Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

中島義道『のない社会』★★★★★

「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書)
「私語」と「死語(講義そのものに対する無反応)」に支配された教室、街に標語の看板が溢れる一方で「駐輪禁止」の看板の隣にずらりと並ぶ違法駐輪。そうした風景は、日本社会における「言葉の軽視」と「自己判断能力の欠如」を如実に示している。そして、それは、この国で<対話>がほぼ完全に死滅していることに対応している。
作者の主張する対話とは何か。
日本人は<対話>ではなく「会話」を好むという。
文章中の説明を引用する。

この国の人々は個人と個人が正面から向き合い真実を求めて執念深く互いの差異を確認しながら展開してゆく<対話>をひどく嫌い、表出された言葉の内実より言葉を投げ合う全体の雰囲気の中で、漠然と且つ微妙に互いの「人間性」を理解し合う「会話」を大層好むのである。(P105)

寅さんシリーズについても「どんな気持ちで語ったか」でなく「どんな気持ちで語らなかったか」が重要な作品ととりあげているが同じことだろう。3章では、ほかにも川端康成『雪国』、芥川龍之介『手巾』、夏目漱石彼岸過迄』、樋口一葉にごりえ』等の具体例を示しながら、何が<対話>で、何が「会話」かを説明している。
作者は、日本的対話=「会話」ではなく西洋的対話<対話>の利点を主張するのだが、当然、日本的なものが全てダメだと言っているわけではない。

だが、私はここで西洋的対話と日本的対話のどちらが優れているか、という比較判定をしようとしているのではない。(略)言葉の「裏」を詮索する日本的態度をもう少し減じて言葉の「表」の意味を尊重する欧米的態度をもう少し増やしてはどうか、と提案しているだけなのである。(P200)

それでは、日本のどこが悪いのか?内容がダブるところも多いが、文中から抜粋する。

  • 言葉の表面的意味、仕種の表面的意味ではない、もっと「深い」ものを求めるという大義名分のもとに、人々はそこに表出された言葉や身振りを軽視する(P114)
  • この国では、真実を語ることよりも「思いやり」を優先する教育者が少なくない(略)みな、真実を語らない社会、言葉を信じない社会、<対話>を拒否する社会をつくりたいのである。それも「思いやり」や「優しさ」という美名のもとに。(P144)
  • この国では「他人を傷つけず自分も傷つかないことこそ、あらゆる行為を支配する「公理」である(P148)
  • この国では「集団において個々人の対立を避けるにはどうしたらよいか」という問題を解決することにほぼすべての労力が費やされる。(P166)
  • 「和の精神」とは、生み出された対立を和する精神ではなく、対立を産み出さない精神、それでも生まれた対立を認知しない精神、さらにはそれを殺害する精神なのである。(P181)

最後の「和の精神」は「状況功利主義」という言葉を用いて説明がされており、本書の日本文化論の核の部分に位置する。

竹内が最後に指摘しているように、重大な案件であればあるほど、「こうするよりほかに仕方がない」状況へとみんなで追い込み、あとで非難されたときにも、各人が「こうするよりほかに仕方がなかった」と言い逃れることのできる黄金の抜け道をつくっておく。状況功利主義は何よりも個人責任を回避する方法を教えてくれるのだ。(P174)

個々人が意見を言い合うのでなく、社会(会議でも可)の全体的な「空気」*1の流れを読んで、「空気」を乱す(雰囲気を壊す)発言は押し殺し、「空気」通りの発言を繰り返す。様々な場において、同じことを強いられる中で、各人は自分の考えを持たなくなる。責任を持たなくなる。それが日本社会なのだ、という。
2ch等の電子掲示板文化においても、やはり「空気」を読む技術が重要なのだろうと思うし、最近は、むしろ負の方向に作用しているのかもしれないが、新聞・テレビの報道がつくりだす「空気」も非常に大きい。昨年の今頃、日本を賑わしていたイラク人質事件についても、個々人が事件について深く考えるよりも先に「空気」が、騒動を大きなものにしていったように感じる。
作者は、日本人の一つの典型として、「自分と「みんな」の区別がつかない生き方をえいえい続け、それに疑問も覚えない(P178)」人達を憂えているが、自分の中にもそういう要素がある。単純に怖い話だ。
結論としては、また引用になってしまうが

<対話>とは他者との対立から生まれるのであるから、対立を消去ないし回避するのではなく、「大切にする」こと、ここに全ての鍵がある。
だが、他者との対立を大切にするようにと教えても、他者の存在が希薄な社会においては何をしていいか分からない。そうなのだ。本当の鍵は他者の重みをしっかりととらえることなのだ。他者は自分の拡大形態ではないこと、それは自分と異質な存在者であること。よって他者を理解すること、他者によって理解されることは、本来絶望的に困難であることをしっかり認識すべきなのである。(P190)

全体を通して、事例の取り上げ方や、他の本からの引用が巧く、非常にまとまっており読みやすかった。多少、我田引水のところもあるかもしれないが、日本文化論としても非常に説得力があり、勉強になった。
だけでなく、ところどころ、「あなたは」「きみたちは」と読者に向かって語りかける(非難する)ような文章があり、自らのこととして真摯に受け止める必要があると思わせた点が素晴らしい。「社会」でなく「自分」のことなのだ。いろいろと考えてしまう一冊。五つ星。
 
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*1:もとは山本七平の言葉だという。