Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

(1)求めすぎている?僕

まずは、基本的な事項の確認から。
結局のところ、ライヴの満足度は、こちらが「求めているもの」と、ライヴで「与えられるもの」(パフォーマンス)が、どれだけ合致したか、超えていたか、で決まってくる。
田島ダンスを楽しみに見に来た人と、佐野さんのスティックさばきを見に来た人、木暮君のくし使い*1を見に来た人では、求めているものが異なるので、ライヴの満足度は異なって当然だ。
自分の求めていたものを振り返って考えてみると、大きく二つある。
それは「驚き」と「メッセージ」。勿論、演奏のレベルが高いことなどは、当然のことだが、プラスアルファとして、いつもこれらを求めているようだ。それは、ライヴだけでなく、音楽全般や、小説、漫画、全てに共通して自分が要求してしまうものなのだ。

驚き

まず、「驚き」。大きく出るが、僕は「芸術」というのは「驚き」だと思う。
現代芸術は特にそうだと思うが、「わかる/わからない」ではなく、そこに「驚き」があるかどうかが重要だと思う。
ライヴで言えば、予想外の選曲*2や、CDからは想像もつかないアレンジ*3。勿論、予想を裏切る、だけでなく、圧倒的な「もの」がそこにあれば、それは驚きにつながる。こちらの想像を超えていることが重要なのだ。
過去のパフォーマンスから考えると、田島貴男は、観客をびっくりさせてやろう、という考えを基本的に持ってライヴに臨んでいるように思え、僕は推理小説を読むとき、手品を見るときのように、そこに驚かされに行くのだ。

メッセージ

次に「メッセージ」。メッセージというのは、MC*4という意味ではない。言葉だけでなく、会場全体から発せられるものだと思う。歌詞を中心とした、その曲の世界が、ライヴで聴いて、はじめて伝わる、もしくはCDで聴くより数倍伝わることがある。ケミストリーが生じる、とでも言うのか。
さらには、最近の田島貴男の場合、岡本太郎への傾倒や、自分の「声」へのこだわりが顕著で、少ないMCや選曲を含めたライヴ全体から、彼のメッセージを強く感じていた。
インタビューで「サウンドよりも詞を書きたかった時期だった」と語る田島貴男が、今回のライヴで、どんなメッセージを伝えるのか、心の底では期待していたのだと思う。
何というか、自分は音楽に「救い」を求める弱い人間なのかもしれない。

*1:ギター木暮晋也は、一時期、毎回のように、胸元からくしを勿体つけて出し、リーゼントを整えるパフォーマンスをやっていた。最近はやらない。

*2:VINTAGE SONG TOURの椎名林檎カバー

*3:FIRE WALKINGツアーの、ブルース・リー風イントロから始まる「ドラキュラ」。うろ覚え。

*4:そもそも、今回、自ら吐露していたように、田島貴男はMCが非常に少ない