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悲観的、でも現実的な日本の未来~相場英雄『アンダークラス』

いわゆる社会派ミステリというジャンルになるのだろう。テーマとなるのは、外国人技能実習生問題で、このテーマに惹かれて読むのを決めた。
文庫巻末解説で藻谷浩介さんが「誰が下層(アンダークラス)なのか」と問いかける通り、タイトルについては「怪物だーれだ」と同様に考えながら読むべき作品ということになる。
あらすじは以下の通り。

秋田県能代市で、老人施設入居者85歳の死体が近隣の水路から発見された。雪荒ぶ現場、容疑者として浮上したのは、施設で働くベトナム人アインである。
外国人技能実習生のアインは、神戸の縫製工場で働きながら、僅かな収入を母国の家族へ送金する日々を送っていた。劣悪な労働条件に耐えかね失踪。列島を転々として東北にたどり着いた。重篤なガンを患っていた入居者に請われて、自殺を幇助したとの自供を始める。
これで解決か……。捜査官らは安堵したが、ひょんなことから捜査に加わった警視庁継続捜査班の田川信一は、死体の「手」に疑いを抱いた。捜査線上にあがったのは、流通業界の覇者として君臨する世界的IT企業サバンナだった――。

外国人技能実習制度の問題は、これまで色々読んできているので新たに知ることは少なかったが、やはりこの制度は酷い。しかし、その一方で、その異常な低賃金に支えられている業界があることも改めて知り、価格を重視する消費者ということでいえば、自分も加害者側の立場にいるのだと思い知る。*1
そして便利で生活に欠かせないものとしての通販ネットワーク。この小説は、外国人技能実習制度とアマゾン(小説内での企業名はサバンナ)などのビジネスを軸に、戦後の貧しい時代における地方からの出稼ぎと、現代の外国人労働者問題を織り交ぜて「アンダークラス」を描いた小説ということになる。



読んでいて怖いのは、主要登場人物(そして最後に引用する文庫解説)が日本の未来を悲観視しており、それが的を射ていること。
いや、「未来」という時間感覚ではなく、5年後、10年後という短いスパンかもしれない。
まず、アインの言葉が辛い。アインはインターネットを通じてベトナムの友人にアドバイスしていたのだという。

「日本に来るな、酷いところだってアドバイスした」(略)
ベトナムと日本の斡旋業者の言ったこと、 全部嘘だった」(略)
「綺麗な部屋に住める、 業者に払った金は一年以内に全額返せる、休みの日は遊びに行ける......
…全部嘘だった。だから騙されるな、そう教えた」(略)
「日本よりも韓国や台湾の方がずっと受け入れのシステムが整っている。私、日本に来てからずっと調べた。韓国や台湾のほかにも、これから人手が足りなくなるアジアの国、いっぱい出てくる。 例えば中国。日本とは比べものにならないほど景気が良いから」(略)
「ここ二、三年でベトナム人実習生が70人以上も日本で死んだ。病気や怪我もあるけど、働きすぎて、疲れて、ノイローゼで自殺した人もいっぱいいる。よその国、こんな酷いことになっていないよ」p399

ちょうど先日「改正案」(改正?)が通ったばかりの入管制度も含めて、日本は、まさに「よその国、こんな酷いことになっていないよ」という状態なのではないかと考える。しかし、その仕組みを「正しい」方向に修正して然るべき政治が、状況改善に動かない。
この小説でも描かれているように、一番厳しい肉体労働の部分を低賃金の外国人労働者に頼っている*2はずなのに、与党政治家は、彼らからそっぽを向かれたらと考えないのだろうか。


さて、物語後半は、序盤から登場していたサバンナ(繰り返すがアマゾンの作中の企業名)の山本がどこまで事件に関与していたのか、動機は何なのか、が捜査の焦点となり、山本が本心を語りだす。山本は絶対に娘を留学させたい理由を次のように語る。

「娘のことは本当に考えています。日本はもはや先進国の地位から凋落するのみです。大切な子供を下層、社内でアンダークラスと呼ぶ属性に落とすことは絶対にできません」(略)
「日本人の格差拡大が問題になりましたが、現状、事態はより深刻になっています。一度下層に落ちれば、這い上がれなくなる。貧乏が固定化され、孫子の代まで貧困と下層の輪廻が続きます」(略)
「下層の子供は同じクラスの人間としか交わらない。結婚も、学校も、職場も全て下層の人間しかいない世界が目の前に迫っています。そんな下層が日本の九〇%を占めるのです」

