Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

昨日、久しぶりにポップジャムを見たら、いつの間にか司会は安めぐみ
年明けから、少々わけあって、テレビをたくさん見るようになったのですが、この人、結構見かけます。喋っているのを見ると、お色気+知的な感じで、かなりツボです。
2007年は、相武紗季安めぐみの二人を一押しで行きます。(誰に言っているのかよくわかりませんが)

木尾士目『げんしけん』(1)

げんしけん(1) (アフタヌーンKC)

げんしけん(1) (アフタヌーンKC)

より効率的に多くの作品を楽しむことを目的にはじめた「1巻だけ購入して、どれの続きを読むか吟味する企画」、4冊中、残るは2冊なのだが、どちらも先日2巻を購入した。それほどに満足できる作品。
だが、順位をつけるなら、こちら(げんしけん)が2位だ。
1位の作品は正道を行く王道的なエンターテインメント漫画なのだが、それと比較すると、『げんしけん』は邪道。というか、裏道?かなり通常の漫画とは違っている。
一言でいえば、「話の展開が丁寧でない」ということになるのだが、具体的に二点挙げる。

(1)解説がない

げんしけん」は、とある大学の「現代視覚文化研究会」というサークルを舞台にした漫画である。
したがって、野球漫画やサッカー漫画などと同様、ジャンルわけするなら、オタク漫画ということになるか。
普通なら、「知られざるオタクの日常を紹介する漫画」のような展開になると予想されるが、その予想は裏切られる。とにかく一切解説なし。細かいネタの状況理解が困難で、一般読者は置いてかれる場面が多すぎる。
たとえば、だ。安野モヨコ『監督不行届』は、旦那・庵野秀明のオタクぶりを一般人の視点から紹介するような作品。コミックス巻末には、膨大な注釈データがついている。
げんしけん』は、漫画内で言及される作品は、(実在しない)オリジナルであることが多いが、ちゃんと元ネタがある場合も、ほとんど全く脚注などはつかない。キャラクタにも言及されずに流される。ましてや、細かい言動については、それがオタク特有なものであるかどうかすらわからない。さらには、ある程度、展開を気にせず書けるはずの「楽屋落ち」4コマ漫画でも「解説なし」の姿勢が貫かれる。
自分なんかはものすごい「置いてかれっぷり」である。
つーか、アフタヌーン読者は、どこまでオタクリテラシーが高いんだ?

(2)展開しない

この漫画、確かに、漫画的なキャラクターとして、初回より、美少年・高坂と、その彼女・春日部さん(主要キャラクターで唯一の一般人)がいるにはいる。しかし、漫画的な展開(つまりは非日常!)がない。
ひたすらオタクの日常が続いていく。
勿論、絵の上手さと描き込みの多さが、日常のリアリティを支えている。『よつばと!』なんかと比べても、頻繁に構図(カメラ位置)が変わるのに、背景はしっかり描き込まれている。そして、キャンパスの様子や部室、部室前の廊下まで、立ち上がるような実在感を持ち、登場人物間の会話も、ほとんどが雑談であることが、よけいに自分の大学時代を思い出し、懐かしさを誘う。
しかし、それが内輪受け的な盛り上がりに終わらず、妙な客観性を感じさせるのが「げんしけん」の真に「怖い」ところ。
いかにもオタク的な無意味な熱気のすぐそばに、「冷めた視点」が垣間見えるのだ。
たとえば、一般人である春日部さんの視点は、常にそう。高坂の部屋に「アニメの絵のエロ本」や「エロゲ」があるのに全く気がつかない。CDを買いに秋葉原に行くが、認識は「電気街」どまりで、そこが「オタクの街」であることに気づかない。
それだけならいい!電車内で、街の中で通り過ぎる、オタクとは対極にいる茶髪で日焼けの濃いお兄ちゃんたち。会話の内容まで、コマ内に書き込まれるが、げんしけんメンバーとの接触は全く無い。ただ、「・・・・」という程度の吹き出しが出るだけ。
たとえば、漫画なんだから、オタクと日焼けサロンの兄ちゃんという別の種族が出会って、話が展開してもいいわけなのに、そうはならない。現実がそうであるように、二つの種族は交差しない。そこら辺が徹底的にリアル。リアルすぎて怖い。
自分自身を振り返れば、特に高校〜大学入学直後くらいがオタク指数的にMAXであったことから、「if」の世界として、非常に近い世界に感じる。そういう、個人的なところまで含めて、「裏道」的な魅力に満ちた作品なのだ。
というか、繰り返すが、アフタヌーンの読者って、こういう「げんしけん」的な人ばかりなのだろうか?

Stevie Wonder『Innervisions』

INNERVISIONS

INNERVISIONS

2/24のスティービーの来仙公演までに過去のアルバムをおさらいするシリーズ。
3部作の2作目はこのアルバム。
収録されているヒット曲に「Don't You Worry 'Bout A Thing(くよくよするな)」があるが、インコグニートのカバーの方を先に聴いており、大学時代に初めてこのアルバムを聴いたときの「とっかかり」になった。
だが、この本家の方(「Don't You Worry〜」)は、一番始めに入っている「語り?」が、どうしても関西弁のおっさんが怒っているように聴こえる。今回改めて思ったが、とにかく強烈。それがなければいい曲なのに(笑)
「Living For The City(汚れた街)」は、これまた名曲。歌が終わって、「先が開ける」ようなメロディーが好き、勿論、強烈なボーカル、途中に台詞?の挟まる映画のような構成も堪らない。「Golden Lady」は、この曲からの「繋ぎ」が素晴らしいので、好みではないなあ、との第一印象からかなり印象が変わった。
ラストの「He's Misstra Know-It-All」も良いし、曲順含めて、アルバムとしてのバランスが良いように感じた。
アルバムが発売されたのは1973年。まだ僕は生まれていない。
このとき、スティービーは23才。アルバム発売直後に交通事故で、生死の狭間をさまようことになるも無事生還。

(補足)シリーズこれまでとこれから

発表年 アルバムタイトル 備考
1972 Music Of my Mind
1972 Talking Book 3部作その1
1973 Innervisions 3部作その2
1974 Fulfillingness'First Finale 3部作その3
1976 Songs In The Key Of Life 一般的にも個人的にも最高傑作