Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

本日、出張先の秋田で、コチタロさんと食事をご一緒させていただきました。
ブログを通じて知り合った人と直接会うのは、やはり面白く、自分も興が乗り、喋っている内容が支離滅裂だったのではないかと危惧しています。

なお、秋田は桜満開でしたが、今日は雨も降り、かなり寒かった。夜の花見で凍死者が出ても驚きません。(←言いすぎ)

ハイビジョン特集「立川談志 71歳の反逆児」

16歳で弟子入りし、26歳で真打ち昇進。天才の賛辞を浴びてテレビ界はもとより政界も股にかけての大暴れの後、47歳で落語協会に反旗を翻して脱退…と破天荒な人生を送ってきた立川談志さん。71歳の日々を貫くのは、自らの生き様を通して「本物の落語」を遺したいという強烈な使命感です。「落語とは、時に狂気までをも内包した凄まじいものであるはずだ」という信念のもと、若者のお笑いブームにも真っ向勝負を挑み続けています。番組では、天才落語家の日常に密着し、落語への執念を描きます。

壮絶だった。
「老いさらばえたくない」「元気なままで早く死にたい」。かつては65歳で死ぬことを宣言していた立川談志が70歳を越えて、何故自分は死ねないのか、と向き合う日々を密着取材で描ききったドキュメンタリー。
20代のときに、名著と呼ばれる『現代落語論』をものすなど、ものを考え、書くことを、落語と同様得意にしてきた立川談志は、「落語とは人間の業の肯定である」という名言を残しているが、70を過ぎて、自分の「老い」という業に悩まされる。とても、人間の業を「肯定」出来ていない状況にある。
クライマックスは2006年7月のホーチミン公演。ここで、十八番の「芝浜」を、途中で忘れるという失態を起こす。(観客に待ったをして、雑談をしながら思い出して切り抜ける)普通の70歳の落語家なら気にしないだろう。しかし、自分は立川談志なのだ、という強烈な自負、プライドがその失態を許さない。事実、談志の「芸」にかける才能と熱意は、画面から伝わってくるものだけから見ても、他の追随を許さないほど強烈なものだった。
ラストでは、「芝浜」を見事に演じきった三鷹公演、「芝浜」を演じることから逃げたよみうりホール、という正反対の行動選択が映し出される。立川談志の、自己との戦いを、それこそ「死ぬ」まで終わることの無い戦いを見せ付けられる、凄い番組だった。
最も衝撃を受けたのは、立川談志が見る二ツ目昇進試験。

  • 二つ目昇進には、落語50席と都々逸・長唄・かっぽれなどの歌舞音曲
  • 真打昇進には、落語100席と歌舞音曲

の修得が求められる。家元である談志は一方で「持ちネタが2席でも、客を爆笑させることができればよい」としているが、その基準をクリアできる弟子はいないのが現状である。

番組で取り上げられたものでは、5人いて4人をバッサバッサとぶった切って落とされていた。立川談志自身が自分に厳しく、それを他人にも求めている、ということはわかったが、そのさまは、テレビで見ているこちらまで青くなってしまうような怖さがあった。
もっと自分の仕事に対してストイックにならなければならないと、テレビの中の立川談志に諭された。
立川談志の死生観とプロフェッショナル論、どちらをとっても強烈に心に残る内容だった。
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なお、番組の合間合間に、著名人が各々の立川談志論を語るコーナーが挟まれていたのだが、その中の一人に、立川志らく爆笑問題・太田に混じって、ザ・クロマニヨンズマーシー真島昌利)がいた。
同世代なら通ってくる人が多いブルーハーツを、自分はスルーしてここまで来たのでよく知らなかったが、彼の語り口も面白い!魅力というより引力というべきか、知的かつ引きつけられる立川談志論を展開していた。ブルーハーツは、100sの曲「バーストレイン」にも登場するし、今さらながら、ちょっと勉強もいいかも、と思った。

情熱大陸・田中宥久子

ヘア&メーキャップ・アーティスト・田中宥久子、61歳。
 顔の筋肉をマッサージすることで皮膚のたるみを引き締め、結果、たった3分で『10年前の顔』になることができるという『造顔マッサージ』をあみ出した。メイクの仕事をする中で「素肌の美しさ」が何より重要であると感じたことからのスタートだった。
 誰にでも手軽にできることから幅広い年齢層の女性の支持を集める『造顔マッサージ』。本を出版すれば驚異の売り上げをあげ、雑誌の特集はあとを絶たない。全国各地から講演会の依頼が相次ぐ…。いま、世の女性たちからひっぱりだこの田中に密着する。
 彼女の夢。それは、どんな人種の人も「造顔マッサージ」で美しくさせること。夢の実現の第一歩として、彼女はイタリアへ飛んだ。果たしてその思いは世界の人たちの心をも動かすことができるのだろうか…。

これだけ売れている人だから、何というか「山師」的なオーラを持つ人かと思っていたが、全く違った。
逆に、まじめな努力家という印象もなかった。
自分の才能と進むべき道に確信を持ち、ただ、その道を自分のペースで進んでいる人、という感じだ。
「迷い」は感じられない。

番組内では、現在の一人暮らしの様子、離婚についてのインタビューと合わせて、二人の娘と食事をするシーンが映し出される。実際には寂しい気持ちもあるだろうが、互いに誇りを持ち、尊重しあう、という関係、そこには一面であっても理想的な親子関係があるのかもしれないと思った。

番組の主眼は、人間・田中宥久子よりも、彼女のマッサージとメークを受け、美しく生まれ変わる人たちにあったのだが、老人ホームのお婆ちゃんの笑顔が印象的だった。
島本和彦風にいえば「やる気パルス」=田中宥久子から湧き出るプラス志向が次々と周囲に伝わっていくようで、その影響力の凄さを感じた。
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なお、田中宥久子は61歳。立川談志71歳を見たあとでは、61歳はまだまだ若いなあ、と思ってしまうから面白い。
でも、さらに、上には上がいるからなあ・・・。

60歳は還暦。普通なら「人生の晩年が始まる」と思うかもしれない。でも、僕は違った。本当に新しい人生が今から始まると思えた。ちょうど同じ頃に、哲学者マルチン・ブーバー氏の「人は創(はじ)めることを忘れなければ、いつまでも若くある」という言葉に出合っていてね。その言葉が非常に心にしみた。新しいことへの挑戦を続ければ、体は老いても心の若さは続くのだと。それからはもう挑戦の人生。人がやらない、新しいことを創めるようになった。この言葉への共感こそが僕のパワーになっているのかもしれない。

四十五十は鼻たれ小僧だとか、六十、七十は鼻たれ小僧だとかいう言い方があるそうだが、それもあながち嘘ではないかもしれない、と思う。
そのとき、重要なのは、上で引用されている言葉にあるように「創めることを忘れない」こと、そして、何かを創めるのに十分な「健康」なのだろう。

きょうの料理ビギナーズ5月号

  • 男が料理?当たり前では?(居丈高に)