もちろん、自分勝手すぎる発言ではあるのだが、捜査班の田川(主人公)の突っ込みに対する山本の返しが、自分にはキツかった。

「優秀な山本さんのお嬢さんなら中層はもとより、十分上層に行けるのではないですか。国内の大学を出て一流企業に就職すれば、下層にはならないはずだ」
田川が言うと、山本が強く首を振った。
「娘の世代では、中層という概念が消え去るのです」

「自分は中層でもいいや」と上を目指さない選択肢はなく、「上層」の数少ない椅子から少しでもはみ出れば「下層」にへばりついて生きるしかない。
そうなのか?と反発を覚えつつも、今の日本の方向は確かにそちらに向かっているとも思えてしまう。


そして、この小説で上手いと思ったのは、山本の動機。
都合の悪い人間、と言っても、秋田の老人施設入居者の口を塞ぐのに、殺人という方法を採る必要があるのだろうか?
そのようにずっと思っていたが、Amazonのような外資系企業の極端な減点方式の評価制度が、少しのミスや悪評も許されない、であれば都合の悪い証拠は出来るだけ消してしまおう、というマインドにさせてしまうという説明には一理あると思った。
このような山本を、「誰が下層か」という視点で小説を読む解説の藻谷さんは次のように書く。

 外資系企業のエグゼクティブながら、終始その地位を剥奪される恐怖感に取り憑かれていた。もし逮捕・服役後に余生があるなら、待っているのは実際にも最下層の暮らしだろう。彼こそは「上層になれる」という幻想に踊らされた下層民、言うなれば「アウシュビッツ収容所のユダヤ人看守」だったのではないだろうか。

そして、現代日本社会のダメな要素目白押しの、この本の中でも、もっともダメージの大きい発言は、その文庫本解説・藻谷さんによる2022年の日本の描写だ。

「金はないが、心はある」多くの日本の庶民が、 主人公の刑事のように「この国も捨てたもんじゃない」とつぶやき続けられるのは、いつまでなのだろうか。この小説が発表されたのは2020年秋だが、果たせるかな、その1年余り後の22年冒頭から、極端な円安が進み始めた。作中で「これから、日本人が景気の良いアジアに出て、仕送りする日がくるね」と吐き捨てたアインの予言(=作者の予言)は、着実に成就しつつあるようにも思える。

そしてこの解説は、ひたすらにアベノミクスの批判*3をして次のように終わる。

経済的にアッパークラスからアンダークラスに転落しつつある日本。だがそれは、「知的な面でアンダークラス」のまま、経済的にだけ成金になってしまった国にとって、不可避の運命なのかもしれない。アベノミクス絶賛の空気に水を差し続けて来た少数の論者に、世の大多数は耳を貸さなかった。安倍長期政権の暴挙が物価高の元凶だと、今後も気付かず反省しない者も多いことだろう。経済の水準が、知性の水準に合わせて下がっていく姿は、もの悲しくも仕方なさを感じさせる。
それでも静かに願いたい。この小説の主人公たちのように、それでも日本人の多くは、貧しくとも矜持を失わずに生きている。彼らが、今回の教訓をもって自らの知性を鍛え直した先に、やがて日本が再浮上する日もあることを。

こうした(ある種の)正論を突きつけられると、本当に辛く、山本の「娘の世代では、中層という概念が消え去るのです」という言葉が胸に刺さり、国が出産・育児を支援しようとしている若い世代は、「知的な面でアッパークラス」の人ほど、子どもを生まないという選択をするだろうと考えてしまう。そうすると、国力は落ちるばかり。
作中では、民間企業のYOYO CITY(ZOZO TOWNのことか)が、(貪欲な資本主義の権化のようなサバンナと対照的に)利益を捨ててまで正しい行動規範を志向する(人権軽視の取引先を経営リスクと同列に判断する)方針を打ち出すことで、世の中が良くなる、という可能性も描かれているが、現実にはそれも起きそうにない。
もっと政治に期待できる国だったら。そう思ってしまう…。


次に読む本

この本の参考文献に挙がっているこのあたりの本は、出版年も比較的新しいし読んでみたい。

そして相場英雄さんといえば『震える牛』(未読)だよな、と思って調べると、『ガラパゴス』という本も『アンダークラス』と同様に田川刑事が主人公のシリーズなのか。

*1:2023年4月に有識者会議によって技能実習制度廃止(新制度への移行)の提言が出ているが、このような形で取り上げられるのがまた辛い→レタスや牛乳はスーパーで買えなくなる…「技能実習制度廃止」が日本の食卓に深刻な影響を与えるワケ 「安い労働力」がなければ日本農業は成り立たない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

*2:それ自体が問題だが

*3:他でやれよ、と思うが笑