Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

社会派ミステリで描く安楽死問題~中山七里『ドクター・デスの遺産』

先日久しぶりに会った2歳下の弟が、最近よく読んでいるということで中山七里を薦めてくれて、興味のある安楽死問題を扱った小説があるということで手に取った。


近年読んだ社会派ミステリとしては、相場英雄『アンダークラス』(外国人技能実習生問題)という傑作があり、脳内では常にこの本と闘わせながら読んだ。
新書『安楽死が合法の国で起こっていること』を読んだからこの小説に興味を持ったため仕方がないのだが、安楽死についてのリテラシーがかなり高い状態で臨んだことが災いして、その点では心に響かない内容だった。
しかし、日本での「安楽死」についての通常の問題意識は、『安楽死が合法の~』とは逆だということに気づかされた。


何が「逆」なのか。
ドクター・デスが約束する「安らかで苦痛のない死」は、「終末期医療に見放された患者と家族」にとって非常に魅力的だ、という台詞が出てくる。
ここで言う「終末期医療に見放された」というのは「医者が延命治療を停止するという決断をしてくれない」ということを指す。

「終末期医療のガイドラインというのは手続きに限定した内容で、どんな病気のどんな症状が終末期に該当するかが規定されていません。その判断はあくまでも医療チームによるものと明文化されているんです。終末期というのは一般に余命数週間から六カ月以内という意味らしいのですが、現実の医療現場でお医者さんがそんなことを定義してくれるでしょうか」
実際には無理な話だろうと犬養は推測する。医療現場に何度か立ち会った経験からすると、臨床医師は患者の救命と延命が至上命令であり、己が持てる医療技術の全てを延命治療に注いでいる。それこそが医療の大義という意見がある一方、終末期を定義するとなればガイドライン自体に規定がない以上、延命治療を停止する行為は法的責任を問われる。医師が終末期医療を回避したがるのは人情というものだ
これは穿った見方だが終末期の延命治療はどうしても高額医療になる。患者本人には特定医療費などの保険制度で負担は軽くなるが、病院側にすれば最新の延命治療をすればするほど医療収入が上がることになる。病院経営者が徒に延命治療を止めようとしない図式も容易に推察できる。

p58

確かに、日本で「安楽死」が話題にのぼるときは、常に「延命治療」への批判が含まれている気がする。
安楽死が合法の~』で扱われている海外事例から「医師は安楽死させたがる」という前提で問題を眺めていたが、少なくとも日本ではその状態にない。そう考えると、この小説ももう少し「延命治療」を悪いものとして描く書き方になっていると面白かったのだが、扱われる事件は、やや淡泊なものが多かったのが残念だ。


さて、この小説のミステリとしてのオチ(メモとしてネタバレを文章末に→*1)は、ステレオタイプへの偏見に頼ったもので、これに引っかかってしまった自分はまだまだ修行不足だった。ここは、驚けたことを単純に喜ぶことにしよう。


なお、主人公の犬養刑事には、難病で入院中の娘がいて、彼女がドクターデスの標的になるかも…という部分も物語を盛り上げる。今回は、この親子関係には深入りしなかったが、シリーズ物としては第四弾ということで、これ以外の作品についても読んでみたい。
一作目(切り裂きジャック)はテーマがわからないが、三作目(ハーメルン)は子宮頸がんワクチン問題、五作目(カイン)は違法な臓器売買と貧困問題ということで、こちらにも興味がある。ドクター・デスは映画もあるようなので、こちらも余裕があれば。
お、今気づいたけど中山七里の最新作はAI裁判なのか!これは読みたい。


参考(過去日記)

pocari.hatenablog.com
pocari.hatenablog.com

*1:塩化カリウム製剤の注射を持って訪れるドクターデスは常に禿げ頭の小男で、看護師を連れて現れた。というミスリードは、看護師=女性、医師=男性というジェンダーバイアスそのもの。河川敷で路上生活をしていた禿げ頭の小男の「ドクターデス」を捕まえてみたら、彼は「看護師」(ドクターデス本人)に雇われていただけだった、という事実を知らされるまで全く気がつかなかった…