Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

なぜ姫川亜弓は成功し続けるのか〜美内すずえ『ガラスの仮面』4

ガラスの仮面 (第4巻) (白泉社文庫)

ガラスの仮面 (第4巻) (白泉社文庫)

姫川亜弓が髪型をショートカットにして「王子とこじき」で好評を博している間に、北島マヤは演劇部の代役〜アイドル映画のチョイ役、そして劇場への飛び込み営業までして、芝居を続けようとします。何度も書きますが、あしたのジョーでジョーが表舞台に立てなくなってからドサ回りをするシーンが思い出されます。(どん底→ドサ回りから這い上がるという流れは、ガラスの仮面の黄金パターンと言えます)
そして、終盤では、マヤが「嵐が丘」のキャサリン(子ども時代)役のオーディションを受けますが、「ふたりの王女」(14巻)のときと異なり、オーディションは他の候補に完敗しながらも、可能性のみで合格という珍しい展開になっています。ところが、この舞台において、マヤの「舞台あらし」ぶりは最高潮に達してしまうのです・・・。


さて、亜弓さんの凄いところは、努力家であるところ。役作りのために、実際に路上生活を始めるなんて、中学生の女の子の発想ではあり得ません。髪も自分でジョキジョキ切り落としているし。
こういう自分を変える努力が次々に報われるという意味では、亜弓さんは恵まれているように見えますが、やはり水面下での高速の水かきがあってこそなのでしょう。天然系、動物的、本能の娘であるマヤよりも、努力型天才の亜弓さんを応援してあげたい。

北島マヤにとってガラスの仮面とは何なのか〜美内すずえ『ガラスの仮面』5

ガラスの仮面 (第5巻) (白泉社文庫)

ガラスの仮面 (第5巻) (白泉社文庫)

「人形演技養成ギプス」の登場です!
マヤが、人形の役を自然に演じることができるように体中に竹を巻きつけたその格好は、インパクト大。見た目のインパクトでは、11巻の亜弓さんのパントマイム訓練シーンと同レベルの衝撃があります。
一連の「舞台あらし」の流れの中、自分が目立ち過ぎて、他の役者との調和を乱すという弱点をカバーするために、自分が無い「人形」を演じさせるという流れは、非常にわかりやすく、マヤがそこまでして得たいものがあることが分かる構成になっています。ここら辺の自然な流れと、全てが紅天女に繋がるという物語の潮流は、本当にガラスの仮面の醍醐味です。


重要なシーンとして、月影先生から役者失格宣告を受けて失意のマヤを慰める麗の言葉の中に「ガラスの仮面」についての説明があります。

役者はどんなときでもその仮面をはずしちゃならない
どんなに悲しいことや苦しいことがあっても
それは自分自身の悲しみや苦しみであって
役の人間とは関係ないんだ
演技する前にまず自分を押し殺さなければならない・・・
ガラスの仮面だな・・・


わたし達はガラスのようにもろくてこわれやすい
仮面をかぶって演技をしているんだ
どんなにみごとにその役になりきって
すばらしい演技をしているつもりでも
どうかすればすぐにこわれて素顔がのぞく
なんてあぶなっかしいんだろう・・・
このガラスの仮面をかぶりつづけられるかどうかで役者の才能がきまる・・・
そんな気がする・・・


あとの巻でも、このガラスの仮面が崩れ落ちる場面がありますが、舞台上で常にまとうガラスの仮面が、北島マヤの人生そのものということなのです。