤモヤの残る微妙な感想になってしまった。
ただ、河合香織さん自身が抱える問題意識を核にして、それに何とかケリをつけようと奔走する様子はスリリングだったし、いつも以上に誠実性を感じさせた。
文春デジタルの新連載を見ると、次は「長寿」がテーマなのだろうか。引き続き、河合香織さんの著作は追いかけていきたい。

bungeishunju.com

*1:今はリポストというようだが、全く慣れない

*2:ここはキーワード的を抜粋するような書き方をしているが、言葉選びが乱暴な部分がある。適宜直していきたい。