Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

はてなスターが生む「ブログ格差」

このエントリの主旨は、はてなスターは、今後の展開によっては、一層の「ブログ格差」を広げることになる、ということ。特に、はてなユーザーには基本的に表示を義務付ける、という現在のかたちは、それを助長すると考える。
以下、上エントリで取り上げた『とてつもない日本』の引用から始める。*1

長期の義務教育が「教育格差」という後ろ向きの発想を生む

とてつもない日本』には、「暴論」が多い。たとえばP62からの流れをはじめて読んだときは「馬鹿な!」と思った。が、読み直すと、それなりに筋が通っている。

「暴論」との謗りは甘んじて受けるが、中学校を義務教育からはずしてみたらどうなるかを考えてみる。それで小卒者が増えるかといえば、おそらくそんなことにはならないだろう。現在の高校進学率は97%だから、おそらく、仮に義務教育から外しても、中学進学率がそれより高いことは容易に想像できる。
一方、義務教育から離れることで、希望に応じて中学生からでも職業教育の実技を教えることができるようになる。
(略)
サラリーマン以外の選択肢があまりないように見える社会には、魅力を感じることができないのではないか。いい会社に入るためには、どうしてもある程度の学歴が必要になる。ニートが増加する原因には、このあたりのことがあると思うのだが、どうだろうか。
(略)
大人が勝手に決めた「平等」な教育の結果として、有能な若い人が何となく自信をなくし、生きる方向を見失ってフラフラしているのを見るのは、とても残念でならないのである。
(P62-67)

ほとんどの人が、高校卒業まで、学力というものさしでしか人を判断することを教えられない、というのが問題だというのだろう。実際、多くの人が、就職活動をするまで、学校のペーパーテストの結果以外に、自分を評価する軸を知らない、というのは、比較的学校の勉強が得意だった自分を振り返っても不幸だったし、それが苦手な人には尚更だろう。
中学校を義務教育から外すということは、複数の「評価軸」を自然に与えてやることに繋がる。実際、「学校の勉強」という評価軸は、それほど意味をなさないことを、社会に出てから知ることになるのだ。

政治、行政がやるべきことは、国民皆東大入学制度をつくることでは決してない。多様な価値を前提にした教育の機会、選択肢を保障することである。
学校から選択されるのではなく、自らが選択するものになれば、教育格差などという後ろ向きの発想は一掃できるに違いない。(P101)

教育格差の問題は、価値観だけの問題ではないが、そういう一面も大きい。大学入試時期に週刊誌がこぞってランキングを整理して掲載することもそれに拍車をかける。

はてなスターの表示義務付けは「ブログ格差」という後ろ向きの発想を生む

上の議論は、ブログにおいても同じで、ひとつの評価軸でのランキングが過大に評価されるようになることは、多様な価値観の否定につながる。また、それを意識する人の心の中で「格差」の問題を生むことになる。
勿論、従来システムのはてなブックマークにも同じ問題点があった。ブックマーク数の多いエントリがさらに多くの読者を生み、ロングテールの部分には目が向かなくなる。しかし、あくまで、ブックマークの表示は選択性であり、それに目が向かない人も多かったように思う。
ところが、はてなスターでは、基本的に表示が義務付けられているため、多くの人が、☆の数を気にしだす、ということはありうることだろう。

  • このエントリは、あまり☆がついていないから読み飛ばそう
  • この人のブログは、あまり☆がついていないから人気がないのかな

などと考えて、ブログの内容よりも☆の数を気にしだしたら、はてなスターというシステムがあることによって、読まれずに埋もれる良エントリが増えてしまう弊害があるように思う。
さらには、

  • もっと人気があるように見せるために☆を押しておこう
  • 少し昔のも遡って押しておこう
  • 「過去エントリについても、はてなスターを自動的に10個加えるツール」できました

などなど、無意味に☆の数が増えて、ほとんど意味のないシステムになる可能性もある。
自分は、はてなスターの「気軽に伝える」ツールとしての魅力には興味があるが、エントリごとに☆の数が見える、そしてそれを義務付ける、現在の方法には弊害も多いのではないかと思ってしまう。

*1:もともとは、読書感想エントリに入っていた文章を無理矢理切り分けたもの。無意味に麻生本への言及が多いのはそのせい。