Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

NHK「日本の、これから」

http://www.nhk.or.jp/korekara/
お笑いの「何とか登竜門」を見ようと思ってテレビをつけると「格差社会」の文字が。そのまま点けてたら、途中陽太の入浴は挟みながらも最後まで見てしまった。特集ではなく新番組ということだが、今回はホリエモンも出ていたし、「市民」席からのNHKの取り組み方への判などのハプニング的な要素もあり、楽しめた。以下、感想。
実際のところは、あまり建設的な議論にはならなかったのだが、それは結局「格差」の捉え方による。
何の「格差」かといえば、「金銭的な」格差ではなく、「努力して報われるかどうか」についての格差である。つまり山田昌弘の言葉を用いれば「希望格差」ということになる。番組を通じて、問題にしているのは必ずしも金銭的な話ではない、ということについての出演者の共通認識は形成されたのだが、そこからは二つに分かれる。つまり、人によって現代日本社会は「努力すれば報われる」(ホリエモン等)と感じる人と「努力しても報われない」(金子勝等)と感じる人がおり、感覚論なので、議論が噛み合わないのだ。
これについては、「報われない」派が何らかのデータが示すだろうと思っていたが、有効な根拠は出ずに終わってしまった。視聴者側としても自分が持っている意見(報われる派、報われない派に関わらず)を変えるまでの意味のある議論はなく、水掛け論に近かったのが残念だ。
格差の固定化の話で出てきた北海道大学の青木紀教授の話は、

  • 教育費に、これほど親に負担がかかるのは日本だけ。
  • 長年聞き取り調査を続けてきたが、近年、低所得層が進学を諦めることが増えてきている。

という話だったが、これももう少し情報がほしいところ。特に諸外国での教育費の補助については番組としてもっと具体例を取り上げても良かったと思う。
出演者では、斎藤貴男*1は、感情論というか反政府、反企業という感じが全面に出ていて、何だかなあという感じがした。期待の山田昌弘ホリエモンが声を張るとフェイドアウトしてしまう始末。逆にホリエモンの論旨は明確で、ライブドアという会社の(社員を差別しない姿勢の)宣伝にもなっており、見直した。また、重松清の全体からにじみ出る「いい人さ」には感動。司会の三宅民夫氏は、議論の進め方はうまいのだが、茶髪の女性との「○○さんはフリーターですか」「いえ」「学生さんですか」「いえ、会社員です」といったやりとりや、「それでは、フリーターの○○さんの意見を」「いいえ。経営者です」といった外見だけで人を判断するところからくる致命的なミスがあり、残念。次から頑張ってほしい。
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さて、僕としては、どれほど深刻な状況になっているのかについては、全くわからないながらも「希望格差社会」には不安を持っている。こういった漠然とした不安は、マスコミや政府に「煽られて」出来ている部分が多いとわかっていても、やはりなくならない。
「自分自身が努力できていて、ちゃんと暮らしていけるのならいいのじゃないか」「結局個人の努力・能力の問題だ」という意見はもっともだが、僕が希望格差社会の到来を不安に思うのは、自分がニートになるかもしれないからではない。希望格差が犯罪を産む、と感じているからだ。
絶望しかない未来に、どうやって生きていこうか。そう考えたときに、自殺という行動に走るのは残念なことだが、わからないでもない。しかし、自暴自棄から他人を巻き込んで死ぬ事件が増えるとすれば、由々しき事態だ。競争の平等・不平等以前の問題だ。例えば池田小の事件は、完全に「自殺」が目的だし、今日仙台で38歳・無職の起こしたトラック暴走の事故も、そういった背景が少なからず関係しているだろう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050402-00000015-maip-soci
「希望格差」と「犯罪」については、今後もこれらを結びつけた報道をマスコミが繰り返すだろうと思うので、どの程度まで因果関係があるのか是非知っておきたいところだ。
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希望格差社会」に不安を感じる一方で、この問題は、実は「世代間格差」の問題が、煽りを助長しているという感じがしてならない。将来に不安を抱かせる意見というのは、上の世代から出ることが多いのではないか?
すなわち「世代間格差」によって、上の世代が感じる下の世代への申し訳なさが、問題点のクローズアップのみにつながり不安を煽る。
「昔はよかった」→「今の若者は可哀想だなあ」→「申し訳ないなあ」→「●●の問題が日本を滅ぼすから何とかしろ(俺は解決出来ないけど)」
そういう流れが、年金問題、環境問題、希望格差の問題全てに共通する図式だと思う。下の世代になればなるほど、危機感がないだけでなく、何とかやっていってしまうのではないか、そういう気もする。そういう意味では、僕らも40代、50代に対する「ずるいぞ」*2という気持ちもある。
実際には、(重松清のまとめの弁を借りれば)勝ち組、負け組という二分法に括られない個人個人の幸せの実現の仕方があるはずだ。そのモデルがイマイチ見えてこない過渡期が今なのだろう、と今日は少しだけ楽観的に終わる。*3

つづき
ホリエモン・ワンスモア(4/7の日記)

*1:番組を見るまで知らなかったが、amazonでの評価は高いので一度読んでみたい。

*2:しつこいようだが、『クレヨンしんちゃん、オトナ帝国の逆襲』

*3:実際には、老後の話をまじめに考えると深い闇が横たわっている気もするが、怖いので考えない。