Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

西成活裕『渋滞学』

渋滞学 (新潮選書)

渋滞学 (新潮選書)

目次はこんな感じ。

第1章 渋滞とは何か
第2章 車の渋滞はなぜ起きるのか
第3章 人の渋滞
第4章 アリの渋滞
第5章 世界は渋滞だらけ
第6章 渋滞学のこれから

仙台市内の図書館では、2週間7冊の本を借りることができる。
自分の場合は、(何冊借りたか分からなくなってしまうので)常に7冊借りることにしており、今日、ちょうど図書館に行ってきたところ。
7冊のうち一冊は『羊の宇宙』で、これについては感想を書いた
それ以外は、手をつけなかったのが2冊、9割読んだのが2冊*1、1割読んだのが1冊*2で、この『渋滞学』は6割程度読んで返却期限が来てしまったので、途中で諦めてしまったもの。
返却期限が近づいてみると、読んでいない、5章(インターネットの渋滞)と、6章(ネットワーク思考)のうち、6章が、自分の一番興味のあるところだった。スケールフリーネットワークや、ハブなどの話。
ていうか読めよ、とも思ったが、面倒くさくなって返してしまった。
感想は、また借りて6章を読んだときに書けばいいや的な安易な考えに陥っていた。
ところが、図書館から帰ってびっくり。
友人のatnbが、まさに『渋滞学』の書評をブログにアップしたところだったのだ。

車、電車やバスのダンゴ運転、人の混雑、インターネットの輻輳(ふくそう)から、たんぱく質の運動まで、日常に起こるさまざまな“渋滞”は、どのように起き、解決されるのか。数学は象牙の塔の中のものではなく、実社会にだって役に立つ。シンプルなモデルを使って解析し、本質を切り取る面白さ。でもそこまで行くには、一線の研究者にも10年程度の時間が必要だった。

いいきっかけなので、方針を変更して、乗っかりエントリを書くことにした。
〜〜〜〜
『渋滞学』は、小飼弾さんのブログでも絶賛されていた本で、自分も気にはなっていた。
読んでみると、面白いが、「それほどでも」という感じがする。*3
これは、atnbの感想と全く同じ。

しかし、他のブログを読んでみて、評判が高いのだけれど、その人たちが面白いというほどに感銘を受けなかったのは、卑屈になるわけではないけど、自分の心の余裕の問題でしょう。

(面白がることに失敗した同類として言うが)そうではないと思うのだ。
一言でいえば「テーマ設定」ですよ。
本でも音楽でも、いかに全米が泣いた映画でも、自分のアンテナに合わなければ面白いと感じることはできない。
言い方を変えれば、自分の追っているテーマと照らし合わせて、いかにそこに合致しているか、でその作品の魅力は決まるといえるのではないか。(能動的な要素が必要)
つまり、その本を面白いと思えないのは、小飼弾と比べて、自分自身の興味・関心の範囲が異なる、もしくは狭いからであって、心の余裕の問題ではないのだ。(まあ、僕の場合は)
だから、「面白い」を得るためには

  1. 興味・関心を広げる(弱点補強)
  2. 興味・関心を持っている部分(自分としてのテーマを持っている部分)の作品を選んで、そこを掘り下げる。

のどちらかしかないのだと思う。
そして、どちらにしても、自分の「テーマ」を明確に意識しておくことが必要なのだろう。
『渋滞学』の内容に戻れば、著者の西成助教授の「テーマ設定」の上手さ、それへの執着と努力が、異分野の専門家をひきつけ、分野横断的な研究成果に結びついているのだと思う。
図書館で新刊だからと安易に手に取った自分には、その部分が欠けていたのだろう。
また、ネットワーク思考を扱った第6章から読み始めれば、だいぶ読後感は変わっていたはずだ。
そういう意味では、もう少し、慎重な本の選び方・読み方をしていきたいと思う。
ちなみに、西成さんが30代の若い研究者であるということには刺激を受けた。
自分もがんばらなくては・・・。

*1:じきにエントリをアップする。

*2:リルケ『若き詩人への手紙・若き女性への手紙』:薄いのでじきにリベンジ。

*3:なお、本書の中でキモとなる、セルオートマトンのことを、自分は長らくセル・オートマンだと思っていた。検索すると同様の間違いをいている人は多いようだが、自分は「お先に失礼します」という感じだ。研究論文みたいなものでもセル・オートマンと書いているものもあるようだが、大丈夫か?