Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

オタク考 〜趣味と掟

先日、本を読んでいると、以下のような文章が出てきた。

「オタク」の定義は色々とあるが、「子どもの頃に好きだったものを大人になっても嗜好する人々」という説がある。
杉浦由美子腐女子化する世界』P44)

さすがに「これはない。」と思った。
というのは、この定義が、子どもと大人の趣味が異なるということを前提としているからだ。それらが異なったのは過去の話で、21世紀の現代では、大人も子どももDSをやるし漫画を読む。「子どもの頃に好きだったもの」に背を向けてしまう方がむしろ少数ではないかと思う。
それじゃあ「オタクの定義」は?というこれまで何十回と向き合ってきたテーマが頭をよぎった。
これに対し、読書中の自分は、本の余白に、こう記した。

オタクとは、趣味に「掟」を設ける人

飲み会の席で

先日、飲み会の席で後輩(20代)と話していて、本や漫画の話になった。
彼は、昔、取り上げたA君とは異なり、時代小説や純文学などもいろいろと読んでいるようで、本好きなのは確かだ。
その彼が「漫画は、いろいろと幅広く読みますよ。」という。
「幅広く」と公言できるということは、それなりの自信があるのだろうと思い、さまざまなジャンルの作品について聞いてみると、結構知らない。勿論趣味の相違があるだろうから仕方ないとは思うが、『ハチミツとクローバー』どころか『ガラスの仮面』を知らないというので驚いた。*1
さらに、推理小説の話が出たので、どんなのを読むか聞いてみると「内田康夫」が出てきてさらに驚いた。*2
でもって、乙一伊坂幸太郎など、最近のエンタテイメント系の作家の名前も知らないだけならまだしも、ドストエフスキーの名前を知らないことにさらに驚いた。
これらの事実に対し、自分は、

  • 本好き、漫画好きなら、知っておくべき作品や作家がある
  • それらすべてを読む必要はない。しかし、知っておく必要はある。

ということを延々と主張したのだった。(いわば大説教大会、笑)
しかし、援軍となるはずの、30代、40代の読書好きの先輩らが、自分の意見に共感してくれないことがわかり、突如として暗雲立ち込め、四面楚歌のピンチに。今更ながら、自分の考え方は、あまり一般的ではない、ということを知ったのだった。

オタク的な本選び

僕以外の3人の読書好きに共通するのは、面白い本に出会ったら、その作者のをとことん追いかけるという読み方。
本屋で平積みされているタイトルがどのようなものか、については無頓着だし、ましてやネット上で評価の高い作品という観点は、彼らの本選びには存在しないようだ。指摘されるまで気づかなかったが、ここら辺が、オタクかそうでないかの大きな違いなのであろう。
本を読む以上に書評が好きな自分は、いわば、「このジャンルなら○○がマスト」、「作家Aと作家Bを読んだら作家Cも読んでおく」といった掟(ハードル)を自ら課してから本選びをしているのだが、一般的には、そういった「掟」からはフリーで本選びをするらしい。
本好きのほとんどが同様の読み方をしていると思い込んでいた自分にとってはショックが大きかったのだが、こういう掟を課してしまうのは、自分の趣味・嗜好を相対化しておかないと不安だからである。
目の前の作品を面白いと思う、自分の感性自体が「幼い」「わかってない」のではないか、という疑念は常にある。
自分の読書欲の大部分を、そういったコンプレックスが占めていると言ってもいい。そして、そのコンプレックスこそが、オタクの原点なのだ。

「教養」が問われるオタク的会話

そういったコンプレックスは別にしても、比較対象や共通言語としての基礎的な作品を共有していなければ、完全に嗜好が一致する相手以外に対して、趣味について語る、ということは不可能であるように思える。
例えば、以下で、竹熊健太郎さんや、よしたにさんが言うように、オタクには、知らないと恥ずかしい「教養」だとか「必修科目」という作品があると思うのだ。

マンガの評論や原作も手がける編集家の竹熊健太郎さんは、「『ガンダム』は今も新しいアニメシリーズが作られ、若いファンを獲得している。その第1作は、ガンダム世代の30代後半だけでなく、20代や10代にとっても基本教養みたいなもの。すそ野が広いから、パロディーも受けるのでしょう」と話す。

ガンダムは必修だろ!?

「掟」とは

自らに「掟」を課してしまうのがオタクであるのだが、上記のような場合に限らず、コレクションについての意味の無いこだわりやルール付けなども「掟」であるといえる。

この乗り鉄は具体的に言うと、JR全線乗覇(乗りつぶし)や片道最長距離切符への挑戦、新規路線や新車の一番乗り等をする者を言う。

財力があれば、こだわりは尽きない。

まとめ

半ば強引ではあるが、自らの趣味の探求に「掟」を持ち込むのがオタクなのだ。
明日には無くなってしまう考えかもしれないが、ブログだからいいのだ。
こうして、「渋谷系」も「オタク」も考えるたびに、よくわからなくなっていくのだ。
でも、既に別の答えも出ているんだ。

オタクとは、オタクとは何か考えてしまう人

なのではないか?

追記

ここで自分が語っている「オタク」は、よくいう第一世代〜第三世代の分類の中でいえば、第三世代には全く当てはまらないようです。ブログをサーフィンした感じだと第三世代には「教養」は必要とされないようですが、世代分類については異論等も多いようですので、今後勉強します。

参考(過去日記)

僕は、音楽でもマンガでも「オタク」文化の駆動力は、「劣等感と表裏一体の優越感」にあると思うが、それは、明確なメインストリームがある土壌でしか成立しないと思う。つまり「何でもあり」の状況では、オタクは育たないし、プロレスファンも減っていく。

だから、オタクは叩かれなくてはならないし、プロレスも「八百長だ」と言われ続けなければ熱心なファンは生まれないのだ。

atnbへのコメント返しの際に気づいたのですが、結構いいこと書いています。というか、今回については、1年前の自分の方が分かりやすい言葉を使って書いていると言えます。
もっと修行が必要です。

*1:ハチクロは、その後、強引に貸して満足してもらえた。北へ走り出したくなるほど感動したらしい。

*2:自分が安心できる回答は、例えば、宮部みゆき