Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

スガシカオの方程式(5)〜現在・過去・未来〜

先のエントリでは、聞く人の共感を得やすい手段としての(性格の)「二面性」を取り上げた。
しかし、よく考えてみると、このように「多角的に見ると深みが出て共感度が増す」というのは、時間的な観点を考えてもよく当てはまることに気づいた。
話は飛ぶが、ここ2〜3年の中で聴いた曲で、自分がいたく感動した歌詞を見てみると、ある共通点がある。

このまま行こう
夢はひとつ叶った?
それぞれのこの場所で

見たかったのはこのゴールなんかより、
これほどの僕らなんだ

旅の始まりは忘れてしまうけど、
刻んだ全ては目に浮かぶ様さ。
旅の終わりには幕が閉じるけれども、
時の続きに君はいる
100s「またあした」:『OZ』収録)

誰にも渡しちゃいけないものが君の中にあるんじゃないか
気持ちがあるなら、自分が歩いた旅の先に奇跡がある
オリジナル・ラヴ「鍵、イリュージョン」:『街男 街女』収録)

こう見ると、この二つはかなり似た内容なのだが、これまでの過去の積み重ねを受け入れ、その延長上にいる自身を確認し、さらに先の未来を目指す、という点が自分のツボに入る。
というか、こういう説得のされ方をして共感しない人は少ないのではないかと思う。
前にも書いたが、「現在」を歌うよりも「過去」を歌う方が共感を得やすい。一方で、「過去」を歌う場合は、新鮮味のあるメッセージは伝えにくい。(スガシカオの指摘する、いわゆる「呪い」のかかった状態になりやすい)
しかし、「現在」のみを歌うのは共感を得にくい。単なる押し付けになってしまったり、聞く側が当事者感覚を持ちにくい。(「俺はいいから一人で頑張って」という状態)勿論、ツボにはまれば、聴いている方も熱心にメッセージを受け取るだろうが、効果は未知数、いわばパルプンテ的である。
したがって、「伝わらないリスク」を考えれば、聞き手を一度「過去」の世界に振り返らせてから、「現在」を語るのが最適だ。*1
スガシカオの歌詞でいうと、「あのころの未来にぼくらは立っているのかな」(夜空ノムコウ)なんていうのは、一度あのころに戻らせてから「現在」を見つめなおさせる、という点で、これに合致する。
と思って見てみると、スガシカオの歌詞は、現在・過去・未来の視点のスイッチが上手い具合に入れ込んであるのではないかと思う。
今回のアルバム『PARADE』で最も典型的なのは、「Progress」。
例えば「相変わらずあの日のダメなぼく」というフレーズは、この中に、過去と現在の自分が含まれており、それらの関係(変わらない)も明確に示されているが、一番のサビがもっともわかりやすい。

ずっと探していた 理想の自分って
もうちょっとカッコよかったけれど
ぼくが歩いてきた 日々と道のりを
ほんとは“ジブン”っていうらしい

世界中にあふれているため息と
君とぼくの甘酸っぱい挫折に捧ぐ・・・
“あと一歩だけ 前に 進もう”

これも

  • 「理想の自分」          :過去→現在(未来)
  • 「ぼくが歩いてきた 日々と道のり」:現在→過去

があるからこそ、現在から近い未来を思う“あと一歩だけ 前に 進もう”の説得力が断然に増してくる。
上に挙げた100s「またあした」、オリジナル・ラヴ「鍵、イリュージョン」と似た内容だが、スガシカオはより意識的にこういう手法を使っているような気がするのだ。
(まだ続くかも)

*1:自分はコーチングの本とか読んだことないけれども、相手を上手に説得するための方法として、こういうことがチャート的に書かれているのでは?いや、多分書かれている。書かれていなければ自分が書き込む。