希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)
- 作者: 古市憲寿,本田由紀
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2010/08/17
- メディア: 新書
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これに限らず、最近、古市憲寿の名前を聞く頻度は増え、そろそろ一冊読みたいと思い、(当然、昨年出た『絶望の国の幸福な若者たち』がベストなのだろうが)ピースボート自体にも興味があったので、まずはこの本を読んでみた。
夢をあきらめるということ
とても刺激的な本だった。まず、知ってはいても、その主張は異質。「夢は大抵かなわないのだから、夢を求めず、低賃金でも仲間たちと楽しくやっていければいいじゃないか。社会問題とか難しいことは偉い人に考えてもらおう。若者たちはそれで幸せだ。」おお・・・・(溜め息)
全体の内容は、以下の二つのインタビュー記事でおおよそ掴める。リンク先では、作者のカッコいい顔も拝める。(ちょっと嫉妬します)
前者から概要を抜粋。
ピースボートとは、世界平和のための国際交流を目的とした世界一周クルーズだ。東大大学院に通う25歳の古市憲寿さんは自らのピースボート乗船体験と調査をもとに、『希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想』という本を書いた。そこには、「世界平和」という「夢」を持って乗り込んだ若者達が、同じ志を持つ仲間と盛り上がる居心地のよさから世界平和のことなどどうでもよくなってしまう様子が書いてあった。
だけど、それでいいじゃないか、と古市さんは言う。夢を追いかけたって社会はなんのケアもしてくれないし、仲間と楽しく過ごすほうがどれだけ満たされているかわからない。むしろ幸せのために「若者に夢をあきらめさせろ」と言うのである。
そして後者から、核心部分の「若者をあきらめさせろ」についてのポイントについて。
──最後に、本書の主張は「若者をあきらめさせろ」とも取れますが、若者には“あきらめさせた”ほうがいいですか?
古市 別に僕もこの本で「あきらめろ」とは言っていないんです。今のキャリアアップの仕組みも未整備で、セーフティーネットも十分に整っていない社会で、夢だけ見せて頑張れとは言えないし、それは無責任だとも思う。そういう社会は変えていかなくてはならないと思います。と思うと同時に、生活満足度調査を見ると、今の若い子はかつてないほど満足度が高い。こんなに若者の格差が叫ばれているのに、当の若者は満足している。そういうことを考えると、これが成熟した社会のあり方なのかと言われれば、思わなくもないのが難しいところなのですが。
これまで読んだ本やテレビでの議論(そして支離滅裂な朝日新聞社説)は、今の若者は不幸であることを前提として、上から目線での「改善策」ばかりが語られるので、このような話を耳にする機会があまり無かった。その意味で、目の付けどころが素晴らしいし、大風呂敷を広げ過ぎず、身の回りの問題にできることから対処していこうという点では、むしろ作者の誠実な部分が伝わってくる。
インタビュー内でも「両輪」という言い方が使われているが、「頑張らせる」呼びかけと、「頑張れる」仕組みが両方ないと意味がない。多少時間差が生じるのは仕方がないが、それらが同時に整備されるべきものという意識が必要なのだろう。
古市派か本田派か
さて、この本の特徴は、表紙にも明記されているように、巻末に、かなりのページを割いて指導的立場にある本田由紀の「解説と反論」があること。
そこでは、古い世代の意見と言いながらも、宮台真司などの意見を引用して次のように述べられている。
これら(宮台ら)の主張は、「誰か、やる気のある人が勝手にやってくれるだろう」という考え方とは対極的に、社会の存続や改善にとって、個々人の判断と行動が不可欠であることを説いている。私も、「誰かが勝手にやって」というフリーライダー(ただ乗り)的発想は、一方ではずるいし(倫理的問題)、他方ではとてもそんなこと悠長に待っていられないようなひどい状況に簡単になってしまうし(実利的問題)、やっぱりやばいだろうと思う。
(略)
もうひとつの違和感は、「仲間とそこそこ楽しく」という部分に対してのものだ。私は人とつるめない体質であることもあって、目的なしにまったりと過ごしあう仲間の持続可能性にも危惧を覚える。
まさにその通りで、自分は、古市派か本田派かと言われれば、勿論本田派。
ただし、以前、podcastで聞いた限りでは、古市憲寿は、持続可能性や日本の将来に対する不安にも自覚的で、将来に希望を持てないからこそ、今現在に満足ができ、幸せを感じる、という逆説的な説明をしていた。そして、そういった社会問題には、誰かが手を付けなければならないことも完全に分かっていて、敢えて「誰かが勝手にやって」という確信犯なのだ。こういう頭がものすごく回る小憎らしい部分を考えると、やっぱり本田派だなあ・・・。
文体について
ところで、本田由紀も以下のように述べているように、この本は普通の新書よりもかなりくだけた文体になっている。
そうそう、文体は大事だ。古市君からもらったこの本の原稿を読んでいて、私は何度も吹き出しそうになった。特に何が可笑しかったかって、引用されている学者たちの名前に、いちいち的を射た枕詞がついていることだ。
その枕詞を、それぞれの学者の生年(本人は1985年生まれ)とともに記す(ごく一部)が、改めて読むと凄いと思う。怖いもの知らずというか、自分には、どう逆立ちしたってできない芸当だ。こんな言葉を使いたくなかったが、「新人類」としか言いようがない。自分が彼のように頭が良かったとしても、絶対にこういう風には書けない。
- バンド活動に熱心な社会学者の小熊英二(1962) p40
- いつも後書きが秀逸な社会学者の樫村愛子(1958) p43
- 大学時代は囲碁部だった教育社会学者の本田由紀(1964) p110
- ブログの更新頻度がすごい評論家の内田樹(1950) p141
- 『1969』を書きあげて疲労困憊の小熊英二(1962) p145
- 売れっ子精神科医の斎藤環(1961) p150
- 文学少年的な風貌を維持する社会学者の北田暁大(1971) p191
- 最近すっかり「パパ」になってしまった社会学者の宮台真司(1959) p210
- 高校時代の唯一の反抗が『サザエさん』を立ち読みすることだった本田由紀(1964) p263
- 資本主義に出家した女・勝間和代(1968) p265
- 社会学者でありながら優れたマーケターでもある山田昌弘(1957) p271
- Hey!Say!JUMPファンの教育学者・荒川葉(?) p271
まとめ
内容の賛否はあれど、難しい言葉を使わずに非常に読みやすい内容で、わざわざ想定反論も収録されていて、批判的立場からも論点を確認できるお得な内容。さらには巻末に、作者本人によるイラスト付き図解まとめもあり、至れり尽くせりの新書。
これはもっと前に読んでおけばよかったと思った一冊でした。
*1:なお、2012年において、尾崎豊をどう扱うべきかは、冷泉彰彦さんのニューズウィークの記事「尾崎豊の再評価が不要な理由」が全てを表しているように思う。