Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

社会派ミステリの「失敗」~あさのあつこ『彼女が知らない隣人たち』

最近読んで最もガッカリした小説。
端的に言うと、「社会問題を他人事ではなく、自分事として捉えてほしいという主旨で書かれたにもかかわらず、それが失敗した小説」に思えた。現実離れした展開を避け、実際に読者の身の回りに起こりそうな話をミステリの枠に押し込もうとし、結果として、どっちつかずの話になってしまった。

あさのあつこさんの小説なので期待し過ぎてしまったのかもしれない。

2つのタイプの「隣人」

あらすじは以下の通り。

地方都市で暮らす三上咏子は、縫製工場でパートとして働きながら、高校生の翔琉と小学生の紗希、夫の丈史と平凡な毎日を送っていた。ある日の夕方、駅近くの商業施設から白い煙が上がるのを目撃。近くの塾に通う息子が気になり電話を掛けるが、「誰かが爆弾を仕掛けたテロだ」と興奮して語る様子に違和感を覚える。翌日、今度は市立図書館でも同様の事件が発生。いったいなぜこの町で、こんなことが? 咏子は今まで気にも留めなかった、周囲の異変に気がついていく……。

あらすじで全く作品テーマに触れないのも自信のなさの現れなのか、読んで驚いてほしいのかよくわからない。しかし、読み始めるとすぐに、主人公・咏子が働くパートの職場にベトナム人技能実習生が登場する。
そこから察せられるよう、外国人労働者を一つのテーマに据えた小説なのだが、タイトルにある「彼女が知らない隣人」は、咏子がこれまでその存在を意識しなかった「外国人労働者」以外に、別の種類の「知らない隣人」が用意されており、それゆえ「隣人”たち”」なのだろう。


外国人労働者というテーマについて、前半に登場する文章を引用する。

技能実習生が過酷な仕事に耐え切れず逃げ出したとか、行方不明になったとか、何の保障もないまま路頭に迷っているとか、以前より耳にすることが増えた。パートに出る前は何て気の毒なと同情を覚え、雇い主に腹を立て、国なり自治体なりに何とかしてほしいと望んだ。
それで、忘れた。
同情も怒りも望みもきれいに忘れて自分の日常に戻っていった。しかし、クエと知り合ってからまだ日は浅いというのに、報道番組や新聞で見聞きする技能実習生に関わるニュース、特にベトナム人に纏わる報道が心に引っ掛かり消えなくなっている。“ベトナム技能実習生"という括りではなく、クアット・ルゥ・クエという一人を知ってしまったら、名も知らない、会ったこともない人たちの問題が現実的な手応えで迫ってくるのだ。

実在する一個人を知っているだけで、社会問題が一気に身近になる…
このあたりは非常に共感する部分なので、むしろこれがまとめ部分に来ていた方が、読者に「伝わりやすい」小説になっていたのではないだろうか。
ただ、この考え方は、直接知ったカテゴリの人にしか関心を持てない、ということに繋がりかねない。
人の想像力をもっと信じ、本やフィクションの力を信じれば、直接の知り合いではなく、小説や映画によっても「名も知らない、会ったこともない人たちの問題が現実的な手応えで迫ってくる」ことがあり得る。まさに、この本が、それを感じさせてくれるような小説であることを望んでいたのだけれど…

そして、もう一種類の「彼女が知らない隣人」こそが、この物語のメインということになる。

「それが違うのよねえ。当たり前じゃないの」
桃子の唇がもぞもぞと動いた。明快な言葉にはならない。
「どういうこと?」
「何だかねえ、嫌な話だけど・・・・・・いるのよ」
「いるって、何が」
咏子は思わず身を縮めた。得体の知れない化け物や幽霊が桃子に憑いている。一瞬だが、そんな風に感じた。昔から、その手の話は苦手だ。ホラーも怪談も御免こうむりたい。
桃子の口調はそれくらい重く、湿っていたのだ。
「外国人、特にアジアやアフリカ系の人たちを自分と同等に考えられない人。自分たちより一段低い人種だって、堂々と言ってのけちゃう人ね」
「は?何それ? 誰のこと?」
「誰って・・・・・・たくさんだよ。この市にも隣の県にも、国中にもいっぱいいるの。何だかもう、嫌になっちゃうぐらい沢山ね」
「そんな。でも、わたしの周りには….....」
口をつぐむ。わたしの周りにはいないだろうか。そんなこと考えたこともなかった。なかったから、わからない。

