Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

花村萬月『父の文章教室』★★★★

父の文章教室 (集英社新書)
花村萬月が「文章教室」なんて書くわけない、と思っていたが、読んでみると案の定、それらしい内容は非常に少なく、父が自分に仕込んだ英才教育と父への思いについて大半の紙面が費やされている。
しかも、結論的な部分が、

父の文章教室と言うことに立ち返り、それを要約してしまえば、子供に読めない本を与えてとにかく文字を目で追わせる、ということになってしまいます。(P186)

という、非常に理不尽なもの。花村萬月は6歳のときから、父に旧字混じりの古典(エドガー・アラン・ポーなど推理小説からイリアスオデュッセイア森鴎外などさまざま)を強制的に読まされた上、感想を述べることを強いられたのだ。
しかし、本書を読めば、その方法にも優れたところがあることがわかる。本文中ではこんな風に説明されている。

読んで即座に理解できる本を読むのは、愉しみとしては申し分ありませんが、勉強にはなりません。勉強は、いま、わかる必要は無いのです。(中略)
本自体にも<すぐわかるナニナニ>といった具合に即効性をうたっているものがありますが、それは、正確には<すぐ忘れるナニナニ>なのです。インスタントはインスタントの味しかつくれない。あなたは自身の知や情さえもレンジでチンするようにつくりあげたいのですか?(P197)

結局、古典こそが、長く心に残るということなのだろう。
若い感性で持って感動することはできないかもしれないが、2005年は大いに古典に手を出そう。

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ところで、結局、具体的な文章技術について書かれたところはほとんど無いが、小説については、いろいろと取り上げられている。

頭の悪い者ほど物事を複雑にしてしまいます。言い換えれば悧巧と褒められる中学高校生程度に頭のよい小悧巧な者は複雑な言い回しで得意がり、難解な言葉を用いて陳腐なはったりをかまします。(P93)
創作というものは、安易に語ってしまうと、それで完結してしまうようなところがある。おしゃべりも表現、なのです。ですから自分にとって重要な題材ほど沈黙を守って発酵を待つのです。(P122)

いずれもなるほどと思う。
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さて、花村萬月は、子供時代に過剰な情報を与えることについて危惧があるというが、これについては、常時、膨大な情報が更新されていくインターネットが身近なものとなった現在では、もっと取り上げられて良い話題だと思う。

過剰な情報は想像と創造を阻害するのです。知り尽くしていることに対して空想など働きようもありません。いにしえの人々が、星々を見上げて空想を拡げ、星座をつくりあげたことの意味を考えてみてください。(P125)

ここで、花村萬月は、子供時代に聞いたラジオドラマの優位性を説き、テレビゲームの描写力が上がるほど、ゲーム自体がつまらなくなることを付け加えている。詳しく書くと長くなるので、特に書かないが、自分の子供時代から今に至るまでのゲームとのつき合い方を振り返っても、まさにその通り。そういう意味では、ワープの「リアルサウンド風のリグレット*1なんて、今更ながらちょっとやってみたくなる。
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少し話が、ずれてしまったが、小さい子どもを持つ自分としても、子どもへの教育(自分が子どもになにを教えるか)の問題は、関心度の高いテーマだ。年末に読み返したレイチェル・カーソンセンス・オブ・ワンダー*2では、次のように述べられている。

わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭を悩ませている親にとっても「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。
子どもたちが出会う事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。(P24)

すなわち、自然に触れて、「センス・オブ・ワンダー*3を身につけることが重要だとしている。
花村萬月の方法も、過程は全く異なるが、そういった「子どもの感受性をはぐくむことが大事」という点で共通してくるのかもしれない。
だとしたら、具体的にどうすればいいのかは、これらの本から得られるヒントを頼りに考えていくしかないが、まずは、自分の感受性も磨いていく必要がある。せっかくだから、古典を読む手始めとしてレイチェル・カーソン沈黙の春』は読んでみようか。

そのほか、本文中で取り上げられていて、気になった本を挙げておく。(特に、白川静は以前から読みたいと思っていたので、なるべく早い時期に読むことにする。)

白川静『漢字百話』(P218)
小林秀雄『モオツァルト』(P219)

*1:画面が出ない音声だけのアドベンチャーゲーム

*2:1962年作のレイチェル・カーソンの遺作。未完。東京オリンピックよりも昔で、日本では公害が問題になっていた時期に、地球環境について、ここまで21世紀的な視点を持っていたことは本当に凄い。

*3:本の中では「神秘さや不思議さに目を見張る感性」の意で用いられている。名作SFを評価する言葉として用いられることも多い。