Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

俺か、俺以外か。~済東鉄腸『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』


刺激的な本だった。
読後に、済東鉄腸さんは、一体どんな人なんだ、と検索して以下の記事を見つけた。
タイトルにもある、済東さんがルーマニアで小説家になった経緯は、記事の中にも書かれている。

toyokeizai.net


ルーマニアの映画作品との出会いから始まって、ルーマニア語を勉強しよう→Facebookルーマニア人の友達をつくろう→小説を書いてみよう、ルーマニアの友達に読んでもらおう→文芸誌に掲載させてほしい、というわらしべ長者のような流れは、読んでいてとても楽しい。
だが、記事を読むのと本を読むのとでは受ける印象が大きく異なる。自分は、この記事を読んで、何よりもまず、写真に写る、穏やかで人当たりの良さそうな表情に驚いた。読んだ本の作者は、絶対に、こんな爽やかな雰囲気の人ではない!(笑)


そう感じた理由ははっきりしている。
記事には「俺」が前面に出ていないからだ。


デビューのきっかけを作った文芸誌メディアを運営するミハイル氏について書かれた部分を、実際に、本文中から引用する。

ミハイル・ヴィクトゥス、我が親友にしてルーマニア文壇の気鋭、そして俺をルーマニア文壇にデビューさせた張本人。(略)
いやマジで日本の友達含めても、最も親しい友人の一人って言える人物だよ。もちろん。直接会ったことはないけどね。先に書いた通り、もし彼がいなければ俺はルーマニア語で小説家としてデビューしていなかったし、この本を書くこともなかった意味で大切な存在でもあるよ。加えて村上春樹よりも村上龍の方が好きで、日本文学のクソ陰惨な暴力が好きっていうバッドガイでもあるね。(p98)

何といっても一人称が「俺」のインパクト。そして、「引きこもり」というよりは、尊大な感じさえ受ける、自信に満ちた文体。
加えて、本には「著者近影」が無いため、表紙(横山祐一)の、何だかよくわからない軍人みたいな架空キャラクターが「俺」口調で話しかけてくるように感じ、読書中は一種のトリップ感があった。だから、写真の彼が書いたとはとても思えないのだ…。


終盤で、この「俺」文体について、自身で言及する部分があり、ここがとても興味深かった。
かくいう自分も、一人称は、話し言葉も書き言葉も、確信なく「自分」という言い方をすることが多い。仕事上では「私」も使うが、日常的には「僕」だと弱弱しく、「俺」だと偉そうで、「私」は他人行儀過ぎる。
結果として、一人称を使うのをなるべく避けるような喋り方になり、「日本語面倒くさい」と思うことが多々ある。


この本を読むと、そういう日本語の煩わしさも含め、済東鉄腸さんが色々と考えた末に「俺」に辿り着いたことがよくわかる。

いやさ、この本では俺俺言いまくってるけど、そんな俺にだって一人称が定まらないって時代はあったんだよ。
改めて言うが、俺の普段使いの一人称は「俺」である。 Twitter では別人格を作るって意図で「私」を多用しているが、基本的にはほぼ「俺」だ。昔からこれを使ってきわけだけど、何でかってやっぱ響きがカッコいいんだよ。例えばジャンプの主人公はかなりの数「俺」を使ってるだろ。空条承太郎とか黒崎一護とか。「僕」や「私」じゃ何か締まらないって感じでね。
それから特撮大好きな俺としては「仮面ライダー電王」の決め台詞である「俺、参上!」には毎回痺れてた。だからもはや「カッコいい=俺」なんて方程式が頭にできてる。学生時代なんか全くイケてない人間だったから、せめて一人称は「俺」を使ってカッコよさを気取ろうとしていた。
この価値観を再考し始めたのは大学でフェミニズムを学び始めた時だ。「俺」が持つカッコよさは男らしさと重なるが、これは女性を踏みにじる価値観と表裏一体ではないか。そして突き詰めすぎれば、自分自身をも苦しめる有害さを持つのではないか。「俺」って一人称はそんな危険性があると。(p215)

このあと、トランスジェンダーを排斥するTERFの台頭を見て、トランス当事者の声の書いた書籍を読み、クィア理論を学び、そんなことが、「俺」を使うことに背中を押すことに繋がる。

その後にも、トランス男性当事者の書いた文章や本を読んだが、特に彼らの一人称への葛藤に共感したよ。彼らもフェミニズムなど色々学んできて生き方を模索するなか、でも「俺って一人称は家父長制の象徴」なんて極端な論とかを超え、自らの手で「俺」を選び取ってたわけだよ。
これを読んでたら、自分も「俺」っていう一人称を素直に愛してもいいのではないか?っていう思いが生まれた。それでも一歩踏み出すってことの難しさがあった。
そこにこの本を書く機会が到来したんだ。俺の人生を書く機会ってやつが。

このあたりの流れは、とても良かった。
「文章を書く人が、使う一人称を迷う話」をあまり読んだことが無かったということもあり、済東鉄腸さんに非常に親しみを覚えた。他の人が書く、同テーマの文章があったら是非読んでみたい。


なお、その他の話題としては、ルーマニア語スペイン語やイタリア語と同じロマンス諸語に属する言語、周囲にあるブルガリアセルビアはスラブ語圏、さらにハンガリー語アルバニア語は周囲に似た言語のない孤高の言語群、と、外国語それぞれのグループ分け(p41当たりの話題)に興味を持った。このあたりは、世界史と合わせて勉強したい。
また、後半では、シオランの名前がよく出てくる。シオランルーマニアの哲学者である、ということも勿論だが、その主張(反出生学を代表とするペシミスト的主張)が広く受け入れられている、ということでもあるのだろう。以前さわりだけ勉強したが、このあたりもまた読んでみたい。


ということで、今のネット世界だからこそ可能になったルーマニアでの文壇デビューという派手な成果の背後に、悩み、思考、語学そのものへの興味など、済東鉄腸さんの「人間」の部分が感じられ、最初は違和感を覚えた「俺」に、最後には親しみを感じるようになった本でした。

今後読む本

巻末に映画・音楽・ブックガイドがあるのでその中から。
『吸血鬼すぐ死ぬ』は、アニメがあるのでそちらから先の方が良いのか。
語学関係もいくつか挙げられていて『ラテン語の世界』が気になったのですが、やはり難しそうなので、Amazon評で紹介されていたところからの孫引きで『英語の冒険』を。