つまり、もう一つのタイプの「隣人」は、身の回りにいるにもかかわらず、その本性を「知らなかった」タイプの隣人。それは誰なのか。

ことごとくハマらないミステリの「仕掛け」

ということで、読み終えて初めて、この小説は、「外国人排斥の運動(ネット書き込み等)に関与していたのは、長男だとミスディレクションさせておいて、実は…」という構造のミステリを意図していたことがわかる。
問題は、読者は何が物語の焦点なのかが理解できず、「誰が」には、ほとんど注目しないままに「実は…」が明かされることだ。

さらに、読み直してみると、ミスディレクションも酷い。
反抗期の高校生が親に隠れてこそこそやっていたのが、難民支援団体の手伝いだった、という展開。これがクリティカルにヒットするには、読み直したときに、「物語前半で感じていた長男のよそよそしい態度は、実は母親への”優しさ”があってこそのものだったのだ!」(あー!そうだったのか!)…と、なっている必要がある。
ところが、実際に読み返すと、やっぱり、長男は、母親を馬鹿にしたような喋り方をする「嫌な奴」なんですよ。

さらに、外国人排斥のネット書き込みをしていたのは、実は夫だった、というラスト。これも、前半部で、夫が「そんな風に見えない」「心優しい人間」であることを見せていてこそ衝撃が大きくなるはずなのに、読み返すと、やっぱり、夫は、最初から、自分勝手で「嫌な奴」なんですよ(笑)

結局、主人公は、夫からも長男からも蔑ろにされていた、という話にしかならず、しかも彼女が親から愛されずに育ってきたというエピソードがしょっちゅう挟まれるので、何を読まされていたんだ、という気持ちになってしまう。


さらに、読み終えて初出を見ると「しんぶん赤旗 日曜版」の連載小説(2020.7-2021.8:連載時のタイトルは「彼女の物語」)であったことを知る。「赤旗」についてどうこう言うつもりはないが、このテーマ自体が、あさのあつこさん本人からではなく、掲載紙からのニーズに応えて生まれたのだ、と思えば、小説としての不出来にも納得してしまう。

社会問題をフィクションに落とし込むのは確かに難しいだろうが、このテーマの場合、『アンダークラス』(2020年11月なので、連載開始直後に刊行)が非常によくできていたので、どうしてもこれと比べざるを得ない。
アンダークラス』は、殺人事件が軸になっており、『彼女が知らない隣人たち』よりも圧倒的にフィクション度が上がってしまうのだが、テーマに対する取材量や物語への落とし込みは、圧倒的に『彼女の…』より上回っていると感じる。
特に、『彼女の…』は、物語の「犯人」に当たる父親の掘り下げが浅いのが残念だった。『アンダークラス』では、「犯人」の主張にも見るべきものがあったのと対照的だ。今回、「ネット右翼」ということではないが、身近な人がネット右翼になってしまった、という話は溢れていて、それが小説のオチになるのは弱過ぎる。『ネット右翼になった父』という本があるが、「ネット内で攻撃的な人格」を持った家族がいることはむしろスタート地点として、「なぜ?」の方にもう少しページを割いても良かったかと思う。

物語中盤では、コロナ禍での、日本の特殊な雰囲気についても触れていて、これがもう少しうまく融合していれば、この時期にしか生みだせない小説になったかもしれない、と、その意味でも残念に思う。

と、ここまで書いてみると、そもそも自分は「社会派」の小説に多くのことを期待し過ぎているのでは?という疑問も湧いてくる。
ただ、その期待に応えるような小説も多く存在することも確かだ。
最近は、何となく小説の選び方が、エンタメ&純文学寄りだった気がするので、改めて社会派ミステリの王道である、桐野夏生あたりを読んでみたいと思った。