Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

靖国問題が少し分かった

最近事件の多い日中、日韓の話の中で、いつも話題に上る靖国問題。僕自身、難しい問題なので敬遠していながらも、正直「そこまで他の国に言われる筋合いはないだろう」と思いこんでいた。
しかし、内田樹さんが、自分のブログで、非常に分かりやすい「小泉首相靖国参拝不支持」論を展開しており、考えを改めた。不支持の理由を引用すると以下の通り。

「隣国と正常で友好的な外交関係を維持することは重要な国策の一つである。戦没者の慰霊も国民的統合のために重要な儀礼の一つである。どちらが優先すべきかについての汎通的基準は存在しない。複数のオプションのうちどれがもっとも多くの国益をもたらすかを比較考量して、そのつど定量的に判断すべきであり、ことの正否を一義的に決する審級は存在しない。『靖国に参拝することによって得られる国益』が『それによって損なわれる国益』よりも大であることについての首相の説明に得心がいけば私は靖国参拝を支持する。私が首相の参拝を支持しないのは、自らが下した重大な政治判断の適切性を有権者に説得する努力を示さないからである。自らの政治判断の適切性を有権者に論理的に説明する意欲がない(あるいは能力がない)政治家を支持する習慣を私は持たない。」

内田樹さんの関心は「わが国の利益を最大化する施策」は何か?にある。そして、日本という国が政策決定を行う場合の関心もまさにそこにあるべきだ。反日デモが続く中で、中国、韓国のやり方を不快に思うあまりに、日本の中で「靖国参拝断行」の空気が強くなるとしたら、そしてそれを受けて小泉首相靖国参拝を断行することをよしとするならば、それはあまりに合理性を欠いた判断であるだろう。
これについては、ナショナリストとショーヴィニストの違いについて触れた、エントリの後半部が、またわかりやすかった。

みなさんは「ナショナリスト民族主義者)」と「ショーヴィニスト(排外主義者)」の違いをご存じだろうか。
(中略)
私はナショナリストではあるが、ショーヴィニストではない。
ふつう、ある国の国益は、隣国の為政者が邪悪で、国民が愚鈍である場合よりも、そうでない場合の方が確実に担保されるだろうと考えているからである。
その点で、ショーヴィストと(私のような)ナショナリストは、隣国の政治判断について、しばしば正反対の反応を示すことが起きる。
ショーヴィストはしばしば隣国政府が「愚策」を犯すことを喜び、ナショナリストは隣国政府が「賢明な政策」を選択することを喜ぶ。

つまり、日本は、隣国とのwin-winの関係を築く道を慎重に選ぶ必要があるのであり、それは、もう少し頭のいることなのだ。
〜〜〜〜〜〜
さて、この問題について興味の沸いたところで、日頃よくチェックしているブロガーの人達が、どのように靖国問題を取り上げているのかを確認した。
まずは、極東ブログfinalventさん)。

あの戦死者は我々が弔っていかなくてはならない。だが、それが靖国である必要が私には理解できない。

検索して行き当たったのは、1年以上前の少し雑感的な文章だったが、靖国参拝不支持(強固に支持する理由がわからない)という意見のよう。「第2次大戦の戦犯を除いた新たな追悼施設の建立」の話は今どうなっているんだっけ?
次に、swan_slabさん。http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20041201#20041201f9
政教分離関連のところは(重要なテーマと知りながら)とばし読みしてしまったが、対中ODA見直しも含めて、「わが国の利益を最大化する施策」を考えるべきという点では、内田樹さんのところと同様の意見のようだ。
また、このエントリでは「丸激トークオンデマンド」での宮台真司や、河野太郎の意見も載っていたので非常に参考になった。
宮台真司は、中国、韓国に対し「弱腰ではあたらない」ことによって人気を取ろうとする小泉首相ポピュリズム政治を批判する。

日中共同声明あるいは田中角栄が何を考えていたかということを分かっていたとしてもそれは横において不安のポリティクスを背景とした人気取り政治をやって北朝鮮に対する敵意をあおる。中国に対する敵意をあおるとということをやっている。それがインターネットを介して今申し上げたような事情を全部スキップしたかたちで国民が確かにあおられている。そこに問題を感じる。(宮台)

日中共同声明については、丸激トークオンデマンドの対談でも取り上げられているが、河野太郎のページが非常にわかりやすかった。
http://www.taro.org/ml/mailmagazine/index.php?mode=day&log=200412&date=1#no165
すなわち、1972年の日中共同声明では、中国側が「戦争は日本国内の一部の軍国主義者(その象徴がA級戦犯)によって発動されたものであり、大多数の日本国民も戦争の犠牲者である」として、譲歩するような形で戦時賠償の請求を放棄した。
しかし、1978年になって、A級戦犯靖国神社に他の戦没者と一緒に合祀されてしまった。(政府の介入がなくなった靖国神社が宗教法人としての独自の判断で、A級戦犯の合祀を行った)

そして、1985年8月15日に中曽根首相が靖国神社に「公式参拝」を行ったのをきっかけに、中国政府も日本政府に対し、首相、外相、官房長官靖国神社への参拝をしないよう求めるようになりました。つまり、日中共同声明の中で確認した、戦争と中国国民に対する重大な損害に責任のある「一部の軍国主義者」が神として祀られている場所に、その日中共同声明に責任のある首相、外相、官房長官という役職にあるものが参拝することは、共同声明の合意に反することになるという主張です。

したがって、靖国問題というのは1978年以前にはなかったことになる。今回、靖国参拝を考える上では、1972年の日中共同声明、1978年の靖国神社へのA級戦犯合祀についての基礎知識が必要不可欠だということが理解できた。
今後、靖国報道を見る際には、こうした基礎知識を踏まえた上で、靖国参拝支持側が「靖国参拝によって得られる国益」についてどのように説明しているのか、に注目しながら靖国問題について考えていきたいと思う。
 
(追記)
よく考えると、上記の中国側の認識がそのまま、先日の王毅駐日大使の「紳士協定発言」につながるわけだ。しかし、これについては、日本側は完全に否定しているわけで、ちょっとよくわからなくなってきました。
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20050428AT1E2800728042005.html